柴生田稔
昔、大江健三郎が好きだった。名曲喫茶とパチンコの日々だった頃である。「死者の奢り」「飼育」「セブンティーン」(絶版か)等の初期作品から「性的人間」「個人的な体験」を経て「万延元年のフットボール」までかなあ。それ以降(就職した頃)はとんと読まなくなった。大江が変わったのか(エラソー)俺が変わったのか、司馬遼太郎を読むようになったのだから多分俺が変わったのだろう。いや、時代が変わったのかもしれない。時代を覆う閉塞
感の内容が変わったこともあるだろう。
さて、今日の歌人は柴生田稔。斎藤茂吉に師事したアララギの人である。
放課後の暗き階段を上りゐし一人の学生はいづこに行かむ
2句「暗き階段を」4句「一人の学生は」がいずれも字余りで、それがごつごつした触感を生んでいる。そしてまた「暗き階段」が何ものかを暗示し、結句「いづこに行かむ」と相まって音楽でいえば短調の響きをもたらす。
なんということもない情景を淡々と描写する中にある時代の翳りを読者は感じるのである。陸軍登戸研究所跡を訪れて脈絡もなしにこの歌を想起した方もいる。
歌は徹底的に私歌でなければならぬ。しかし同時に歌は作者から独立の存在であり、時代を映しとる言語ゲームでもある。だから、言語ゲームとして個人的な体験を掘り下げて行けばいつかは普遍的なものに到達する可能性を孕んでいる。昔、大江健三郎もそんな意味のことを書いていたように思う。
「暗き階段」の上には、いったい、何があるのだろうか。
※写真は浜脇小学校HPから勝手借用/感謝です。
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コメント
>言語ゲームとして個人的な体験を掘り下げて行けば
>いつかは普遍的なものに到達する可能性を孕んでいる。
>昔、大江健三郎もそんな意味のことを書いていたよう
>に思う。
大江健三郎がそんなこといってたのはなんとなく記憶に残しています。普遍的なものってそんな大事なものなのかなあ、と不思議な気持ちがしたものです。普遍的なものというと、数字とか規則とか、そんなものしか連想できないからかもしれません。あとは宗教ですかね。宗教をもつ者だけが殺し合いをするって、誰がいったのでしたか。個人的には、個人的な体験を掘り下げた先より個人的な体験以前の方に普遍的なものを感じます。
投稿 鏡像 | 2006年8月28日 (月) 午後 08時40分
大江健三郎、名曲喫茶とパチンコの日々・・・
土曜日さんは案外ぼくと同じくらいの年代なのかな?
柴生田稔の短歌って、ほんとにゴツゴツしてますね。
まるで字余りにして詠まなくてはいけないみたいに。
投稿 lucky-clicker | 2006年8月28日 (月) 午後 08時55分
>個人的な体験以前の方に普遍的なもの
こう言われると「純粋経験」を思い起こしてしまいます。
ところで、開闢の奇跡は、始め(純粋経験)と終わり(抽象の究極)の両方にあるのではないでしょうか。
なぜなら、始め(生)も一人終わり(死)も一人だからと全くの非論理であります。
>土曜日さんは案外ぼくと同じくらいの年代なのかな?
ええっ、と吃驚してブログをじーっと見つめたけれど推量が全くつきません。団塊より、もっと若いでしょうと勘ですが。
投稿 土曜日の各駅停車 | 2006年8月29日 (火) 午前 07時38分
>開闢の奇跡は、始め(純粋経験)と終わり(抽象の究極)の
>両方にあるのではないでしょうか。
>なぜなら、始め(生)も一人終わり(死)も一人だから
奇跡はふつうに予測され周到な準備でぼくは受け止めてくれました。
そのぼくの上に身をかがめてくれた人たちはまた別の人かもしれません。
死ぬときも同じように、ぼくの上に身をかがめてくれる人がいることを願います。
(女のひとだといいなあ。)
そういう人たちを数に入れずに「一人」といいたいときもありましたね。
通念や歌とはちがって、人はみな一人で生きている、とさみしくつぶやいたあの頃。
投稿 鏡像 | 2006年8月29日 (火) 午前 11時08分