土屋文明
ビデオに溜まっていた山田洋次「息子」を観た。三国連太郎扮する岩手の父親と、東京の 二人の息子(兄は大企業、弟は小工場アルバイター)及びそのパートナー(妻、耳の不自 由な美しい恋人)との物語である。「下町の太陽」は青二才松竹ヌーベルバーグ臭紛々たる映画だったためか途中で眠り込んでしまったけれど、こちらは円熟山田洋次、こなれた名作となっている。
大企業に勤めている秀才兄の過労日常と、劣等性弟の彷徨人生と、出稼ぎでこども三人を育て上げ妻を去年亡くした父親の老残とのトライアングル対比を通して幸せとは何かを考えさせようとの山田物語である。
おのずから涼しさ溢るる秋あした満ち足りというは日常にあり
さて、今日は土屋文明。茂吉と並び立つアララギの総帥である。
小工場に酸素溶接のひらめき立ち砂町四十町夜ならむとす
これはもうなんといっても下句「砂町四十町夜ならむとす」で詩になっている。これに加えて「酸素溶接」の配合の妙があって視覚イメージが形成される。歌意なんかどうでもいい。一幅の絵画として鑑賞すべき作品である。「砂町」で検索すると江東区砂町が出てくるから、多分このあたりなんだろう。詩人にとって実際の土地ではなく地名が喚起する映像が大事だけれども。
歌は言語芸術だけれども名歌は映像を喚起させる(例:「ゆく秋の大和の国の」)。我らの共通理解のためには、言語で世界を分節することが必要だけれども、純粋経験の記憶は言語以前の世界を映像で取り戻したいのである。
劣等生弟は彼女の美しさに一目惚れ。その後彼女が不自由なことを知って愕然とするも、「聾唖でナニが悪い。俺は彼女が好きなんだ」と叫ぶのである。
追記:写真は「山田洋次の映画」から勝手借用した。感謝です。
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