小泉首相の罪と罰
史的唯物論のテーゼに「下部構造が上部構造を決定する」というのがある(と記憶する)。 これは要するに、経済が政治・文化を規定するということだ。奴隷制→封建制→資本制と、それぞれの時代はそれぞれの経済構造に適う政治・文化を持つということである。
相場で言えば、ファンダメンタルが株価を決定するということだな、これは。
だから中長期的には、このテーゼは正しい。
しかし、短期的には株価は需給、市場心理に従う。企業業績とは無関係に乱高下する。
これを史的唯物論に引き直すと、文化が政治・経済を規定するということになる。
例を挙げよう。
毛沢東は自分の権力奪回闘争を文化大革命と称して無知な青少年(紅衛兵)を煽った。
日本軍国主義は八紘一宇・鬼畜米英なるスローガンで民衆を煽り無責任な戦争に突入させた。
では、なぜ、かかる上部下部構造の逆転が可能になるのか。
それは経済(損得)は妥協を見出せるけれど、文化の溝には妥協がし辛いからだ。
例えば、大陸棚油田の権益争いはどこかで妥協できる可能性があるが、靖国参拝の是非という文化的問題は妥協の余地が少ないということで実感できる。
だから政治家は大衆をデジタル・キャッチ(抵抗勢力、民でできることは民で等)で煽ってはならない。文化的無知な大衆ほど始末に困るものはないのだから。想起せよ、日比谷焼打ち事件。
小泉首相の最大の罪悪はこの点にある。司馬遼太郎を読んでも「国盗り物語」程度にしか理解しない人間無知と表現して差し支えないだろう。
さて、安倍ちゃんはどうだろうか。
写真は松岡正剛の千夜千冊から勝手拝借。感謝です。
| 固定リンク
「哲学」カテゴリの記事
- 時間の重層化(2014.10.27)
- 短歌と俳句(2014.08.31)
- 生き急ぐ歳にはあらず通勤の各駅停車哲学史読む(2014.07.11)
- 神探す唯物論者梅雨の底(2014.06.24)
- 戸田山和久「哲学入門」読了(2014.06.19)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント