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2006年8月 6日 (日)

窪田空穂

昨夜のBSにっぽんの歌熱唱ひとり舞台は堀内孝雄。聴きながら、谷村新司との距離をあPhoto_57 らためて思い、両者をわかりやすい比喩で対比できないかと考えた。思いつかないまま寝床に入り今朝例によって早く目覚めたら「うどんvsパスタ」という適切な比喩が浮かび、醤油味とバタ臭さの対比はなかなかのものだなどと自画自賛しだしたら起きてしまった。Wikipediaを見ると堀内孝雄の「実兄は奈良市でお食事処を経営」とある。さもありなむ、堀内孝雄の家業はもともと食堂ではなかっただろうか。

さて、今日の歌人は窪田空穂。昨日の水穂よりはポピュラーな歌人だと思う。

 鉦鳴らし信濃の国を行き行かばありしながらの母見るらむか

「鉦(かね)鳴らし」と「信濃の国」の取り合わせに絵画的妙味がある。言葉は字面だけでは存在せず、言葉には我々が生まれ育ってきた過程で獲得してきた、字面から広がる連想イメージ(=ここでも奥行きと表現しよう)があるのである。
そして声調を整えるための「行き行かば」というリフレイン。最後は「ありしながらの」で亡母に対する作者の思いを間接的に、それ故に強く、読者に訴求するのである。
やはり短歌は、言葉の美(訴求力)と声調と奥行きが三要素であると自説に持ち込もう。

ところで以前誰かに「おまえの短歌はカラオケ短歌やね」と評された。これは核心を突いた評であって、実は俺は短歌以前に歌舞伎町でカラオケスナック遊びに凝った時期がある。カラオケ演歌を練習極める過程で詞→詩/短歌に目覚めたのではないかと自分では思っている。
だから俺の短歌は俗。醤油味である。そして(声調は置くとして)言葉の美と奥行きを欠いている。これを基本的技能の修練で補う必要があるのだ。谷村新司流のキザっぽい味は俺には不似合い不可能だから。あ、俺は田舎町うどん屋の息子であった。

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