前川佐美雄
今日はマクラに苦しんでいる。苦しんだときに容易な解決は一つ。苦しみを克服することではなく回避することである。そこでマクラなしで今日は始めよう。
さて、今日は前川佐美雄。「心の花」から出発しプロレタリア短歌運動にも親近感を持ち、昭和5年「植物祭」で一躍、モダニズム短歌の旗手となり、日本浪漫派(注参照)とも親交を結ぶという振幅の大きな遍歴を経た歌人である。「塚本邦雄・前登志夫・山中智恵子ら多くの異色の歌人を育てた」と現代の短歌にある。そんな歌人の「大和」昭和15年より一首。
春の夜にわが思ふなりわかき日のからくれなゐや悲しかりける
平明な語り口の歌である。1・2句「春の夜にわが思ふなり」で歌はすっと立ち上がり、ここで切れた後に(2句切れ。575で切れる3句切れより歌の厚みが出ると思う)、「わかき日のからくれなゐや」と詠嘆し、結句「悲しかりける」で決める。
「春」は生命が溢れ出る季節だけれどなぜか人は憂鬱になる(春愁)。だからここは一息で「春の夜にわが思ふなり」と唐突に歌っても読者は納得する。そして「わかき日のからくれなゐ」がこの歌の喩(暗喩、隠喩)である。革命運動でも皇国運動でも詩歌の交わりでも恋愛でもなんでもいい。「熱き血潮」である。それを「や」と嘆じて「ける」と受けるのは技巧技術である。
春の夜に溢れ出づ涙。花が咲き若葉が萌える新しき生命。しかし、もう私の熱き血潮は終わったのか。昭和15年、佐美雄36歳。パールハーバー2年前である。敗戦前の昭和二十年間は左から右まで振幅が激しい時代であった。そして奇襲成功でメディアは大衆を煽り大衆は歓喜し、その僅か四年後に一億総懺悔となるのである。
世間も社会も所詮、バブル。だったら、人は三つの顔と舌→世間向けと社会向けと魂を使い分ければいいのである。これを称して俺は人生三枚舌悦楽教としている。あ、苦しみを回避する容易な解決であったか。
注:リンクした松岡正剛千夜千冊から引用。
このとき、保田には二つの歌の流れが見えていた。
ひとつは「ますらおぶり」の歌である。これは保田の言い方ならヤマトタケルに始まって万葉をへて与謝野鉄幹に及んでいる。もうひとつは大津皇子に代表される「憂結の歌」だった。いわば敗北の歌であり、望憶の歌である。これは家持から西行をへて後鳥羽院にとどいて、「心ばえの歌」というものになった。
この表現を借りると佐美雄のこの歌は「憂結の歌」となる。
追記:この歌を素敵な色紙に書かれているサイトに出会った。鑑賞も簡潔にして要を得ていると思う。是非クリックを。
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コメント
はじめまして、みの虫と申します。
お楽しみ戴けたようでとてもうれしいです。
私のブログでご紹介させていただきました。
それにしても「株と思索と短歌のサイト」、面白い取り合わせですね。
チョーマイナーな短歌が逞しく生きているようで頼もしくなります。
これまたチョーマイナーな「書」にも関心を持って戴けたようで嬉しい限りです。
これからもどうぞご贔屓に、宜しくおねがいたします。
「株と思索と短歌のサイト」さんの展開楽しみにしています。
それではよろしくお願いいたします。
投稿: みの虫 | 2006年8月29日 (火) 午後 10時41分
みの虫様
懇切なご挨拶を頂戴し、こちらこそよろしくお願いいたします。
「書」についてはこどもの頃の「習字」以来ご縁が無かったのですがお陰さまで鑑賞の機会を得ることができました。また、こちらの展開を楽しみにして頂いているとのことで、励みになります。
これも何かのご縁かと存じます。今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: 土曜日の各駅停車 | 2006年8月30日 (水) 午前 05時25分