若山牧水
電話が壊れた。本体は別になんともないのだが、電話線の差込口の接触が悪くなったみたいで、一時間ぐらい電話線ケーブルを押さえ込んだり外したりいろいろやってたら遂に全く無反応になってしまった。ああ勿体無いこんなことぐらいで買い換えるなんてと口惜しがりながら量販店に電話機を買いに行く。オニイチャンに「こんなことあるの」と訊くと「ありますよ、電話線を付けたり外したりしてました」と訊かれ「やってた、この春までダイアルアップ接続だったから」と答えると、呆れたような顔をされた。そうだよなあ、今年の春までダイアルアップなんて珍しいよなあ、と自認するしぶちんであった。
さて、今日は若山牧水。「白鳥は哀しからずや空の青海の青にも染まずただよふ」歌人である。
かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ
酒を飲むのに「かんがへて」とはどういうことだろうと疑問に思いつつ次に移れば「一合の二合の」とリフレインがあり、「夏のゆふぐれ」と体言止めで終わる。5757/7と四句切れと見ていいだろう。「かんがへて」がちょっぴり瞠目させる措辞、そうして飲み始めた酒量が倍になることを示唆するリフレイン(声調)、陳腐とまでは言わないまでも常套体言切れ「夏のゆふぐれ」で夏の悲哀・季節感に広げて終わる歌である。
牧水と酒によると晩年の九州旅行で牧水は「一日平均二升五合」を飲んだそうだ。そりゃあ、肝臓を壊すよ無茶だよと思う。そして、仕事の無理と酒で肝臓を悪くして牧水は43歳で短い生涯を閉じることになる。なるほど「かんがへて」とは自制したという願望のことか、牧水が旗印とした自然主義とは「少なくとも日本の場合、それは破滅のリアリズムであった」ともされている。
俺も毎晩酒を飲むけど肝臓を悪くしてまで飲みたくはないし、(株で大含み損を抱えている以外)しぶちんの俺は経済合理性第一で、電話機も十年以上使用継続した。市井で慎ましい小市民生活を悦楽して、なんとか天寿を全うしたい、こんな俗物性もまた人間の自然だと思うけれども、いかがなものであろうか。
写真は牧水の顔、「よく写真で見る牧水さんの顔が好きで、折あらば一度彫刻のモデルに座っていただくことをねだろうと思って」いたと高村光太郎が追悼文を寄せているとのことだ。
ところで、今回、俺の下の歌二首が牧水の歌の本歌取りだったことが判明したことが収穫だった。
我が歌の泉は涸れて凡作を転がし遊ぶ夏の夕暮れ
リストラの風は冷たしこの宵は二合の酒に酔ひて眠らむ
「リストラ」歌は朝日歌壇唯一入選(馬場あき子さん)の歌で「作者のリストラに対する位置取りが不明」と評されたのを今でも覚えている。おっしゃる通りのカラオケ短歌であった。歌人は鋭く読むものである。
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