生方たつゑ
こどもの頃、俺は一人遊びが好きだった。家が商売だったもので親は面倒をみてくれず、かといって近所の子たちはワルが多いからと遊びを止められるボンだったのだ。
だから、メンコもビー玉も(恥ずかしながら)できない。釣りもトンボ採りもしたことがない。
家の中でひとり漫画を読んだり空想してたりするこどもだった。大きいなあ、育ちは。孤独が好きで甘えん坊という性格を形成したのは、まさに育ちである。
さて、今日は生方たつゑ。三重県宇治山田に生まれ群馬県沼田の四百年続く旧家に嫁した人だそうだ。「自然というより、自然以上にし峻烈な人生を思っていた」という感慨を残している。
にんげんはつひに「ひとり」と書き終へて硝子のやうな氷片溶かす
どのような状況で何があってこの歌に到ったかはわからない。しかし、この感情は分かる(ような気がする)。生まれてくるときもひとり、死ぬときもひとりという点において「ひとり」は普遍的だから。
だけど「硝子のやうな氷片」(多分、作者の心の中のなにごとかの比喩だろう)は水に溶けていく。溶けるのが自然とまでは言わないが、とにかく溶けざるをえない。
群馬県沼田は三重県で生まれ育った人にとって寒さの厳しい土地であったろう。そこの旧家で嫁として暮らしつつ我がうちの「硝子のやうな氷片」を徐々に溶かして行かざるを得ない女の一生を思うのである。
今日は印象批評になってしまった。
歌は徹底的に私歌ではあるが、「私」は普遍に何処かでつながっている。誰もが心の中に
「硝子のやうな氷片」を持っているのだから。
そして、それが溶けるか否かはまた別の問題。生まれ育ちの違い、そして人生において自分がどんな決断をするかにかかっているのだから。
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