宮柊二
※以下はだいぶ以前(安倍政権成立時)の記事ですが、「個人が目的、国家は手段」という私の価値観表明と反戦短歌傑作の紹介をしたくて、トラックバックに流させて頂きます(2007.1.24)。
今日のマクラは政治話。以前、小泉政権の総括をしたけれども、まずは小泉首相の名言集から。自民党をぶっ壊す、改革なくして成長なし、官から民へ、そして、人生いろいろ。
これを価値観の対立軸(国家vs個人)に照らしてみると、そんなに右(国家)寄りの発言はしていない。改憲についても積極的な発言はなかったと記憶しているし、「人生いろいろ」などは(年金未納で追い詰められた際の発言としても)個人の自由の立場に立っていると見ることができる。靖国問題でも(政教分離という憲法問題をすり抜けようとするずるさは別にして)信仰は個人の問題という意味の発言を繰り返している。
こんな風に極端な国家主義を振りかざさず、個人の自由の立場に立つ姿勢が国民の心を掴んだ所以であろう。権謀術数策謀家であり、たいした理念もない政治家ではあるが、国民とずれていないのである。
これに対して次期首相ほぼ確定の安倍ちゃんはどうか。改憲と教育改革を重要課題とする政策を発表したけれど、なんか国民の感覚とずれていないだろうか。
国民は自分の生活と自由と平和を第一に欲している。国家主義を主張するのなら、国民の生活・自由・平和を守るために、改憲とか教育改革がどうして必要なのかを説明しなければならない。彼の掲げる国家主義が上滑りする危険性を否定できないのである。
首相選びの基本は首相候補の価値観点検に拠るべきである。政策は優先順位の問題にすぎないし、ある部分優秀な官僚に任せて差し支えない。そんなことより、国家と国民の運命を左右する問題(平和か戦争か、個人か国家か、自由か平等か)について首相がいかなる価値観に基づいてどんな決断をするかが重要である。個人が目的、国家は手段であり、首相は国民の僕(公務員)であることを英明な国民各位に忘れないで欲しい。マスメディアのばらまくノイズに惑わされずに。多数派によって俺の生活・自由・平和を乱されたくないのだから。
さて、今日は宮柊二。白秋に師事しコスモスを創刊し「作品によってみずからの生を証明したい」と主張した歌人である。
ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す
この歌を前にして声も出ない。戦争・戦闘はかかる現実のことである。上句「ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば」がリアルな行為を即物的に描写し、下句「声も立てなくくづをれて伏す」に粛然とする。作者はかかる経験を現実にしたのである(従軍記録参照)。
戦争は人を被害者にするのみならず加害者にもする。殺らなければ殺にれるという状況もあるけれど、敵に向かって弾を撃たなければ後ろから撃たれるということもある。
人間は生きていくために社会を作る。
そして国家を作る。
すなわち人間の知恵。
だが、人間が集団をつくり、個人が我を忘れるとき、
しばしば狂気をはらむ。
日本国内閣総理大臣とはかかる国家の指導者であり自衛隊(陸海空軍隊)最高指揮官である。国家は必要悪という価値観を持った人間を選びたい。
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コメント
『山西省』、読んでいて思わず襟を正したくなるような歌集でした。
信号弾 闇にあがりて あはれあはれ 音絶えし山に 敵味方の兵
もっとも、ぼくは宮柊二の輪郭の定まった自然詠も好きなんですけどね。
この季節でいうなら、たとえば
夏逝くと かたむきざまに 山の空 日ごとに朝の 藍ふかめつつ
投稿: lucky-clicker | 2006年9月 6日 (水) 午前 12時40分
「輪郭の定まった自然詠」というのが的確な表現ですね。
私も「現代の短歌」から一首。
たたかひを終りたる実を遊ばせて石(いわ)群れる谷川を超ゆ
これは自然詠ではなく叙情歌でしたか。
投稿: 土曜日の各駅停車 | 2006年9月 6日 (水) 午前 04時24分