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2006年9月28日 (木)

上田三四二

四苦八苦の四苦はたしか、生老病死。八苦はなんだっけと検索したらすぐ語源がわかるこの手軽さ。そうか、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦のことか。人生の全てはまさに苦しみであると仏教は言う。
一方、般若心経は色即是空空即是色と現実(色)は空であり、かつ、空は色なりと主張する。苦しみは現実、現実は空、従って苦しみは空。しかし空は色すなわち現実であることも忘れるなよと言うのである。
いったい、仏教は何が言いたいんや、この蒟蒻問答め。

さて、今日は上田三四二。兵庫県小野の人(俺はその下流の加古川の生まれ育ち)。短歌は日本語の底荷と三四二は言ったそうだ。

 かがまりて臀をふく恥ふかく魂ひくき生きものわれは

初句2句「かがまりて臀(いさらひ)をふく」で切れて、「恥ふかく魂ひくき」と対句で3句4句を構成し、「生きものわれは」と倒置形で結句を置いている。

「恥ふかく魂ひくき」と形容されると、そこまで自己を侮蔑しなくともと思う。
しかし、いま少しこの歌を噛み締めるとこの歌は自己侮蔑ではないと思えるようになる。Photo_209 「臀をふく」「かがまり」た姿勢から人は立ち上がる。立ち上がって、愛し別離し怨み憎んでまた会い何かを求めて得られない。まことに人生は、五陰盛苦(存在を構成する物質的・精神的五つの要素に執着)そのものである。「恥ふかく魂ひく」くあろうとも、何事かに執着し何かを求めるのが人生である。だから「生きものわれは」生きているのである。

生きていること自体が苦しみ。人はそんな生を引き受けて(実存)「恥ふかく魂ひく」くあろうとも生きなければならぬ。執着もよし怨憎もよし愛もよし。とにかく生きねばならぬ。それだけで十分ではないか、とこの歌は排泄の姿勢で教えてくれるように思う。

私は生きもの。「光をひきて谷にゆく」「かずかぎりなき」生きもののひとつ。大河の一滴とはちょっとクサイけれども、否定できない事実である。あ、昨日、立てた先物のポジション、今日は決済できるかなと我は執着し居り。

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