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2006年9月 2日 (土)

窪田章一郎

昨日はノー・トレード。まだ相場は弱いと見て参戦するならある程度下げてからと(俺にしては)控えめな態度を貫いたためであった。さっき、アメリカの相場を見ると大幅上昇。CME(シカゴ取引所の日経平均先物)も16210と上値を示している(大抵、このCME通りに翌日の日本の相場が寄せるから面白い。その忠実度は小泉政権以上である)。
雇用統計が市場期待通りの数字であって、もうインフレ懸念は払拭、利上げは無い、心配はリセッションだけどその不安が出れば利下げすればいいという市場心理が支配してのアメリカ上げだったのだろう、多分。ああ、買っとけばよかった、と後悔はしない。宵越しのリスクは持たず、が博打場デイトレの美意識一般であるから。Photo_141

ところで俺は、何故かくも相場に溺れてしまったか。
(答1)銭ゲバだから(2)博打好きだから(3)他にすることがないから(4)自分を試してみたいから。ふふ、以上の全てが理由かもしれぬ。

さて、今日は窪田章一郎。空穂の長男であり、「民衆詩としての短歌」を進める「まひる野」を創刊した歌人である。西行の研究者としても名高いようで、今回ネット検索して出会った辻野武彦さんのHPにその紹介がある。

 冬の虹さやかに太し潮けぶる紀伊水道の沖のただなか

2句切れの正統な声調。「さやかに太し」がこの歌の言い回し(措辞)のポイントであり、詩の中核となっている。「さやか」は「清か」であり「太し」と連合することにより、冬の虹に(言われてみれば)ぴったりの美しい形容となっている。後は、「潮けぶる」を言葉の抽斗から探し出して「紀伊水道の沖のただなか」と一気に体言止めとなるのである。
これは自然詠のお手本のような作品である。自然を確実に看取する眼と、感じ取る柔軟な心と、的確に表現する言葉(そしてその抽斗)があって成立する歌だ。清かに太く生きたい心がそこにはあり、潮けぶる中で詠嘆しているのである。

ところで、詠嘆と言えば西行の歌。

 をしむともをしまれぬべきこのよかは身をすててこそ身をばたすけめ

辻野さんは、この歌は西行の作ではないとする説を紹介されているがそれはともかく、俺はこの歌が気に入っている。誰に惜しまれるような俺ではないが、「身をすててこそ身をばたすけめ」に感じるのである。無欲は大欲。欲を捨ててこそ見える世界もあるのではないかと、日々相場を見ているワタシです。

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