近藤芳美
音楽との出会いを振り返ってみる。
俺の音楽体験の黎明は祖父に連れられていやいや聞いた浪花節。全く面白くなかったことを覚えている。
次に覚えているのは、「歌のない歌謡曲」というラジオ番組(あ、今でもあるやんか)。これが器楽に興味を持ったきっかけかもしれんな。
そして中学でブラスバンドに入部。技術は下手糞やったけど高校時代も続けて遂には部長・指揮者にのぼりつめるのであった。体が大きいもので与えられた楽器はバス、高校では面白くないバスを蹴っ飛ばしてトロンボーンをエゴで勝ち取った。この頃にジャズと出会う。アート・ブレイキーのサン・ジェルマンでのモーニン。痺れた。
こうした中で高2のときだっか、クラシック・ショックがやってきた。ショスタコーヴィッチの第五交響曲(ロジンスキー演奏だった確か)。第一楽章の出だしでガーン。思春期のアカかぶれ→ソヴィエト幻想も影響していたのかもしれないけれど、世の中にはこんな凄い曲があるのかと思った。反共に転じた今でもこの曲は20世紀屈指の名曲と思う。特に第三楽章の弦の奏でる悲哀は胸に迫る。そうそうちなみに、この曲の終楽章がかの長寿ドラマ「部長刑事」のタイトルに使われたので、聞けば、ああ、あの曲かと分かる人も多いだろう。
さて、今日の歌人は近藤芳美(この六月に他界された)。「未来」を主宰し岡井隆などの師匠筋にあたる歌人である。
たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき
初句「たちまちに」立ち上がり3句「霧とざし」で切れて、下の句「或る楽章をわれは思ひき」に転じて音楽的余韻を残して終わる。霧がロマンチックで、「或る楽章」はなんだろう、多分シベリウス、「カレリア組曲」とか「悲しいワルツ」ではないかと感じてしまう一首である。映画「逢びき」で使われたラフマニノフでもいいな。
ところがネット検索して、かわうそ亭 或る最終楽章に出会ってこの歌が敗戦前に近藤が二度目の応召された際の妻との別れの歌であったことを知る。とするとこの歌はロマンチックなばかりではない。戦争が男女を引き裂く「霧」として浮かび上がってくる。「或る楽章」もベートベン第三交響曲の葬送行進曲かもしれぬなあと思ったりする。
しかしまあ、作品は作者からも当時の時代状況からも独立して味わうべきものである。日本軍国主義国家が崩壊してもソ連が消滅しても、歌は残り音楽は永遠に聴かれるのである。それが言語及び音楽の抽象性(普遍=神)のもたらす果実である。
音楽と出会ひしことは豊穣の神の恵みと目を瞑り居り
※画像は名盤紀行から勝手拝借/感謝です。
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