岡井隆
朝ドラ「芋たこなんきん」をビデオで毎日欠かさず見ている。藤山直美扮する主人公37歳(史上最年長の朝ドラヒロイン)が文学賞を得て作家として一家をなす一方で、町医者と結婚し、現在のところは作家業を成立させるために別居結婚生活というストーリーなのだが、俺の当面の興味の焦点は町医者の妹との嫁小姑対決でありそれを期待していたのが、昨日の放送では期待はずれにに終わった。というのも、主人公の人柄がよすぎて、真心から公正に小姑と接していたからである(具体的詳細はNHK朝ドラ「芋たこなんきん」日記参照)。
これじゃあ、ハナシにならへん。こんな人、ホントにおるんやろか。大抵、他人の不幸とか苦労は歓迎しないまでも(特にドラマの場合は)ある程度期待するものだけれど、この主人公はその種の邪心・邪気がまったく無いなア。ちょっとやりすぎ、と思うのは俺の邪心であることよと思いつつ昨夜寝床についた。
さて、今日は岡井隆。前衛短歌(作品の主人公と作者が異なる、虚構を詠っている点が最大の特徴といわれている)の旗手であり、我が思い出の日経歌壇選者である。
蒼穹は蜜かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶
一読、意味がとりづらい(かもしれない)。「蒼穹(おほぞら)は蜜かたむけて」とはいったいなんのこっちや、と思うのだけれど、ここはルネ・マグリット(「目に見える思考」)でも思い浮かべて深く考えずイメージとして受け止めればいい。青空に蜜(これがエロチック)である。
この上の句に対して下の句「時こそはわがしづけき伴侶」はわかりやすく、詩句そのままである。痛みも哀しみも不幸も時が解消する、時間はおまえの最大の味方なり、である。
とすると、この歌の意味は「青空に蜜、時間はおまえの味方」ということになる。矢張り「青空に蜜」が不思議として残る(その不思議さがこの歌の魅力ではあるが)。
そこで、夢の中であれこれ思考していたら、「芋たこなんきん」と今朝、結合した。
「蒼穹は蜜かたむけて」とは、心の比喩ではないか。心に蜜(エロス、色気更には欲望)を抱きながらも邪(よこしま)ではない心、それが蜜かたむけている蒼穹ではないか。
人間が人間である限り、欲望は捨てられぬ(腹が減ったら飯を食いたい)。だから、武士は食わねど高楊枝とか聖人君子は無理。
しかし、邪心は持たないことはできる。事実を正しく認識し心を公正に保って暮らしていたら、いつかええことがあるよ、ええことなくても不幸にはならないよ、とこの歌は教えてくれているように思う。「幸福に生きよ」の歌なり。
※画像はマグリット空から勝手拝借/感謝。このサイトには「マグリットは普通の暮らしを、せいいっぱいの嘘をついて維持しています」という言葉がある。
またちなみに、水燿通信70号には岡井隆の歌を鑑賞して「それ以上に私たちを感動させるのは、ひとりの人間がいろいろ苦しんだ末に、開き直って大きな決断をした、その後に訪れた、人生に対する見方の深まり」とある。不幸と虚構とは幸福のためのビタミンかもしれない。
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コメント
こんにちは。
早速お邪魔させて頂きました。
岡井隆の句…
確かに解釈が難しいです。
何度も句を読み返してみましたが
> 蒼穹は蜜かたむけて
青空に蜜でも垂れるような
日が暮れていく光景を連想しました。
短絡的過ぎるかな…?
土曜日さんの解釈…深いですね。
あれこれと思考に耽っている内に
ある事柄が助けて閃いたり・自分なりの結論が見出せるというのは
とても気持ちの良いものですね…♪
下の句の意訳も記載されているようなので
突き詰めて考えてみる事にします。
投稿 -セ氏-℃ | 2008年4月 5日 (土) 午後 06時15分
あっ、見て頂いたんですね。その上にコメントまで頂戴するとは、励みになります。
岡井隆のこの歌は映像から思索に突き刺さるところがあらためて凄いと思いました。短詩(短歌、俳句)と思索・哲学の世界とは言葉でつながっています。自分でも唸るような一句、一歌を得たいです。
投稿 土曜日 | 2008年4月 6日 (日) 午前 04時18分