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2006年10月20日 (金)

私の哲学半目次

ブログ開設してぼちぼち三か月。読書とネット検索と駄文ハイパーテキストのスタイルも確Photo_261 立できた。
そこで、「一人一首」半目次があるのなら、「私の哲学」半目次があってもいいなと思いつき、半目次哲学編をつくることにした。ちょうど、分析哲学入門の下地が整いつつあるから適切タイミングなり、とひとりよがりするのであった。

まずは、カント。時間・空間という色眼鏡を通してしか我々は世界を認識できない。だから、物自体は認識不可能というのがやっぱり俺の出発点である。

そして次は、ツチヤ教授との出会い。これがウィトゲンシュタインと言語論的転回への道を開いてくれた。すなわち、哲学は形而上学を語るものではないということだ。


これと符節を合わせたかのように、思想=形而上学+哲学という等式を捏造したのも出会いであった。いま思えばこれが俺の哲学解体への第一歩であった。
ちなみに、疑似科学と科学の哲学の序章に「哲学の問題領域は大きく論理学、認識論、形而上学、価値理論(倫理学)の四つに分けることができるとされている」とある。とすれば、言語論的展開は形而上学を哲学から追放し、言語分析を中心にした論理学と認識論を哲学の主要領域とするものと言えるだろう。更には、認識論を自然科学の一部に埋め込んじゃえという「認識論の自然化プロジェクト」というアプローチもあるようで、これが成功すれば、認識論も哲学から追放されることになり、ここに目出度く哲学は解体されるのである。

さて本論に戻って次なる出会いは、論理哲学論考。野矢茂樹のおかげで、事実世界(のっぺらぼうの事実)は論理空間(俺の脳内モデル)に映し撮られてはじめて構造(対象・性質・関係+時間・空間)化されるという理解に達することができた。
もっとも、論理空間(俺の脳内モデル)というのは俺流デフォルメであった。語の意味を全ての可能な文(論理形式に従った文)の中で捉えると、語の指示対象は、全ての可能な事実ということになる。この可能な事実(世界)の集合は、論理空間と呼ばれる。というのが論理空間の標準的な理解のようなので、論理空間は個人の脳内モデルを超えた言語的(間主観的)なものとなるからである。

それはさておき、かくして世界は三つの層から構成される。事実世界と論理空間と価値世界。事実世界と論理空間には主体=私は存在しない。私は事実世界と論理空間の前提なのだから。
言い換えると、
善と悪とは主体によってはじめて登場する。そして主体は世界に属さない。それは世界の限界であり、善であったり悪であったりするのは意志する主体である。だから、善悪(価値観)や美醜(芸術)は価値世界からはじめて出発するのである。価値世界は意志、事実世界と論理空間は表象、これを合わせて意志と表象の世界となる。

以上が俺の言語論的転回であるが、これとは別に、科学哲学への道筋もできた。言語論的展開が事実世界→論理空間→価値世界という三層構造をもたらすのと同様に、戸田山科学哲学も実在世界→理論モデル→公理系(法則)という三層構造を主張する。果たして、論理空間と理論モデルは同じものなのか違うものなのか、ないし、言葉は意味をもてるか、が今後の思索課題となっている。→論理空間は公共的だから、異なるものであることが判明し、価値世界⇔概念世界⇔事実世界というネーミングに俺の三層構造を修正した。かくして我が分析哲学ことはじめが始まった。

こうして考えてみると、俺の年来の宿題である「人生=損得+好き嫌い(価値観)+?」の答えも出てくるやもしれぬ。人生=損得+好き嫌い+正しい事実認識(哲学=表象の世界)のような気がしてきたなあ。

最後まで読んで頂いて感謝です。あなたにはきっといいことがあります。

※画像はsweet summer avenue. (甘夏通り) 美食の国素晴らしきベルギー その1から勝手拝借/感謝です。

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コメント

認識論の自然化が徹底的な批判の末に今では廃れた行動主義的心理学に基いていること、そして認識論の自然化を主張したクワインは『経験主義の二つのドグマ』においてそれまでの経験主義的言語哲学の根底を批判し、形而上学の復権(現代の分析哲学者の幾人かは明確に存在論、形而上学に復帰している)をもたらしたことからすると、そのままのラインでの哲学の解体は難しそうですが……。デリダなんかは別方向からアプローチしてましたが二年位前に亡くなってしまいましたね。

投稿: しまうま | 2006年11月 7日 (火) 午後 11時01分

コメント感謝です。そうですか、自然化も行き詰まりそうですか。おいおい勉強所存です。ところでブログを拝見しようとしたら、全くの空白だったのですが。

投稿: 土曜日の各駅停車 | 2006年11月 8日 (水) 午前 05時36分

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