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2006年10月15日 (日)

富小路禎子

本の存在を知る(新聞書評、ネット、図書館)→読む→書名・著者・キーワードでネット検索→ハイパーテキストを駆使(?)して読書感想文を紡ぐ。
こんなパターンが出来上がってしもうたなあ。今日も「ラッセルのパラドクス―世界を読み換える哲学」を読み終わったのでネット検索。さしたる収穫なかったので「戸田山和久」に切り替えて検索したら認識論を自然科学の一部に埋め込んじゃえという「認識論の自然化プロジェクト」を発見。面白そう→解体せよ哲学なあんちゃって。
ちなみに、このサイトに戸田山さんの写真があるが、山口百恵が同居しているのPhoto_8がなんとも嬉しい気分になった。

さて、今日は富小路禎子。俵万智が書評の中で歌人紹介している。

 処女にて身に深く持つ浄き卵秋の日吾の心熱くす

上の句「処女(おとめ)にて身に深く持つ浄き卵(らん)」で軽い衝撃を与えながら立ち上がり、下の句「秋の日吾の心熱くす」が文字通り熱い共感(女性読者は更に熱くだろうなあ)を呼び起こす。この共感は、体内奥深くから湧き上がる情感というべきか。また、季節は「秋の日」でなければならない。生命が芽吹く春過ぎて夏を経て紅葉落葉する秋だからこそ、このような感情が湧くのである。
俵万智は、一人の女性歌人が何を見、何をとらえ、何を歌おうとしたのかという軌跡を、私自身も追体験するような感覚を持ったと書いている。若干の境遇の違いはあるが、同じくシングルとして生き抜く「身に深く持つ浄き卵」の持ち主=女性の心意気ないし執念というべきか、と卵を持たないオトコは思うのである。

ユーミンに「男は最初の恋人でいたい、女は最後の愛人でいたい」なんて歌詞があった。
女は生命を育み、男は理屈を(例えば認識論の自然化)を紡ぐ、と小声で呟いておこう。

 春たけて女系家族の饒舌の絶ゆることなし一日は暮れぬ

※画像はOHARA MUSEUM of ARTから勝手拝借/感謝です。

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