尾崎左永子
司会者に嫌気がさして見るのを止めていたサンデープロジェクト。ところが、先週、今週とビデオ録画して見ている。
昨日の放送で気になったのはクーデター噂話。司会者が、CIAがこれまでも北朝鮮内でクーデターをしかけたことはご存じですねってもちかけたとき、麻生外相と森本さんはニタニタとなかば肯定するような表情だった。現役外相がテレビカメラの前でこのような「演技」をするのは、関係各国特にアメリカに対して問題にならないのかなあ、と思う。
それから日本核武装論。「核保有、議論はあっていい」…中川・自民政調会長なんて場面があった。たしかに議論はあっていいけど、憲法9条・日米安保(核の傘)・自衛隊はセットだと思う。アメリカが頼りにならないから核武装するのか、アメリカを補完するために核武装するのか、ここから議論するべきだろう。安易な核抑止力論は無事に終わる保証のないチキンレースに参加するかどうかを検討しよう、ということのように思う。
さて、今日は尾崎左永子。佐藤佐太郎門下だったが、短歌からいったん離れまた戻ったと紹介文にある。合唱組曲の作詞も多いとのことだ。
戦争に失ひしもののひとつにてリボンの長き麦藁帽子
2句「失ひしものの」を字余りに(多分、意識的に)して結句「麦藁帽子」は体言止めで強調する。そして4句「リボンの長き」が、失ったものの大切さと、喪失感の埋められない長い時間を暗示する。
作者は昭和2年生まれ(俺の母は3年生まれ)。「麦藁帽子」は戦争で否応無く変えられてしまった世代の人生の象徴である。
大東亜戦争は一部軍国主義者が無理矢理に国民を引きずり込んだ戦争ではない。国民のほとんどは、勝利に感激し戦争を支持し協力し遂行した。
そして、戦後日本はアメリカに民主主義を貰ったけれど、民主主義は多数決で物事を決めることである。だから、国民の多数が9条を変えて核武装するのをよしとするなら、少数は「麦藁帽子」を脱いで従うのも民主主義である。民主主義と平和と自由は(ひょっとしたら)両立しないのかもしれない。あ、アメリカが既に具体例をつくってくれていたか。
いつまでも戦後でありたし戦ひを始める前は戦前と言ふ
※写真はかんちゃんの趣味のページ ~菜園道具から勝手拝借/感謝です。また、ぼやきくっくりFC2版 安保理で対北朝鮮制裁決議採択…韓国はやっぱダメねは、一連の状況を丹念にまとめていらっしゃる。敬服です。
| 固定リンク
「短歌」カテゴリの記事
- 眼に相撲耳に音楽夏の夕聖徳太子にあやかりて我(2012.07.13)
- 身の始末きちんとつけて死にたしとテレビ見ながら定量を超す(2011.12.11)
- 藤川も寄る年波となりにけり諸行無常の夜は更け行く(2011.10.12)
- 勝ち負けが野球判然さて政治最悪避ければよしとはせむか(2011.08.27)
- プレモルで些細贅沢体重を考慮我慢の最後一杯(2011.08.26)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント