モデル論的転回の提唱
戸田山哲学(科学論、知識論)に触れて、すっかりその虜になった俺は、感化されやすいタチということもあって、以下のようにモデル論的転回を提唱してしまう。
1.モデル論的転回とは
西洋主観主義哲学の主観(心)⇔観念⇔客観という観念インターフェースモデルを排して、客観(間主観)⇔モデル⇔実在というモデル転換論モデルを提唱する。
客観(間主観) ⇔ モデル ⇔ 実在
正当化された信念 情報
↑ ↓
←←←←概念モデル ← 経験
<価値世界> <概念世界> <事実世界>
という三層構造である。ここに、
情報=言語・記号(音楽・美術を含む)による情報<旧約聖書からブログまで>
概念モデル=「科学理論の意味論的捉え方」における「モデル=理論」(右上図<戸田山「科学哲学の冒険」の素敵なイラスト>参照:この図は実証主義的な歴史観と相対主義的な歴史観をうまく折衷できるのではないかから勝手拝借/感謝)
正当化された信念=客観(間主観)的に真理であると認定された理論・法則・公理系
価値世界・概念世界・事実世界=論理哲学論考の論理空間を概念世界に置き換えて俺が捏造した世界の三層構造
である。
2.その意味合いと実益
・デカルト以来の西洋主観主義哲学は、主観の中に観念を据えることにより、自然の数学的記述という果実を得る一方で、主観の形而上学的基礎づけを必要とし(例:神の存在証明)形而上学と「哲学」をごっちやに論じてしまっていた(特にヘーゲル)。これを言語論的転換さらにはモデル論的転回させることによって形而上学・価値観を哲学から追放し、可能な限り価値中立な概念モデルを人々の共通語として提供する。
これにより、西洋主観主義の弊害(価値観の押し付け:マルクス主義、ナチが20世紀に惹起した悲劇を想起せよ)を排除する。
・とはいえ、全く価値中立の理論はあり得ない。従って、価値世界の存在を認めざるを得ず、価値世界・概念世界・事実世界の三層構造とし、理論・法則・公理系を価値世界に位置づける。これは理論を多様なモデルで基礎づけることでもある。例→価値世界(量子力学):概念世界(電子の粒子モデル、波動モデル):事実世界(原子核を取り巻く雲)。
・概念モデルは実在(事実世界)を抽象化(捨象。例えば、我々が暮らしている空間をユークリッド空間と想定する)と理想化(例えば、摩擦係数を無視する)して得られるもの。こうすることによって、実在との対応が二段構えとなり、実在とモデルとの類似性、モデルと理論の整合性に分別して理論の正当性を議論することができるようになり、柔軟な理論構築が可能となる。真理とは、モデルが重要な点で実在と極めて類似していて、かつ、モデルを説明する理論に整合性があることである。
・また、概念世界に情報を明示的に配置することによって、情報が実在と並ぶ我々のモデル・理論構築の際の重要な情報源である事実を反映する。
・かくして、信念の正当化問題及び信念の真理性問題は、理論・モデルを構築する際の価値観・目的に応じた、抽象化・理想化プロセス及び使用情報の信頼性の問題にプラグマティックに還元できることとなる。要するに、普通の人々が普通の暮らしをしている際に発生する世間的社会的事象における正当性・真理性問題と変わりがないのである。逆に言うと、哲学がこうした問題において確立する方法論は暮らしに役立つ方法論であるはずなのだ。万人のための哲学を。
以上、素人の戯言。ぼけ防止のための考える練習であった。
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