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2006年10月30日 (月)

西洋主観主義哲学

この概念は、富田恭彦「対話・心の哲学」から頂戴した。この本に「おまかせのデカルト」とPhoto_272 いう章があり、これがちょうど並行して読んでいた戸田山「知識の哲学」の懐疑論の議論と格好のハーモニーとなったのだった。そこで、この章の「近代主観主義のはじまり」の節から引用する。

確かに、デカルト自身は、物体の存在をしっかり認めているわけですけど、絶対確実なものを認める彼の懐疑の過程からすれば、心の優位は否定できません。まず、心があるというところから、他のすべてを見ていくという方向性ですよね。心は、のちには、「主観」とか「主観性」とか呼ばれることになりますから、このような見方を、「主観主義」と言ったりします。そこで、デカルトは、西洋近代の主観主義の道を開いた、なんて、言われるんです。いわゆる「観念論」も、その一つの帰結と考えられるものなんですけどね。

心があるというところから、他のすべてを見ていくという方向性が主観主義、これに対して実在(自然)の方向から見ていくのが自然主義ということになる。とすれば、フレーゲの言語論的転回は言わば自然主義宣言であり、言語のみならずモデル論的転回として捉えるのが論理的ということになる。

ちなみに、富田恭彦「対話・心の哲学」は生島教授シリーズ三部作の最終作である(残り2作は哲学の最前線―ハーバードより愛をこめて観念論ってなに?)。
デカルトやカント、あるいはフッサールに見られるような徹底的『基礎付け主義』に対し懐疑的な立場に立ち、クワインからデビッドソンを経て『自文化中心主義』のローティに至る系譜に共感的な視点で、近世哲学史を読み直していく対話形式の入門書とのカスタマーレビューあり。
また、芦屋で暮らすちょい不良オヤジの読書日記(スゴイ。今まで見たうちでサイコーのブログ名!)にもレビューあり。

追記:絶対的な知識を手に入れなければ,世の不幸はなくならないという発想によって,基礎づけ主義をとるならば,自分が正しいと思っていることが絶対的な知識であるという思い込みに陥ることがありうる.こうした思い込みは意見を異にする人々を抑圧し,共に生きる基盤を破壊しかねない.というブログ書評に激しく同意するものである。

※写真は楽天市場】脚長ストレッチパンツ(ストレッチセブン)3本セット:暮らしの幸便から勝手拝借/感謝です。

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投稿: 石垣眞人 | 2008年10月 4日 (土) 午後 03時36分

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