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2006年11月22日 (水)

聡明で健気な貴女に捧げる哲学史(1)古代原子論

古代原子論→近世認識論的転回(デカルト・ロック・カント)→言語論的転回→その批判@ローティ自然主義主張という流れで哲学史を語ってみたいという予告編を書いたが、本編を開始する。ネタ本はこのところお気に入りの冨田恭彦「科学哲学者 柏木達彦の冬学期(ウィンター・ターム)―原子論と認識論と言語論的転回の不思議な関係、の巻」である。また、ギリシア哲学については猿でもわかる哲学史を大変参考にさせて頂くと共に適時リンクさせて頂いた/感謝です。Photo_324

さて、今日は古代原子論。何もない空間で、原子が運動し、結合・分離を繰り返すことで、世界が成り立っている@デモクリトスという現代科学を先取りした考え方である。

では、このような驚異的な考え方がなぜ古代ギリシアで成立したか。、これにはヘラクレイトス(変化と闘争を万物の根源とし、火は始原ロゴス)vsエレア派(事物の真の説明は存在の普遍的な統一性という概念にある)という前史があるのである。

万物流転を説くヘラクレイトスに対して、エレア派(パルメニデス)は
万物は変化しない。永遠不変の存在であると主張した。
感覚・知覚によって世界を眺めると、確かに万物は変化しているように見える。
しかし、感覚・知覚は人をだます。物は生成・消滅するように見えるけれど、それは感覚・知覚だけで判断しようとするからだ。思考・理性に従えば、現象の奥にある存在が見えてくる。存在するものは存在を続け、存在しないものはいつまでも存在しない。存在と非存在の区別を不明確にする万物流転論は間違っている。こう、パルメニデスは主張するのである。
そしてまた、パルメニデスは運動も否定する。運動が成り立つためには、あるものがそこへと動いていくための、なにもないところがないといけない。つまり、無が存在しないといけなくなり矛盾であるというのである。

なるほどなあ、理屈である。こうした理屈からすると世界の全ては固定化する。生成・消滅・変化・運動・多は否定され、不生・不滅・不変・不動・一となるのである。

しかし、これではいくらなんでも固すぎる。運動の否定(ゼノンのパラドクス)などは常識に全く反しているからである。
そこで、
理性的には、「存在は変化しない」ように思えても、感覚的には、「存在は変化している」ように見えるこの二つを統合しようとしたのが元素論@エンペドクレスである。
そして、デモクリトスの原子論はこの元素論の上に築かれた。

世界は物質(原子)と虚無で構成されている。表面を見れば、万物流転のように見えるけれど、存在するものは存在し、存在しないものは存在しない。有はいつまでも有であり、無から有は生まれない。かくして原子論は、感性の世界(現象)と理性の世界(原理)とを統合し、世界の唯物論的観方を確立したのであった。

ところが、やがてプラトン/アリストテレス/キリスト教登場。唯物論(自然主義)は唯神論(反自然主義)に制圧されたのであった。次回に続く。

ちなみに、近代原子論は20世紀初にプラウン運動の研究により原子の実在が確認され、実証されたことになったのである。また、長岡半太郎が我々にお馴染みの土星型原子核モデルを提唱したのが1904年、これをボーアが量子化したのが1913年である。

※画像は原子から勝手拝借/感謝です。

ブログランキング少々わかりにくい記述だけれど、おまけして自信ボタンなり。

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コメント

あ、はじまりました。『ソフィーの世界』の成人女子版といったところですね。ソフィーにはフロイトまでしか語られていなくて、フロイトより後に生まれた、ウィトゲンシュタインやハイデガーや西田幾多郎がいないのをさみしく思っていました。この淑女哲学史ではどうでしょうか。たとえば、ウィトゲンシュタインは扱われますか?

投稿: 鏡像 | 2006年11月23日 (木) 午後 01時13分

おお、「近き友」鏡像さん、いつも期待してくれてありがとう。いいですね「成人女子版」。でも残念ながら、ウィトもハイデガーも西田も出てこないでしょう。ネタ本にないからです。冨田恭彦先生はアメリカ哲学がご専門のようです。
ついでながら、ウィトは近々私の俳句に登場予定です。

投稿: 土曜日の各駅停車 | 2006年11月24日 (金) 午前 04時56分

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