心の哲学(4)円環運動
前回で最終回のつもりだったけれど、忘れ物「記憶」があったのでこれを心の見取り図に追加する。そしてまた、北川東子「ハイデガー」を読んで、「信念」「規範」も見取り図に追加するべきと思い至った。
心は最広義では価値世界と概念世界の全てであり、広義では概念世界を指し、最も狭義では赤字の部分を意味すると考える。
価値世界 概念世界 事実世界
客観(間主観) ⇔ 心 ⇔ 実在
信念 意志 思考(理性) 経験(知覚現象)
規範 認識(意味の他者と言語による社会的認識:悟性)
知覚(五感)
感情 感覚(体性感覚。例えば痛み)
記憶
さて、「ハイデガー」よりハイデガー(事実とか本質とかではなく存在そのものを問え)自身の言葉を孫引く。
私たちは円環の道を行かなくてはならない。それは非常手段でもなければ欠陥でもない。この道に足を踏み入れることは強みであり、この道にとどまりつづけることは思考の祝祭である。
これだけでは意味不明だから、北川東子の解説を付加引用する。
たとえば、ハイデガーが考えた問題、「芸術の本質とはなにか」という問いを立てるとする。これを考えるためには、真の芸術作品をよく見ることが必要となる。けれども、ある作品が本当に真の芸術作品であるかどうかを決めるためには、「芸術の本質がなにか」をわかっていなければならない、という具合です。「芸術の本質」という問題をめぐって、議論が堂々巡りをするだけです。
「芸術の本質」などという形而上学(上の見取り図の価値世界に属する事柄)を振り回す のは鬱陶しいけれども、いつか、本質・価値・信念・規範などを考え込む時がある。その時のために哲学(上の見取り図の概念世界に属する事柄)は必要であり、また実は、価値観抜きで概念世界は成立しないということも否定できない。
だから、上の見取り図は終わることのない円環運動。それを恐れるな、それこそが思考の祝祭なり、とハイデガーは言っていると理解した。結構、この見取り図は役に立つんですよ、と最後はやっぱり自己PRなり。
ちなみに、北川東子「ハイデガー」は今までに俺が読んだハイデガー入門書の中で一番、読みやすかった。大切なのは個人かそれとも社会か。私にとっては社会よりも私自身の存在と私自身の幸福の方が遥かに重大な問題という読後感ブログ(大賛成)もあり、結構読まれているようだ。
※写真はアーレント=ハイデガー往復書簡の表紙。ハイデガーは相当のワルなり。
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コメント
見取り図のなかにまだ「記憶」は記入されていませんが、どのあたりに加わりますか。記憶は、知覚や感情を貫いて経験に影響を与えているとぼくは考えますが、もしそう考えると、概念世界の価値寄りの位置でしょうか。
投稿: 鏡像 | 2006年11月15日 (水) 午前 09時31分
あ、ほんとだ。ご指摘感謝です。追記いたしました。書き手は読み手に見守られているのですね。
投稿: 土曜日の各駅停車 | 2006年11月16日 (木) 午前 04時18分