« 寺山修司 | トップページ | 仏は愚者を愛す、されど »

2006年11月21日 (火)

冬夕焼の句

冬夕焼の句といえばこの名句。Photo_321
 むつかしき辭表の辭の字冬夕焼    富安風生
「辭」は旧字の「辞」(ほんと、むつかしい。昔の人でも矢張り難しかったのだ)。こんな側面から辞表提出という世俗の出来事に光を当てることもできると知らしめた句である。ちなみに辭の字はネット検索で現代俳句アンソロジーに出会って、コピペさせて頂いた。

歳時記を見ると他には
 路地染めて何をもたらす寒夕焼     菖蒲あや
 卵黄を掻き解き掻き解く冬夕焼      中村草田男
 寒夕焼じやんけんぽんの石と紙     鷹羽狩行
などがある。郷愁と哀歓の季語である。

そこで、今朝の俺の句は「観自在菩薩悦楽冬夕焼」。なんで観自在を思いついたのかなあとネット検索したら般若心経であった。菩薩悦楽だけが工夫の句である。

※写真は冨安 風生(とみやすふうせい)―ホトトギス派の代表的俳人―から勝手拝借/感謝です。 

|

« 寺山修司 | トップページ | 仏は愚者を愛す、されど »

俳句」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。