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2006年11月 3日 (金)

石田比呂志

人生に意味はあるか(エロスより出でてエロスに環り来む意味を求めてめぐりし後に)?Photo_280

そんな難しい問題わかれへんわ、と投げてもいいがウィキペディアだけはしてみよう。
言葉(単語・用語など)が持っている概念の事。とある←ちゃうなあ。もっとも、別の意味にも触れていて、ある物(物体やシステムなど)が存在するする必要性や理由の事とある。
そうそう、これこれ、すなわち、価値や、と今度は価値をウィキペディアすると、「価値」は「良いという性質」のこと とある。
なるほど。では、良いとはなんやねん、とまた疑問が湧く。

かくして、辞書めくりは循環する。言い換えれば辞書(規則)は意味(行動)を定め得ない。つまり、規則は行為の仕方を決定することはできないとなり、これが規則のパラドクスと言われているものである。語の意味とは言語におけるその使用であるとも言う(→リンクを拝読して使用方法(形態)に訂正)。

つまり、人生に価値があるかどうかは辞書をめくってもわからん、人生は人生してみないと意味不明という健全な常識人の理解に到達するのである(ここで冒頭の俺の歌を読み返すこと)。

さて、今日は石田比呂志。現代の短歌の歌人紹介に「昭和5年生まれ、旧制中学中退後、21年、16歳で一握の砂を読んで歌人を志す」とある。

 酒飲みてひとりしがなく食うししゃも尻から食われて痛いかししゃも

韻律(リズム)は出来てるけれど、いったいこの歌は何(思想=メロディ)が言いたいねん。「尻から食われて痛いかししゃも」が人を食った比喩(ハーモニー)ではあるが。
と、疑問に思えば得意の検索→居酒屋にて石田の酒を啜っている傍で、「鯛焼きは頭から食べるのか」「それとも尻尾から食べるのか」を論じ合っていた事から、生まれた歌であると遭遇→なるほど、嘘の中に大輪の真実の花を咲かせるのが歌であり、読み(意味)の探索は読者に任せられているのである。

と、ここで終わってもいいのだが、まだ、続きあり。しばし休憩。

ところで、「石田比呂志」でネット検索していたら20歳も年の違う、妻のある人と、いわゆる不倫の恋をしたのですもの、両親は泣きました。に遭遇した。石田の現在の連れ合いである阿木津英(フェミニズム歌人の先駆け)の文章である。他人の私事を云々するのは趣味ではないが、本人が新聞に発表した文章だから、ここでリンクしても差し支えはないだろう。

石田も阿木津もそして誰もが、真実の生を生きている(なぜなら人生は一回こっきりだから)。そして、人生の意味は、生きること自体・その瞬間において主体的に判断するしかない。意味・価値を決定する規則はない。仮にあったとしても、規則は行為を決定することができない。だから、多元的価値観こそが健全な価値観であると俺は思う。

ちなみに、阿木津英は現代の短歌に入れてもらっていない。そこで、彼女の歌を一首、引いておく。

 産むならば世界を産めよものの芽の湧き立つ森のさみどりのなか

※画像はINSPIRED BY...ISHIDA HIROSHIから勝手拝借/感謝です。

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