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亡父に続き、亡母の句である。「熱燗や喉骨太き母拾ふ」。享年75歳で一昨年、他界した。東京に呼んで五年間、トライアングルで暮らした。濃密な時間だった。墓はつくらず、和田堀廟所に納骨した(俺もここに入る)。絶対に、母の齢を 抜いてやると毎日、母を思っている。 熱燗に舌を焼きつつ談笑す 高浜虚子 熱燗の舌にやきつく別れ哉 村上鬼城 熱燗や食ひちぎりたる章魚の足 鈴木真砂女 熱燗やいつも無口の独り客 仝真砂女の「来てみれば花野の果ては海なりし」が辞世の句ではないかと察せられるとのことである。死と、愛こそが句歌の究極的なテーマのような気がしている。 祖父の骨父母の骨拾ひしは仕合せなりと南無阿弥陀仏※写真は鈴木真砂女。チャートの王様から勝手拝借/感謝です。
2006年11月28日 (火) 午前 08時51分 俳句 | 固定リンク Tweet
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