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2006年11月24日 (金)

根深汁の句

先日、俺って親友いないよなあと気づいた(ご近所の方の葬儀参列が影響しての思いPhoto_328 だったかもしれない)。会社を辞めてから会社関係とは年賀状の付き合いしかなくなったし、中学高校の友は関西にいるけれどこれは旧友というべきだろう。近くにありて気のおけない友、それを親友というならば、無い。
狷介な(この言葉、いっぺん使ってみたかった。心が狭く、自分の考えに固執し、人の考えを素直に聞こうとしない・こと(さま)。ネット国語辞典にあり)性格の上に、今後リアルの付き合いを広げる可能性もほとんど無いだろうから、親友と呼べる人との出会いはまず無いであろう。

さて、今日の句は「近き友一人もなくて根深汁」。
初案「親友」だったけれど投句に際して「近き友」に変えた。「親友」は少し手垢にまみれているように感じたからだ。
「根深汁」は葱汁のこと。手元の歳時記には「葱は冬がいちばん美味で、熱い舌を焼くような汁、実は半煮え加減がうまい」とある。新鮮な葱は生でもいけそうだから、半煮えでいいのだろう。いつか使ってみたかった季語である。
 老夫婦いたはり合ひて根深汁     高浜虚子
 根深汁老いてうなづくことばかり    大石白夢
 うとましく冷えてしまひぬ根深汁     日野草城
 一人づつ起きる子供や根深汁     本田あふひ
この季語は字面が馴染みにくいので、虚構句心境句では狷介で使いづらい。次に使うときは、素直に写生してみたい。あ、俺の性格を素直にするのが先か。

写真は日野草城。上のリンク(特別展「日野草城生誕100年」)から勝手拝借した。
ウィキペディアにはモダニズム俳句の嚆矢(こうし)とされる。新興俳句の一翼をになった。「俳句を変えた男」と高く評価されるが、風俗俳句のはしりとみる向きもある。とある。
俺好みの句が多い。たとえば「をみなとはかかるものかも春の闇」ミヤコホテル十句より。

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