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2006年11月16日 (木)

即物有情@句をひねる

メモ帳をデスクトップに貼り付けて、そこで俳句の在庫管理(平均在庫4首、及び不良品もPhoto_311 後々の参考にするべく残してある)をしている。そして、PCを立ち上げると随時ここを眺めている。音楽を聴きながら眺めたりもしている。それ故、これが結果的に推敲メモの役割を果たしてくれているから面白い。

さて今日の句は「すこやかな脳で死にゆく冬の蠅」。姑のショートステイを迎えに行くため特別養護老人ホームに定期的にお邪魔しているが、重度の認知症の人を見かけたりする。ここでその様子に触れるつもりはないが、機会があれば皆さんも見学に行かれるといい。「いのち」を感じられると思う。この句はこんな体験が背景にある。

それはさておきこの句の初案は「死にたし」だった。昨日、音楽を聴きながらメモ帳を見ていたら突然にひらめいた。

「死にたし」は短歌的詠嘆だ。俳句では詠嘆はなるべく避けるべきだ。とすれば「死にゆく」に直そう。冬の蠅に己の情を託して詠む、すなわち、即物有情(物に情を織り込む@俺の造語)が俳句の基本なのだ。
従って、情を直截に言葉にすることをなるべく避けること。具体的には、悲しい、切ないなどという言葉を使わないことである(どうしても使いたければ短歌にすること)。われ、私も原則的に禁句である(使って効果的な場合もあるけど)。

短歌はコト(関係)を詠う詩、俳句はモノ(対象)に情を託し間接的にコトを詠う詩である。だから、俳句は即物有情、と覚えておこう。

ここまで書いて、天地有情という言葉を思い出した。そうか、俺はここから潜在意識でヒントを得たのだなと得心した。ネット検索すると安岡正篤「天地有情」などという本があるようなので、漢籍に典拠があるのではないだろうか。おお、中曽根元総理の対談とも遭遇した。彼の俳句は有名だし、対談を読むと読書的教養もあるようだけれど、市民というのは、反権力のイデオロギー的虚像と言っている。このあたりが中曽根大勲位だろうなあ。

ちなみに、天地有情とは、人間は天地の風情に感情を投影するのではなく、天地そのものがすでに情をもっていて、人はその一部を分け与えられているに過ぎない、というような意味らしい大森荘蔵もこの言葉を使っているとのことである。「流れとよどみ」近々読書予定。

※写真は::東京日和 早稲田::から勝手拝借/感謝です。早稲田付近に漱石「則天去私」の碑があるようだ。

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