稲葉京子
テレビを見ていたら「いじめをなくそう」キャンペーンを実施中とか言う。何を笑止千万。そ んなもん無くなるものか、無菌社会を作ろうなんてと思う。どうせやるんだったら「いじめに負けるな」とか「負けても死ぬな」とか「いじめをちくろう」キャンペーンをやったらと思う。
しかし、これは当事者でない人間の言うことかもしれぬと反省もする。足を踏まれた人間の痛みは踏まれた人間でなくてはわからぬのだから。
とはいえ、痛みはいつかは消える。いや、忘れねばならぬ。死んだらおしまいなのだから何も無いのだから、絶対に死ぬな。死ぬぐらいなら相手をちくれ。ちくってちくってちくりまくってやれ。
だから、「いじめに負けても死ぬな」キャンペーンぐらいが妥当なところかもしれぬ。ピンチはチャンス。死ぬほどに追い詰められてあらためて知るいのちなり愛せよ我が身
さて、今日は稲葉京子。「婦人朝日」の投稿から歌を始めたそうである。
風よりも静かに過ぎてゆくものを指さすやうに歳月といふ
おだやかな歌だ。このおだやかさは何処から来るか。
人間はひとひらの風。そのときは大変だけれども過ぎてみれば風。風の過ぎにしばかりなり。
しかしながら、もし我が子がいていじめられたらなんとしよう。ひとひらの風よ、と言ってもわからぬだろうなあ。
※画像はいづつやの文化記号 神奈川県近美葉山館の山口蓬春展から勝手拝借/感謝です。
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