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2006年11月27日 (月)

落葉の句

言語論的転回の駄文を弄して、ウィーンフィル@アーノンクールのモーツァルト三大交響Photo_340 曲(昨夜NHK教育放送)を聴いている。ノリントン@ピリオド奏法viaN響はあんまり感じなかったけれど、アーノンクールは感じる。ヴィブラートかけずとも、音が輝いている。うっ、ウィーンフィルだから当たり前か。

そんなこんなで哲学脳・俳句脳・短歌脳・音楽脳を持てる心の嬉しさよ。

 短歌脳哲学脳に俳句脳能なしなれど脳三個あり(三個しか織り込めず)

さて、今日の二句目は「落ち葉には落ち葉の言ひ分愛は愛」。
ああ遂に俺は無意味句の領域にまで乗り入れてしまった。流れ流れて網走のおいらの行く先番外地なり。

そこで、落葉の句をいくつか引く。
 落葉踏みさだかに二人音違ふ      殿村莵絲子
 白き手の病者ばかりの落葉焚      石田波郷
 夫恋へば落葉音なくわが前に       桂信子

桂信子には「ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜」という美しい句がある。美しさはやはり美徳なのであろうか。

※写真は桂信子、art random - 人生のセイムスケール - age 90から勝手拝借/感謝です。

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