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2006年11月 2日 (木)

雨宮雅子

ビデオに録っておいた亡国のイージスを観始めたけれど、冒頭の佐藤浩市の重々しい感慨(守るべき国とは何か)から既に嫌気がさしはじめて、アクションが始まり出した頃に途中放棄してしまった。晩飯の酔いのせいもあるかもしれないが、どうも俺はこらえ性がない。一生懸命作られたスタッフ・キャストに申し訳ないではないか。

しかしながら、老境に近くなると重々しい映画にはついていけなくなるようである。実は(何を隠そう)戦争映画は嫌いではない。眼下の敵ナバロンの要塞など(古いナア)理屈抜きのアクション(物理・心理)、スリルは楽しめた。日本映画はなんで形而上学(存在とは何か等)を中途半端にまぶして映画をつくるのだろう。Why、What、Howの問いのうち、Whyは最も重い問いである。重い問いに答えるためには相当の覚悟と準備が必要になPhoto_277るはずだ、と理屈好き老人候補は思うのである。

さて、今日は雨宮雅子。「女人短歌」「林間」創刊に参加し、のち「地中海」でも活躍を経 て、現在「雅歌」を発行、キリスト教の洗礼を受け、聖と俗に身をおきながら神を求め続け、歳月への思いを深くする清浄なる祈りと歌集の惹句にある。

 国の忌も個の忌もひとつ夏花の夾竹桃のいろににじみて

二句で切れて、「夏花の」が「夾竹桃の」につなぎ、ひらがなの「いろににじみて」とやさしくかなしい余韻で終える。作者は昭和4年生まれ(ちなみに俺の亡母は3年生まれ、亡父は元年生まれで敗戦の日に即日除隊となったそうだ)、思春期を戦争で過した世代である。
死者について語ることはあっても、死者は何も語らない。他方、国敗れて山河あり、どころか国敗れて国は再生したけれど、死者は還らない。
映画ならば戦闘のスリルを楽しむけれど、実戦では(俺なんか一番に)小便ちびり糞を垂れるかもしれない。怖いこと痛いことは絶対に厭だ。

だから、我らはWhyの問いを忘れてはならない。なんであんなあほな戦争をしたんや。

※画像は三岸節子・赤い花から勝手拝借/感謝です。

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