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2006年11月 1日 (水)

他我問題(予習論証)

野矢茂樹「哲学航海日誌」再読中。その第一章が「他我問題」←発見に満ちている(前にPhoto_276 読んだときはどのように読んだのだろう。記憶が外化されていないので今となっては探りようがない)。
まだ第一章読了していないので駄文考察は後日として、今日のところはネットで「他我問題」を予習してみた。

まず、「他我」@ウィキペディア→「哲学的には他者の持つ我は必ずしも自明のこととは言えない。 他者の持っている我=他我を体験することは不可能である。これは独我論の裏返しである」とある。

独我論の裏返し?と思って「独我論」@ウィキペディアする→なんやあ、こっちには他我なんか全然触れとらへんやんかあ、何が独我論の裏返しやねん。と思いつつ、ウィトゲンシュタインにおいては「私に見えるもの(あるいは今見えるもの)だけが真に見えるものである」ということで表現されるというフレーズに引っかかって寄り道。

そこで俺のブックマーク@ウィトゲンシュタインから→ウィトゲンシュタインにおいては,「世界を満たす」論理(形式)があって,これに存在を付与し,限界を引くのが主観なのである. とある。すなわち、「世界と生とはひとつ」(5.621)であり,「私は私の世界」(5.63)であり,「思考し表象する主体は存在」(5.631)せず,「主体は世界には属さない.それは世界の限界である」(5.632)といえる.従って、独我論を徹底することによって,世界を成り立たせているもの,世界を存在させているものこそが「私」であり,それゆえに純然たる実在論となる。これがウィトゲンシュタイン独特の独我論=実在論(私が存在を付与する。眼は眼を見ることができない)である。これで完璧に理解したぞ。
だから、ウィトゲンシュタイン独我論では他我問題は発生し得ない。私(主体)は世界に属さないから、この世界は他者で満たされているのである。つまり、「他我」@ウィキペディアが独我論の裏返しというのは、ウィトゲンシュタイン独我論においては論理的に間違いであることが判明した。

従って、他我問題というのは純粋独我論における「他我は存在するか」という問題に絞られることになる。しかし、純粋独我論は一切の世界は「私」の意識内の現象と考えるのだから「他我は存在するか」という問題がそもそもあり得ない。だから、「他我」@ウィキペディアが独我論の裏返しというのは全くの間違いである。

かくして、他我問題とは「一体私たちは他人の心をどうやって知るのか」(「他我問題」ではてなダイアリー - キーワード検索せよ←検索結果リンクが消えてしまうので手間がかかった)という問題であることとなる。以上、予習論証終了。

※写真はSPGヨット(交差法)から勝手拝借/感謝です。

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