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2006年11月 7日 (火)

台所の言葉

我が市の図書館が蔵書していない本もネットでISBNコード等を入力すれば、リクエストでPhoto_19 きるようになった。便利である。重宝している。
これでリクエストした本、丹治信春「言語と認識のダイナミズム」(都立多摩図書館蔵書)を昨日から読み始めた。難解な専門書ではないかと危惧したが、そんなことはなくて、序でも一般向けも意識していると書かれている。そしてまた、序にはこんな言葉があったので引いておく。

「哲学は台所のことばで語られなければいけない」というのが、私の恩師である大森荘蔵先生の一貫した姿勢であり、私もそれに全く賛成なのである。

さて、この本からウィトゲンシュタイン「哲学探究」の一文を孫引く。後日、「心の哲学」でリンク・パーツとする予定。

もし、「私には彼の与える記号しか見えないのに、彼が何を意味しているのかをどうやって知るのだ」と言う人がいるならば、私は、「彼もまた、自分の与える記号しかもっていないのに、自分が何を意味しているのかをどうやって知るのだ」と言おう。

記号=言語は誰にとっても思考の道具。だから、他人の心のうち思考については原理的には、知ることが不可能なことはない。原理的に不可能なのは、彼の痛みと語られぬ感情と意志である。

※画像は戦後の農村住宅から勝手拝借/感謝です。

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