小野興二郎
最近、人生観より死生観と思うようになった。ゴールを見据えつつ生きるということであ る。
そしてまた、「すこやかな脳で死にゆく冬の蝿」なる句に見られるように、恙なく生を全うしたい(はっきり言うと寝たきりになりたくない)という気持ちを強く持つようにもなっている(おかげで節酒三夜を恙なく過ごせたが。おお、今日は週末だ。焼酎、飲むぞお)。
ともかくもまあ、生を恙なく全うするというのも一つの事業である。そしてまた、意に反して病気になるのも人生である。生老病死、まさに生まれたこと自体が四苦八苦の苦であると仏教はのたまいにけり。
さて、今日は小野興二郎。「肝生検を受けショックを起こしその後遺症のため市川学園を退職し長期療養に入る」と歌人紹介にある。
妻が望みわがあくがれしをみな子はかくうつくしきほとを持ちたり
「妻が望みわがあくがれし」とそれぞれ字余りの初句二句を受けて、この歌の核は「かくうつくしき・ほとを持ちたり」と句跨りで詠われる四句結句にある。
思わぬ病を得てそれと闘う作者にようやく生まれた女児。その女児の生殖器外貌を見つめて作者は美を感じる。いのちの連鎖である。
人は死するために生まれて来る。生の過程で様々なことを起こしたり起こされたりしつつも、いつかは確実に死ぬ。そしてまた、死の前段階たる老いも避けられぬ。それどころか、老いを経ずして亡くなったり、若くして病を得て苦しむ人もある。
だから、恙なく死を迎えることがどれだけ幸運なことか。
俺はイタイの、苦しいのが大嫌い。だからこそ、節酒を必死で続けよう。呆けたり中風で寝たきりになって人の世話になることを思えば、節酒ぐらいなんていうことはない。
さて、公開の場でここまで書いたのだから、節酒完遂できなくてはならぬぞと我とわが身にプレッシャーをかけたのであった。
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コメント
はじめまして、小野興二郎先生のことが書かれていたので、どうしてもコメントしたくなり書き込みさせていただきます。私は、小野先生の国語教師時代の最後の教え子ですが、先生の歌を紹介していただきどうもありがとうございました。とても、懐かしかったです。
投稿: ロクジ | 2007年1月28日 (日) 午後 07時54分
ロクジさん、はじめまして。ご訪問、感謝です。
そして駄文を読んで頂き恐縮しています。
わが生きてゐることは夢まぼろしにあらず
朝より雨ふりしきる
もう一首、引かさせて頂きました。いい先生だったことと思います。
投稿: 土曜日の各駅停車 | 2007年1月29日 (月) 午前 03時54分
お久しぶりです。小野興二郎先生は2007年10月28日肝臓ガンでなくなられました。そのうちにお訪ねしようと思っていた矢先で、残念でなりません。お亡くなりになられていたのを知ったのがつい先日のことで、ずっと知らないでおりました。
一人で、加藤登紀子さんの「千の風になって」を聞きながらご冥福をお祈りしました。
投稿: ロクジ | 2008年2月 4日 (月) 午後 12時49分
こちらこそ、お久しぶりです。生死も全て夢、夢だからこそ懸命に生きたいと思います。
投稿: 土曜日 | 2008年2月 7日 (木) 午前 08時32分