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2006年11月16日 (木)

愛国心から愛個心へ

クローズアップ現代で愛国心教育の現場を採り上げていた。
その中で、どうかなあと思ったのは、他国の子供から「日本という国は四季があって美しくて良いね、うらやましい」という感嘆の言葉に、「日本の子供達は、もっと自国の美しさを自覚しなければいけない」という導入で始めて愛国心へつなぐスタイルでなされる授業(小学生が対象)である。

戦前軍国主義逆行を懸念して反対するのではない。また、国家が個人の考え方に介入するのは思想良心の自由を侵す憲法違反(その通りであるが)と言い募るものでもない。
これらのことを棚に上げて愛国心教育を仮に是認したとしても、このスタイルはオカシイと言いたいのだ。

というのは、では、富士山も四季も桜ももし仮に無ければ日本を愛せないのかということである。そんなことはないだろう。富士が無くても日本は日本。この国を愛せと言いたいのだろう。だったら、こんな姑息な遠回りの愛国心導入は止せと言いたいのだ。

愛国心を教えるとして、愛国心が必要な理由がオカシイのである。素晴らしい国でなくても愛するのがまことの愛であろう。愛とは理由にかかわらずとにかく好きということなのだから。サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝を愛する理由はいらず@佐佐木幸綱こそ愛である。

思うに、国を愛する理由があるとすればただひとつ。それは、自分を愛するから国を愛するということである。自分が大切だから、自分にとって家族、友人がかけがえのないものだから、この国を文化を社会を地域を守りたい。それが愛国心の根っこだと俺は思う(自Photo_313殺するこどもたちは<そして校長も>自己を愛せなかったのではないか)。
そして、人類皆兄弟。だから、俺の愛国心も金正日の愛国心(仮に彼に愛国心があるとして)も原理的に対等である。よって、愛国心と愛国心はぶつかり合う。そのときにいかに平和を守るかという問題が発生するのである。

愛国心を教えるなら(教育基本法改正案が通れば教師には教える義務が生じる)、その理由を生徒・児童に考えさせ、愛国心が衝突した時にどうすればよいかを議論させよ。それがこの社会(国と呼んでもいい)と平和を守ることにつながるのだ。日教組、頑張れ(アカンやろなあと思いつつ)。

※写真は青年よ再び銃をとるなから勝手拝借/感謝です。

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