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2006年11月 8日 (水)

田井安曇

(正直言うと)コメントを頂くと(チョー)嬉しい。しかし他方、他人嫌いを標榜する俺としては、正面からコメント大歓迎プロポーズも出来ぬ。要するに、「春宵の酒場にひとりPhoto_291酒啜る誰か来んかなあ誰あれも来るな」石田比呂志@気分である(←あ、この歌、ヘッダーに貼ってやろ)。
人間ひとりが一番、というのは粛然たる真実と信じるが、一方で、意味の他者との出会いは存在論的経験をもたらし論理空間を豊かにしてくれるのだ。

ええい、コムツカシイ理屈をこくな。一期一会、花に嵐の喩えもあるぞ、さよならだけが人生だ。と言えばオシマイの話である。人といふ文字を分解してみればもちつもたれつ支え合ふなり

さて、今日は田井安曇。歌人紹介には<敗戦後、靴屋(元海軍下士官)の高橋さんにより歌をつくりはじめ、「花実」に入会。岡崎高等師範学校時代「アララギ」を経て「未来」創刊に加わる>とある。

 闇にまぎれて帰りゆくこのよるべなきぼろぼろをわれは詩人と呼ぶ

破調である。指折り数えると、7・5・7・7・7=33となる。二句のみが5音で、後は全て7音で韻律を形成している。
詩句の核は「このよるべなきぼろぼろを」であろう。この核に「詩人」がかぶさり自嘲と自負のないまぜが「闇にまぎれて帰りゆく」思想(主題)となる。

でもね。みーんな誰しも、よるべなきぼろぼろなんよ、あんた。実存が本質に先行するなどという小ざかしい屁言葉もあるけれど、気がついてみたらみーんな生まれて生きとったんよ。だから、あんたひとりのものではないのよ、よるべなき実存は。

ところでこの歌人は、憲法九条を守る歌人の会(九条歌人の会)で講演活動をされているようである。それを「サヨ」と蔑称して批判する人もいる。人といふ文字を分解してみれば左と右の二画に分かる。おお、もう一首。

 左右より美醜を語れ観念は親の仇と哲学書読む

※画像は♪お玉つれづれ日記♪ ~沖縄★美人画報~   女の「ひとり花見」マニュアルから勝手拝借/感謝です。

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投稿: | 2009年1月19日 (月) 午後 04時48分

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