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2006年12月

2006年12月31日 (日)

第九@上岡 敏之

初めて聞く名前の指揮者だったけど、BS2放送を聴いた。Photo_459
少しアップテンポが小気味よく、第四楽章導入部はゆったりと、という具合にメリハリが効いて聴かせる指揮者だ。
例によってネット検索すると、上岡敏之という指揮者を知っていますか??に出会った。ピアニストでもあるらしい。
いずれにせよ、この第九は宝物となった。当然、冥土土産DVDにせむ。

※写真が上岡 敏之。深夜の音楽会から勝手拝借/感謝です。

追記:毎日モーツァルトの後継みたいな番組ぴあのピアが1/8からスタートするそうだ。ビデオに録らなくっちゃ。

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除夜の鐘の句@幸福も不幸も夢よ除夜の鐘

今年最後の句は「幸福も不幸も夢よ除夜の鐘」。Photo_458

とはいえ、不幸にならないように出来るだけの算段は尽くす。その上で諦観する。生きていることだけでさえ僥倖なのだから。

読んでくれているあなたに感謝です。ご健勝とご多幸を。

 町と共に衰へし寺や除夜の鐘      高浜虚子
 除夜の鐘撞きに来てゐる鳥羽の僧   高浜年尾
 おろかなる犬吠えてをり除夜の鐘    山口青邨
 わが撞きてわが音として除夜の鐘    加倉井秋を

もう一句できてしまった。煩悩もすべてわがこと除夜の鐘 

※写真は身延のイベント写真帖から勝手拝借/感謝です。

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行年の句@盛り場の紅灯懐かし年流る

閉門蟄居の今は外で飲むことは全く(と言っていい)無い。お湯割り三杯で陶然とし眠ってPhoto_457 しまうよい子である。でも、たまには歌いたいなあ「リバーサイドホテル」。
そこで三句目は「盛り場の紅灯懐かし年流る」。

初案「紅灯と縁を断ち切り年ぞ逝く」から本句に至るまでは七転八倒。結局、自分の気持ちを素直に「懐かし」と詠うことにした。俳句も詠嘆である。

 よく遊びよく働きし年送る       鈴木真砂女
 年は唯黙々として行くのみぞ     高浜虚子
 年逝くとしづかに満たす甕の水    桂 信子
 行く年を母すこやかに我病めり    正岡子規

※画像は@GEHA(アゲハ)---歌舞伎町商店街振興組合ホームページから勝手拝借/感謝です。

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除夜の句@年の夜やみんな仲良く歳をとる

二句目は「年の夜」で。Photo_456
 年の夜やみんな仲良く歳をとる

ブッシュさんも安倍さんも金さんも。時間だけは平等だ。フセインさんは昨日、歳をとらないようにされてしまった。「フセインに死刑執行年ぞ逝く」という句をつくった。

 空襲の乱打の鐘を思ふ除夜      三橋敏雄
 積雪に月さしわたる年の夜       飯田蛇笏
 年の夜や人に手足の十ばかり      去来
 わが家のいづこか除夜の釘をうつ   山口誓子

去来の句が面白くそして悲しい。をかしくあはれな句がいいなあ。鍛錬鍛錬。

※画像はB級ブログ  『チーム・アメリカ』のご紹介から勝手拝借/感謝です。

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除夜の句@除夜妻に急かされて居る厠かな

とうとう大晦日。予ねて用意の大晦日向けの句、まず一句。Photo_455
 除夜妻に急かされて居る厠かな

こないだ歳時記を持ち込んで冬ごもりしていたときの実景だ。ただし、下の森澄雄の句を本歌取りさせてもらい、除夜とした。

 除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり      森 澄雄
 年の夜やめざめて仰ぐ星ひとつ      石田波郷
 ひとりひとりこころにありて除夜を過ぐ   桂信子 
 年の夜やもの枯れやまぬ風の音     渡辺水巴

「除夜」と同じ意味(大晦日の夜)の季語が「年の夜」。二句目は「年の夜」で詠んだ(次の記事に続く)。

※画像は清河宗翠『水浴び』を特別価格で販売【アート静美洞】から勝手拝借/感謝です。 

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表示されたあ

OKになった。なんの問題もなさそうだ。
いったい、なんだったんだろお。この神隠し。

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うわあ、記事がなんにも表示されない!

試しに書き込んでみたけど。

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2006年12月30日 (土)

歳晩の句@歳晩や寝床でほぐす夫婦仲

短歌と違って俳句のいいところは、一般論句とか虚構句を作りやすいことだ。Photo_454
思うに、徹底的に私歌である短歌では一般論・虚構を詠いにくい。その点、俳句は<私>から距離を置き易いのである(と俺が勝手に思っているだけなのかもしれない)。そこで今日の投句納めの句。
 歳晩や寝床でほぐす夫婦仲

俳句のつもりでもこれは川柳だろう。俳句(たとえ虚構句想像句であっても)と川柳の違いは、作者の生活の中から生まれたか否かにあると思う。ときどき俺は川柳句が俺の落ち着きどころではないかと思ったりする。たかだか百二十ぐらいしかひねっていないけれど。

 歳晩やトラック滴るまで洗ふ     山口誓子
 歳晩や火の粉豊かの汽車煙    中村草田男
 赤い灯のともり揃つて年暮るる   角川源義
 小鳥屋は小鳥と居たり年の暮    林 翔

生活の中から出た句かどうかが、詩になっているか否かの分岐点だ。反省。

※写真は瀬戸内寂聴。今年の紅白の特別審査員を務めるそうだ。第57回 NHK紅白歌合戦から勝手拝借/感謝です。

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冬籠の句@厠にて歳時記研究冬ごもり

「冬籠り」の句を前から得たいと思っていたのだが、まさかトイレで実現するとは思わなんPhoto_453 だ。
 厠にて歳時記研究冬ごもり

俺の人生の中で最も日本近代化・富裕化を実感するのは、水洗ウォッシュレットである。今の子供たちは(若者も)昔の汲み取り便所を実感できないだろう、ざまあみろ。

他方、目を世界に転ずると、世界人口の半数がトイレにアクセスできない環境で生活しており、東南アジアでのトイレ普及率はサハラ以南アフリカと同程度に低く、3人のうち2人が、そして、南アジア人口の半数がトイレにアクセスできない状態だということです。だそうだ。水資源のことを考えると、水洗よりもバイオトイレの方が望ましいともいう。

やっぱり今は恵まれすぎているのかなあ。でも、清潔・安全・自由かつ公正なこの社会をなんとか守ろう(少なくとも俺が生きている間は)。

 死んでゆくものうらやまし冬ごもり   久保田万太郎
 嘘詠まじと詠む句の嘘や冬篭      富安風生
 身ほとりに死神を飼ひ冬籠        小林康治

こういう句を読むと俺の句はアサハカで、なんと俺はアホウかと思う。しかしそれでも、句集に入れるのである。ちなみに、小林康治には「湯豆腐やおほかたは世に入れられず」という句がある。

※写真はマイレージジャンキー 時々 「鉄」 から勝手拝借/感謝です。

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年の瀬の句@年の瀬や博打も止めて節酒して

歳時記を見ると、◇「歳晩(さいばん)」 ◇「年末」 ◇「歳末」 ◇「年の瀬」 ◇「年の果」 ◇「年の終」 ◇「年の残り」 ◇「年尽く」 ◇「年果つ」 ◇「年つまる」 が、「十二月も押しつまったころをいう」として全て一つの季語単位「年の暮」で括られている。
一方、「行年」には、「流れるように過ぎ去ってゆく年をいう」として◇「年逝く」 ◇「年歩む」 ◇「去ぬる年(いぬるとし)」 ◇「年送る」 がある。

なるほど、とは思うけど、「年の暮」「歳晩」「年の瀬」は語感が違うと俺は思う。
そこで今朝の句は「年の瀬や博打も止めて節酒して」。
Photo_452
なんとか節酒も続けられている。昨夜もビール一缶で済んだ。それに加えて、水割りからお湯割りに焼酎の飲み方を変えたから焼酎を飲む時でも5杯→3杯となったので、消費量は愕然と減っただろう。健康にも経済にもよろしい。健全な人生の終末に向けて俺は着々と歩んでいるのである。

 年の瀬や浮いて重たき亀の顔     秋元不死男
 年を以って巨人としたり歩み去る    高浜虚子
 何かしら遠し遠しと年暮るる       富安風生

俳句の巨人たちの年末象徴句である。秋元の句、よくわからねど心に残る。秋元には他に「ライターの火のポポポポと滝涸るる」がある。全ての景は人生の象徴である。

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2006年12月29日 (金)

竈猫の句@愛よりもお金が好きよかまど猫

ええい、人生一寸先は闇。行ってしまえ、今日の投句納め。Photo_451
 愛よりもお金が好きよかまど猫

これは季語から先に生まれた。なんとか「かまど猫」で一句をと昨日ひねった句である。なにい、発想が類似的だってえ。そうか、そうだったね。同情するなら金をくれ。

 何もかも知つてをるなり竈猫       富安風生
 閑居とはへつつひ猫の居るばかり   阿波野青畝

この季語は風生の上の句によって季語として定着した。かまど、へっついが無くなっても観念的存在(比喩)として使われ続けるのではなかろうか。俺の句のように。

※画像は常滑焼 総合卸 ヤマタネの紹介から勝手拝借/感謝です。 

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年用意の句@年用意はやされて買ふプレミアムビール

今朝は早々に二句目。Photo_450
 年用意はやされて買ふプレミアムビール

普段は第三のビールのどごし<生>なのだけれど、たまに、プレミアムビールを飲むとやっぱり旨い。しかし、値段が倍近い開きがある。それだけの違いかというと疑問だけれど、正月ぐらいはと思って買うだろう多分。「はやされて買ふ」と人のせいにして。

 年用意よき鰹節を選びけり       山本蓬郎
 しづかなるくらしの中の年用意     小原牧水
 夕映の妻にしたがふ年用意       笹川正明

アサヒかエビスかサントリーか。実績のあるアサヒだろうなあ。泡が細かいのが売りだとか。

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年の暮の句@検察が株価決めたる年の暮

パソコン壊れて買い換えて、ついでにADSLにして環境が整ったのが運の尽きだった。
株にはまって遂には先物で大火傷。しかしまあオモロイ年ではあった。
そこで今朝は相場回顧の句。
 検察が株価決めたる年の暮

世間のバブル気分(拝金風潮)を砕き相場を冷やす効果はあったけれど、国策捜査はちよっとやり過ぎだったようにも思う。まあ、裁判官と検察官はお友達だからホリエモン、村上両氏とも無罪にはならないだろうけれど。
ついでに同時作短歌。

 先物の心の傷は深けれど三月もすれば治癒する我よ

敗戦後しばらくは現物持ち株をチェックする気も起こらなかったが、先日、住友重機械を利食い、いまはコマツ、ダイキンがようやく利が乗ったのをどうしようかと思っている。年度末にかけてもう一段の相場上昇はありそうだけれど安倍政権が不安要素だ。そういえば、昨日のテレPhoto_449 ビは小泉再登場待望論を伝えていた。武部グループ発足等の動きの裏には飯島秘書が動いているんだって(ということは純ちゃんにもその気があるということだ)。
問題は年金・消費税・雇用(含む若者対策)の三点セットなのに、小泉再登場、劇場政治でまたごまかされるのか。

 年くれぬ笠着て草鞋はきながら     芭蕉
 歳晩や火の粉豊かの汽車煙      中村草田男
 拍手してみんな留任年の暮       松倉ゆずる
 忘れゐし袂の銭や年の暮        吉田冬葉

最後の句が面白い。神は生活の細部に宿り給う。

※写真が飯島秘書。神奈川県議会議員 土井りゅうすけから勝手拝借/感謝です。

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2006年12月28日 (木)

数へ日の句@数へ日のひいふうみいと恋のかず

今日の投句納めは今朝のWalkで得た句。Photo_448
 数へ日のひいふうみいと恋のかず

手元の角川合本歳時記に季語「数へ日」は無い。もっとも、平成6年発行とかなり古いからなあ。そこで検索してみたけれど、いつごろ誰が使い出した季語なのかわからなかった。
それはともかく、この句、気に入っている。洒脱色気路線と俺は形容したい。

 数へ日の欠かしもならぬ義理ひとつ     富安風生
 数へ日の芝居にうつつぬかしけり       小澤登代
 数へ日や死の日まで積む文学書       金久美智子
 野火止に数へ日の水流れたり        伊藤三十四

「数へ日」は、また来年使うだろう。清新な季語である。

※画像は「指が月をさすとき、愚者は指を見る」~メディアを考えるから勝手拝借/感謝です。芭蕉の有名な句に「稲妻に悟らぬ人の尊さよ」があるそうだ。知らなんだ。

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忘年の句@音楽も俳句も愉し年忘

今年は「哲学と俳句に没頭冬の虫」であった。
そして「短歌脳哲学脳に俳句脳能なしなれど脳三個あり」で忘れていたのが音楽脳。四個も脳があるのに能なしとはこれ如何に。やっぱり努力が足らんのや、嗚呼「権力と権威・強制嫌ひなり努力もせずにまた夏が来る」。Photo_447

そこで二句目は「音楽も俳句も愉し年忘」。
お陰さまで、毎日が日曜日である。

 老はいや死ぬこともいや年忘    富安風生
 ひそやかに女とありぬ年忘     松根東洋城
 座持ちよき一人失ひ年忘れ     能村登四郎
 年忘れ最も老を忘れけり       富安風生

ちなみに昔、職場で流行ったひとこと。「許そう、でも忘れはしない」。

※画像はDVDジャンル別リアルタイム価格情報 許されざる者から勝手拝借/感謝です。

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春支度の句@勤勉なA型妻よ春支度

今日が官庁仕事納め。民間企業はまちまちだろうけれど、今日のところも多いだろう。毎Photo_446 日が日曜日の俺には無縁な話だけれど。
そこで今朝の句は「勤勉なA型妻よ春支度」。

春支度といっても大掃除とおせち料理の準備ぐらいかなあ。コンビニは開いてるしスーパーも2日から営業するし、昔のお正月の雰囲気は無い。あ、テレビの年末年始番組をyahooでチェックとしかなくちゃ。

 年用意靄あたゝかき日なりけり  久保田万太郎
 掛け替へし襦袢の襟も春支度   牧野右太代
 年用意利尻昆布の砂おとす     細見綾子

昆布で連想したけれど、だしは関東は主に鰹節、関西は主に昆布。その理由はなんだろうと検索してみたら、1つは江戸時代の昆布の普及具合。昆布の名産は北海道なのですが、当時の運搬技術では太平洋を渡り、関東へ船で行くのは困難だったことから、関西を中心に普及したそうです。そのため関東では他の方法でだしを取る必要があったわけですね。に出会った。もう一つは水質の違いだそうだ。賢くなったなあ。

写真はなだ万のおせち。15750円で既に完売とのことだ。

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2006年12月27日 (水)

埋火の句@埋火や生涯口に出せぬ事

今日の投句納め。Photo_445
 埋火や生涯口に出せぬ事

「埋火」は「うづみび」と読む。「灰の中に埋めた炭火のこと。火力調整や不要になったときに灰中に埋めるが、芯は燃えている。心中に情熱を秘めていることもさす」とネット歳時記にある。寡黙な俺にはこれ以上付け足すこともない。

 今日誰も来ず埋火の灰と化す   鹿山隆濤
 埋火や胸あたたむる人の言     林 翔
 埋火を掻いてひと日の悔多き    山口草堂
 埋み火や壁には客の影法師     芭蕉

※写真は森川緑ニュース 出来事04-07-12 アーカイブから勝手拝借/感謝です。

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春支度の句@春支度粗大ゴミにはできぬ人

日経一面連載「ネットと文明」の今朝の記事は「押し寄せる団塊 世代融合か過剰発信Photo_444 か」は退職した団塊世代がどっと参入してブログ市場急拡大、冗舌ブロガー輩出か、と書いていた。世代融合は無いだろう、過剰発信に決まっとるやんと寡黙な俺は思うのである。そこで今朝の二句目。
 春支度粗大ゴミにはできぬ人

関連川柳で「愛してるあなたの貰う年金を」もある(俺の作ではない)。
団塊よ、市場は君たちを待っている。とりあえずは株屋、銀行、いずれは老人ホーム等介護関連産業。そういえばコムスン、介護報酬を過大請求…返還要求へとのニュースもあり。

 春支度京のしきたり嫁しるや     風間さく
 春支度すみたる庭に雨ぬくく     上林まさ女
 何にでも老のかけ声年用意      小松月尚

※写真は千葉県環境研究センターより勝手拝借/感謝です。

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ようやくスパム対策実施

1月16日(火)15:00 ~ 1月17日(水)15:00のココログメンテナンスでようやくスパム・コメント・フィルター機能が手当てされるようだ。前回メンテで失敗しているからなあ。今回は間違いなく頼んまっせ。

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水仙の句@水仙や海に向かひて風を受く

なぜかしら水仙が好きだ。知っている数少ない草花のうちの一つだからだろうか。Photo_443
そこで今朝の句は「水仙や海に向かひて風を受く」。

さて、海に向かって風を受けているのは水仙だろうか、作者だろうか。主語が無くても言葉が成立する日本語ならではである。このような日本語だからこそ西田幾多郎の純粋経験(「色を見、音を聞く刹那」主客未分の刹那)が受け入れやすいのだと思う。
それはともかく、この句、詩になり損ね、ひねりのない句である。記録として句集に入れておく。 

 水仙やカルテ一葉死へ急ぐ      川畑火川
 次の間といふうすやみの水仙花   鷲谷七菜子
 水仙や寒き都のこゝかしこ        蕪村
 水仙の香やこぼれても雪の上     千代女

「ナルシスが水面に映る自らの美貌に見とれて動かず、とうとうスイセンになったになったというギリシャ神話を思い出させる」とネット歳時記にある。そうか、知らなんだ。

※写真は爪木崎のページから勝手拝借/感謝です。爪木崎の水仙は5~6分咲きといった具合だそうである。

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2006年12月26日 (火)

着ぶくれの句@着ぶくれてお犬様行く散歩道

価値観さまざま、人生いろいろです。とやかく言わず句にしました。Photo_442
 着ぶくれてお犬様行く散歩道

タバコを吸いながら犬を連れて散歩のオジサンに出会ったら、「おはようございます」と挨拶をしております。あ、ウソだった。挨拶をする相手は大抵オバサンでした。男は無口がいいのです。

 着ぶくれて人間本来怠けもの        富安風生
 着ぶくれて捨て上手にはなれませぬ    鈴木華女
 着ぶくれて自分の足につまづけり      矢崎康子

※写真はアメリカ de ショップ・コム » Blog Archive » Celebrity Pet Wear(セレブリティ・ペット・ウェア)から勝手拝借/感謝です。

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年の内の句@新年の句を書き留めて年の内

俳句の功徳の一つは(言うまでもなく)季節感である。季節に多少鋭敏になったからといってなんかエエことあるんかと訊かれるとコマってしまうのだが、とにかく季節感である。
いや、時間感覚と言うべきか。時間感覚すなわち、いのちに鋭敏になるという有難味があるのである。Photo_441

そこで今朝の二句目。
 新年の句を書き留めて年の内

もう気分はお正月だ。まこと目出度き男かな。

 海苔買ふや年内二十日あますのみ  田中午次郎
 母子にて出る事多し年の内       岩木躑躅
 浪々の身にも年内余日なし       村山古郷

「年の内」は年内に片付けるべき仕事や正月の準備に追われつつも、「年の暮」よりはまだゆとりのある感じ。歳末のあわただしさよりも、一年を振り返る余裕さえ感じられる。とネット歳時記にある。さて、門松を立てようか。

※写真は年末年始・お正月用品-門松(大-1)・造花から勝手拝借/感謝です。1台 販売価格(5%税込)51,350なり。

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真理と正義は一致しない@スピノザ

信仰と科学とは両立するかという問題がある。
聖書に現れた奇蹟(たとえばキリストの復活)を科学的に説明できないから、非合理的な信仰は科学の立場からは否定せざるを得ないという問題である。
換言すると、正義(キリスト教は愛を正義とする宗教と言えるだろう)と真理(科学は真理を追求する営みである)とは一致するかという問題である。

この問題に対して、ひとつは(1)不合理故に我信ずという立場。理性は信仰に道を譲るべきとするものである。もうひとつは(2)奇蹟など聖書に現れた非合理はなんらかの比喩であるとして合理的に説明しようとする立場である。これは正義と真理は究極的に一致するという考え方である。神の存在を合理的に証明しようとしたデカルトもこれに属する。Photo_440

ところがここに第三の立場(3)スピノザがいる。彼はデカルトと同じ合理主義者でありながら、「理性は真理と叡智の領域を、神学は敬虔と服従の領域を」と主張して、信仰と科学とは次元が異なる→無関係だとした。

上野修「スピノザ―「無神論者」は宗教を肯定できるか」 は読みやすくわかりやすいスピノザの宗教思想入門書であった(同じ著者にスピノザの哲学入門書「スピノザの世界―神あるいは自然」があるようで現在図書館にリクエストし読書終了→肯定と赦しの哲学)。
著者によるとスピノザの信仰は「啓示宗教は真理を教えない。信仰は無知であってかまわない。よって、真理を知る者は宗教と信仰を肯定する」というものであった。つまり、正義と真理は一致しない。無関係だというのである。この過激な思想は、デカルト主義者からも無神論だとして非難を浴びたそうである。

さて、ここからが俺の哲学的妄想である。俺はかねてから世界の三層構造を提唱している。これに上のスピノザの宗教論を貼り合わせると世界の見取り図は下のようになる。

価値世界 ⇔ 論理世界 ⇔   事実世界
 価値      構造・モデル       事実のみ
 正義       真理            -
 信ずる      疑う         (味わう) 
           言語         経験
        ウィトゲンシュタイン  西田幾多郎

そうなのだ。事実世界(純粋経験)を出発点として、哲学は論理・モデルを語れ、思想は価値・倫理を語れ、思想と哲学は峻別せよ。なぜなら、哲学は疑うこと、思想は信ずるものなのだから。そして、疑うことと信ずることとは相反するのだから、真理と正義は一致しない。スピノザはこの単純な事実を指摘したにすぎないのである。

繰り返す。正義(思想)と真理(科学・哲学)は一致しない。両者が一致すると思うことから理性の暴走が始まり、思想を異にする人々への抑圧・弾圧・虐殺が発生するのである。革命と戦争の20世紀を思い出せばこのことは明らかである。また、アメリカ帝国主義は大量破壊兵器の存在を口実に正義(民主主義)をかざしてイラクを侵略したことを思え。

「人生いろいろ」とは「正義もいろいろ」ということである。大切なのは、正義は、そして真理も間主観的に構成されるべきものだということである。われわれの主観から独立して正義も真理も存在しているのではない。スピノザはそんな常識的なことを語ったのである。

ブログランキング「真理と正義は一致しない」に納得したらクリックをどうぞ。

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雪嶺の句@雪嶺やとりわけ日本富士の山

富士が好きだ。 Photo_439
昔、三年ほど三重県・津に暮らしていたことがある。冬のあるとき、急に富士が見たくなって車を飛ばして箱根まで来て、富士を見た。
もっとも、罰が当たったのか、雪でスリップした後ろの車に追突された。渋滞中だったのでバンパーがへこんだだけで済んだ。

そこで、今朝の句は富士の写生句(のつもり)。
 雪嶺やとりわけ日本富士の山

初案「雪嶺やわれらが誇り富士の山」(あれえ、こっちの方がいいかなあ)。
中七を「とりわけ・日本」と句割れ→下五に句跨り「日本富士の山」と読んで欲しい。いささか無理な注文だけれど。

 これを見に来しぞ雪嶺大いなる     富安風生
 雪山に何も求めず夕日消ゆ       飯田龍太
 雪嶺が遠き雪嶺よびつづけ       橋本多佳子
 雪の峰一人の家を一人發ち       岡本眸

富士の写生句挑戦、死ぬまで継続の所存である。

※画像は葛飾北斎『凱風快晴』を特別価格で販売【アート静美洞】から勝手拝借/感謝です。

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2006年12月25日 (月)

文字を大きく見やすくしました

アクセスカウンターの週単位棒グラフに数字が出ない件、原因判明(サイドバーの文字色defaultが白になっていたため)。
この対処をしていたら、文字をもっと大きくしようと思ってしまい、これもついでに実施しました。短歌が一行に入りきらないことがちょっと問題ですが、そんなことより読むのに肩が凝らないのがもっと大事です。

ということで一応ユニバーサルデザイン対応ブログ(のつもり)です。

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冬夕焼の句@ウィーンにも冬夕焼やアマデウス

今日の納めの句は「ウィーンにも冬夕焼やアマデウス」。Photo_438
毎日モーツァルトでウィーンの夕焼けの風景を見て、浮かんだ。

ところで、モーツァルトの埋葬はなぜ、共同墓穴に埋葬された。誰も霊柩車に同行せず、墓碑もないため、実際に埋葬された位置は不明という悲惨なものだったのだろうか。
妻コンスタンツェ悪妻説もあるが、反論可能との説もある。映画「アマデウス」を見ても謎のままである。ひょっとしたら伝染病が死因だったのかもしれない、それとも、フリーメーソンだったせいなのかなあ。

 寒夕焼じゃんけんぽんの石と紙     鷹羽狩行
 路地染めて何をもたらす寒夕焼     菖蒲あや
 冬夕映屋台に先客ありにけり      藤田弥生

菖蒲あやには「路地に生れ路地に育ちし祭髪」がある。富安風生の弟子である。

※写真はモーツァルトの妻、コンスタンツェ。モーツアルト、生誕を記念して|自分にやさしく 人にやさしく 地球にやさしくから勝手拝借/感謝です。

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セクシー、島田歌穂

BSでやっていた「みんなの好きなスタンダードジャズ」での島田歌穂+島健トリオの「チュPhoto_436 ニジアの夜」が素敵だなあ、と思って「島田歌穂」検索したら、なんやあ、島健と夫婦やったんかア。

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置炬燵の句@愚に生れて痴に老いむかな置炬燵

無害な人もときには愚痴をつく。Photo_435
そこで、今日の二句目は「愚に生れて痴に老いむかな置炬燵」。
「生れて」は「あれて」と読んで貰うと韻律にぴたりはまる。愚と痴の一応、対位法である。

 トラムプの崩れちらばる置炬燵      高浜虚子
 のぼせたる頬美しや置炬燵        日野草城
 置炬燵女ざかりもすぎにけり       山本欣求子
 愚にもどりたる母いとし置炬燵      浅井貴志女

実は今回の俺の句は浅井貴志女の句に想を得たものである(マネや)。学ぶとはまねぶなり、と強弁すなり。

※写真はYahoo!ジオシティーズ - 金八のちょっとした画像のある日記から勝手拝借/感謝です。「住つかぬ旅のこゝろや置炬燵」三遊亭金八。 

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奪われたい女、奪えない男

寅44作「寅次郎の告白」は言わば二部構成である。Photo_434
前半は泉(ゴクミ:満男の「彼女」)の葛藤のお話。しかし、これは彼女の下のような認識セリフで(とりあえずは)決着がつく。

泉 「名古屋の家を飛び出した時はね、あたしは、世の中で一番不幸せで、だれもあたしの気持ちなんか判ってっくれはしないと思っていたの。でも、田舎の町で、知らないお婆さんに親切にされたり、おじちゃまにばったり会って、すがり付いてわぁわぁ泣いたり、それに、砂丘の天辺からころころ転がってくる先輩、見てたりする内に、あたしはそれほど不幸せじゃないんだって、そう思えてきたの。」

そこで、問題は後半である。寅が昔訳ありの吉田日出子(一年前に夫水死して今は後家さんの料理屋女将)に再会し、あわや、という場面を満男がずっこけでぶち壊しにするのだが、泉が二人の将来について満男に質問する。下は、それに対する満男の答え(俺にとっては予想通りの答えなのだ)である。

満男 「あの伯父さんはね、手の届かない女の人には夢中になるんだけれど、その人が伯父さんのことを好きになると、慌てて、逃げ出すんだよ。もう今まで、何べんもそんなことがあって、その度に俺のお袋、泣いていたよ。『馬鹿ね、お兄ちゃんは』なんて言って。」
泉 「どうしてなの?どうして逃げ出すの?」
満男 「わかんねぇや。」
泉 「自分の伯父さんのことでしょう。どうして分からないの。」
満男 「つまりさぁ、綺麗な花が咲いているとするだろう。その花をそっとしておきたいな、という気持ちと、奪い取ってしまいたい気持ちが男にはあるんだよ。
泉 「ふぅーん。」

さくらの『馬鹿ね、お兄ちゃんは』というのもどういう意味なのか問題だが、泉の「ふぅーん。」は、もっと意味がわからない。つまり、寅のように躊躇う男の優しい心根が(さくら、泉のような)女には理解できないのではないだろうか。もっと言うと、女は奪われたい(或はそのフリをする)性だから、奪えない性=男の気持ちなんか理解不能ではないかと(乏しい経験の中から)俺は思うのだ。

こんところをもっと掘り下げて欲しかったのだけれど、ここで映画は、満男の投げた石が釣りをしていたオヤジに当たって二人は逃走するというつまらないギャグで逃げてしまう。
シナリオを書いたのは山田洋次・朝間義隆という男どもだから、所詮、耳には耳かき棒の気持ちは永久にわからないということにしておこう。

追記:夏木マリ(泉の母親)は今回は娘の優しさに嗚咽する。夏木マリ熱演嗚咽冬の薔薇

※画像は超快感耳かき棒 快太郎から勝手拝借/感謝です。

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山眠るの句@山眠る無害な人の無益な句

クリスマスイブも過ぎて今年も残るところ後一週間。Photo_433
思えばパソコンが三月に壊れたのが今年の全ての始まりであった。パソコンを買い換えてついでにようやくADSLにして、株、ブログ、俳句と激動(先物で大損)の一年であった。
アホやなあと今更ながら我が身を振り返るのである。

そこで今朝の句は「山眠る無害な人の無益な句」。
「私は貝になりたい」と出来もせず、する気もない言葉を洩らすのである。
なお、「山眠る」は『臥遊録』の「冬山惨淡として眠るが如し」によるとネット歳時記にある。

 日当りて母の墓ある山眠る       川島志げ
 山眠る如く机にもたれたり        高浜虚子
 浅間山空の左手に眠りけり       石田波郷
 筑波嶺は夫婦ながらに眠りけり    細川加賀

虚子の句がうまい。というか、発想が詩人である。行往坐臥全てに詩は発するのであろう。

※写真はCS[TBSチャンネル]|1番組詳細情報  私は貝になりたい(1958年版)より勝手拝借/感謝です。こんな大昔のドラマを再放送するんだと思ったらCSであった。

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2006年12月24日 (日)

冬林檎の句@冬林檎甘く酸つぱきキスをして

今日の投句納めは「冬林檎甘く酸つぱきキスをして」。Photo_432
さすがイブだ。街は午前中から人出が多い。人ごみは嫌いあなたが好き。

 病者あれば小さき幸欲し冬林檎     角川源義
 冬りんご吾子につむじの二つあり    鈴木沙万沙
 不平有らば壁に擲て寒林檎       日野草城

意外と冬林檎の句が少ない。今回の俺の句は月並み(以下)だけどもっと研鑽を積もう。

※画像はリンゴから勝手拝借/感謝です。   

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冬の雁の句@冬の雁名優老いて失禁す

たまたま眺めていたテレビでやっていたゴシップからヒントを得た句。Photo_431
 冬の雁名優老いて失禁す

実は(何を隠そう)俺がどんな老人になるのか、自分ながら楽しみである。その前に老人齢(65ぐらいかなあ)まで生きていることが前提であるが。

 誰かまづ灯をともす町冬の雁      飴山 實
 焼跡に仰げば寒の雁か         石田波郷
 馭者あふぐ見れば寒雁わたるなり   皆吉爽雨
 米負ひて知世子ならずや冬の雁    加藤楸邨

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玉井清弘

今年中には終らんかったなあ「一人一首」105歌人一首紹介駄文企画。
今日の玉井清弘が74人目。このところ俳句で熱中でペースも落ちている。一週一人としてあと30人で30週。連休前後に目出度く終了の見込みか。

さて、玉井清弘。2006年度香川県文化功労者という歌人である。

 夜の海をこえゆく船にうつりいるテレビ静かに火事うつしおり

俳句的感性が身につきはじめた証左なのか、短歌においてもまず取り合わせが目につくようになった。この歌でいえば「夜の海」「船」「テレビ」「火事」が取り合わせである。そしてなかんずく「静かに火事」である。
景を表現して情に訴える。まさにそのお手本のような歌がこの歌だ。夜のフェリーのテレビに火事のニュースが映し出されている。しかも音声は低く、もともと乗客も少ない上に、テレビ画面に関心を寄せる人もいない。そんな情景である。
ここから何を受け取るかは読者に任されている。短歌も俳句もすべからく一行詩は省略という基礎の上に成立しているのである。

この作者の自撰五十首にもこのような地味かつ滋味な歌が並んでいる。繰り返し読んでも飽きない一行詩、それが名句秀歌である。

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クリスマスの句@花屋、デパート、ベゴニア

かねて用意の三句なり。Photo_430
 改札の隣は花屋クリスマス
 デパートに一句を得たり降誕祭
 店先にベゴニア紅き聖夜かな

ついでに短歌も一首。
 売上げにクリスマスソング貢献はいかほどなりやデパート散歩

ちなみに俺はキリスト教の保育園に通った。クリスマスのお祝いの劇で子羊の役をしたことを微かに記憶している。感化されやすいたちなので「汝の隣人を愛せよ」と周囲を説いていたらしい(ホンマかいな)。

 聖菓切るキリストのことなど何も知らず      山口波津女
 クリスマス妻のかなしみいつか持ち        桂 信子
 美容室せまくてクリスマスツリー          下田実花
 手話の手に席譲られし聖夜             横山睦子

今年のイブは日曜日。だから、外需ではなく内需で潤う小売店。
イブ、春支度そして歳晩で一年は暮れる日本かな。

※画像は受胎告知から勝手拝借/感謝です。

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真っ向勝負だよ、安倍ちゃん

今朝の一句は「新政権ええとこなしのクリスマス」。

これじゃあ、来夏参院選敗北必死。
そこで我に秘策あり。それは「真っ向勝負だよ、安倍ちゃん」である。Photo_429

小泉政権が成功したのは、ひとつは劇場型政治で人気を博したことだ。
でもそれは純ちゃんのあの個性(例:人生いろいろ)あってのもの。それを現首相のキャラに求めてもしようがない。
もうひとつ小泉成功の要因(とりわけ郵政選挙勝利)は、「国民に信を問うたこと」である(国会の結論が郵政民営化必要無いという判断を下された。私は本当に国民の皆さんがこの郵政民営化必要無いのか?国民の皆さんに聞いてみたいと思います)。

郵政民営化の是非は別にして、この言葉は国民の心を捉えた。国民の多くは「この指導者は率直に発言している。俺たち国民を信頼してくれている」と感じたのである(俺みたいな少数派ひねくれ者は例外)。

この手口を安倍ちゃんには率直に真似てもらいたい。
すなわち、来夏参院選を年金消費税選挙に是非ともして欲しいということだ。

「このままでは年金破綻するので消費税を上げるしかない。消費税上げで一時的に景気がダウンすることはあるが、歳出削減をこれだけ削減する(弾道ミサイル止めるでもなんでもイイ)から財政健全化→年金は安心。国民の方は安心して消費して下さい。そうすればデフレに逆戻りせず法人税も増えて財政はますますよくなる。私を信じて下さい」と真っ向勝負するのである。

でも、あかんやろなあ。安倍ちゃんの最大の問題点は優柔不断ではなく(それは慎重ということでもある)、問題から逃げようとするその姿勢にある。昨日の日経安倍政権検証記事を読んでも消費税の問題は来夏以降に先送りしたいようなのだ。
それでは困る。このままでは政権に浮揚力は発生せず景気・株価は低迷。俺の含み損が拡大する。
頼むから安倍ちゃん、真っ向勝負して国民を安心させてくれ。国民の不安は雇用と年金。この不安を解消したら景気は更に拡大する。逃げるな安倍ちゃん。

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2006年12月23日 (土)

縦書き文庫リニューアル

縦書き文庫のビューアーがリニューアルされてかっこよくなった。
俺の句歌が立派に見え過ぎて自己評価を誤らせる要因となるのがちょっぴり問題と思うほどである。

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映画「ザ・ハリケーン」は素敵な名画

BS2でやっていた映画「ザ・ハリケーン」をビデオ収録し、昨夜一気に観た(眠り込まずにPhoto_30 俺が観るというのは稀有である)。

元プロボクサー終身囚ルービン・'ハリケーン'・カーターの冤罪を晴らす不屈の戦いの映画である。主演はデンゼル・ワシントン、監督は「夜の大走査線」のノーマン・ジュイソン。おお、「月の輝く夜に」もジュイソンの作品であったか。我が歌「人生って月に憑かれしピエロかな輝く夜に星屑が降る」をこの映画で得たり。

銭ゲバ=アメリカ帝国主義は嫌い。しかし、正義を臆面なく堂々と語りそれで儲けるアメリカは素晴らしい。DVDにダビングし冥土土産にせむ。アスリートは文学哲学映画音楽等の才人よりも、ある意味真理に近づいている存在なのでは?にも同感する素敵な映画だった。※日本にも袴田事件という冤罪らしき事件があることを思い出させてくれた。

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「人生論」のネタ元

そうそう、ネタ元を自白するのを忘れていた。
 炬燵ぬくしさかしら顔の人生論    清水美登

この句がまだ脳裏にあったから「小さき脳の人生論」が起きぬけに浮かんだのだろう。単純なのた、俺って。

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おお、堂々ベストスリー入り

FC2ブログランキング短歌の部で3位なり。

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冬の蠅の句@冬の蠅小さき脳の人生論

昨日、映画「ハリケーン」(名画なり。別途記事予定)を観ていたので今朝の起床は5時半だった。このぐらいに起きればようやく人並みの早起きといえるだろう。
さてそこで、今朝の句は秀句である(俺が言わなきゃ誰が言う)。
 冬の蠅小さき脳の人生論

昨日の起き抜けに中七下五を得た。やっぱり俺はこういう路線(人事句、語呂合わせに近い観念句)なのかなあ。短歌と同じだ。
ところで「はえ」に「蠅」と「蝿」あり。ネット国語辞典では「蠅」と表記されている(ネット歳時記、手元の角川合本歳時記も同じ)。まあ、どちらも当用漢字表には無いようなので、使 用者の趣味・気分の問題か。
Photo_428
 老衰といふ死に方や冬の蠅      富安風生
 職替へてみても貧しや冬の蝿     安住 敦
 日のあたる硯の箱や冬の蠅      正岡子規
 冬の蠅逃がせば猫にとられけり     一茶

子規の句がいい写生句だなあ。観念句は写生句に遠く及ばない。
子規が使った硯箱はどんなものだったろうか。写真は大阪教材社から勝手拝借、\5670なり。

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2006年12月22日 (金)

冬至湯の句@冬至湯のたつぷり溢る女体かな

今日の投句納めは(お陰さまで)色事句。Photo_427
 冬至湯のたつぷり溢る女体かな

実は、「女体」は復本一郎「俳句とエロス」に引かれている日野草城の句に刺激を受けたものである。たとえば「ちちろ虫女体の記憶よみがへる」などという句があるのである。
こうした俳句の領域を開拓しようとする草城は花鳥諷詠を提唱する高浜虚子によって「ホトトギス」から除籍される(戦後、草城晩年になってから許された)。
思うに、俳句は自然詠と人事詠を両輪とするものであるが、人事において性、エロスの問題は避けがたい。また、自然も結局根元はいのちに帰するのだから、ここにおいても性に突き当たるのだ。
という訳で一日一句色事句。さていつまで(能力・年齢)継続できるだろうか。

 白々と女沈める柚子湯かな       日野草城
 柚子風呂に妻をりて音小止みなし    飴山 實
 匂ひ艶よき柚子姫と混浴す        能村登四郎
 柚子湯出て慈母観音のごとく立つ    上田五千石

※画像はDN -東京アートレビュー -02 モネ、ルノワールと印象派展から勝手拝借/感謝です。

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極月の句@極月の殺人事件ご近所に

テレビニュースで我が市の名前を聞くと、どうしても耳をそばだててしまう。昨日の事件のPhoto_425 ニュースがそうだった。そんなに近くではないけれど車で5分。我が町、我が国は別格という訳にはいかない。黴菌はあちこちにうようよいるし、人はちょっとしたことで過ちを犯すのだから。
 極月の殺人事件ご近所に

初案「年の瀬や」だったが、歳時記を見るとまだ早すぎるようなので「極月の」にした。人それぞれに事情あり、追いつめて追いつめられて極まりぬ。

 極月の人々人々道にあり         山口青邨
 病む師走わが道或はあやまつや    石田波郷
 極月のくらやみに山羊鳴きにけり    安住 敦
 大空のあくなく晴れし師走かな      久保田万太郎

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俳句ランダム表示を始めました

やっぱりやってしまった俳句のランダム表示。せめて年明けからと思っていたのに、このこらえ性のなさです。ついでに、サイドバーの配置(カテゴリー、バックナンバー、アクセスカウンター)も変えました。

アクセスカウンターにマウスカーソルを当てると過去一週間のグラフにアクセスカウントが表示される仕様となっている筈なのに、カウント数字が表示されません。しようがないので前日、当日の数字を表示するように現在は指定しています。

一週間経ったら、数字が表示されるようになるのかなあ。そのうちやってみます。

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柚子湯の句@柚子湯立つ無精髭など剃らむかな

今日は冬至。明日からはいよいよ日が長くなる(暮れが遅くなる)。「日脚伸ぶ」などというPhoto_424 季語も年明けて一月中旬になれば使えるか。
そこで今朝の句は予ねて用意の柚子湯の句。
 柚子湯立つ無精髭など剃らむかな

毎朝、投句してから