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2006年12月

2006年12月31日 (日)

第九@上岡 敏之

初めて聞く名前の指揮者だったけど、BS2放送を聴いた。Photo_459
少しアップテンポが小気味よく、第四楽章導入部はゆったりと、という具合にメリハリが効いて聴かせる指揮者だ。
例によってネット検索すると、上岡敏之という指揮者を知っていますか??に出会った。ピアニストでもあるらしい。
いずれにせよ、この第九は宝物となった。当然、冥土土産DVDにせむ。

※写真が上岡 敏之。深夜の音楽会から勝手拝借/感謝です。

追記:毎日モーツァルトの後継みたいな番組ぴあのピアが1/8からスタートするそうだ。ビデオに録らなくっちゃ。

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除夜の鐘の句@幸福も不幸も夢よ除夜の鐘

今年最後の句は「幸福も不幸も夢よ除夜の鐘」。Photo_458

とはいえ、不幸にならないように出来るだけの算段は尽くす。その上で諦観する。生きていることだけでさえ僥倖なのだから。

読んでくれているあなたに感謝です。ご健勝とご多幸を。

 町と共に衰へし寺や除夜の鐘      高浜虚子
 除夜の鐘撞きに来てゐる鳥羽の僧   高浜年尾
 おろかなる犬吠えてをり除夜の鐘    山口青邨
 わが撞きてわが音として除夜の鐘    加倉井秋を

もう一句できてしまった。煩悩もすべてわがこと除夜の鐘 

※写真は身延のイベント写真帖から勝手拝借/感謝です。

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行年の句@盛り場の紅灯懐かし年流る

閉門蟄居の今は外で飲むことは全く(と言っていい)無い。お湯割り三杯で陶然とし眠ってPhoto_457 しまうよい子である。でも、たまには歌いたいなあ「リバーサイドホテル」。
そこで三句目は「盛り場の紅灯懐かし年流る」。

初案「紅灯と縁を断ち切り年ぞ逝く」から本句に至るまでは七転八倒。結局、自分の気持ちを素直に「懐かし」と詠うことにした。俳句も詠嘆である。

 よく遊びよく働きし年送る       鈴木真砂女
 年は唯黙々として行くのみぞ     高浜虚子
 年逝くとしづかに満たす甕の水    桂 信子
 行く年を母すこやかに我病めり    正岡子規

※画像は@GEHA(アゲハ)---歌舞伎町商店街振興組合ホームページから勝手拝借/感謝です。

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除夜の句@年の夜やみんな仲良く歳をとる

二句目は「年の夜」で。Photo_456
 年の夜やみんな仲良く歳をとる

ブッシュさんも安倍さんも金さんも。時間だけは平等だ。フセインさんは昨日、歳をとらないようにされてしまった。「フセインに死刑執行年ぞ逝く」という句をつくった。

 空襲の乱打の鐘を思ふ除夜      三橋敏雄
 積雪に月さしわたる年の夜       飯田蛇笏
 年の夜や人に手足の十ばかり      去来
 わが家のいづこか除夜の釘をうつ   山口誓子

去来の句が面白くそして悲しい。をかしくあはれな句がいいなあ。鍛錬鍛錬。

※画像はB級ブログ  『チーム・アメリカ』のご紹介から勝手拝借/感謝です。

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除夜の句@除夜妻に急かされて居る厠かな

とうとう大晦日。予ねて用意の大晦日向けの句、まず一句。Photo_455
 除夜妻に急かされて居る厠かな

こないだ歳時記を持ち込んで冬ごもりしていたときの実景だ。ただし、下の森澄雄の句を本歌取りさせてもらい、除夜とした。

 除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり      森 澄雄
 年の夜やめざめて仰ぐ星ひとつ      石田波郷
 ひとりひとりこころにありて除夜を過ぐ   桂信子 
 年の夜やもの枯れやまぬ風の音     渡辺水巴

「除夜」と同じ意味(大晦日の夜)の季語が「年の夜」。二句目は「年の夜」で詠んだ(次の記事に続く)。

※画像は清河宗翠『水浴び』を特別価格で販売【アート静美洞】から勝手拝借/感謝です。 

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表示されたあ

OKになった。なんの問題もなさそうだ。
いったい、なんだったんだろお。この神隠し。

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うわあ、記事がなんにも表示されない!

試しに書き込んでみたけど。

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2006年12月30日 (土)

歳晩の句@歳晩や寝床でほぐす夫婦仲

短歌と違って俳句のいいところは、一般論句とか虚構句を作りやすいことだ。Photo_454
思うに、徹底的に私歌である短歌では一般論・虚構を詠いにくい。その点、俳句は<私>から距離を置き易いのである(と俺が勝手に思っているだけなのかもしれない)。そこで今日の投句納めの句。
 歳晩や寝床でほぐす夫婦仲

俳句のつもりでもこれは川柳だろう。俳句(たとえ虚構句想像句であっても)と川柳の違いは、作者の生活の中から生まれたか否かにあると思う。ときどき俺は川柳句が俺の落ち着きどころではないかと思ったりする。たかだか百二十ぐらいしかひねっていないけれど。

 歳晩やトラック滴るまで洗ふ     山口誓子
 歳晩や火の粉豊かの汽車煙    中村草田男
 赤い灯のともり揃つて年暮るる   角川源義
 小鳥屋は小鳥と居たり年の暮    林 翔

生活の中から出た句かどうかが、詩になっているか否かの分岐点だ。反省。

※写真は瀬戸内寂聴。今年の紅白の特別審査員を務めるそうだ。第57回 NHK紅白歌合戦から勝手拝借/感謝です。

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冬籠の句@厠にて歳時記研究冬ごもり

「冬籠り」の句を前から得たいと思っていたのだが、まさかトイレで実現するとは思わなんPhoto_453 だ。
 厠にて歳時記研究冬ごもり

俺の人生の中で最も日本近代化・富裕化を実感するのは、水洗ウォッシュレットである。今の子供たちは(若者も)昔の汲み取り便所を実感できないだろう、ざまあみろ。

他方、目を世界に転ずると、世界人口の半数がトイレにアクセスできない環境で生活しており、東南アジアでのトイレ普及率はサハラ以南アフリカと同程度に低く、3人のうち2人が、そして、南アジア人口の半数がトイレにアクセスできない状態だということです。だそうだ。水資源のことを考えると、水洗よりもバイオトイレの方が望ましいともいう。

やっぱり今は恵まれすぎているのかなあ。でも、清潔・安全・自由かつ公正なこの社会をなんとか守ろう(少なくとも俺が生きている間は)。

 死んでゆくものうらやまし冬ごもり   久保田万太郎
 嘘詠まじと詠む句の嘘や冬篭      富安風生
 身ほとりに死神を飼ひ冬籠        小林康治

こういう句を読むと俺の句はアサハカで、なんと俺はアホウかと思う。しかしそれでも、句集に入れるのである。ちなみに、小林康治には「湯豆腐やおほかたは世に入れられず」という句がある。

※写真はマイレージジャンキー 時々 「鉄」 から勝手拝借/感謝です。

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年の瀬の句@年の瀬や博打も止めて節酒して

歳時記を見ると、◇「歳晩(さいばん)」 ◇「年末」 ◇「歳末」 ◇「年の瀬」 ◇「年の果」 ◇「年の終」 ◇「年の残り」 ◇「年尽く」 ◇「年果つ」 ◇「年つまる」 が、「十二月も押しつまったころをいう」として全て一つの季語単位「年の暮」で括られている。
一方、「行年」には、「流れるように過ぎ去ってゆく年をいう」として◇「年逝く」 ◇「年歩む」 ◇「去ぬる年(いぬるとし)」 ◇「年送る」 がある。

なるほど、とは思うけど、「年の暮」「歳晩」「年の瀬」は語感が違うと俺は思う。
そこで今朝の句は「年の瀬や博打も止めて節酒して」。
Photo_452
なんとか節酒も続けられている。昨夜もビール一缶で済んだ。それに加えて、水割りからお湯割りに焼酎の飲み方を変えたから焼酎を飲む時でも5杯→3杯となったので、消費量は愕然と減っただろう。健康にも経済にもよろしい。健全な人生の終末に向けて俺は着々と歩んでいるのである。

 年の瀬や浮いて重たき亀の顔     秋元不死男
 年を以って巨人としたり歩み去る    高浜虚子
 何かしら遠し遠しと年暮るる       富安風生

俳句の巨人たちの年末象徴句である。秋元の句、よくわからねど心に残る。秋元には他に「ライターの火のポポポポと滝涸るる」がある。全ての景は人生の象徴である。

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2006年12月29日 (金)

竈猫の句@愛よりもお金が好きよかまど猫

ええい、人生一寸先は闇。行ってしまえ、今日の投句納め。Photo_451
 愛よりもお金が好きよかまど猫

これは季語から先に生まれた。なんとか「かまど猫」で一句をと昨日ひねった句である。なにい、発想が類似的だってえ。そうか、そうだったね。同情するなら金をくれ。

 何もかも知つてをるなり竈猫       富安風生
 閑居とはへつつひ猫の居るばかり   阿波野青畝

この季語は風生の上の句によって季語として定着した。かまど、へっついが無くなっても観念的存在(比喩)として使われ続けるのではなかろうか。俺の句のように。

※画像は常滑焼 総合卸 ヤマタネの紹介から勝手拝借/感謝です。 

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年用意の句@年用意はやされて買ふプレミアムビール

今朝は早々に二句目。Photo_450
 年用意はやされて買ふプレミアムビール

普段は第三のビールのどごし<生>なのだけれど、たまに、プレミアムビールを飲むとやっぱり旨い。しかし、値段が倍近い開きがある。それだけの違いかというと疑問だけれど、正月ぐらいはと思って買うだろう多分。「はやされて買ふ」と人のせいにして。

 年用意よき鰹節を選びけり       山本蓬郎
 しづかなるくらしの中の年用意     小原牧水
 夕映の妻にしたがふ年用意       笹川正明

アサヒかエビスかサントリーか。実績のあるアサヒだろうなあ。泡が細かいのが売りだとか。

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年の暮の句@検察が株価決めたる年の暮

パソコン壊れて買い換えて、ついでにADSLにして環境が整ったのが運の尽きだった。
株にはまって遂には先物で大火傷。しかしまあオモロイ年ではあった。
そこで今朝は相場回顧の句。
 検察が株価決めたる年の暮

世間のバブル気分(拝金風潮)を砕き相場を冷やす効果はあったけれど、国策捜査はちよっとやり過ぎだったようにも思う。まあ、裁判官と検察官はお友達だからホリエモン、村上両氏とも無罪にはならないだろうけれど。
ついでに同時作短歌。

 先物の心の傷は深けれど三月もすれば治癒する我よ

敗戦後しばらくは現物持ち株をチェックする気も起こらなかったが、先日、住友重機械を利食い、いまはコマツ、ダイキンがようやく利が乗ったのをどうしようかと思っている。年度末にかけてもう一段の相場上昇はありそうだけれど安倍政権が不安要素だ。そういえば、昨日のテレPhoto_449 ビは小泉再登場待望論を伝えていた。武部グループ発足等の動きの裏には飯島秘書が動いているんだって(ということは純ちゃんにもその気があるということだ)。
問題は年金・消費税・雇用(含む若者対策)の三点セットなのに、小泉再登場、劇場政治でまたごまかされるのか。

 年くれぬ笠着て草鞋はきながら     芭蕉
 歳晩や火の粉豊かの汽車煙      中村草田男
 拍手してみんな留任年の暮       松倉ゆずる
 忘れゐし袂の銭や年の暮        吉田冬葉

最後の句が面白い。神は生活の細部に宿り給う。

※写真が飯島秘書。神奈川県議会議員 土井りゅうすけから勝手拝借/感謝です。

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2006年12月28日 (木)

数へ日の句@数へ日のひいふうみいと恋のかず

今日の投句納めは今朝のWalkで得た句。Photo_448
 数へ日のひいふうみいと恋のかず

手元の角川合本歳時記に季語「数へ日」は無い。もっとも、平成6年発行とかなり古いからなあ。そこで検索してみたけれど、いつごろ誰が使い出した季語なのかわからなかった。
それはともかく、この句、気に入っている。洒脱色気路線と俺は形容したい。

 数へ日の欠かしもならぬ義理ひとつ     富安風生
 数へ日の芝居にうつつぬかしけり       小澤登代
 数へ日や死の日まで積む文学書       金久美智子
 野火止に数へ日の水流れたり        伊藤三十四

「数へ日」は、また来年使うだろう。清新な季語である。

※画像は「指が月をさすとき、愚者は指を見る」~メディアを考えるから勝手拝借/感謝です。芭蕉の有名な句に「稲妻に悟らぬ人の尊さよ」があるそうだ。知らなんだ。

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忘年の句@音楽も俳句も愉し年忘

今年は「哲学と俳句に没頭冬の虫」であった。
そして「短歌脳哲学脳に俳句脳能なしなれど脳三個あり」で忘れていたのが音楽脳。四個も脳があるのに能なしとはこれ如何に。やっぱり努力が足らんのや、嗚呼「権力と権威・強制嫌ひなり努力もせずにまた夏が来る」。Photo_447

そこで二句目は「音楽も俳句も愉し年忘」。
お陰さまで、毎日が日曜日である。

 老はいや死ぬこともいや年忘    富安風生
 ひそやかに女とありぬ年忘     松根東洋城
 座持ちよき一人失ひ年忘れ     能村登四郎
 年忘れ最も老を忘れけり       富安風生

ちなみに昔、職場で流行ったひとこと。「許そう、でも忘れはしない」。

※画像はDVDジャンル別リアルタイム価格情報 許されざる者から勝手拝借/感謝です。

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春支度の句@勤勉なA型妻よ春支度

今日が官庁仕事納め。民間企業はまちまちだろうけれど、今日のところも多いだろう。毎Photo_446 日が日曜日の俺には無縁な話だけれど。
そこで今朝の句は「勤勉なA型妻よ春支度」。

春支度といっても大掃除とおせち料理の準備ぐらいかなあ。コンビニは開いてるしスーパーも2日から営業するし、昔のお正月の雰囲気は無い。あ、テレビの年末年始番組をyahooでチェックとしかなくちゃ。

 年用意靄あたゝかき日なりけり  久保田万太郎
 掛け替へし襦袢の襟も春支度   牧野右太代
 年用意利尻昆布の砂おとす     細見綾子

昆布で連想したけれど、だしは関東は主に鰹節、関西は主に昆布。その理由はなんだろうと検索してみたら、1つは江戸時代の昆布の普及具合。昆布の名産は北海道なのですが、当時の運搬技術では太平洋を渡り、関東へ船で行くのは困難だったことから、関西を中心に普及したそうです。そのため関東では他の方法でだしを取る必要があったわけですね。に出会った。もう一つは水質の違いだそうだ。賢くなったなあ。

写真はなだ万のおせち。15750円で既に完売とのことだ。

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2006年12月27日 (水)

埋火の句@埋火や生涯口に出せぬ事

今日の投句納め。Photo_445
 埋火や生涯口に出せぬ事

「埋火」は「うづみび」と読む。「灰の中に埋めた炭火のこと。火力調整や不要になったときに灰中に埋めるが、芯は燃えている。心中に情熱を秘めていることもさす」とネット歳時記にある。寡黙な俺にはこれ以上付け足すこともない。

 今日誰も来ず埋火の灰と化す   鹿山隆濤
 埋火や胸あたたむる人の言     林 翔
 埋火を掻いてひと日の悔多き    山口草堂
 埋み火や壁には客の影法師     芭蕉

※写真は森川緑ニュース 出来事04-07-12 アーカイブから勝手拝借/感謝です。

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春支度の句@春支度粗大ゴミにはできぬ人

日経一面連載「ネットと文明」の今朝の記事は「押し寄せる団塊 世代融合か過剰発信Photo_444 か」は退職した団塊世代がどっと参入してブログ市場急拡大、冗舌ブロガー輩出か、と書いていた。世代融合は無いだろう、過剰発信に決まっとるやんと寡黙な俺は思うのである。そこで今朝の二句目。
 春支度粗大ゴミにはできぬ人

関連川柳で「愛してるあなたの貰う年金を」もある(俺の作ではない)。
団塊よ、市場は君たちを待っている。とりあえずは株屋、銀行、いずれは老人ホーム等介護関連産業。そういえばコムスン、介護報酬を過大請求…返還要求へとのニュースもあり。

 春支度京のしきたり嫁しるや     風間さく
 春支度すみたる庭に雨ぬくく     上林まさ女
 何にでも老のかけ声年用意      小松月尚

※写真は千葉県環境研究センターより勝手拝借/感謝です。

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ようやくスパム対策実施

1月16日(火)15:00 ~ 1月17日(水)15:00のココログメンテナンスでようやくスパム・コメント・フィルター機能が手当てされるようだ。前回メンテで失敗しているからなあ。今回は間違いなく頼んまっせ。

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水仙の句@水仙や海に向かひて風を受く

なぜかしら水仙が好きだ。知っている数少ない草花のうちの一つだからだろうか。Photo_443
そこで今朝の句は「水仙や海に向かひて風を受く」。

さて、海に向かって風を受けているのは水仙だろうか、作者だろうか。主語が無くても言葉が成立する日本語ならではである。このような日本語だからこそ西田幾多郎の純粋経験(「色を見、音を聞く刹那」主客未分の刹那)が受け入れやすいのだと思う。
それはともかく、この句、詩になり損ね、ひねりのない句である。記録として句集に入れておく。 

 水仙やカルテ一葉死へ急ぐ      川畑火川
 次の間といふうすやみの水仙花   鷲谷七菜子
 水仙や寒き都のこゝかしこ        蕪村
 水仙の香やこぼれても雪の上     千代女

「ナルシスが水面に映る自らの美貌に見とれて動かず、とうとうスイセンになったになったというギリシャ神話を思い出させる」とネット歳時記にある。そうか、知らなんだ。

※写真は爪木崎のページから勝手拝借/感謝です。爪木崎の水仙は5~6分咲きといった具合だそうである。

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2006年12月26日 (火)

着ぶくれの句@着ぶくれてお犬様行く散歩道

価値観さまざま、人生いろいろです。とやかく言わず句にしました。Photo_442
 着ぶくれてお犬様行く散歩道

タバコを吸いながら犬を連れて散歩のオジサンに出会ったら、「おはようございます」と挨拶をしております。あ、ウソだった。挨拶をする相手は大抵オバサンでした。男は無口がいいのです。

 着ぶくれて人間本来怠けもの        富安風生
 着ぶくれて捨て上手にはなれませぬ    鈴木華女
 着ぶくれて自分の足につまづけり      矢崎康子

※写真はアメリカ de ショップ・コム » Blog Archive » Celebrity Pet Wear(セレブリティ・ペット・ウェア)から勝手拝借/感謝です。

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年の内の句@新年の句を書き留めて年の内

俳句の功徳の一つは(言うまでもなく)季節感である。季節に多少鋭敏になったからといってなんかエエことあるんかと訊かれるとコマってしまうのだが、とにかく季節感である。
いや、時間感覚と言うべきか。時間感覚すなわち、いのちに鋭敏になるという有難味があるのである。Photo_441

そこで今朝の二句目。
 新年の句を書き留めて年の内

もう気分はお正月だ。まこと目出度き男かな。

 海苔買ふや年内二十日あますのみ  田中午次郎
 母子にて出る事多し年の内       岩木躑躅
 浪々の身にも年内余日なし       村山古郷

「年の内」は年内に片付けるべき仕事や正月の準備に追われつつも、「年の暮」よりはまだゆとりのある感じ。歳末のあわただしさよりも、一年を振り返る余裕さえ感じられる。とネット歳時記にある。さて、門松を立てようか。

※写真は年末年始・お正月用品-門松(大-1)・造花から勝手拝借/感謝です。1台 販売価格(5%税込)51,350なり。

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真理と正義は一致しない@スピノザ

信仰と科学とは両立するかという問題がある。
聖書に現れた奇蹟(たとえばキリストの復活)を科学的に説明できないから、非合理的な信仰は科学の立場からは否定せざるを得ないという問題である。
換言すると、正義(キリスト教は愛を正義とする宗教と言えるだろう)と真理(科学は真理を追求する営みである)とは一致するかという問題である。

この問題に対して、ひとつは(1)不合理故に我信ずという立場。理性は信仰に道を譲るべきとするものである。もうひとつは(2)奇蹟など聖書に現れた非合理はなんらかの比喩であるとして合理的に説明しようとする立場である。これは正義と真理は究極的に一致するという考え方である。神の存在を合理的に証明しようとしたデカルトもこれに属する。Photo_440

ところがここに第三の立場(3)スピノザがいる。彼はデカルトと同じ合理主義者でありながら、「理性は真理と叡智の領域を、神学は敬虔と服従の領域を」と主張して、信仰と科学とは次元が異なる→無関係だとした。

上野修「スピノザ―「無神論者」は宗教を肯定できるか」 は読みやすくわかりやすいスピノザの宗教思想入門書であった(同じ著者にスピノザの哲学入門書「スピノザの世界―神あるいは自然」があるようで現在図書館にリクエストし読書終了→肯定と赦しの哲学)。
著者によるとスピノザの信仰は「啓示宗教は真理を教えない。信仰は無知であってかまわない。よって、真理を知る者は宗教と信仰を肯定する」というものであった。つまり、正義と真理は一致しない。無関係だというのである。この過激な思想は、デカルト主義者からも無神論だとして非難を浴びたそうである。

さて、ここからが俺の哲学的妄想である。俺はかねてから世界の三層構造を提唱している。これに上のスピノザの宗教論を貼り合わせると世界の見取り図は下のようになる。

価値世界 ⇔ 論理世界 ⇔   事実世界
 価値      構造・モデル       事実のみ
 正義       真理            -
 信ずる      疑う         (味わう) 
           言語         経験
        ウィトゲンシュタイン  西田幾多郎

そうなのだ。事実世界(純粋経験)を出発点として、哲学は論理・モデルを語れ、思想は価値・倫理を語れ、思想と哲学は峻別せよ。なぜなら、哲学は疑うこと、思想は信ずるものなのだから。そして、疑うことと信ずることとは相反するのだから、真理と正義は一致しない。スピノザはこの単純な事実を指摘したにすぎないのである。

繰り返す。正義(思想)と真理(科学・哲学)は一致しない。両者が一致すると思うことから理性の暴走が始まり、思想を異にする人々への抑圧・弾圧・虐殺が発生するのである。革命と戦争の20世紀を思い出せばこのことは明らかである。また、アメリカ帝国主義は大量破壊兵器の存在を口実に正義(民主主義)をかざしてイラクを侵略したことを思え。

「人生いろいろ」とは「正義もいろいろ」ということである。大切なのは、正義は、そして真理も間主観的に構成されるべきものだということである。われわれの主観から独立して正義も真理も存在しているのではない。スピノザはそんな常識的なことを語ったのである。

ブログランキング「真理と正義は一致しない」に納得したらクリックをどうぞ。

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雪嶺の句@雪嶺やとりわけ日本富士の山

富士が好きだ。 Photo_439
昔、三年ほど三重県・津に暮らしていたことがある。冬のあるとき、急に富士が見たくなって車を飛ばして箱根まで来て、富士を見た。
もっとも、罰が当たったのか、雪でスリップした後ろの車に追突された。渋滞中だったのでバンパーがへこんだだけで済んだ。

そこで、今朝の句は富士の写生句(のつもり)。
 雪嶺やとりわけ日本富士の山

初案「雪嶺やわれらが誇り富士の山」(あれえ、こっちの方がいいかなあ)。
中七を「とりわけ・日本」と句割れ→下五に句跨り「日本富士の山」と読んで欲しい。いささか無理な注文だけれど。

 これを見に来しぞ雪嶺大いなる     富安風生
 雪山に何も求めず夕日消ゆ       飯田龍太
 雪嶺が遠き雪嶺よびつづけ       橋本多佳子
 雪の峰一人の家を一人發ち       岡本眸

富士の写生句挑戦、死ぬまで継続の所存である。

※画像は葛飾北斎『凱風快晴』を特別価格で販売【アート静美洞】から勝手拝借/感謝です。

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2006年12月25日 (月)

文字を大きく見やすくしました

アクセスカウンターの週単位棒グラフに数字が出ない件、原因判明(サイドバーの文字色defaultが白になっていたため)。
この対処をしていたら、文字をもっと大きくしようと思ってしまい、これもついでに実施しました。短歌が一行に入りきらないことがちょっと問題ですが、そんなことより読むのに肩が凝らないのがもっと大事です。

ということで一応ユニバーサルデザイン対応ブログ(のつもり)です。

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冬夕焼の句@ウィーンにも冬夕焼やアマデウス

今日の納めの句は「ウィーンにも冬夕焼やアマデウス」。Photo_438
毎日モーツァルトでウィーンの夕焼けの風景を見て、浮かんだ。

ところで、モーツァルトの埋葬はなぜ、共同墓穴に埋葬された。誰も霊柩車に同行せず、墓碑もないため、実際に埋葬された位置は不明という悲惨なものだったのだろうか。
妻コンスタンツェ悪妻説もあるが、反論可能との説もある。映画「アマデウス」を見ても謎のままである。ひょっとしたら伝染病が死因だったのかもしれない、それとも、フリーメーソンだったせいなのかなあ。

 寒夕焼じゃんけんぽんの石と紙     鷹羽狩行
 路地染めて何をもたらす寒夕焼     菖蒲あや
 冬夕映屋台に先客ありにけり      藤田弥生

菖蒲あやには「路地に生れ路地に育ちし祭髪」がある。富安風生の弟子である。

※写真はモーツァルトの妻、コンスタンツェ。モーツアルト、生誕を記念して|自分にやさしく 人にやさしく 地球にやさしくから勝手拝借/感謝です。

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セクシー、島田歌穂

BSでやっていた「みんなの好きなスタンダードジャズ」での島田歌穂+島健トリオの「チュPhoto_436 ニジアの夜」が素敵だなあ、と思って「島田歌穂」検索したら、なんやあ、島健と夫婦やったんかア。

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置炬燵の句@愚に生れて痴に老いむかな置炬燵

無害な人もときには愚痴をつく。Photo_435
そこで、今日の二句目は「愚に生れて痴に老いむかな置炬燵」。
「生れて」は「あれて」と読んで貰うと韻律にぴたりはまる。愚と痴の一応、対位法である。

 トラムプの崩れちらばる置炬燵      高浜虚子
 のぼせたる頬美しや置炬燵        日野草城
 置炬燵女ざかりもすぎにけり       山本欣求子
 愚にもどりたる母いとし置炬燵      浅井貴志女

実は今回の俺の句は浅井貴志女の句に想を得たものである(マネや)。学ぶとはまねぶなり、と強弁すなり。

※写真はYahoo!ジオシティーズ - 金八のちょっとした画像のある日記から勝手拝借/感謝です。「住つかぬ旅のこゝろや置炬燵」三遊亭金八。 

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奪われたい女、奪えない男

寅44作「寅次郎の告白」は言わば二部構成である。Photo_434
前半は泉(ゴクミ:満男の「彼女」)の葛藤のお話。しかし、これは彼女の下のような認識セリフで(とりあえずは)決着がつく。

泉 「名古屋の家を飛び出した時はね、あたしは、世の中で一番不幸せで、だれもあたしの気持ちなんか判ってっくれはしないと思っていたの。でも、田舎の町で、知らないお婆さんに親切にされたり、おじちゃまにばったり会って、すがり付いてわぁわぁ泣いたり、それに、砂丘の天辺からころころ転がってくる先輩、見てたりする内に、あたしはそれほど不幸せじゃないんだって、そう思えてきたの。」

そこで、問題は後半である。寅が昔訳ありの吉田日出子(一年前に夫水死して今は後家さんの料理屋女将)に再会し、あわや、という場面を満男がずっこけでぶち壊しにするのだが、泉が二人の将来について満男に質問する。下は、それに対する満男の答え(俺にとっては予想通りの答えなのだ)である。

満男 「あの伯父さんはね、手の届かない女の人には夢中になるんだけれど、その人が伯父さんのことを好きになると、慌てて、逃げ出すんだよ。もう今まで、何べんもそんなことがあって、その度に俺のお袋、泣いていたよ。『馬鹿ね、お兄ちゃんは』なんて言って。」
泉 「どうしてなの?どうして逃げ出すの?」
満男 「わかんねぇや。」
泉 「自分の伯父さんのことでしょう。どうして分からないの。」
満男 「つまりさぁ、綺麗な花が咲いているとするだろう。その花をそっとしておきたいな、という気持ちと、奪い取ってしまいたい気持ちが男にはあるんだよ。
泉 「ふぅーん。」

さくらの『馬鹿ね、お兄ちゃんは』というのもどういう意味なのか問題だが、泉の「ふぅーん。」は、もっと意味がわからない。つまり、寅のように躊躇う男の優しい心根が(さくら、泉のような)女には理解できないのではないだろうか。もっと言うと、女は奪われたい(或はそのフリをする)性だから、奪えない性=男の気持ちなんか理解不能ではないかと(乏しい経験の中から)俺は思うのだ。

こんところをもっと掘り下げて欲しかったのだけれど、ここで映画は、満男の投げた石が釣りをしていたオヤジに当たって二人は逃走するというつまらないギャグで逃げてしまう。
シナリオを書いたのは山田洋次・朝間義隆という男どもだから、所詮、耳には耳かき棒の気持ちは永久にわからないということにしておこう。

追記:夏木マリ(泉の母親)は今回は娘の優しさに嗚咽する。夏木マリ熱演嗚咽冬の薔薇

※画像は超快感耳かき棒 快太郎から勝手拝借/感謝です。

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山眠るの句@山眠る無害な人の無益な句

クリスマスイブも過ぎて今年も残るところ後一週間。Photo_433
思えばパソコンが三月に壊れたのが今年の全ての始まりであった。パソコンを買い換えてついでにようやくADSLにして、株、ブログ、俳句と激動(先物で大損)の一年であった。
アホやなあと今更ながら我が身を振り返るのである。

そこで今朝の句は「山眠る無害な人の無益な句」。
「私は貝になりたい」と出来もせず、する気もない言葉を洩らすのである。
なお、「山眠る」は『臥遊録』の「冬山惨淡として眠るが如し」によるとネット歳時記にある。

 日当りて母の墓ある山眠る       川島志げ
 山眠る如く机にもたれたり        高浜虚子
 浅間山空の左手に眠りけり       石田波郷
 筑波嶺は夫婦ながらに眠りけり    細川加賀

虚子の句がうまい。というか、発想が詩人である。行往坐臥全てに詩は発するのであろう。

※写真はCS[TBSチャンネル]|1番組詳細情報  私は貝になりたい(1958年版)より勝手拝借/感謝です。こんな大昔のドラマを再放送するんだと思ったらCSであった。

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2006年12月24日 (日)

冬林檎の句@冬林檎甘く酸つぱきキスをして

今日の投句納めは「冬林檎甘く酸つぱきキスをして」。Photo_432
さすがイブだ。街は午前中から人出が多い。人ごみは嫌いあなたが好き。

 病者あれば小さき幸欲し冬林檎     角川源義
 冬りんご吾子につむじの二つあり    鈴木沙万沙
 不平有らば壁に擲て寒林檎       日野草城

意外と冬林檎の句が少ない。今回の俺の句は月並み(以下)だけどもっと研鑽を積もう。

※画像はリンゴから勝手拝借/感謝です。   

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冬の雁の句@冬の雁名優老いて失禁す

たまたま眺めていたテレビでやっていたゴシップからヒントを得た句。Photo_431
 冬の雁名優老いて失禁す

実は(何を隠そう)俺がどんな老人になるのか、自分ながら楽しみである。その前に老人齢(65ぐらいかなあ)まで生きていることが前提であるが。

 誰かまづ灯をともす町冬の雁      飴山 實
 焼跡に仰げば寒の雁か         石田波郷
 馭者あふぐ見れば寒雁わたるなり   皆吉爽雨
 米負ひて知世子ならずや冬の雁    加藤楸邨

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玉井清弘

今年中には終らんかったなあ「一人一首」105歌人一首紹介駄文企画。
今日の玉井清弘が74人目。このところ俳句で熱中でペースも落ちている。一週一人としてあと30人で30週。連休前後に目出度く終了の見込みか。

さて、玉井清弘。2006年度香川県文化功労者という歌人である。

 夜の海をこえゆく船にうつりいるテレビ静かに火事うつしおり

俳句的感性が身につきはじめた証左なのか、短歌においてもまず取り合わせが目につくようになった。この歌でいえば「夜の海」「船」「テレビ」「火事」が取り合わせである。そしてなかんずく「静かに火事」である。
景を表現して情に訴える。まさにそのお手本のような歌がこの歌だ。夜のフェリーのテレビに火事のニュースが映し出されている。しかも音声は低く、もともと乗客も少ない上に、テレビ画面に関心を寄せる人もいない。そんな情景である。
ここから何を受け取るかは読者に任されている。短歌も俳句もすべからく一行詩は省略という基礎の上に成立しているのである。

この作者の自撰五十首にもこのような地味かつ滋味な歌が並んでいる。繰り返し読んでも飽きない一行詩、それが名句秀歌である。

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クリスマスの句@花屋、デパート、ベゴニア

かねて用意の三句なり。Photo_430
 改札の隣は花屋クリスマス
 デパートに一句を得たり降誕祭
 店先にベゴニア紅き聖夜かな

ついでに短歌も一首。
 売上げにクリスマスソング貢献はいかほどなりやデパート散歩

ちなみに俺はキリスト教の保育園に通った。クリスマスのお祝いの劇で子羊の役をしたことを微かに記憶している。感化されやすいたちなので「汝の隣人を愛せよ」と周囲を説いていたらしい(ホンマかいな)。

 聖菓切るキリストのことなど何も知らず      山口波津女
 クリスマス妻のかなしみいつか持ち        桂 信子
 美容室せまくてクリスマスツリー          下田実花
 手話の手に席譲られし聖夜             横山睦子

今年のイブは日曜日。だから、外需ではなく内需で潤う小売店。
イブ、春支度そして歳晩で一年は暮れる日本かな。

※画像は受胎告知から勝手拝借/感謝です。

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真っ向勝負だよ、安倍ちゃん

今朝の一句は「新政権ええとこなしのクリスマス」。

これじゃあ、来夏参院選敗北必死。
そこで我に秘策あり。それは「真っ向勝負だよ、安倍ちゃん」である。Photo_429

小泉政権が成功したのは、ひとつは劇場型政治で人気を博したことだ。
でもそれは純ちゃんのあの個性(例:人生いろいろ)あってのもの。それを現首相のキャラに求めてもしようがない。
もうひとつ小泉成功の要因(とりわけ郵政選挙勝利)は、「国民に信を問うたこと」である(国会の結論が郵政民営化必要無いという判断を下された。私は本当に国民の皆さんがこの郵政民営化必要無いのか?国民の皆さんに聞いてみたいと思います)。

郵政民営化の是非は別にして、この言葉は国民の心を捉えた。国民の多くは「この指導者は率直に発言している。俺たち国民を信頼してくれている」と感じたのである(俺みたいな少数派ひねくれ者は例外)。

この手口を安倍ちゃんには率直に真似てもらいたい。
すなわち、来夏参院選を年金消費税選挙に是非ともして欲しいということだ。

「このままでは年金破綻するので消費税を上げるしかない。消費税上げで一時的に景気がダウンすることはあるが、歳出削減をこれだけ削減する(弾道ミサイル止めるでもなんでもイイ)から財政健全化→年金は安心。国民の方は安心して消費して下さい。そうすればデフレに逆戻りせず法人税も増えて財政はますますよくなる。私を信じて下さい」と真っ向勝負するのである。

でも、あかんやろなあ。安倍ちゃんの最大の問題点は優柔不断ではなく(それは慎重ということでもある)、問題から逃げようとするその姿勢にある。昨日の日経安倍政権検証記事を読んでも消費税の問題は来夏以降に先送りしたいようなのだ。
それでは困る。このままでは政権に浮揚力は発生せず景気・株価は低迷。俺の含み損が拡大する。
頼むから安倍ちゃん、真っ向勝負して国民を安心させてくれ。国民の不安は雇用と年金。この不安を解消したら景気は更に拡大する。逃げるな安倍ちゃん。

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2006年12月23日 (土)

縦書き文庫リニューアル

縦書き文庫のビューアーがリニューアルされてかっこよくなった。
俺の句歌が立派に見え過ぎて自己評価を誤らせる要因となるのがちょっぴり問題と思うほどである。

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映画「ザ・ハリケーン」は素敵な名画

BS2でやっていた映画「ザ・ハリケーン」をビデオ収録し、昨夜一気に観た(眠り込まずにPhoto_30 俺が観るというのは稀有である)。

元プロボクサー終身囚ルービン・'ハリケーン'・カーターの冤罪を晴らす不屈の戦いの映画である。主演はデンゼル・ワシントン、監督は「夜の大走査線」のノーマン・ジュイソン。おお、「月の輝く夜に」もジュイソンの作品であったか。我が歌「人生って月に憑かれしピエロかな輝く夜に星屑が降る」をこの映画で得たり。

銭ゲバ=アメリカ帝国主義は嫌い。しかし、正義を臆面なく堂々と語りそれで儲けるアメリカは素晴らしい。DVDにダビングし冥土土産にせむ。アスリートは文学哲学映画音楽等の才人よりも、ある意味真理に近づいている存在なのでは?にも同感する素敵な映画だった。※日本にも袴田事件という冤罪らしき事件があることを思い出させてくれた。

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「人生論」のネタ元

そうそう、ネタ元を自白するのを忘れていた。
 炬燵ぬくしさかしら顔の人生論    清水美登

この句がまだ脳裏にあったから「小さき脳の人生論」が起きぬけに浮かんだのだろう。単純なのた、俺って。

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おお、堂々ベストスリー入り

FC2ブログランキング短歌の部で3位なり。

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冬の蠅の句@冬の蠅小さき脳の人生論

昨日、映画「ハリケーン」(名画なり。別途記事予定)を観ていたので今朝の起床は5時半だった。このぐらいに起きればようやく人並みの早起きといえるだろう。
さてそこで、今朝の句は秀句である(俺が言わなきゃ誰が言う)。
 冬の蠅小さき脳の人生論

昨日の起き抜けに中七下五を得た。やっぱり俺はこういう路線(人事句、語呂合わせに近い観念句)なのかなあ。短歌と同じだ。
ところで「はえ」に「蠅」と「蝿」あり。ネット国語辞典では「蠅」と表記されている(ネット歳時記、手元の角川合本歳時記も同じ)。まあ、どちらも当用漢字表には無いようなので、使 用者の趣味・気分の問題か。
Photo_428
 老衰といふ死に方や冬の蠅      富安風生
 職替へてみても貧しや冬の蝿     安住 敦
 日のあたる硯の箱や冬の蠅      正岡子規
 冬の蠅逃がせば猫にとられけり     一茶

子規の句がいい写生句だなあ。観念句は写生句に遠く及ばない。
子規が使った硯箱はどんなものだったろうか。写真は大阪教材社から勝手拝借、\5670なり。

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2006年12月22日 (金)

冬至湯の句@冬至湯のたつぷり溢る女体かな

今日の投句納めは(お陰さまで)色事句。Photo_427
 冬至湯のたつぷり溢る女体かな

実は、「女体」は復本一郎「俳句とエロス」に引かれている日野草城の句に刺激を受けたものである。たとえば「ちちろ虫女体の記憶よみがへる」などという句があるのである。
こうした俳句の領域を開拓しようとする草城は花鳥諷詠を提唱する高浜虚子によって「ホトトギス」から除籍される(戦後、草城晩年になってから許された)。
思うに、俳句は自然詠と人事詠を両輪とするものであるが、人事において性、エロスの問題は避けがたい。また、自然も結局根元はいのちに帰するのだから、ここにおいても性に突き当たるのだ。
という訳で一日一句色事句。さていつまで(能力・年齢)継続できるだろうか。

 白々と女沈める柚子湯かな       日野草城
 柚子風呂に妻をりて音小止みなし    飴山 實
 匂ひ艶よき柚子姫と混浴す        能村登四郎
 柚子湯出て慈母観音のごとく立つ    上田五千石

※画像はDN -東京アートレビュー -02 モネ、ルノワールと印象派展から勝手拝借/感謝です。

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極月の句@極月の殺人事件ご近所に

テレビニュースで我が市の名前を聞くと、どうしても耳をそばだててしまう。昨日の事件のPhoto_425 ニュースがそうだった。そんなに近くではないけれど車で5分。我が町、我が国は別格という訳にはいかない。黴菌はあちこちにうようよいるし、人はちょっとしたことで過ちを犯すのだから。
 極月の殺人事件ご近所に

初案「年の瀬や」だったが、歳時記を見るとまだ早すぎるようなので「極月の」にした。人それぞれに事情あり、追いつめて追いつめられて極まりぬ。

 極月の人々人々道にあり         山口青邨
 病む師走わが道或はあやまつや    石田波郷
 極月のくらやみに山羊鳴きにけり    安住 敦
 大空のあくなく晴れし師走かな      久保田万太郎

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俳句ランダム表示を始めました

やっぱりやってしまった俳句のランダム表示。せめて年明けからと思っていたのに、このこらえ性のなさです。ついでに、サイドバーの配置(カテゴリー、バックナンバー、アクセスカウンター)も変えました。

アクセスカウンターにマウスカーソルを当てると過去一週間のグラフにアクセスカウントが表示される仕様となっている筈なのに、カウント数字が表示されません。しようがないので前日、当日の数字を表示するように現在は指定しています。

一週間経ったら、数字が表示されるようになるのかなあ。そのうちやってみます。

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柚子湯の句@柚子湯立つ無精髭など剃らむかな

今日は冬至。明日からはいよいよ日が長くなる(暮れが遅くなる)。「日脚伸ぶ」などというPhoto_424 季語も年明けて一月中旬になれば使えるか。
そこで今朝の句は予ねて用意の柚子湯の句。
 柚子湯立つ無精髭など剃らむかな

毎朝、投句してから清水哲男『新・増殖する俳句歳時記』の今日の一句を見ているのだが、今朝は「亡き夫の下着焼きをり冬の鵙」岡本眸だった。「下着」などという俳句になりにくい言葉を使ったこの句の解説の文章に感じてしまったので引用する。

僕等はさまざまな個人的な「感動」を内包するあらゆる事物や風景のカットに一日何千、何万回も遭遇していながら、それを「自分」に引きつけて切り取ることができない。「共通理解」を優先して設定するため、いわゆる俳句的素材や「俳諧」の中に感動の最大公約数を求めてしまうからだ。

言語は公共性を持つ。だから、つい我々は「共通理解」を優先した使い方をしてしまい、自分に引きつけた言葉とすることができず、「下着」などという言葉を排除して俳句を考えてしまう。
そこを俳句は(ひとでなしだから)聖と俗の取り合わせで埋めることを教えてくれる。鵙が聖なら下着は俗、柚子湯が聖で無精髭は俗。われながらまずまずの取り合わせだったと結局自讃となりにけるのである。

 柚湯出て童女ねむれる頬赤し       水原秋櫻子
 臍ひとつしみじみとあり冬至の湯     
角川春樹
 柚子湯出て夫の遺影の前通る        岡本 眸
 柚子湯して逝きたる人のみなやさし    瀬戸内寂聴

寂聴の句は先日のNHK俳句(毎週ビデオ収録勉強)で知って歳時記に書き込んだものだ。死者は沈黙故にやさしかりけり。

※画像は瀬戸内寂聴の世界 紀伊國屋書店BookWebから勝手拝借/感謝です。

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2006年12月21日 (木)

検索パーツを入れ替えました

ブログ内検索がうまくできない時が多いため、ブログパーツを入れ替えました。
今度はOKでしょう。精々ご活用よろしくお願いいたします。

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水仙の句@人恋へば庭の水仙咲き初めぬ

今日の納めは色事句で投句できた。Photo_423
 人恋へば庭の水仙咲き初めぬ

中七下五が先に浮かんで季語もある。そこで安易な上五かな。
枯れ木も山の賑わいと写生練習、許せ。

 日についでめぐれる月や水仙花      高浜虚子
 水仙の束とくや花ふるへつつ        渡辺水巴
 水仙や夜明の初島蒼く臥す         水原秋櫻子
 水仙は女の花よ束ね挿す          河野緋佐子

写真は水仙まつり-伊豆下田から勝手拝借。爪木崎の様子:12/20 開花状況:3~4分咲きとのことである。

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どこがイノベーションやねん?

来年度予算財務省原案から数字を拾う。
 次世代知能ロボット開発                     19億円(新規)
 地域資源を活用した新商品開発                 93億円(新規)
 地域活性化支援の新交付金                  200億円(新規)
 フリーター・ニートの自立支援施設拡充   20.3億円 →   21.6億円
 弾道ミサイル防衛体制強化         1399億円 → 1826億円
 沿岸部警戒強化                743億円 →   811億円 

防衛関連費総額は4兆7980億円(0.3%)減。妥当な金額かどうか評価する能力は無いが、イノベーション、再チャレンジ関連等とは二桁違うことは認識しておこう。Photo_422
そしてまた、北朝鮮の核・ミサイルのお陰で弾道ミサイル、沿岸部警戒強化に関してなんら議論が起こらないことも記憶しておこう。
そしまたまた、弾道ミサイル等兵器はアメリカから購入し、部品は三菱重工等大企業がアメリカに納品しているのである。

そして、金王朝が倒壊したら沖縄米軍不要論もあり得ると俺は思う。ひょっとしたら六カ国協議は米中朝狎れ合いの場ではないのか。

※写真嘉手納基地の状況から勝手拝借/感謝です。

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山茶花の句@山茶花や枝に雀が蕊こぼす

今朝の朝Walk吟行30分で五句得たり。Photo_421
 山茶花や枝に雀が蕊こぼす
→投句後修正「山茶花や雀来たりて蕊こぼす」。

見たままの写生である。「山茶花の」としないで「や」と切れ字詠嘆、「枝の」ではなく「枝に」とした。こんな風にぐだぐだ自句講釈するのは駄句の証拠であるが。
それにつけても「蕊」という字のエロスかな。

 山茶花や住職つひに顔出さず       池田秀水
 山茶花や金箔しづむ輪島塗        水原秋櫻子
 山茶花のこぼれつぐなり夜も見ゆ     加藤楸邨
 山茶花の散りしく月夜つづきけり      山口青邨

「こぼれつぐ」「散りしく」という措辞を呼吸せよ。

ところで、蕊といえば「花びら流れ」で歌はなかったっけと検索すれば「あはれ花びらながれをみなごに花びらながれ」三好達治を見つけたり。ネット検索、有り難きかな。

※写真は三好達治。art random - 人生のセイムスケール - age 63から勝手拝借/感謝です。

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岸上大作

安倍総理が憲法改正について「歴史的な大作業だが、私の在任中に何とか成し遂げたい」と明言したとのことだ。マスコミは騒ぎもしない、当然のように受け止めている。

国民投票法案を年明けの通常国会で通し、夏の参院選で大負けしなければ(大敗しないだろう、アホ国民が投票するから)選挙後に具体的政治日程に上がるだろう。参院選で憲法改悪を争点にするような愚かなことは自民党も(悲しいかな民主党も)しないだろう。
国民はずるずるとメディア操作されて嵌め込まれて行く。大企業だけが好景気の恩恵を受けて、庶民特に若者は痛めつけられる。定職につけない若者の存在は技術継承の機会を失わせ国力を衰えさせるのに、政府自民党は何ら対策を打とうとしない。売国奴が売国憲法(アメリカの軍事下請け化)にするのを許すな。

さて、今回の歌人は岸上大作。60年安保=日本がまだ貧しくて平和と自由に飢えていたPhoto_420 時代の象徴的歌人である。

 血と雨にワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする

今の若者たちはこの歌の「血と雨にワイシャツ濡れている」にイメージを持てないだろうなあ。俺たち団塊は白黒テレビで国会を取り巻く大デモのニュースを観た。デモの真似をして学校の廊下で「アンポ反対、岸を倒せ」と遊んだ(この記憶が70年安保につながっていると思う)。
しかし結局、安保改定条約成立。池田低姿勢内閣で高度経済成長により豊かになった日本は政治を忘れた。
そしていま、新たな貧困(ワーキングプア、階層固定化二極化)が忍び寄っている。また、他方では、国家借金800兆と少子化(こんな国の株価が上がる筈が無いと石井久立花証券相談役が昨日の日経で発言していた)。若者に希望と職を。

参院選で自民党・公明党に投票するな。経済では消費税上げでデフレに逆戻り、軍事ではアメリカの下請け国家化。こんな日本にあなたはしたいですか?

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冬桜の句@俳人に長生き多し冬ざくら

アルツハイマーは遺伝病だとかかりつけの女医さんから聞いていたが、先日のNHKスペシャル|シリーズ 認知症 その時、あなたはでは、生活習慣病との学説も有力と伝えていた。とすると、ほがらかに且つ頭を活性化して暮らす、有酸素運動を適時行う、健全な食生活を送ることが大切となる。節酒もそこそこ出来ているので俺は上の三条件全てクリアしている(つもり)。しかしまあ、命は神の思し召すままにである。与えられた命を精一杯生きることが人間の使命だ。

そこで今朝の句は「俳人に長生き多し冬ざくら」。
こういうの(詩が無い句)をしがない句と呼ぼう。一応、二句一章にはなっているけれど単なる取り合わせにすぎない。ひねりもない。まあ、節酒有酸素運動勧奨句として句集に記録はしておくが。
Photo_419
 耳たぶのふくふく育つ冬桜       上田日差子
 山の日は鏡のごとし寒桜        高浜虚子
 灯は消えて月のみのこる寒桜     水原秋櫻子
 寒桜おのれさみしみ咲きにけり     森 澄雄

ところで、さくら銀行が行名を決定する際に「桜は春咲いてぱっと散る。いかがなものか」との異論が出たそうだ。「寒桜のように桜は一年中咲く木だ」との意見が通ったとのことである。日比谷の寒桜を見ながら行員の方から聞いた話である。

秋櫻子の句がいいなあ。写生の手本とすべし。秋櫻子も88歳の生を全うした。

※写真はHOTTOPICSから勝手拝借/感謝です。

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2006年12月20日 (水)

小菅優×樫本大進

今夜のシブヤらいぶ館小菅優×樫本大進。晩酌しつつ、楽しんだ。Photo_418ライブ模様の詳しくはトムとジャッキーの一喜一憂/アートな日常 ■シブヤらいぶ館/樫本大進・小菅優、他 in ふれあい広場 11-28を参照。
実は(何を隠そう)優ちゃんのファンである。たいして聴いている訳ではないが、去年BSで外国のオーケストラとの協奏曲(ベートーベンの4番だったかなあ)とアンコール→ショパン夜想曲遺作を聴いてからのファンだ。

今夜は思い入れたっぷりにモーツァルトを弾いていた。中でも幻想曲ニ短調 K.397が秀逸だった。原譜どおり、すっと終る演奏がよかった。余韻が残った。こういう演奏を聴くとモーツァルトを記号的な作曲家とおちょくるグールドはちょっと一面的に過ぎると思う。

これに対して、樫本大進君もよかったけれど優ちゃんに食われていたと俺の偏見は思うのである。いずれにせよ、今夜の演奏は冥土の土産DVDに出来る。よかったなあ。

※写真が小菅優(もう少し太っている。ザルツブルグ在住でアイスクリーム食べ過ぎとちゃう?)。フィリアホールから勝手拝借/感謝です。

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共感覚のピアニスト、エレーヌ・グリモー

先日BSでN響とパルトークのピアノ協奏曲第3番(第二楽章が美しい)を弾いていたピアニスト、エレーヌ・グリPhoto_417 モー (かなりの美人)は共感覚の持ち主だそうである。
共感覚とは、さまざまな感覚が関連しあうこと、具体例で言えば色聴(音に色を感じる)があるそうだ。

俺がクラリネットの音色に甘さを感じるというのは多分に言語に影響されているんだろうなあ。共感覚とは言語以前の感覚自体が未分化ということである。いや、言語修得によって人間は共感覚を失うということなのかもしれない。

それはともかく、グリモーは自叙伝も出しているそうである。詳しくは気になるピアニスト: エレーヌ・グリモーをどうぞ。写真もこちらから拝借/感謝です。

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寒卵の句@寒卵一日一句石を積む

短歌も数だけれど、俳句は理がついてくる分、もっと数だと思う。理を理屈ではなく体得しPhoto_416 なければならぬからだ。
そこで、今日の句納めは「寒卵一日一句石を積む」。
昨日、一日一句色事句を宣言したばかりだけれど、色事句在庫は生煮えなのでまだ出荷は出来ない。ちっとは恥を知ったということか。

 ぬく飯に落として円か寒玉子       高浜虚子
 寒卵コツと割る聖女学院         秋元不死男
 わが生ひ立ちのくらきところに寒卵   小川双々子

なぜか好きなこの季語寒卵。まだまだつくる駄句の数。
数をこなして反省自省せよ。

※写真は徳島商工会議所から勝手拝借/感謝です。  

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山茶花の句@山茶花やだらだら坂をくだりゆく

俳句の基本は写生。Photo_415
それはわかっているけれど、なかなかできぬ。
できぬ理由は様々あれど穿鑿しても始まらぬ。
そこで練習、今日の二句目は「山茶花やだらだら坂をくだりゆく」。

「山茶花や旧き友より電話くる」「山茶花のむせかへるほど蕊こぼし」は没にした。没にした句よりは出来がよいだろう、多分。
山茶花は俺でも分かるよく目に付く花だ。ほんとは、仰山散っている花びらを詠いたかったのだけれど。

 山茶花や家並相似て道終る        神田喜久子
 魂散らす白山茶花の白しづか       原 コウ子
 山明るくて山茶花の紅忘る         広瀬町子
 月光界山茶花咲くも散るも白        田村紫陽

月並みな取り合わせだけでは句にならぬ。隠喩、対句、色、措辞など技法あり。もっとも対象を定かに見てこそ技術の余地が生まれるのを忘れてはならぬ。

※写真はチムサーチョイ写生会から勝手拝借/感謝です。

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餅搗きの句@ほがらかな人と褒められ餅を搗く

ほんと、自己評価が一番難しい。
自分の句は全て秀句に見えたり、逆に全部駄句と思えたり、自己評価が不安定なPhoto_414のだ。
そこで、藤田湘子「俳句の入口―作句の基本と楽しみ方」読書中。全くの入門書ではなくて「俳歴3年から10年―マンネリズムに陥り、俳句の入口から脱け出せないあなたを、藤田湘子氏が的確なアドバイスで、俳句の奥の間へと導きます」という本である。
著者は、定型(特に中七の字あまり排除)→リズム、切れ、季語の働きを重視する。まず はこの三点を自己評価軸として確立しなければ。

さて、今朝の句は「ほがらかな人と褒められ餅を搗く」。
ああ、既に切れなし。なんでこんなん投句するねん。でも「ほがらか」を使ってみたかったんだもん。関連和歌「しののめのほがらほがらと明けゆけばおのがきぬぎぬなるぞかなしき」古今集詠み人知らず。「ほがらほがら」で検索して歌を確認できるネットの素晴らしさ。

 
病牀に聞くや夜明の餅の音        正岡子規
 広縁に日のたつぷりと餅を搗く      岩田和子
 餅の音ひびけば朴の木がねむり     飯田龍太
 餅搗いてうすき涙目餅を食ふ       能村登四郎

※画像は池田東小学校から勝手拝借/感謝です。

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2006年12月19日 (火)

冬苺の句@冬苺くちびるの紅うばひけり

あんまり自信はないけれど、色事句一日一句宣言。Photo_413
そこで、昨日プールでようやくひねりし色事句(所要時間30分)。
 冬苺くちびるの紅うばひけり

冬苺は「冬に実が熟す野生の低木」だそうである。温室栽培の「冬の苺」とは明確に区別されなければならない、と歳時記にあり。

 冬苺カナリア諸島も青空か      坪内稔典
 余生なほなすことあらむ冬苺     水原秋櫻子
 ひとり来て山の音聞く冬いちご    桑原視草
 寒苺病を生きるまた愉し        石田波郷

ネンテンさん(坪内稔典)の代表作は「春の風ルンルンけんけんあんぽんたん」。 
俳句って楽しいですねえ。

※写真は坪内稔典(つぼうち・としのり)さん@北海道新聞から勝手拝借/感謝です。

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冬の虹の句@いと愛しむ我の命よ寒の虹

三連作の後でもう一句を得たので今日の二句目とした。Photo_412
 いと愛しむ我の命よ寒の虹

「愛しむ」は「おしむ」と読ませて「いとおしむ」と掛詞である。短歌同時作もあり。
 死にもせず痴呆にもならずたまきはるいのち尽くさむ神の召すまま

ヒントになったのはNHKスペシャル|シリーズ 認知症 その時、あなたはである。
そして思う。人の世話にはなりたくない迷惑をかけたくない、全ては神の召すままなれど。
団塊の世代を標的にした医療費削減プロジェクトの一環であることはミエミエなれど、次回もまた見む認知症。

 神は地上におはし給はず冬の虹      飯田蛇笏
 冬の虹消えむとしたるとき気づく       安住 敦
 国飢ゑたりわれも立ち見る冬の虹     西東三鬼
 冬の虹今もの言えば何か消ゆ        半田幸子

※写真は虹 - Wikipediaから勝手拝借/感謝です。 

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カウンターデザイン変更

Libestodのカウンターを真似ました。カーソルをあてると過去一週間アクセス数が表示されます。

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グールド、寅、自讃の三首

短歌も三首(連作にあらず)。Photo_411

 グールドのバッハを聴けば神のごと宇宙に触るゝ快感の湧く
 寅を観る哲学考ふ句をひねるこれに勝れる宝のありや
 「土曜日の短歌よけれど俳句なほ味はひ深し」自讃の一首

ほんま、いちびりやと自覚してはいるのだが。

※写真は藤山寛美 十八番箱 DVDから勝手拝借/感謝です。

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寒椿、都鳥の句@いのち連作三句

今朝は連作三句を一挙に投句した。
 つぎつぎと首落としけり寒椿
 いつか死ぬことは絶対都鳥
 寒椿惜命てふ語知りにけりPhoto_410

一句目は以前からの在庫。二句目、三句目を得て連作として完成した作品となったものである。この連作の要は「惜命」命惜しむにある。句作のヒントは富安風生の下の句との出会いにあった。
 春惜しむ心と別に命愛し       風生

「命愛し」は「いのちおし」と読み、初案「命惜し」を推敲したものとのことである(山崎ひさを「富安風生」:俳句入門にもなっている良書)。そして風生の句は石塚友二の下の句を下敷きにしている。
 春惜しむすなはち命惜しむなり   友二

「惜しむ」とは、いい言葉である。一時流行りかけた「勿体ない」より雅趣がある。
 七夕竹惜命の文字隠れなし   石田波郷

※写真は冨安 風生(とみやすふうせい)―ホトトギス派の代表的俳人―から勝手拝借/感謝です。

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2006年12月18日 (月)

年用意の句@千円床屋

駅前のショッピングセンターに千円床屋が店を出してから、もっぱら愛用している。Qb
他業種のテナントが嫌うトイレ近辺をこのチェーンは嫌わないそうである。なぜなら、トイレの鏡を見て衝動理髪する客が多いからだ。なるほど。
そこで、今日の投げ留めは「年用意千円床屋繁盛す」。

理髪技術者の待遇が気になったので見てみたら正社員:月給22~45万円パート・アルバイト:時給1,000円上とのこと。昔は修行して金を貯めて店を持つという物語があったのだけれど、千円チェーンに個人営業は勝てないだろう、余程のことがないと。思えば皮肉な話である。

 年用意よき鰹節を選びけり         山本蓬郎
 年用意ほのぼの匂ふ牛蒡の身      高橋鋼乙
 夕映の妻にしたがふ年用意        笹川正明

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寒菊の句@夏木マリ

男はつらいよ第43作「寅次郎の休日」での渾身の演技を称えて。Photo_409
 寒菊や渾身号泣夏木マリ

ほんと、セリフ起こしは勉強になる。抑揚、間の取り方、表情との取り合わせ。俳句は文字だけの勝負であるが、その底に話し言葉、セリフがあることを認識した。

 冬菊のまとふはおのがひかりのみ      水原秋桜子
 寒菊や母のやうなる見舞妻          石田波郷

寒菊の代表句はこの師弟の二句。抽象と具象である。いや、秋桜子の句は写生象徴句というべきか。具体平明もいいけど抽象象徴もいい。まことに俳句は広くて深い。

写真の後列左から二人目が秋桜子、その右が波郷。風鶴山房:波郷の足跡から勝手借用/感謝です。

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渾身号泣夏木マリ@男はつらいよ

寅43作「寅次郎の休日」は、それまでの作品にはない人情心理ドラマだと思う。Photo_408
物語の縦糸は前作を受けて寅の甥っ子満男と泉(ゴクミ)の青春恋愛だけれど、横糸が新機軸である。

泉の母親(夏木マリ)は夫(寺尾聰)と別居して(離婚未済)名古屋でクラブのママをやっている(スポンサーがいそうなものだと俺は邪推してしまうけど、やましい関係は持ったことがないと夏木マリは寅に明かす)。
泉は父恋しさ及び母との復縁を願って愛人(宮崎美子)の故郷大分県日田まで父を追って行く(満男も止むに止まれず新幹線に飛び乗り同行する)。ここでようやく寺尾聰登場(いったいどんなクソエロオヤジだと観客に散々気を揉ませた後に気弱そうな父親が出てくるという筋書き)。
宮崎美子が健気に薬屋をやっている一方で寺尾聰は製材所での慣れない仕事に従事しているという二人を見て、泉は何も言えなくなってしまい二人に暇を告げる。父親は断固引き止めるべし、なんで後を追わないんやアホんだら。
と思ったらそこにばったり夏木マリとサポーター寅登場(こういう筋書きだから父親は追いかけられないんよね、ドラマ構成上)。

その夜四人は旅館で一泊。悲しい宴に興じた後に母娘二人になっても母は酒を止められない。さんざん酔った果てにようやく母は娘に夫の様子を訊く。ここでセリフ起こしをやってみよう。
母「どうしてた。女の人と一緒だった?」
娘「一緒だった」
母「パパと別れて頂戴って言ったの、その女に」
娘「言わなかった」
母「だってそれ言うために来たんでしょぉ。言わなかったの」
娘「言えなかったの」
母「なぜ」
娘「パパ、幸せそうだったから。……だからもう、パパのことはあきらめよう、ねえママ。あたしと一緒に暮らそぉ」

ここで夏木マリが渾身の演技である。すっていたタバコを投げやってテーブルの上のコップをひっくり返して号泣する。手を口に当てて抑えて突っ伏して泣く。

どんな事情が夫婦の間にあったかは映画は語らない。観客の想像に任されている。しかしながら、夏木マリの心情はは観客に届く。悔しさ、切なさ、悲しみ、そしてほんのちょっぴりの安堵(今でも夫を愛しているのだから幸せだと聞いて安堵の気持ちが起きない筈はない)。
寅もよく耐えた。隣の部屋で母娘の会話を一緒に聞いていた満男に「なんとかしろよ伯父さん」と言われてもよく辛抱した。

人にはそれぞれの悲しみがある。胸の奥底に悲哀がある。それを他人は安易に慰撫してはいけない。寅もようやくその程度のことは理解できるようになったのである。

 わが心深き底あり喜も憂も波もとどかじと思ふ    西田幾多郎

※写真は夏木マリ。放蕩娘の縞々ストッキング  β◆着物から勝手拝借/感謝です。

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リンクを追加@Liebestod

「毎日が逍遥日」にいつも「男はつらいよ」復習でお世話になっているLiebestodを追加しPhoto_407 た。

ちなみに、映画のセリフ起こしは頭の下がる作業だ。そして同時に勉強になる。
というのは俺も一度「だったらどうして、帰るな、って言わせなかったの。ほんとはヘルマンにそう言って欲しかったんだろ。そんなことも出来ないでどうして愛してるって言えるの」でやってみたけど、眼と耳で聞きながら文字入力を何度も繰り返す過程で役者の演技がよくわかるからである。竹下景子や淡路恵子(前回、景子と誤記していたのを発見)がセリフ表現にどれだけ工夫しているかが実感できたように思う。

また機会があればやりたいけれど、人様の褌で相撲をとるのもたまらない魅力がある。

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マフラーの句@自由な首が好き

朝Walkで句を得ると気持ちがいい。とりわけ、佳句であるなら格別だ。Photo_406
そこで今朝の句は「マフラーは嫌い自由な首が好き」。

句跨りが粋だし、新鮮な感覚がいい(誰も言うてくれへんから自分で言うねん)。
こういう句のラインを新感覚句と名づけよう。首が馘首を連想させるのもちょっとオモシロイ(と強弁する)。

 襟巻やほのあたたかき花舗のなか      中村汀女
 襟巻やしのぶ浮世の裏通り           永井荷風
 襟巻の紅きをしたり美少年            尾崎紅葉
 風の子となるマフラーの吹流し         上田五千石

汀女は女流俳人4Tの一人。「春暁や水ほとばしり瓦斯燃ゆる」が代表作、台所俳句(女性の生活の象徴)を切り開いた句だと思う。元気な限り女性には台所という居場所があるが、男はいったいどこを居場所とするのやら。一般論だけれど。

画像はモディリアニ:ラロッテ。モディリアニが「貧困と病に倒れ、それを知った妻のジャンヌ・エピュテルヌは身重であったのにもかかわらず、アパルトマンの窓から飛び降りて、後を追ってしまいました」から勝手拝借/感謝です。 

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2006年12月17日 (日)

炬燵の句@炬燵猫、首を出し

人様の句に返句して「炬燵猫飯の時だけ首を出し」。

 嫂や炬燵に遠く子を膝に        富安風生
 横顔を炬燵にのせて日本の母    中村草田男
 炬燵ぬくしさかしら顔の人生論    清水美登

「さかしら顔の人生論」は自戒自戒なり。

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冬すみれの句@同窓会

「冬すみれ」を前々からモノにしたくて在庫していたところ、形が決まった。
 冬すみれ同窓会に一二輪

歳時記に「スミレは春のシンボル的な草花であるが、暖かい野山の日だまりでは、春を待たずに芽を伸ばし咲いているスミレに出逢うことが出来る。小さな春の発見であるが、同時に健気さに対する感動もある」とあり。初恋の思い出の句である。Photo_405

 仮の世のほかに世のなし冬菫         倉橋羊村
 わが齢わが愛しくて冬菫             富安風生
 ふるきよきころのいろして冬すみれ      飯田龍太

「わが」を一句に二回使う風生の技。同時に平明な詩人でもある。ただいま勉強中。写真は冨安 風生(とみやすふうせい)から勝手拝借/感謝です。

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俳句的生活@なぜ、切れが必要か

長谷川櫂「俳句的生活」に面白いことが書いてあった。左脳(理性)・右脳(感性)になぞらPhoto_404 えて、「言葉にも左半球と右半球があるのではなかろうか」という。すなわち、左半球は「言葉の意味」、右半球は「言葉の風味」とするのである。その上で俳句に切れがなぜ必要かを教えてくれている。

俳句は韻文の中で最も短いことから容易に想像できるように極端な韻文であって、言葉の意味を最小限に抑えて、その代わりに言葉の風味を最大限に生かそうとする形式である。そのために俳句には切れがある。切れによって俳句は散文の文脈を切り、言葉から意味を剥ぎとって、文脈を首飾りであるとすれば首飾りの糸に相当する意味の連鎖を断ち切ろうとするのである。

切れは文脈原理(語の意味は文脈の中で決まる)を断ち切り新たな風味を作出するために絶対に必要。切れがなければ韻文にならない。こんな発想は西洋哲学には無かったろう。ざまあみろ。

著者は読売新聞社に22年勤務して退職(切れ)、俳句で食っている人。切って生かして取り合わせによる言葉の風味を味わうのが俳句的生活と思う。

※写真の右側の男性が長谷川櫂。Fairy Taleから勝手拝借/感謝です。 

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雪の句@細雪、墓標なく

今日は趣向を変えて「雪」の例句から。

 酒のめばいとど寝られぬ夜の雪        芭蕉
 綿雪やしづかに時間舞ひはじむ        森澄雄
 みづからを問ひ詰めゐしが牡丹雪       上田五千石
 細雪吾に言葉を待たれをり           石田波郷

波郷の句には注釈が必要だろう。昭和21年「疎開先の埼玉から妻と二歳の長男を連れて上京」、「妻と幼な子を連れて東京へ出てはきたものの家もなければ仕事もなく胸の病気も芳しくない」。そんな中での「切羽詰った一事だけを取り出して」の一句である(引用は長谷川櫂「俳句的生活」より)。 Photo_403

そして、俺の句「細雪われに子はなく墓標なく」。
実はこの句、初案「わが後に何ぞ跡なし冬の夜」だった。しかし、季語が気に入らず歳時記をめくっていて「細雪」を発見した。谷崎の名作もあるし、重い季語だなあと思っていたところに上の波郷の句と解説に出会った。

まあいいや、行けえと投句してしまったけれど本意を得た句ではない。これからも何度も、雪ないし細雪に挑戦したい。季語があるから俳句に登る、を実感している。

※画像は明治座  2005年11月公演「細雪」から勝手拝借/感謝なれど、「通算上演一千回を超える現代美女絵巻」と惹句にある。原作を読んだことはないけど、これでは原作者が可哀想とも思う。
※この句と同時作の短歌。
 他家の子が俺を呼ぶなりジイジイと俺は他人じゃセミでもないぞ
こちらの方が出来がいいな。安易な性格には安易な短歌が似合うなり。

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2006年12月16日 (土)

冬日和の句@白鷺城

姫路城は白鷺城と呼ばれる名城である。そして姫路には玉椿という銘菓がある。Photo_402
そこで、わが故郷加古川の隣町姫路への挨拶句が今日の二句目だ。
 冬日和白鷺城下玉椿

歳時記の例句は以前のものと重複するかもしれないがいくつか引く。

 冬晴の埃にあらぬ虫一つ       青葉三角草
 冬麗や母死なせじと母訪はず     小林康治
 天照るや梅に椿に冬日和       鬼貫

※写真は姫路市 姫路城 カギの110番 サギソウ 島田清から勝手拝借/感謝です。

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西田幾多郎×永井均

西田哲学との出会いは上田閑照「西田幾多郎を読む」だった。純粋経験「色を見、音を聞く刹那」=主客未分の知覚経験そのものから出発して全てを説明したいという西田哲学に感じてしまった。思えば、俺の世界三層構造(価値世界⇔論理世界⇔事実世界)の出発点になる概念が純粋経験である。Photo_401
原典難解嫌い入門書好きという俺が「善の研究」「西田哲学論集」を読んだのだから驚きである。もっともどこまで理解したかは不明で今はほとんど読んでいない。それでも俺にとっては思い出深く大切な哲学者である。

そんな西田幾多郎をあの永井均が語るという本「西田幾多郎―「絶対無」とは何か」を読んだ。ここのところ途中放棄することが多い永井の著書だけれどこの本は読了した。しかし、これまた理解が行き届いているか疑問である。
そこでこんなときは人様のブログに頼ろうと検索したら、言語と体験を何の問題もなく相即させたデカルトに対して、ウィトゲンシュタインも西田も両者を切り離し、ウィトゲンシュタインは言語の側から、西田は体験の側から、問題を出発させるに出会った。

うまく表現されているなあ。俺流にこれをもう少し噛み砕くと下のようになる。
デカルトは「われ思う、ゆえに、われ在り」と方法論的懐疑体験から言語抜きに「私」を基礎づける。
これに対して西田は、主客未分の純粋経験から出発するので主体以前で「思う、ゆえに、思いあり」と「経験」を基礎づけた後に私、汝、世界、神へと展開させる。そして、永井は「純粋経験それ自体が言語を可能ならしめる内部構造を内に宿していた」(これが永井の独創→しかし、内部構造がどんなものか俺には読み取れなかった)として西田を言語哲学者として位置づける。西田哲学は神秘的宗教的でもなんでもなく、論理的に「卑近で自明な事実を語る」哲学だと言うのである。
同じく言語を問題とする論理的な哲学でもウィトゲンシュタインは、私的言語を否定するので純粋経験から言語を抽出することは出来ず、「言葉が体験とは独立に意味を持ちうる」とする。

やっぱりムツカシイなあ。要するにデカルトは「私」の基礎づけにおいて言語分析をサボった。これに対して、ウィトゲンシュタインが「主体は世界に属さない。それは世界の限界」であるとした「私」の成立という問題を西田は純粋経験から基礎づけようとしたのである(これでもまだムツカシイ)。つまり、「私」をウィト(ウィトゲンシュタイン。以下ウィトと略称)は言語から、西田は経験から考えているのである。

これを俺のモノコト・モデルで考えてみよう。ここに、モノ=実体(主語)、コト=関係(述語)とする。ああ、主語述語使い分けモデルと呼んだ方がわかりやすい。
とすると、ウィトは言語=主語/経験=述語モデルを採用し、西田はその逆モデルを採用したと言えるのである。
そして、俺の心の見取り図が示すように、心とか経験において公共性が優位を占めることを考えると、言語=主語/経験=述語モデルで理解した場合が妥当であろう。ウィトの勝ち!

ところがここにひとつだけ西田モデルでないと説明できそうにない問題がある。それが永井がずっと問題にしている開闢の奇跡(「私」ではなくこの<私>。いまここに生きている私と私の生をどう説明するかという問題)である。

言語は「私」(一人称)を世界(論理世界)の限界として位置づける。だが、<私>(具体的実存と呼んで差し支えないでしょう、永井教授)を言語は説明できない。だから、<私>を説明するためには、経験を主語、言語を述語にして世界を語ることが必要となる。このモデル転換を西田は「自覚」と呼んだ。そしてこの事態を、永井はこう表現する。

言語において無は有化されるのだが、「自覚」において有は再び無化されうる。

私は言語によって有化され、経験によって無化される。だから、「人が経験するのではない。経験が人をつくるのである」と西田も言うのである。色(主語)即是空(述語)、空(述語)即是色(主語)。絶対無とは「自覚」され無化された有なり。←神の贈り物

※写真は永井均。GOOD PROFESSOR(グッドプロフェッサー) 早稲田塾が選ぶ一生モノの大学恩師を紹介! 千葉大学br[文学部]br永井 均 教授から勝手拝借/感謝です。「――僕はどうして存在するのか―― すべては、そこから始まった」が永井均の出発点とする分かりやすいページです。

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浜田康敬

実は(何を隠そう)ガキの頃からの阪神ファンである。野球は阪神の試合しか見ない。新聞もほとんどそうである。だから、野球を観て楽しむというよりは阪神を応援する自分を愛する阪神ファンと言うべきだろう。すなわち、メタ阪神ファンである(このチームのファンの多くは俺と同様にメチャではなかったメタだろう)。

ところで、松坂。レッドソックスは120億というカネをどうやって回収するつもりなのだろう。したたかなオーナーのようだから計算は立っているのだろうけれど、そのうち放映権料など日本からの回収額は相当なものだろうけれど、日経あたりがきっちり分析記事を書くべきだろうなあ。それを読んで俺に一銭の得も無いのだが。
更にところで、ベースボールを野球と訳したのは正岡子規と思っていたが、違うようである。それがどうした俺に一銭の損得も無いけれど。

さて、今日は浜田康敬。「両親とは早くに死別。兄弟たちとも離ればなれの生活を強いられた」と歌人紹介にある。

 「盗む」「刺す」「殺す」はたまた「憤死」する言葉生き生き野球しており

破調かなあと思って指折り数えればきっちり定型に納まっている歌だ。内容も平明で分かりやすい。そして下の句「言葉生き生き野球しており」が詩になっている。生き生きとPhoto_4いえば「ガッツ石松かつてボクサーたりし頃われも生き生きおりたりし」という歌もある。

まさに短歌の達人と思う。しかし(ゴメンナサイ)名人ではない。
思うに達人と名人を分かつものは毒ではないだろうか。例を出せば、茂吉も岡井隆も毒がある。人間、善良のみでは立身出世しないのである。

さて松坂は毒ありや。井川も頑張れ、俺が応援する。

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雪の句@紅富士

実は(何を隠そう)日帰り温泉が大好きだ。最近、近くにいこいの湯が出来たのでここに行Photo_400 くことが多いが、石割の湯こごめの湯などもお気に入りである。
そんな中でも、冬晴れの未明にお薦めなのが山中湖の紅富士の湯だ。露天風呂から朝焼けにピンクに染められた富士を眺望できる。だから、紅富士の湯。冬は早朝(6時から)営業している。亡母を連れて行けたのが思い出である。

そこで今朝の一句は「紅富士や白雪染める朝日浴ぶ」。
わが多摩ニュータウンからも丹沢越しに紅富士を味わえた朝の一句である。

さて、この句の季語は「雪」。雪月花の雪だ。歳時記には「月・花とともに日本の三大季語の一つ。古くから冬を代表する伝統的な美として意識され続けている。したがって雪に関わる言葉は沢山生まれ、雪の結晶の形から雪の質、その降りかた、暮しの中での雪等々、枚挙に遑がないほどである。詠み手の思いや感じ取り方を生かした季語の選定に心がけたい」とある。

 是がまあつひの栖か雪五尺         一茶
 いくたびか雪の深さをたづねけり      正岡子規
 通勤も旅の楽しさ雪降れば         田川飛旅子

写真は【デジタル楽しみ村】紅富士から拝借/感謝です。是非クリックして拡大画像を楽しんでください。

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過去最高アクセス御礼

昨日のPhoto_3

アクセス数: 268 (前日値:122)
訪問者数: 76 (前日値:72)

でした。アクセス数は過去最高です。
ログを見るとどなたかが熱心にページアクセスをして頂いたのも一因のようです。
励みになります。ありがとうございました。右は最近一週間のグラフです。

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2006年12月15日 (金)

冬の夜の句@I miss you

英語を習った頃に、I miss youに感心してしまった。「あなたがいなくて僕はさみしい」というPhoto_399 意味を僅か3語で表現できるなんて、と。
それからplayにも感心したなあ。musicもtennisもlifeもみーんなplay。いや、これはボキャ貧ということか。二十年資本に仕へ覚えたり全ては仕事全ては遊び←下の句は筒井康隆エッセイ集「ダンヌンツィオに夢中」からのパクリである。

そこで、今日の投げ留めは「冬の夜はショパンが似合ふI miss you」。
車で我が混合CD=ショパンや前川清やMJQごっちゃ煮を聴いていて浮かんだ。

 冬の夜や海ねむらねば眠られず       鈴木真砂女
 冬夜聴く滅びし国の子守唄           野見山朱鳥
 戯曲よむ冬夜の食器浸けしまま        杉田久女
 耳掘ればがらんどうなる冬夜かな       大野林火

久女には「足袋つぐやノラともならず教師妻」という句がある。
 足袋もノラも昔なりけり素足の娘

お、ええやん。句集に載っけよう。

※写真は『ノラ』『火の顔』から勝手拝借/感謝です。

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冬木の芽の句@しなやかに歌って

確か、山口百恵にあったなあこの歌と思って検索したらやっぱりあった。Photo_398
一度だけご本人を見かけたことがある。学芸大学の商店街、和服姿だった。
当時、マガジン/サンデー全盛期、表紙を飾ることも多かった。職場で金を出しあって毎週読んでいた。
もう、出てこないだろうね、メディアには。その潔さがしなやかに強かである。
そこで、今日の二句目は「しなやかにしたたかに生く冬木の芽」。

季節はもうしたたかに春用意しつつあり。年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず、言を寄す全盛の紅顔子、応に憐れむべし半死の白頭翁よ。

 水嵩のうすくながるる冬木の芽        北崎珍漢
 雲割れて朴の冬芽に日をこぼす       川端茅舎

茅舎の代表作は「金剛の露ひとつぶや石の上」。アララギ写生句のお手本である。

※写真は五感てきブログ +Happy Life+「山口百恵」さんの今を見るから勝手拝借/感謝です。百恵の「今」にリンクあり、お薦めである。

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寒燈の句(陰の白毛)

昨日、アクセス・カウンターをつけてみた(右サイド)。これが来訪者にとってどれだけ意味があるのか疑問もあるが、こんなブログでこの程度のアクセスかという世間相場を知る意味はあるだろう。ブログ管理者の場合は(株価ほどではないが)世間からの評価数字として意味がある。
俺的には(一度こういう言い方してみたかった)結構、アクセス状況を気にしている。一日に何度もアクセスカウント、ページ別アクセス、リンク元ベージ等を見ている。ページ・タイトルがアクセス数に影響したり、こんな検索ワードで検索されたりしてるんだなどと発見もあるのである。まあ、自分の顔を鏡に映すようなもんやね。

そこで、今朝の句は鏡に映す我が白毛。
 冬の灯や鏡に映す鼻白毛

鼻も髭も頭(特にもみあげ)にも白毛あり。以前、眉に一本発見したように思う(わが眉に一本の白毛見つけたり悲しき器ししむらの老ゆ)。陰(ほと)にもそういえば…。
 Munchenにわが居りしとき夜ふけて陰の白毛を切りて棄てにき   斎藤茂吉Photo_397
この歌を借りて同時作として拙歌を得た。
 Munchenに陰の白毛を切り棄てし茂吉の齢を過ぎにけらしも

老いは人生の四分の一(生老病死)。精々楽しまねばならぬ。

 病む六人一寒燈を消すとき来        石田波郷
 冬の灯のいきなりつきしあかるさよ     久保田万太郎
 二行書き一行消すや寒灯下         高浜虚子

「いきなりつきし」が詩になる瞬間である。万太郎は俳句の天才なり。

※写真は浅草神社の万太郎句碑(竹馬やいろはにほへとちりぢりに)。万歩計 テーマ別 有名神社 浅草神社から勝手拝借/感謝です。

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2006年12月14日 (木)

凍鶴の句

平明で具体的で且つ詩情ある句をつくりたい。
そう思いながらも「凍鶴や墓に持ち行く恋心」。
治らぬなあ、このビョーキ。観念と理屈は嫌ひ冬かもめ

 凍鶴や沖の暁雲茜さす         野村喜舟
 凍鶴の一歩を賭けて立ちつくす     山口青邨
 凍鶴に冬木の影の来ては去る     富安風生

ついでに「冬かもめ」の句。

 冬かもめ明石の娼家古りにけり     石原八束
 冬鴎生に家なし死に墓なし        加藤楸邨

しっかり風景を見つめること。そこからだなあ。風生の句を見つめよ。

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木枯の句(続)

木枯と海の取り合わせをずっと考えていたのだけれど、なかなか出来ない。Photo_396
今朝、口惜しいなあと思いつつWalkingしていたらようやく出来た。
 木枯や昭和も遠く海の底

「昭和20年4月7日14時22分」 大和は横転、大爆発を起こした。沈没によって命を落とした乗組員は、3000人以上に上る。

勝てる戦争も正しい戦争もやってはならぬ。ましてや、勝つ見通しの無い戦争をやったのは愚の骨頂である。

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木枯の句

俳句は詩である。世界で最も短い詩である。Photo_395
そして、詩であるからには叙情がなければならぬ。詩と散文を分かつものは叙情なのだから。
ところが、今朝の句は「凩や辛い仕事を面白く」。

叙情が無いのだなあ。をかしはあっても叙情が無い川柳句であった。しかしまあ、「辛い仕事を面白く」は思い出の言葉であるから記録に残すことにする。類語に「自分には甘く人には厳しく」がある。

 木がらしや目刺にのこる海の色       芥川龍之介
 海に出て木枯帰るところなし         山口誓子

木枯の句といえばこの二つが双璧である。誓子の句は戦時中に作られたもので、作者自身は「戦争の真最中であつたから、私は特攻機を悼む心を木枯に託したようである」と述べているようだ。特攻隊とは独立に鑑賞され、歴史に残る秀句と思う。

一方、芥川の句は詩人の目によってのみ生み出される句である。「
木がらし」「目刺」「海の色」が醸成する和音を聴いて音楽を感じる句だ。

俳句は言葉による音楽だとつくづく思う。音楽をつくる気持ちでひねらむか句。

※画像はドビュッシー「海」@カラヤンのジャケット。Fuji-tv ART NET:Dragon's Ear 龍の耳から勝手拝借/感謝です。
 

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2006年12月13日 (水)

FC2ランキングを廃棄

検索エンジンばかりで全然面白くないから。

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寒卵の句

このところ、投句は一日三句を原則としている。Photo_29
そこで今日の投げ納めは「寒卵あなたに逢へぬ身のひとつ」。

短歌も歌謡曲短歌なれば俳句も同じくである。死ぬまで治らぬこのビョーキかな。
関連短歌→「処女にて身に深く持つ浄き卵秋の日吾の心熱くす」富小路禎子

 寒卵わが晩年も母が欲し      野沢節子
 大つぶの寒卵おく襤褸の上     飯田蛇笏
 寒卵二つ置きたり相寄らず     細見綾子

細見綾子の代表作で俺が好きな句は「ふだん着でふだんの心桃の花」。
桃の花を見るとこの句を思い出す。また、仕事に追われているときの栄養剤になるかもしれぬ。しかしながら、平常心とはやさしくてむつかしい心なり。

※写真は細見綾子。「細見綾子の世界」から勝手拝借/感謝です。

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安倍政権の本質?

日経朝刊から塩崎官房長官講演での言葉「古い岩盤を壊すのが安倍政権の改革だ。そPhoto_394 の本質をもっと見せていかなければならない」。
??????
と思って朝刊の次のページを見ると飯島勲「小泉官邸秘録」。やっぱり本を出したか、前首席総理秘書官殿。そしてその広告には「改革断行、危機管理、官邸主導」の言葉が踊る。

しかし、だまされてはいけない。官邸主導などというのは単なる手段=HOWにすぎない。大事なのは何をなすべきなのか=WHATである。もっと大事なのはWHY=なぜそれをするか、である。

だから官房長官は「古い岩盤」が何であるかを示せ。そうでないと「安倍政権の本質」なんか無いと思うぞ(事実、その通りであろう。官邸主導しか言えないのだ、ああ盲目の官邸よ)。

自民党は国家社会主義党(国家食い潰し)、民主党は国家廃棄党、すなわち、対立軸は国家vs自由となればわかりやすいのだけれど。そうはならない、国家もたれかかり日本人(俺も含めて)。しかし、清潔・安全・自由・公正ではあってほしいニッポンよ。

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着ぶくれの句

実は(何を隠そう)熱中症である。熱しやすく冷めやすいのである。Photo_393
この俳句溺れ、いつ冷めるかと我が事ながら興味津々だ。
そこで今日の二句目は「着ぶくれて自称俳人吟行す」。
下五は「街を行く」でもよかったのだが「吟行す」とした。只管打坐日々吟行の境地なり。

 着ぶくれてゐて愛などと真赤な嘘      伊藤トキノ
 着ぶくれて老の命を惜しむなり        富安風生
 人待つ如人厭ふごと着膨れぬ        石田波郷
 着ぶくれて我が一生も見えにけり      五十嵐播水

最後の句「見えにけり」は「見えていない」と解釈する。イヤよイヤよはイイのうち、なのだから。ああ、このひねくれた性格、イヤだなあ。

※画像はdocument.no-weblogg Daliから勝手拝借/感謝です。

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ベートーベン@アシュケナージ

N響 演奏会 Photo_392
第1578回 2006年10月B定期
1. 交響曲 第2番 ニ長調 作品36 ( ベートーベン作曲 )
2. 交響曲 第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」   ( ベートーベン作曲 )
[ 収録: 2006年9月27日, サントリーホール ]

を繰り返し聴いている。丁寧で端正かつ色気があって、いい感じです。N響@アシュケナージ。

弦はビブラートをかけているけれど、気のせいかピリオド奏法@ノリントンした好影響ではないだろうか。

※写真は練習中のアシュケナージ。N響│ヨーロッパ公演旅行2005 ベルリン(ドイツ)から勝手拝借/感謝です。

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雑炊の句

フレーズを得てから季語を探すというのが俺の場合、90%ぐらいかなあ。いや、95%かもしPhoto_391 れぬ。そんな中で今朝の句は、季語「雑炊」を歳時記で発見して句を得た少数ケースである。
 雑炊や立身出世なかりけり

しかし、この句、負け犬の遠吠え→ちょっと僻みっぽく聞こえる(実際、そうなのだけれど)。そこで、語源を調べてみた。

まず、立身であるが、これは小学唱歌「仰げば尊し」の「身を立て名を上げ」をすぐ連想する。しかし、加地伸行「教養」は死んだかによると、孝経に「身を立つるには道を行い、名を後世に揚げ、以って父母を顕すは、孝の終なり」とあり、立身とは人の道を行って名を後世に恥じなくする孝行の到着点というのが本意とのことである。
つまり、今日の意味でいう社会的名声を得るという意味の立身とは意味が異なるのである(実は加地の本を読んだばかりで「立身出世」がすぐ句になったという事情があるのだが)。

次に「出世」の語源は仏教だそうである。出世は、仏教用語で「俗世間の煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)し悟りを得ること」を意味する「出世間(しゅっせけん)」が略された言葉である。とある。

要するに立身出世とは、道を行うことにより父母に孝を尽くし、悟りを得ることなのである。とすれば、「立身出世なかりけり」は俺の場合、事実に相違している。これは虚構句であると俺は強弁したいということになるのである。

 雑炊や後生大事といふことを       高浜虚子
 雑炊もみちのくぶりにあはれなり     山口青邨
 ざふすいやあすの嘆きはあすのこと   向田貴子
 雑炊や世をうとめども子を愛す      小林康治

一番最後の句がいいなあ。俺には子がないから「雑炊や世をうとめども吾を愛す」となるしかないけれど。

※画像は博客來書籍館儒家大師孔子から勝手拝借/感謝です。

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2006年12月12日 (火)

股引の句

「女衒」「手練れ」を使ってみたくてナンセンス句「股引や手練れ女衒が耳打ちす」。Photo_390
こんな句にいったいどんな意味があるんやアホウと思いつつ、在庫から取り出して句集にも載せるのだ。

 海女達の股引赤し町を行く       洞外石杖
 股引をして老人が嫌ひなり       小笠原和男

ちなみに俺は股引なんか当然履かない。背広を着ていたときはステテコ着用だった、汗かきだから。
ネクタイも背広も要らぬボーナスも

※写真は腹掛・股引・鯉口シャツ・足袋:よさこい衣装・祭り衣装のマシュールから勝手拝借/感謝です。

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冬の星の句

行きつけの日帰り温泉露天湯に寝ころびて詠む冬星の歌。Photo_389
ということで、今日の二句目は「寝ころび湯ししむらに降る冬の星」。

「ししむら」については我が短歌旧作「わが眉に一本の白毛見つけたり悲しき器ししむらの老ゆ」あれど、子規の「真砂ナス 数ナキ星ノ 其中ニ 吾ニ向ヒテ 光ル星アリ」名作に比ぶべくもなく、あやからむと思ひ駄句をつくりにけり。

季語「冬の星」は他に、◇「寒星」 ◇「凍星(いてぼし)」 ◇「荒星(あらぼし)」 ◇「寒昴(かんすばる)」 ◇「冬北斗」 ◇「寒北斗(かんほくと)」 ◇「オリオン」 ◇「天狼(てんろう)」 ◇「星冴ゆる」 ◇「枯木星」 としても使えるようである。「天狼」は大犬座シリウスの中国名とあった。

 寒昴鉛筆書きの妹の遺書         角川春樹
 天狼や青春に悔なかれども        渕上千津
 寒星ら出て荒淫をかなしめり       森澄雄

「冬の星」はインパクト弱し。「天狼」「オリオン」などで句を一度つくってみよう。

 星は自力月は他力で光りをり他力本願の吾は月なるか

※写真はおおいぬ座 シリウスから勝手拝借/感謝です。

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恋の神髄

早く寝て真夜に覚めては句をひねる。Photo_388
寝床の中で三句を得た後は、寅第42作「ぼくの伯父さん」の名アリアは何だろうと考える。そうだこれだと決めて、起きてハイクブログに投句して自分のブログに駄文を弄しつつ例句を鑑賞する。
さてその後に、あの名セリフを多分絶対起こしてくれているだろうと拝見するとやっぱりあった。

「私の様な出来損ないが、こんな事を言うと笑われるかもしれませんが、わたくしは、甥の満男は間違ったことをしていないと思います。馴れない土地へ来て、淋しい想いをしているお嬢さんを慰めようと、両親にも内緒で、はるばるオートバイでやってきた満男を、わたくしは、むしろ、良くやったと褒めてやりたいと思います。」

これは満男(吉岡秀隆)が恋する下級生後藤久美子を案じて遥々佐賀まで家出して訪ねたのを、ゴクミの叔父嫌味な高校教師(尾藤イサオ←好演)が「高校生がこんなことしてていいのか」となじったことに対しての<いったん受け止め暫し躊躇した後の>寅の決然たるアリアである。

ここに恋の神髄がある。恋とは、見栄も外聞も振り捨てて一途に相手を大切に思う気持ち。満男がそれを理解しているか否かは別にして、寅の恋はいつもこの恋(相手を大切に思う)なのである。
だから、寅は恋する相手に指一本触れることが出来ない。触れれば相手が壊れてしまう、汚れるとまで思い詰める恋なのである。可哀相なヤツだ。

そこで最後に俺の疑問。恋と愛とは同じでしょうか?

               熱燗やひとふでがきの片思ひ

※写真は後藤久美子から勝手拝借/感謝です。

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FC2ランキングを設置

右サイドに設置してみた。
「FC2ランキングは、他のサイトから自分のWebサイトにどれだけアクセスがあったかをランキングにして表示することができるサービスです」とのことで、どこからお客様が当ブログにいらしているかが分かるものである。
いまのところ、あんまり面白くなさそうだけれど暫く置いてみよう。

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帰り花の句

「帰り花」で句を得たいと前から思案あり。そこに高橋治「ひと恋ひ歳時記」(昔ある人からPhoto_387 の頂いて読んだ本)を思い出した。
そこで、今朝の句「人恋ふる句歌歳時記や帰り花」。
安易な句である。しかし、俺の生活から出た句だと主張したい気分もあるのである。

 きのふありけふまた別の帰り花    島谷征良
 返り花咲けば小さな山のこゑ      飯田龍太
 咲くよりも散るはいつとき返り花    鈴木真砂女
 薄日とは美しきもの帰り花       後藤夜半

夜半の代表作は「瀧の上に水現れて落ちにけり」。箕面の滝に句碑があるそうである。

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2006年12月11日 (月)

貧困再生産→経済縮小を防げ

ワーキング・プアⅡをさきほど観終わった。個別事例(かけもちで働く母親、空き缶を拾う老人など)については、俺みたいな極楽トンボにコメントする資格は無い。
そこで番組に登場した識者三人(社会政策が専門の女性大学教授、経済学者八代尚宏、内橋克人)がそれぞれ提言(最低賃金保障の見直し、健全自由市場確立、貧困再生産だ・これで国家といえるか)したことを記しておこう。

思うに、番組の最後でディレクターが言っていたけれど、国が事態を把握していない(ワーキング・プアの人数把握)のが一番問題だ。このような貧困層の数が多くて、内橋が言うように貧困再生産、更には内需低下、経済縮小再生産にまでつながるのならば人道上の観点のみならず経済効率性の観点からも放置できない。行政・政治が冷静客観的に問題把握してほしいな。

といっても無理やろなあ、再チャレンジなんとかプロジェクトはどうなっとるんや。デフレ逆戻り防止プロジェクトを作った方がええのんとちゃう?安倍ちゃん。ああそれから大田のおばちゃん。

地獄からの使者・・・・空き缶は生きる糧(2004年09月07日)に空き缶を集める老人を描いた絵があるのを発見した。番組でも空き缶集めの老人が増えて競争激化と伝えていたけれど、寂しく寒い光景である。

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冬芽の句

言葉を知ることが逆に、景色を見せてくれる、発見につながる。「冬木の芽」を知って、周Photo_28 りを見渡すと辛夷に立派な冬芽あり。こういうのを存在論的経験というのだ。
そこで今日の三句目は「冬芽立つ辛夷の枝に闘志燃ゆ」。

「闘志燃ゆ」は「春風や闘志いだきて丘に立つ」虚子への挨拶だ。いったい、何に対して闘志燃えるのか、自分でもわからないけれど。ついでに虚子もう一句「これよりは恋や事業や水温む」。虚子は今風にいえば俳句ベンチャーである→中村裕「やつあたり俳句入門」参照。この本で「戦犯」的立場にあるのが高浜虚子で、彼を扱った章が一番面白い。俳人としては希有な経営センスを持った虚子の「活躍」ぶりが、彼に批判的である著者によって、大変生き生きと書かれている。魅力ある悪役という感じなのだ。

 冬芽粒々水より空の流れゐつ       野沢節子
 冬の芽や目礼せしが思ひ出せず     原田種茅
 冬木の芽水にひかりの戻りけり      角川照子

※写真は壮年の虚子。虚子記念文学館から勝手拝借/感謝です。

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柚子の句

「困ったときの色と数」を作句キャッチにしようと思っている。どういうことかというと、一つPhoto_386 二つとか数を韻律合わせに使う技術、そして、赤緑青白黒橙など色を句のアクセントにする技術ということだ(鷹羽狩行「俳句入学」で習った)。

そこで、今日の二句目は「柚子匂ふお湯割り二杯老い隣」。
関連短歌旧作で「リストラの風は冷たしこの宵は二合の酒に酔ひて眠らむ」もある。ほんとうは二杯とか二合では収まらぬのに、句歌的虚構である。もっとも、お湯割りに焼酎を変えて三杯で止むようになりつつはある。

 柚の香や秋もふけ行く夜の膳       永井荷風
 子の置きし柚子に灯のつく机かな     飴山 實
 柚子の黄の北鎌倉の駅小さき       有働 亨
 カザルスを聴くもぎたての柚子三つ    上谷昌憲

柚子は秋の季語だが、味わい深い句が多い。来年の秋(に寿命があれば)、俺も柚子の佳句を得ていることだろう、きっと。

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熊の句

なんとか節酒継続中(ルール違反日少々あり)。平日は缶ビール一缶、週末のみ焼酎解Photo_385 禁が節酒基本ルールだが、その焼酎を水割りからお湯割りに変えた。お湯割りは六が湯、四が焼酎で(白波は六四でなどと菅原謙二がCMしてたなあ)、これに柚子を搾っていれる。

これがなかなかいける。香りがいい。また、お湯の所為で回りが速く、節酒にもなる。節酒すれば体重削減にもつながる。体重削減すれば血圧も下がる。血圧下がればヨイヨイになる確率低下する。ヨイヨイにならなければ人生結末まで楽しめる。

だから、「お仕事は」と訊かれたら「長生きすることです」と答えようと思っている。それが神の御意だから。「冬萌やいのちはわれのものならず」。
そこで、今朝の句は「一缶のビールで眠る熊のごと」。

 生くることしんじつわびし熊を見る         安住敦
 熊の子が飼はれて鉄の鎖舐む          山口誓子
 熊の皮干して戸板に余りけり           松本たかし
 月の輪のあらはに熊の担がるる         長谷川耿子

安住敦にリンクさせたページは(なんと)大西巨人のページであった。氏の短歌も掲載されている。戦争体験を戦争を知らない子供たちに伝えてくれるページである。

※画像は神聖喜劇 紀伊國屋書店BookWebから勝手拝借/感謝です。

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2006年12月10日 (日)

火事の句

今日の二句目は「重機にて更地となれり火事の家」。
先月、ご近所で火事があった。夜、しきりにサイレンが鳴るのでどうしたかと思いながら寝たけれど、翌朝、たまたま通りかかったら消防署の車が止まっていて検分か何かしていた。二階が焼け落ちていて、隣家への延焼は免れていた。ご近所の家も、火事のお宅も大変だったろうな。タバコの不始末だったそうである。怪我人が出なかったのが不幸中の幸いだ。

 暗黒や関東平野に火事一つ          金子兜太
 女待つ見知らぬ町に火事を見て       上田五千石
 消防車行きてすぐ消ゆ奈良の火事     右城暮石
 やがては至る晩年遠く火事一つ       有馬朗人

上田五千石という名前から古い俳人ではないかと思っていたが、昭和8年生まれであった。「万緑や死は一弾を以て足る」は印象に残る句である。その他秋の雲立志伝みな家を捨つ」などがある。平成9年急逝、享年63歳。

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今夜、ワーキング・プア放送

N響アワーを蹴っ飛ばしてビデオに採らなきゃ。
NHKスペシャル←安倍ちゃん必見。

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俳句入門(一応完成版)

まず、俺の偏った駄文に毒される前にウィキペディア俳句を読むこと→韻律・季語・切れPhoto_384 が俳句の三大要素であることを頭に置けば十分だ。余裕のある人は「切れ字がなくても句は切れる」芭蕉も頭の片隅に入れれば尚よし。

そこで、以下、俺の駄文である。

見よう見まねで短歌を始め、歌の泉も涸れたかと思いきや、また最近、はじめしばかりの 俳句に作歌の筋肉が刺激され、あはれなる歌綴りをり。
そこでつらつら思ふらく、短歌は詠嘆(あはれ)、俳句は宇宙(をかし)なり。汲めど尽くせぬ言の葉を、広く深くおのがじしに綴るは共に同じなれど、俳句には作句の理あり、形あり。されば、理に情を織り込みてこそ俳句と言はむ。

さてここに、俳句の理に三つあり。一は切れ、切れこそ俳句のいのちなりけり。そして二は、動詞を使ふことなりき。動詞使えば俳句には具体個別にいのち出づるなり。そして最後に控えしは季語という大物なり。季語こそ俳(人に非ず)の核なり。季語に添ひ寝の覚悟せよ。
そしてまた、俳句は即物有情と心得て季語との距離を常に量れよ。更には二物衝撃のみで得意にならず写生を忘るるなかれ。また、「詩になる瞬間」について各々考えられよ。

追記:言葉の風味を味わうためには切れが必要。切って生かして取り合わせが俳句なり。

かくして、俳句方程式が完成。すなわち

俳句=季語+二物衝撃+切れ+詩(比喩、意外性)

以上、自戒をこめて俳句入門である。なお、哲学に興味ある人は我が俳句論的転回も参照されよ。※もう一つ小さな技術/大きな思想→語るな、取り合わせよ

※画像は松尾芭蕉。KIPPO NEWS 2004年05月26日から勝手拝借/感謝です。

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堂々、10位なり

別に自慢するようなことではないけれど、先日登録したFC2ブログランキング@短歌の部Photo_383 でベストテン入りしている。
どうも、ブログランキングではFC2がデファクト・スタンダードみたいと気づいて、ヘッダーに置いていたクリックボタンをFC2に変えてみたら、お客様がクリックして頂いているようである。
ところが、ポイントを見ると9位との間にかなりの開きあり。これを埋められるかどうか興味津々である。

ああ、俺って結構、他人からどう見られているか気にしているんだなあと自己再発見であった。

※写真は2005年3月12日、パリで行われたヨーロッパミスコンテストの選抜で、今年22歳のミス・ドイツのシャーマン・シャーリバルさんが栄冠に輝いた(AFP/Getty Imaages)大紀元時報-日本から勝手拝借/感謝です。

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冬晴れの句

作句、特に写生は素直が一番、を実感した。Photo_382
というのも今朝の句「冬晴れや丹沢越しに富士の山」。

この初案は「白雪や丹沢越えに富士の山」。富士の白雪が丹沢山系越えに見えるというのが句意(主題・思想)なのだが、富士の白雪が上五、下五に分裂状態で気に入らぬ。
そこで、「丹沢を従卒にして雪の富士」とか「のぼりきて白富士のあり息白し」とか「のぼりきて紅富士見れば息白し」こねくり回してどれもいまいちで在庫していた。
しようがない、「紅富士は丹沢越しに息白し」で投句しようとコメントを書いていたら、初案の方がよく見える。そこで投句中止、歳時記で季語を探して本句となった。

写生のお手本のような名句である(誰も言うてくれへんから自分で言わなシャアナイやろ)。ついでに同時作の短歌。
 天気良き日は横山に上り来て富士の白雪眺めて下り来

うちの近くの多摩丘陵よこやまの道なるハイキング道がある。ハイキング道の名所に「防人見返り峠」なるネーミングの展望台があり、そこで富士を眺めるのが我が朝Walkの一ルートである。

 冬晴や立ちて八つ岳を見浅間を見      高浜虚子
 冬晴れて那須野は雲の湧くところ       渡辺水巴
 冬晴を愛す厠の窓からも            谷野予志
 冬麗や赤ン坊の舌乳まみれ          大野林火

俺は関西生まれの関西育ちだが、関西に富士・箱根・伊豆が無いのが癪の種だ。
好きやねん、大阪。嫌いやねん、東京。

※画像は梅原龍三郎 富士 | 銀座画廊おいだ美術 絵画販売・買取から勝手拝借/感謝です。

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2006年12月 9日 (土)

時雨の句(二回目)

テレビ俳句をビデオ録画して毎回観るようになった。Photo_381
今日のお題は「時雨」であったが、そうか、片時雨とか袖時雨とか更には大阪時雨とかがあるのを再認識した。そのうち(耕衣張りに)妻時雨なんてのも造語してみよう。

という訳で今日の三句目は袖時雨を頂戴して推敲→「歳なれば涙腺ゆるみ袖時雨」。
「自己を発見」しているか、「生活から歌っているか」に照らすと甘い句である。観念的で下品である。しかしまあ、句集には留めておき自らの反省材料とする。

 人々をしぐれよ宿は寒くとも        芭蕉
 チエホフを読むやしぐるる河明かり   森澄雄
 水にまだあをぞらのこるしぐれかな   久保田万太郎

まず、事実に即け。技術や語彙や比喩はその後である(自戒)。

※写真は今週のテレビ俳句の講師:矢島渚男。NHK俳句|俳句選者紹介から勝手拝借/感謝です。

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春日井建

句歌において、いったい「詩になる瞬間」とはどのようなものか。Photo_380
音楽の三要素(リズム、旋律、ハーモニー)になぞらえて、句歌の三要素(韻律、主題・思想、言葉の響き合い)を俺は主張しているのだが、これに沿って考えてみよう。

まず韻律(リズム)。これは定型に即して句歌をつくれば自ずと(語感の問題は別にして)備わる。
次に(主題・思想は置いて)言葉の響き合い(ハーモニー)。俳句においては取り合わせ(二物衝撃・二章一句)という技法が確立されているので、これを勉強・修得すればよい。例を挙げると、「菜の花や月は東に日は西に」蕪村では「菜の花」と「月」が取り合わせの妙である。
他方、短歌には季語が無いので取り合わせという技法のありようが無い。そこで、言葉の貯蔵庫をどれだけ具備しているか、比喩(アナロジー)の発見力が決め手となる。俳句においてもこれらは必要な能力である。

さて、残る問題は主題・思想(旋律)である。これが難問。端的に言うと、対象(風景、心象その他対象となる事実の全て)からどう旋律を紡ぎ出すかということである。
例を挙げよう。「月天心貧しき町を通りけり」蕪村である。

このとき蕪村が町を月光を浴びて歩いていたかどうか知らないが、蕪村は「月天心」「貧しき町」という旋律を紡ぎ出したのである。ここには比喩「貧しき」とか語彙「天心」の力も多少は預かっているが、月が町の上にあったという事実から旋律(論理といってもいいだろう)を抽出する瞬間こそが「詩になる瞬間」である。
つまり、事実空間から論理空間を抽出する瞬間が「詩になる瞬間」なのである。
すなわち、これが「自己の発見」とか「生活から歌う」ということである。理屈・観念で歌うな、物事(事実)に即けということである。

さあ、問題(what)は分かった。あとは習練(how)である。句歌研究、事実探求そして練習しかない。道は遠い、しかし、寿命もたぶん少しは余裕あるであろう。

さて、今日は春日井建。三島由紀夫が「われわれは1人の若い定家を持ったのである」と絶賛してデビューした歌人である。

 童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり

韻律よし。言葉の響きあいもよし(「童貞」と「葡萄」と「したたる」の響き合い、「するどき指」という比喩)。しかし、主題・思想がこの歌だけでは(俺には)よくわからない。
そこで、他の歌を見ると「男囚のはげしき胸に抱かれて鳩はしたたる泥汗を吸ふ」などがある。微かに♭の匂いがする。ハ長調はあまりにも単純だけれど俺はやっぱり♯だなあ。そういう眼で掲出歌を読み直すと、ああやっぱり♭だ。ヘテロに限ると俺は固定観念を抱いてしまったのである。

つまりは、旋律は趣味の問題に帰する部分がある。悪趣味だと切って捨てるのは悪趣味だけれど。

※画像は小松繁敬『葡萄と落葉』から勝手拝借/感謝です。小松さんはALSという病気を患い、入院生活を続けておられる方である。是非、クリックを。

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寒月の句

今日の二句目は「私生活を切り売り営業寒の月」。Photo_379
「寒の月」と「冬の月」とは歳時記では「冬の月」でくくられて一まとめである。語感が違うと思うけれど。

ところで、いま話題の女性タレントは今回の騒動に出るまでは知らなかったぜよ、寒の月。

 寒満月急に遠吠えしたくなる      大坪和子
 寒月やからりと捨てるから玉子     大江丸
 寒月に水浅くして川流る          山口誓子
 冬の月ベットにすがり糞まれば     石田波郷

※写真は石原真理子。SANSPO.COM  芸能から勝手拝借/感謝です。

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どうした、安倍ちゃん

今日の日経政治面トップは「チーム安倍 機能不全」。道路財源問題で首相の指導力がPhoto_378 見られないまま、先送り決着したことを評しての見出しである。社説も「安倍改革に影落とす道路財源の決着」と書かれ、叱咤激励されている。

どうしたんかなあ。立花隆が勘繰るように(両眼とも、眼のまわりが真っ黒だったのである。黒というよりは蒼黒く、誰か暴漢に襲われて眼のあたりをなぐりつけられたのではないかと思ったくらいだ。それよりさらに心配だったのは、その青黒い部分の周縁部に妙な黄色とも橙色ともつかない部分がにじみ出すようにして広がっていたことだった。まるで、肝臓を悪くした人にあらわれる黄疸のようだと思った)相当、健康が悪いのかなあ。
それとも、もともと坊ちゃん優柔不断、指導力なんか期待するのが無理なのかなあ。

そうそう、イノベーションなどとカタカナを政権発足当初、振り回したけれどそれっきり。後続パンチの一つも無し(小泉政権も改革という絶叫だけは同じなんだけれど純ちゃんには花があった)。このままだと夏の参院選挙を待たずに、小泉再登場なんてのもあり得るぜよ。

景気も黄色信号が点灯→GDP改定値下方修正、設備投資の伸び鈍化・7-9月。外需堅調なうちに内需を刺激しなければデフレに逆戻りだよ。

参院選に自民党が負けるのは大歓迎だけれど、株価が下がるのは困る。なんとかしろよ安倍ちゃん、俺のために。

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漱石忌の句

今日は漱石の忌日(1916年12月9日、享年49歳)。俺の一番好きな漱石の句は下のようPhoto_377 な事情で生まれた。

「夏目漱石は1910年(明治43年=43歳)夏、療養先の伊豆・修善寺温泉で吐血し、人事不省に陥った。世にいう「修善寺の大患」である。生死の境をさまよい、小康を得た。「横に見る世界と竪(たて)に見る天地と異なる事を知る」と日記にある。「横に見る世界」とは病床から眺める世間だろう。横に見た経験は人に何ごとかを教えるものらしい。---「生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉(とんぼ)」と、漱石の病床吟にある」

ちなみに、俺にも「横に見た経験」あり。ガキの頃の盲腸は別にして、前厄・本厄・後厄と三年続けて右腕骨折(伊豆大島で椿を見ながら石段踏み外し)+十二指腸潰瘍×2である。人格形成の糧にちょっとはなっているだろう。

さてそこで、今朝の句は「漱石忌余白の多い本が好き」。
「文字の大きな本が好き」もあるなと思いつつオジン臭いから止めた。ギャルが詠んだ句として読んで頂けると嬉しい。

 漱石忌猫に食はしてのち夕餉       平井照敏
 漱石忌余生ひそかにおくりけり      久保田万太郎
 うす紅の和菓子の紙や漱石忌      有馬朗人
 妻の嘘夫の嘘や漱石忌          阿波野青畝

相変わらず、万太郎は平明で具体的で詩情がある。図書館に万太郎俳句評釈をリクエスト済み。集中的研究の所存である。

 生涯に詩のごときもの一つ二つ生るれば嬉し坂道を行く

※写真は学生時代の漱石。翻訳blog 鴎外・漱石・子規から勝手拝借/感謝です。ついでに図書紹介。坪内稔典「俳人漱石」仮想の鼎談で、子規・漱石の対話を著者が取り持つという趣向を凝らしたもので、ロンドン留学までの漱石と子規、明治の青春を感じる本であった。

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2006年12月 8日 (金)

寒さの句

今日の三句目、初案は「寒い夜は寝物語して過ごしましょ」だった。生活から歌え、と書いたばかりなのを思い出し、慌てて「寒い夜はテレビを消して寝 物語」に変更した。Photo_376

 水枕ガバリと寒い海がある        西東三鬼
 鯛は美のおこぜは醜の寒さかな     鈴木真砂女
 次の間の灯で膳につく寒さかな     一茶
 下北の寒きほくろに酔はされし     菅原鬨也

三鬼の代表作といえば「中年や遠く実れる夜の桃」。
この句と、茂吉の桃の歌「
ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり」と、岡井隆「生きがたきこの生のはてに桃植ゑて死も明かうせむその花ざかり」は俺の詩歌脳内桃三点セットである。

※写真は三鬼。 西東三鬼賞 - 津山市から勝手拝借/感謝です。

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俳句の天才―久保田万太郎

図書館で見つけた小島政二郎「俳句の天才―久保田万太郎」から記録すべきフレーズを引いておく。

要するに、写生は方法―手段であって―、目的ではない。目的は「詩になる瞬間」を会得することである。
写生はやさしいから、我も我もと写生ばかりして、目的を達したと思っている。それがあなた方の俳句である。


写生でさえも会得していない俺だけれど(俺だから)、我が意を得たりと拍手した。しかし、「詩になる瞬間」会得への道は遠い。更に、次の箇所は我が肝に銘ずべきである。

本当の俳句を作ろうと思ったら、まず自己を発見することが必要だ。

俳句は抒情詩だと云ったのは、芭蕉の前にも、芭蕉のあとにも、一人もいない。芭蕉が始めて樹立した俳句の詩学なのである。
では、どうしたら俳句が抒情詩になれるのか。自己の生活を歌えと芭蕉は云っている。


写生は手段。目的は詩をつくることである。そして、詩にするためには自己の生活を歌うこと。万太郎は自己の生活から詩を生み出すことにおいて天才であった。虚構句も自己Photo_375 の生活から出てこなくては、川柳に止まるのみだ。
例を引こう。1945年、敗戦の日を万太郎は次の句にした。

 何もかもあつけらかんと西日中

「あつけらかん」も「西日中」も(当時、万太郎がどんな生活をしていたか知らないけれど)生活と敗戦の実感から生まれた言葉だと思う。万太郎は、自己をみつめた俳句の天才(詩人)である。さて、俺はどれだけ自分を見つめているのやら。

※写真は東京裁判から勝手拝借/感謝です。

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顔見世の句

先週土曜日、BSで元禄忠臣蔵@吉右衛門を放送していた。録画し損ねて終わりの方だPhoto_26 けリアルで観たけど吉右衛門がカッコよかったなあ。今週土曜日は藤十郎。この役者の嫁はんが気に食わんけど録画予約済みである。

そこで今朝の二句目は「顔見世や浪花男の横恋慕」。
最近、この手の句(虚構句というか川柳)はご無沙汰であった。はてさて、この横恋慕、成就するや。

 顔見世やおとづれはやき京の雪     久保田万太郎
 顔見世や京に降りれば京ことば     橋本多佳子
 顔見世の噂も遠し嵯峨ずまひ       大島民郎
 南座の顔見世ちかし弥助鮨        岩城のり子

万太郎は粋やなあ、よろしおま。抽象の耕衣に対して具体の万太郎なり。

※画像は歌舞伎美人  公演情報から勝手拝借/感謝です。

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心身モノコト・モデル論

駒田眼科でベルクソンから物心二元論が話題になっていたので、思いつきで下のようなコPhoto_25 メントを送った。

延長はモノ、非延長はコト。従って、脳はモノ、心はコト。
というのはどうでしょうか。
そして、モノとコトとはゲシュタルト(図と地)。どんな目的でどの角度から観察するかでモノ(実体)になったりコト(関係)になったりするように思います。
電子ってモノかコトかという議論です。このあたりの事情を般若心経は、全てコトすなわち色即是空空即是色と表現しているのではないでしょうか。


図と地というのはちょっと誤解しやすい表現だったか。言いたかったことは、実体/関係モデル(アリストテレスはこの世の中を「実体」という概念を使ってモデル化を試みた参照)で観察目的によりどちらをモノ(実体)とするかコト(関係)とするか、変わってくるということである。

つまり、人間を社会的存在として捉えると、心がモノ(実体)、身体(含む脳)がコト(関係)となる。ここで、関係とは「実体から派生するコト」と定義しておこう(デリバティブやね)。
具体的には、人間の社会的活動において心が実体であり、身体は関係である。例えば、社交において、お辞儀・握手・乾杯・接吻その他身体は関係性の表示手段として使用される。あ、モノは目的、コトは手段と理解してもいいか。それはともかく、心は身体を通して心と関係するということである。

これに対して、人間を生物的存在として捉える場合には、身体がモノ(実体)、心がコト(関係)となる。具体的には、食・睡眠・排泄・生殖において心(神経系)は対象物の予知・認識・確定手段となる。すなわち、身体は心(神経系)を手段として身体(例えば獲物)と関係するということである。
もっとも、生物的存在と社会的存在は明確に区分できない場合があり、社会的活動においても恐怖・狼狽など、心が身体の(生命維持)手段として使用されることもある。

要約すると、人間存在観察の理論負荷性を考慮した下記概念モデルとなる。

社会的モノコト・モデル
(社会的活動:社交、恋愛たぶん性愛も等)  
心(モノ=実体)@身体(コト=関係)⇔身体(コト=関係)@心(モノ=実体)

生物的モノコト・モデル
(生命的活動:快食・快眠・快便そして快交尾)
身体(モノ=実体)@心(コト=関係)⇔心(コト=関係)@身体(モノ=実体)

プラトンは社会的モノコト・モデルを重視したからイデア論を主張し、デカルトはこれに反対して物心二元論(延長、非延長)をぶつけたのではないだろうか(哲学史参照)。
しかし、心は身体に閉じ込められてはいない。心は社会的存在として実体(モノ)である(モデルが妥当な場合が多い)。でも、最後は人間、いのちあってのものである。心は派生物にしかすぎないのだから。遺影妻春や雲交してくるよ

ブログランキング鏡像さん、駒田眼科をリンクしました。眼が悪くなったら治療してもらいに行きます。
※画像は眼球の立体構造。日本眼科学会:目の病気 加齢黄斑変性症から勝手拝借/感謝です。

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冬の山の句

今朝の句は「ととさまとかかさまの墓山眠る」。Photo_374
これで父母供養句三句完成、句集に並べて掲載した。

 冬山の倒れかかるを支へ行く        松本たかし
 雪嶺や畦の焚火に誰もゐず         秋元不死男
 雪嶺が遠き雪嶺よびつづけ         橋本多佳子
 枯山の匂ふばかりに日当れり        清崎敏郎

多佳子三十八歳で夫急逝。以降、亡夫を思慕しつつ句作に没頭する。
代表作は「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」。
死者は記憶(俳句)になお生きている。

※写真は橋本多佳子。暇つぶしのススメ 名前バトンから勝手拝借/感謝です。

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2006年12月 7日 (木)

冬日の句

歳時記を音楽聴きながら眺めていることがある。Photo_373
今日の三句目「冬日向姑の呆けのゆるやかに」。
これは昨夜、歳時記を眺めていて例句(龍太)から反射的に連想して浮かんだ。

 遺書父になし母になし冬日向        飯田龍太
 たつぷりの冬日が父と新聞に        神田綾美
 冬の日や馬上に氷る影法師         芭蕉
 喪の家の人が動けば冬日動く        寺田京子

寺田京子(どんな俳人かほとんど知らず)には悲しい叙情句が多い。
「冬満月われの匂ひの中にねむる」は先日、引いた
俺はまだ俳句を始めたばかり。四季を一回りしてまた冬に戻らむ、いのちある限り。

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土曜日、乱舞す

縦書き文庫さんにご無理をお願いして、一行詩集ランダム表示機能を付加して頂きました。これにより、自歌自讃(左サイド下部)の拙歌がランダム表示されるようになりました。

ページを開く都度、異なる歌が顔を出します。喜んでやって下さい(一番、喜んでいるのは俺ですが)。

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冬の句

短歌的人間は自己陶酔型というけれど、俺なんかその典型である。
というのも、自分の句がよくてよくて断然いい句に見えてしまうのである。
今朝の思いつきほやほやの二句目「句に出会ふいのちなりけり冬の旅」。Photo_372

この句なども、西行シューベルトを踏まえた教養なければできない句に思えて仕方が無いのだ。ああ、アホやなあ。

 うつすらと夢にあそびて冬の塵      青柳志解樹
 虹消えて馬鹿らしきまで冬の鼻      加藤楸邨
 らあめんのひとひら肉の冬しんしん    石塚友二
 富む家にとりかこまれて住めり冬     林 翔

青柳志樹木は造園業を営む俳人とのことである。「村へ帰る一青年と冬の月」も叙情的な句である。写真は青柳志樹木。世田谷文学館から勝手拝借/感謝です。

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水洟の句

季語から発想して句をひねるか、逆に、句のボディが出来てから季語を探すか。Photo_371
俺の場合、後者がほとんどである。しかも、中七下五がふっと浮かぶ場合が多いなあ。
今朝の句「水洟や句をひねれどもスカばかり」もこうした場合にあたる。
ただ、「水洟」という季語を以前から使いたかった。というのは、下の芥川の句を引きたかったからである。

 水洟や鼻の先だけ暮れのこる        芥川龍之介
 水洟や我孫子の駅のたそがれて      石田波郷
 水洟の水色膝に落つ故郷          永田耕衣
 鼻長きキリスト吾は水洟かむ         山口誓子

俺の子供時代、クラスに一人は水洟をいつも垂らしている子がいた。学生服の袖口が水洟を拭くのでテカテカ光っていた。貧しき時代の思い出である。
それもあって、「水洟」で句を得たかった。得た句はスカだけれども。

誓子の句の中で一番好きな句は「炎天の遠き帆やわがこころの帆」。俳句は抒情詩なりとしみじみ思う句である。句に出会ふいのちなりけり冬の旅

※写真はasahi.com:誓子と詠んだ星空 俳句と共に紹介 - マイタウン三重から勝手拝借/感謝です。

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2006年12月 6日 (水)

都鳥の句

テレビ俳句を録画して見るようになってしまった。今日の講師は稲畑汀子さん、虚子のお孫さんである。そこで一句「テレビ俳句家業稼業の都鳥」。Photo_370
ネットで投句もできるので早速、兼題「初明り」で投稿した。発表済みの句は禁止なのでここには投稿句を書けないが、入選しないよ、絶対に。

 都鳥とんで一字を画きにけり     高浜虚子
 昔男ありけりわれ等都鳥       富安風生
 東京の水に夕日に都鳥        今井杏太郎

ところで、恥ずかしながらゆりかもめが都鳥とは知らなんだ。人生是勉強也。

※写真は公共交通機関総合計画の策定支援から勝手拝借/感謝です。

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初霜の句

寒くなった。今年は去年より寒い冬ではなかろうか。あ、俺の心が寒いのか。
そこで今日の二句目は「初霜や常は通らぬ道を行く」。
昨日が初霜だったように思う。たまたまポストに入れる用があっていつもと逆順の朝WalkPhoto_369 道、逆順だけで見える風景が全く違う。たまには違う道を歩かなければとも思うのだが、律儀な俺はいつも同じ道と順路を辿るのである。

 初霜や物干竿の節の上          永井荷風
 初霜や斧を打ちこむ樹の根つこ     秋元不死男
 初霜やひとりの咳はおのれ聴く     日野草城

荷風には「白魚や発句よみたき心かな」という句もある。生を愛する心に俳句は棲むようである。


※写真は荷風。永井荷風と大黒家から勝手拝借/感謝です。

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木の葉髪の句

実は(恥ずかしながら)つい最近まで「木の葉髪」とは白髪混じりの髪のことだと思っていPhoto_368 た。ところが歳時記に「抜け毛が目立つ初冬に、髪を同じく初冬に散る木の葉になぞらえていう語」とあるのを発見して、なるほどと思った。白髪と落葉とは色違いだもんね。

そこで今朝の句は「木の葉髪てつぺんばかり脱け落ちて」。
床屋で出来具合を鏡で見せてくれるのがイヤだ。たまさか機嫌がいい時は「てっぺんを見せてくれ」と頼むこともあるが。

 木葉髪わが反骨は痩せざるや       林 翔
 木の葉髪泣くがいやさにわらひけり    久保田万太郎
 富めるとも心貧しき木の葉髪        上野泰
 木の葉髪うたひ歎くやをとこらも      三橋鷹女

写真は鷹女。「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」「白露や死んでゆく日も帯締めて」の作者である。禿頭になろうと惚けになろうと凛としてゐたし。  

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2006年12月 5日 (火)

冬の月の句

昨日、プールで二首を得た帰りに見上げると丸い月でした。Photo_367
そこで句を得ました。「幸せを冬満月と定めけり」
今夜は満月です。

 村へ帰る一青年と冬の月         青柳志解樹 
 冬満月われの匂ひの中にねむる     寺田京子
 寒月下あにいもうとのやうに寝て     大木あまり

冬の月は清潔なエロスを帯びている。心からエロスへ、エロスから心へ。人間は動物と異なりエロスに生きる生きものだと思う。あ、俺の句にはエロスが感じられぬなア。

※画像はJDN -版画家としてのマルク・シャガール シャガール傑作版画展から勝手拝借/感謝です。 

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黄落の句

今日の二句目は「黄落や金王朝の終末期」。
秋に逆戻りだけれど、来年の今頃、金王朝は存在しないかもしれないので投句した。Photo_24
それはともかく、数ある紅葉の中で銀杏の黄葉は最も見事だ。歳時記に「荘厳」という形容もある。
荘厳の中で静かに平和に終末して欲しい。朝鮮民主主義人民共和国2300万の拉致されし人民のために。

 黄落や或る悲しみの受話器置く     平畑静塔
 堕胎医の金属響く黄落期         石原八束
 ここに来て死ねよと山河黄落す      籏 こと

籏ことの句に感じ入って検索したけどプロフィル不明(故人のようである)。「十月の朝顔咲くや片思ひ」という句もある。しなやかで鋭敏な感性がこのような句を生むのだろう。
あ、句を得てしもうた。
 
 老いてなほしなやかであれ黄落期

※画像は朝鮮民主主義人民共和国国旗。世界の国々 - アジア - 北朝鮮から勝手拝借/感謝です。

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佐佐木幸綱

長嶋茂雄      野村克也
大江健三郎    井上ひさし
曾野綾子      田辺聖子
さて、上の三人の対比はいったいなんだろうか。
答えは、左側が短歌型人間、右側が俳句型人間。坪内稔典「俳句的人間・短歌的人間」から頂戴した。
短歌型人間とは「主観的、情熱的、自己陶酔的、真面目」な人間で、俳句型人間は「客観的で冷静、そして自己をも茶化す道化的な精神を発揮」するとのことである。ちなみに著者ネンテン自身は俳人である。

そこで、なぜこうした対比になるかという根拠だが、短歌型人間の自己陶酔・自己主張は「五七五七七音の短歌形式の性格、ことに下句の七七音の働きから生じていると思われる」と主張して、次の歌を例証にする。
 人皆の箱根伊香保と遊ぶ日を庵にこもりて蠅殺すわれは         正岡子規
 やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君       与謝野晶子
 われ男の子意気の子名の子つるぎの子詩の子恋の子あゝもだえの子  与謝野鉄幹

つまり、短歌は俳句より下句七七の分、音数が多いため、つい饒舌となり上の三首(特に鉄幹の歌)のように自己陶酔的ホットになるというのだ。確かに俳句は「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」と自制客観となるのだが、短歌は歯止めがないなあ。
しかし、ものごとは皆バランス。左が無ければ右も無い。心は左にお財布は右ポケットに、とか、熱いハートと冷たい頭脳とか言うではないか。短歌あっての俳句、俳句あっての短歌である。だから、多数派の右傾斜はやっぱりキモイぞ。Photo_366

さて、今日は佐佐木幸綱。男歌の代表的歌人であり、俵万智のお師匠さんである。

 ゆく水の飛沫き渦巻き裂けて鳴る一本の川、お前を抱く

「ゆく水の飛沫き渦巻き裂けて鳴る一本の」は「川」を引き出すための万葉調枕詞であろう。これが現代的前衛的技巧であり、歌の中身は「お前を抱く」だけである。
しかし、このような饒舌冗長な形容が新鮮な喩を歌にもたらし、しかも、硬い措辞が男っぽい雰囲気を醸し出すのである。女ならこんな男に惚れてみよ、と言っているのである。

幸綱はラガー・マンで「ハイパントあげ走りゆく吾の前青きジャージーの敵いるばかり」というラグビーを題材にした歌もある。むせるような男臭さ。この味は俳句ではちょっと音数が足らぬなあ。おセイさん(田辺聖子)の好みではないと勝手に思うのだが、いかがなものか。

※写真は早稲田ウィークリーから勝手拝借/感謝です。

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プール歌、二首

昨日のプールは短歌脳であった。Photo_365

 欲張りはもう止めました健やかにあれば嬉しと神仏に謝す
 下品さは自づと現るプールにて嫌な女と今日も会ひにけり

正味1時間強の間、無言で水中徒歩・平泳ぎ、そしてサウナをこなす。嫌な女に会うのがちょっぴり楽しみだったりして。
プール体重:85.0→84.4。節酒効果かもしれない。

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冬紅葉の句

今朝の句は「戦争の色は嫌ひや残る紅葉」。Photo_364
初案は「冬紅葉」だったが、ネット歳時記に「残る紅葉」も冬紅葉の別表現としてあったので、こちらにした。どんな理由があっても戦争反対というのは今や「残る紅葉」のごとき少数派と思うからである。来年の参院選で安倍自民党を勝たせてはならぬ。勝てば本格的に逆コース(憲法改悪など)を開始するは必定であろう。

 日おもてにあればはなやか冬紅葉     日野草城
 冬紅葉しづかに人を歩ましむ         富安風生
 盃を止めよ紅葉の散ることよ         高野素十
 冬紅葉冬のひかりをあつめけり       久保田万太郎

高野素十は遅く俳句を始めた人でホトトギスの雑詠巻頭に選ばれた時には額をぽんと叩き、畳の上ででんぐり返しを打って、その喜びを身体で現したそうです。俳人と俳句業界(虚子が業界システムを構築したとの見方あり)にも興味深いものがあります。

※写真は京都議定書拒否声明を発表するブッシュ米大統領(AP=共同)から勝手拝借/感謝です。ジョージ、いったい、イラクをどう決着させるつもりやねん。

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2006年12月 4日 (月)

咳の句

今日は在庫に余裕があるので三句目「咳をしても一人の夜や遺影妻」。
放哉耕衣の句に敬愛をこめての本歌取りである。

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我が俳句論的転回

なぜ、こんなに俳句に溺れてしまったのだろうか。Photo_363
思うにそれは、ウィトゲンシュタイン及び野矢茂樹との出会いにあったのである。

すなわち、第一に世界の独特の独我論的見方である。
ウィトゲンシュタインにおいては,「世界を満たす」論理(形式)があって,これに存在を付与し,限界を引くのが主観なのである 。すなわち、「世界と生とはひとつ」(5.621)であり,「私は私の世界」(5.63)であり,「思考し表象する主体は存在」(5.631)せず,「主体は世界には属さない.それは世界の限界である」(5.632)といえる.従って、独我論を徹底することによって,世界を成り立たせているもの,世界を存在させているものこそが「私」であり,それゆえに純然たる実在論となる。これがウィトゲンシュタイン独特の独我論=実在論(私が存在を付与する。眼は眼を見ることができない)である。
従って、事実世界を論理世界に写像する俳句においても、私が存在を付与し眼は眼を見ることができないから、「私」は消失する。ここが徹底的に私歌である短歌との最大の相違点である。

第二に言葉の意味論である。将棋の駒が単体では意味を持たないのと同様に、言葉は言葉単独では意味を持たない。語の意味とは言語におけるその使用形態である。
俳句においても季語その他の語句の意味は古今の詩歌全体によって(語句は芭蕉以降更には万葉からの伝統を背負っている)定まるのである。だから、名句に出会って言葉の存在論的経験を味わうのが俳句のエロスとなる。

第三は世界の価値論である。俳句の書き手が現出させるのは事実世界から概念世界への写像までである。俳句にどのような価値を見出すのかは読み手に委ねられる。だから、書き手は主観を排して客観に徹するのが基本となる。語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

かくして、我は俳句に溺れたり。ウィトゲンシュタインは我が俳句の師なり。

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なぜか好きになれない竹下景子

寅41作は「寅次郎心の旅路」。なんとウィーンに寅が行くのである。
面白いのはその前置き話。自殺し損ねた会社人間坂口(柄本明)と寅のやりとりである。
坂口 「無断で会社を休んでおりますので、明日は、出勤致しませんと。今からですと、新幹線で上野行きに間に合いますので。これで失礼しようと。」
寅さん 「おい、お前がいないと会社、つぶれちゃうのか。」
続きはクリックでどうぞ。

でも、この作品、人物像が中途半端で(特に景子及び景子の恋人へルマン)気に入らなPhoto_362 い。前作のすま・けいの名演技の残像のせいなのか、それとも、良妻賢母景子がそもそも嫌いなのか、どうも後者のようだなあ。可愛くて阿呆で色気のあるのが我がタイプなり、ああ太地喜和子よ。

とはいえ、恋人を捨て日本に帰ろうとする景子を諭す淡路恵子のセリフが心に残った。
「くみちゃんはほんとに好きなの、ヘルマンが」
「好きよぉぉ」
「だったらどうして、帰るな、って言わせなかったの。ほんとはヘルマンにそう言って欲しかったんだろ。そんなことも出来ないでどうして愛してるって言えるの」

そうなのだ。「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」三橋鷹女。それが出来ない、このじれったさが「男はつらいよ」の魅力の一つなのだろう。「寅さんは安全牌や日向ぼこ」。

※写真はいい女列伝 伝説の名女優!太地喜和子 第一夜! - 『梁塵秘抄』 または ”わしふぃーるど” - 楽天ブログ(Blog)より勝手拝借/感謝です。ここは喜和子満載必見!

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日向ぼこの句

実は(何を隠そう)負けず嫌いである。負けず嫌いだから、人様のいい句を見ると嫉妬で口惜しくなる。そこで、俺も日向ぼこの句を昨日から二日がかりでようやく捻った。Photo_361
 気に入らぬ業務命令日向ぼこ
ちょっと理屈が透けてみえるのがいまいちだなア。

 ふところに手紙かくして日向ぼこ       鈴木真砂女
 浄土とてこんなものかも日向ぼこ      有吉桜雲
 消防車丸洗ひして日向ぼこ          古屋 元
 日向ぼつこ日向がいやになりにけり     久保田万太郎
 うとうとと生死の外や日向ぼこ        村上鬼城

「消防車」の句が理屈抜きで面白い。理屈の梯子をのぼったら梯子を棄てるのが俳句ということか。「冬蜂の死にどころなく歩きけり」鬼城。

※画像は玉英堂書店  村上鬼城画賛幅から勝手拝借/感謝です。

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嚏の句

今朝の句は「嚏してピンクのシャツの似合ふなり」。
「嚏」は「くさめ」と読んでくしゃみのことである。俳句以外ではまず使わないだろうなあ。
中七下五は、BS2「ふるさと皆様劇場」の前川清がピンクのシャツを着ていて、思いついた。季語を歳時記で探して、難しい漢字を選び知識をひけらかす嫌味オヤジのナルちゃん句とした次第である。Photo_360
常住坐臥俳句なり。何を見ても句が浮かぶようになろう(根性無しの俺には無理だけど)。

 嚏して仏の妻に見られたる        森澄雄
 つづけざまに嚏して威儀くづれけり   高浜虚子
 東京にくつさめ一つ到着す        山田みづえ
 くさめして鶴の番人孤独なり       成瀬櫻桃子

日常の中に詩を発見、いや、作出するのが俳句なり。

※写真は岐阜・愛知エリアを中心としたお仏壇情報サイト/新所帯用お仏壇から勝手拝借/感謝です。 

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2006年12月 3日 (日)

小中英之

句作を始めるようになってあらためて叙情を思う。短歌は徹底的に私歌だから、自分の思Photo_359 い(メロディ)を韻律(リズム)に乗せて適当な措辞で響かせれば(ハーモニー)、なんとか歌にはなる。

しかし、17音と土俵が狭い俳句ではメロディを歌わせる余裕が極端に少なくなる。だから、「ものにつけ」ということになり主観よりは客観でメロディを歌わざるを得ない(即物有情)。
つまり、詩句の結晶度がより高く要求される(ごめん、短歌を見下しているのではない。俳句に現在バイアスがかかっているので許せ)ことになるのである。まして、季語という核がある分、写生が要求されるから尚更である。

こうして、思想をいかに旋律に転換するかという技(詩そのもの)が俳句では殊更に必要となるのである。また、中途半端な思想ではそもそも詩にはできないから、思想自体もやわではお話にならない。要するに、考え抜け、言葉を鍛えよ、である。

さて、今日は小中英之。若い頃から不治の病に冒されていて、2001年に他界した歌人である。

 今しばし死までの時間あるごとくこの世にあはれ花の咲く駅

平明で透明な叙情をたたえた歌だ。上の句「今しばし死までの時間あるごとく」が前奏を奏で、下の句「この世にあはれ花の咲く駅」が主題旋律を美しく歌う。
時間が止まったような風景であるが、しかし、いつか死は確実にやって来る。病を得ている歌人はそれだけに切々と歌い、詠うことにより時間を着実に刻みたいのではなかったろうか。

短歌においても俳句においても最後の主題は死だと思う。死を凝視することにより生は豊かになる。それを信じて鍛えよ言葉を。

※画像は雪舟から勝手拝借/感謝です。

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冬萌の句

手元の歳時記の「冬萌」の項には「冬の暖かい日に思いがけぬ木の芽が萌えだしているのを見いだすことがある」とあるが、ネット歳時記では「冬に草芽がいち早く伸びだすことをいう。春近しを感ずる」とある。しまった、まだだいぶ季節が早かったかと思いつつ今朝の句は「冬萌やいのちはわれのものならず」。
ああ、写生ではない。現代詩を読んで措辞を鍛えねばならぬか。

 冬萌や五尺の溝はもう跳べぬ     秋元不死男
 冬芽粒々水より空の流れゐつ     野沢節子
 冬萌や海と平らに仔牛の背       須並一衛

須並一衛はハンセン病患者(だった?)のようである。「癩にくし花に飼はるる思ひして」という句もある(H18.1.8の項参照)。「海と平らに」とか「花に飼はるる」は素晴らしい詩句である。眼と言葉の海が違うんだろうなあ。この歳にしてまた、詩に触れられる嬉しさよ。

※冬芽の画像を冬芽葉痕図鑑から転載したいのだが転載禁止です。クリックするなり想像するなりして下さい。冬芽は夏にはもうできているのが多いそうです。

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2006年12月 2日 (土)

ペニスに死す→やっぱり退屈や

BS2でやってた「ペニスに死す」。Photo_358
何日かに分けて見てるけど、やっぱりわからんわ。何が言いたいねん。
これでもトーマス・マン「魔の山」「トニオクレエゲル」面白く読んだ遠い記憶(具体的なことなんにも覚えとらへん)あるけれど、「ペニスに死す」はやっぱりわからん、オモロない。

お稚児さん趣味が無いからかなあ。ホモ(短歌)とヘテロ(俳句)の両刀使いやねんけどなあ。
でも、マーラーの音楽だけは好き。これは我が青春。
みんな、この映画のどこがいったいええねんやろ。ブログ検索したけれど納得できる記事見当たらず。ヴィスコンティっていったいなんやねん。なんぼのもんや。

※一部カナ漢ミスがあります。ご迷惑をおかけいたします。写真はヴィスコンティ、ヴィスコンティの肖像から勝手拝借/感謝です。

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短日の句

まず、全く関係ないけど、昨日の日経夕刊から田辺聖子の川柳を記録しておこう。Photo_357

いや、何でも楽しめることは、世の中に多いもの、七十年生きた私の感慨を大阪弁川柳で。「機嫌ようみんな泣かんと遊んでる」 

さて、今日の二句目は「短日やほどけし靴の紐結ぶ」。
自分では象徴的表現のつもりだが世間に通じるかどうか。価値世界は読み手のものである。

 短日やけふも蛇屋の前通る      山口青邨
 妻よわが短日の頬燃ゆるかな     石田波郷
 帯止を身よりはづして日短し      桂信子 

土方鉄「小説 石田波郷」を読了。「機嫌よう泣かんとみんな遊んでる」はさめざめと泣く日々あってこそのものと思う。いわれなき差別を生き抜きし波郷なり。

※画像は風鶴山房:波郷関連ニュース 2001から勝手拝借/感謝です。

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二物衝撃+写生@句をひねる

俳句の妙味の最大は取り合わせと以前から思っている。そして、取り合わせを作り出す技法のことを二句一章または二物衝撃という(このリンクはわかりやすく解説してくれている)

しかし、二句一章または二物衝撃は、これにもたれすぎると安易な句になってしまう。Photo_356
愚作から例を挙げよう。

 小春日や芸道一代売れもせず

確かに「小春日」と「売れもしない芸道一代」とは対立構造にある。しかし、まあちょっとオモロイなあというだけの句である。作者の安易な性分が透けてみえるような句である。

なぜか。
季語「小春」の必然性が無いのである。別に「小春」でなくてもいいのであって、「冬紅葉」でも「柿若葉」でも配合の妙味がありそうな季語ならなんでもいいからである。そして、そうなるのはこの句に写生が無いのが決定的な要因となっているのである。

だから、二物衝撃は写生を伴わないとよくならない。例を挙げよう。

 閑さや岩にしみ入蝉の声   芭蕉

「岩にしみ入」という写生があるからこそ、「閑さや」と「蝉の声」との二章一句が生きていて、句に必然性が生まれる。俳句に写生が欠かすことのできない重要性を拳拳服膺すべし。

※写真は坂田三吉(女房は小春)。事の真相から勝手拝借/感謝です。

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大根の句(写生について)

今日は旧暦10月12日(こよみのページで計算するとこうなる)、芭蕉忌である。しかし、いまいち自信がないのでネット検索したら京都東山の芭蕉堂では毎年11月12日に芭蕉忌を開き芭蕉を偲ぶそうである。
かねて用意の「時雨忌やウィトゲンシュタイン句をひねる」(昨日、寅に句をひねらせたばかりではないか)をどうしようかなあ、来年回しかなあとも思ったけれど、ハイクブログに投句することは止めて句集「妾宅の木戸」に直接入れることにした。Photo_355

そこで、今朝の句は「朝市や人に混じりて大根買ふ」。
なんの面白みもない(かもしれない)写生句である。短歌もそうだけれど言葉数の少ない俳句では余計に、創作力は鑑賞力・評価眼である。ところが大抵作者の眼は濁っている(ナルちゃん俺は特に)。
この句も俺の眼からは「人に混じりて」に人の世に対するある種の感情(拒絶感)が表明されている佳句のように見える。これではいつまで経っても上達しないのである。

 流れ行く大根の葉の早さかな    高浜虚子

この句の下五「早さかな」という措辞(言い回し)が句の決め手であるというのを何かで読んだ。しかし、それ以前に、景を切り取るカメラ・アイと切り取られた景の動き「流れ行く」があると思う。その上での「早さかな」であろう。ここにどんな情を読み取るかは読者の問題であり、それが俳句(写生:事実世界を概念世界に写すまでが作者の力量)である。価値世界は読者に委ねるのである。

※写真は大根の効果例|鉄力あぐりから勝手拝借/感謝です。

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2006年12月 1日 (金)

遺影妻@耕衣の句

今日、耕衣の句集を読んでいて、この句に出会ったら涙が出た。

 遺影妻春や雲公してくるよ

1986年、妻ユキエ死去。66年の連れ合いであった。
そして、この句は耕衣86歳頃の作品である。人生の全て(生老病死)がこの句に凝縮されている。
ブログ検索で同好の方を発見し、コメントさせて頂いた。

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聡明で健気な貴女に捧げる哲学史(5)自然に帰れ

哲学は、自然主義(古代原子論)→反自然主義(プラトンのイデア一元論)→反プラトン主Photo_354 義(認識論的転回:デカルトの物心二元論、そしてニーチェ)→言語論的転回(反観念論フレーゲ)という流れをたどってきた。実在するものは物質であるという素朴な唯物論がプラトンによって否定され(イデアという抽象的実在が真の実在)、反自然主義が自然主義(唯物論)を抑圧し続けてきたのが西洋哲学の歴史といってよいであろう。

そして、かかる反自然主義が物質文明を築く上で大きな力を発揮したのも否定できない。
だが、反自然主義が生んだ自然科学の発展(地動説・天文学、ニュートン力学、電磁気学、進化論・生物学など)が地球は数ある惑星の一つにすぎず、人間も生物の一種という認識をもたらし反自然主義の基盤を崩し始めた。また、哲学内部においても、デカルトが確立した物心二元論の不自然さ(心の中の観念がいかにして実在に結びつくのか)が指摘され、観念を哲学から追放しようと言語論的転回がなされた。

しかし、言語論的転回といえども広い意味での認識論的展開の範疇の中での哲学であった。つまり、存在論を回避して認識・信念の正当性を言語の観点から考えようとした哲学にすぎない(「哲学に固有の認識論的問題は存在しない」と論理実証主義をノックアウトしたクワインは言う)。
そしてクワインを一歩進めて、ローティは哲学の終焉を宣言する。人間の心を実在を正確に表象する「自然の鏡」であると考える、プラトンに由来する、あらゆる知識に根本的基礎づけを与えようとする西洋の認識論的哲学(=「哲学」)を批判した。

と、ここまでエラソーに書いたけれども、もちっと自分の言葉で考えてみよう。そこで、心の見取り図登場。

価値世界      概念世界     事実世界
客観(間主観) ⇔   心   ⇔     実在

   信念    意志 思考(理性)     経験(知覚現象)
   規範        認識(意味の他者と言語による社会的認識:悟性)
              知覚(五感)
          感情 感覚(体性感覚。例えば痛み)
              記憶

上の図でいう概念世界(心)と事実世界(物)とをデカルトは峻別した(物心二元論)。しかし、人間も自然の存在である以上、経験(知覚現象)も自然内の事象として捉えるべきではないか。知覚という働きこそ脳内の機能であるが、知覚という現象は自然的及び社会的現象なのである。
また、思考・記憶にせよ更には意思・感情でさえも社会的思考・記憶・意思・感情として把握すべき部分が大きいのではないか(社会的大衆ヒステリー、世論操作を思え)。

つまり、心は哲学者のいうような主観的なものではないのである。それは公共的な言語によって支えられた社会的なコト(対象・関係でいうところの関係)なのである。例えば、西田幾多郎の言う「場所」というものも、こうした心の社会的関係性のことなのだ。(場所とは、「~に於いてある」ということ。人間は、完全に、存在している場所からはなれることはできない。「日本に於いてある」、あるいは「アメリカに於いてある」、あるいは、「中国に於いてある」。ということです。「場所」というものが、「主体」と「客体」を融合する、一つの全体的な枠組みを提供する。「世界」というのも、ひとつの「場所」ですね。

こうした心の自然的社会的還元(心の場所化と呼ぼう)がひとつ。
もうひとつはローティのいうところの「自然の鏡」であることを止めること、すなわち、真理の基礎づけ主義・反映主義から構成主義への転換である。人間とは独立に存在する真理を人間が鏡として反映するのではなく、現実・実在をモデル化・理論化することにより客観(真理に替えて客観=間主観)を構成するのである(人間原理的モデル論的転回と呼ぼう)。

かくして、人間は自然に帰るべきである。心の場所化とモデル論的転回が哲学の脱構築(唯物論への回帰)をもたらすと思うのである。<心は自然主義、理論は構成主義というごく当たり前のことを主張しているのにすぎないのです>

※写真は「自然に帰れ」を主張したジャン=ジャック・ルソー - Wikipedia

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小春の句

十二月に入って寒気が増したような気がして、小春とだんだん言えなくなってきたけPhoto_353れど、天気がよいので寅さんに俳句をひねってほしくなった。

そこで、今朝の二句目は「小春日や寅も黄泉にて句をひねる」。
では、実際、寅がどんな句をつくったのかというと
「団子屋に団子食ひけり初時雨」。
恐れ入谷の鬼子母神である。 

 小春ともいひ又春の如しとも     高浜虚子
 玉の如き小春日和を授かりし     松本たかし
 めがね拭くことを幾度も小春かな   細見綾子

小春日も平和の賜物と寅が申しております。

※写真は松本たかし。 かまくら GreenNetから勝手拝借/感謝です。

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十二月の句

十二月が来てしまった。早いものである、などとありふれた感慨である。Photo_352
とはいえ、年が明ければ2007年。みんな平等に齢をとる。時間だけは平等である。

さて、今朝の句は「世間虚仮こけたらあかん十二月」。
聖徳太子が世間虚仮と言ったそうだけど、どんな文脈で言ったのだろうか。ネット検索してみた。

この言葉があるのは中宮寺の天寿国繍帳である。
天寿国繍帳は、推古天皇の孫で廐戸皇子(聖徳太子)の正妻であったといわれる橘大郎女が推古天皇に願い出て作らせた刺繍と伝えられている
橘大郎女が「我が大王の所告(のたま)いけらく『世間は虚仮にして 唯仏のみ是れ真なり』と其の法を玩味(あじわい)みるに 我が大王は 応(まさ)に天寿国の中に生まれましつらんとぞ謂(おも)う 而るに 彼の国の形は眼に看がたき所なり 稀(ねが)わくば図像に因りて大王の往生したまえる状(さま)を観(み)んと欲(おも)う」と願い出た経緯が
天寿国繍帳に縫い込まれていて、これにより「世間虚仮、唯物是真」が太子の言葉として後世に伝えられるようになったのである
つまりは、伝聞に過ぎない。しかし、難しい政治情勢を生きた太子の諸行無常感をよく表現している言葉ではある。世間虚仮だけではなく、後半の唯仏だけが真実というのも合わせて覚えておこう。

さて、十二月の句をいくつか引く。
 十二月八日の霜の屋根幾万     加藤楸邨
 浚渫船杭つかみ出す十二月     秋元不死男
 仲見世の裏行く癖も十二月     石川桂郎
 事務服の吹かれ走りや十二月    草間時彦

そうか。十二月は師走+太平洋戦争開戦日であったか。月を同じくして。防衛庁の省への昇格も(民主党迷走の結果)本決まりのようである。安倍政権いまだ支持率高し、そして、大東亜戦争も国民の支持なくしてあらず。
そこで、もう一句「逆コース死語となりけり十二月」。

※写真は中宮寺の菩薩半跏像である。二人の菩薩から勝手拝借/感謝です。
青年よ銃をとるな。 

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