柚子湯の句@柚子湯立つ無精髭など剃らむかな
今日は冬至。明日からはいよいよ日が長くなる(暮れが遅くなる)。「日脚伸ぶ」などという 季語も年明けて一月中旬になれば使えるか。
そこで今朝の句は予ねて用意の柚子湯の句。
柚子湯立つ無精髭など剃らむかな
毎朝、投句してから清水哲男『新・増殖する俳句歳時記』の今日の一句を見ているのだが、今朝は「亡き夫の下着焼きをり冬の鵙」岡本眸だった。「下着」などという俳句になりにくい言葉を使ったこの句の解説の文章に感じてしまったので引用する。
僕等はさまざまな個人的な「感動」を内包するあらゆる事物や風景のカットに一日何千、何万回も遭遇していながら、それを「自分」に引きつけて切り取ることができない。「共通理解」を優先して設定するため、いわゆる俳句的素材や「俳諧」の中に感動の最大公約数を求めてしまうからだ。
言語は公共性を持つ。だから、つい我々は「共通理解」を優先した使い方をしてしまい、自分に引きつけた言葉とすることができず、「下着」などという言葉を排除して俳句を考えてしまう。
そこを俳句は(ひとでなしだから)聖と俗の取り合わせで埋めることを教えてくれる。鵙が聖なら下着は俗、柚子湯が聖で無精髭は俗。われながらまずまずの取り合わせだったと結局自讃となりにけるのである。
柚湯出て童女ねむれる頬赤し 水原秋櫻子
臍ひとつしみじみとあり冬至の湯 角川春樹
柚子湯出て夫の遺影の前通る 岡本 眸
柚子湯して逝きたる人のみなやさし 瀬戸内寂聴
寂聴の句は先日のNHK俳句(毎週ビデオ収録勉強)で知って歳時記に書き込んだものだ。死者は沈黙故にやさしかりけり。
※画像は瀬戸内寂聴の世界 紀伊國屋書店BookWebから勝手拝借/感謝です。
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