奪われたい女、奪えない男
寅44作「寅次郎の告白」は言わば二部構成である。
前半は泉(ゴクミ:満男の「彼女」)の葛藤のお話。しかし、これは彼女の下のような認識セリフで(とりあえずは)決着がつく。
泉 「名古屋の家を飛び出した時はね、あたしは、世の中で一番不幸せで、だれもあたしの気持ちなんか判ってっくれはしないと思っていたの。でも、田舎の町で、知らないお婆さんに親切にされたり、おじちゃまにばったり会って、すがり付いてわぁわぁ泣いたり、それに、砂丘の天辺からころころ転がってくる先輩、見てたりする内に、あたしはそれほど不幸せじゃないんだって、そう思えてきたの。」
そこで、問題は後半である。寅が昔訳ありの吉田日出子(一年前に夫水死して今は後家さんの料理屋女将)に再会し、あわや、という場面を満男がずっこけでぶち壊しにするのだが、泉が二人の将来について満男に質問する。下は、それに対する満男の答え(俺にとっては予想通りの答えなのだ)である。
満男 「あの伯父さんはね、手の届かない女の人には夢中になるんだけれど、その人が伯父さんのことを好きになると、慌てて、逃げ出すんだよ。もう今まで、何べんもそんなことがあって、その度に俺のお袋、泣いていたよ。『馬鹿ね、お兄ちゃんは』なんて言って。」
泉 「どうしてなの?どうして逃げ出すの?」
満男 「わかんねぇや。」
泉 「自分の伯父さんのことでしょう。どうして分からないの。」
満男 「つまりさぁ、綺麗な花が咲いているとするだろう。その花をそっとしておきたいな、という気持ちと、奪い取ってしまいたい気持ちが男にはあるんだよ。」
泉 「ふぅーん。」
さくらの『馬鹿ね、お兄ちゃんは』というのもどういう意味なのか問題だが、泉の「ふぅーん。」は、もっと意味がわからない。つまり、寅のように躊躇う男の優しい心根が(さくら、泉のような)女には理解できないのではないだろうか。もっと言うと、女は奪われたい(或はそのフリをする)性だから、奪えない性=男の気持ちなんか理解不能ではないかと(乏しい経験の中から)俺は思うのだ。
こんところをもっと掘り下げて欲しかったのだけれど、ここで映画は、満男の投げた石が釣りをしていたオヤジに当たって二人は逃走するというつまらないギャグで逃げてしまう。
シナリオを書いたのは山田洋次・朝間義隆という男どもだから、所詮、耳には耳かき棒の気持ちは永久にわからないということにしておこう。
追記:夏木マリ(泉の母親)は今回は娘の優しさに嗚咽する。夏木マリ熱演嗚咽冬の薔薇
※画像は超快感耳かき棒 快太郎から勝手拝借/感謝です。
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