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2006年12月 8日 (金)

心身モノコト・モデル論

駒田眼科でベルクソンから物心二元論が話題になっていたので、思いつきで下のようなコPhoto_25 メントを送った。

延長はモノ、非延長はコト。従って、脳はモノ、心はコト。
というのはどうでしょうか。
そして、モノとコトとはゲシュタルト(図と地)。どんな目的でどの角度から観察するかでモノ(実体)になったりコト(関係)になったりするように思います。
電子ってモノかコトかという議論です。このあたりの事情を般若心経は、全てコトすなわち色即是空空即是色と表現しているのではないでしょうか。


図と地というのはちょっと誤解しやすい表現だったか。言いたかったことは、実体/関係モデル(アリストテレスはこの世の中を「実体」という概念を使ってモデル化を試みた参照)で観察目的によりどちらをモノ(実体)とするかコト(関係)とするか、変わってくるということである。

つまり、人間を社会的存在として捉えると、心がモノ(実体)、身体(含む脳)がコト(関係)となる。ここで、関係とは「実体から派生するコト」と定義しておこう(デリバティブやね)。
具体的には、人間の社会的活動において心が実体であり、身体は関係である。例えば、社交において、お辞儀・握手・乾杯・接吻その他身体は関係性の表示手段として使用される。あ、モノは目的、コトは手段と理解してもいいか。それはともかく、心は身体を通して心と関係するということである。

これに対して、人間を生物的存在として捉える場合には、身体がモノ(実体)、心がコト(関係)となる。具体的には、食・睡眠・排泄・生殖において心(神経系)は対象物の予知・認識・確定手段となる。すなわち、身体は心(神経系)を手段として身体(例えば獲物)と関係するということである。
もっとも、生物的存在と社会的存在は明確に区分できない場合があり、社会的活動においても恐怖・狼狽など、心が身体の(生命維持)手段として使用されることもある。

要約すると、人間存在観察の理論負荷性を考慮した下記概念モデルとなる。

社会的モノコト・モデル
(社会的活動:社交、恋愛たぶん性愛も等)  
心(モノ=実体)@身体(コト=関係)⇔身体(コト=関係)@心(モノ=実体)

生物的モノコト・モデル
(生命的活動:快食・快眠・快便そして快交尾)
身体(モノ=実体)@心(コト=関係)⇔心(コト=関係)@身体(モノ=実体)

プラトンは社会的モノコト・モデルを重視したからイデア論を主張し、デカルトはこれに反対して物心二元論(延長、非延長)をぶつけたのではないだろうか(哲学史参照)。
しかし、心は身体に閉じ込められてはいない。心は社会的存在として実体(モノ)である(モデルが妥当な場合が多い)。でも、最後は人間、いのちあってのものである。心は派生物にしかすぎないのだから。遺影妻春や雲交してくるよ

ブログランキング鏡像さん、駒田眼科をリンクしました。眼が悪くなったら治療してもらいに行きます。
※画像は眼球の立体構造。日本眼科学会:目の病気 加齢黄斑変性症から勝手拝借/感謝です。

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コメント

人間を生物的存在ととらえる目からは、ぼくらもDNAリレーをまかされた単なる一走者と見られるのでしょうか。すると、人間の心はその運ぶ車のあげる砂ぼこり? そんな考えもあるかと思うと、楽しいです。ところで、モノとコトといえば、『もの こと ことば』という本を廣松渉が書いていたのを思い出しました。これはいまではあまり流行らない概念のようですが、土曜日さんの「モノとコト」は、どこらへんとつながっているのですか?

リンクありがとうございます。

投稿: 鏡像 | 2006年12月 9日 (土) 午前 01時02分

実体(モノ)と関係(コト)による概念分析モデル化技法とつながっています。エンティティ(実体)・リレーション(関係)モデル化技法とも言ったかなあ。コンピュータシステムの要求定義を行う際に、実世界をモデル化するための技法です。
実務で使った経験はありません。口先エンジニアでしたから。

投稿: 土曜日の各駅停車 | 2006年12月 9日 (土) 午前 03時57分

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