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2006年12月10日 (日)

俳句入門(一応完成版)

まず、俺の偏った駄文に毒される前にウィキペディア俳句を読むこと→韻律・季語・切れPhoto_384 が俳句の三大要素であることを頭に置けば十分だ。余裕のある人は「切れ字がなくても句は切れる」芭蕉も頭の片隅に入れれば尚よし。

そこで、以下、俺の駄文である。

見よう見まねで短歌を始め、歌の泉も涸れたかと思いきや、また最近、はじめしばかりの 俳句に作歌の筋肉が刺激され、あはれなる歌綴りをり。
そこでつらつら思ふらく、短歌は詠嘆(あはれ)、俳句は宇宙(をかし)なり。汲めど尽くせぬ言の葉を、広く深くおのがじしに綴るは共に同じなれど、俳句には作句の理あり、形あり。されば、理に情を織り込みてこそ俳句と言はむ。

さてここに、俳句の理に三つあり。一は切れ、切れこそ俳句のいのちなりけり。そして二は、動詞を使ふことなりき。動詞使えば俳句には具体個別にいのち出づるなり。そして最後に控えしは季語という大物なり。季語こそ俳(人に非ず)の核なり。季語に添ひ寝の覚悟せよ。
そしてまた、俳句は即物有情と心得て季語との距離を常に量れよ。更には二物衝撃のみで得意にならず写生を忘るるなかれ。また、「詩になる瞬間」について各々考えられよ。

追記:言葉の風味を味わうためには切れが必要。切って生かして取り合わせが俳句なり。

かくして、俳句方程式が完成。すなわち

俳句=季語+二物衝撃+切れ+詩(比喩、意外性)

以上、自戒をこめて俳句入門である。なお、哲学に興味ある人は我が俳句論的転回も参照されよ。※もう一つ小さな技術/大きな思想→語るな、取り合わせよ

※画像は松尾芭蕉。KIPPO NEWS 2004年05月26日から勝手拝借/感謝です。

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