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2006年12月17日 (日)

俳句的生活@なぜ、切れが必要か

長谷川櫂「俳句的生活」に面白いことが書いてあった。左脳(理性)・右脳(感性)になぞらPhoto_404 えて、「言葉にも左半球と右半球があるのではなかろうか」という。すなわち、左半球は「言葉の意味」、右半球は「言葉の風味」とするのである。その上で俳句に切れがなぜ必要かを教えてくれている。

俳句は韻文の中で最も短いことから容易に想像できるように極端な韻文であって、言葉の意味を最小限に抑えて、その代わりに言葉の風味を最大限に生かそうとする形式である。そのために俳句には切れがある。切れによって俳句は散文の文脈を切り、言葉から意味を剥ぎとって、文脈を首飾りであるとすれば首飾りの糸に相当する意味の連鎖を断ち切ろうとするのである。

切れは文脈原理(語の意味は文脈の中で決まる)を断ち切り新たな風味を作出するために絶対に必要。切れがなければ韻文にならない。こんな発想は西洋哲学には無かったろう。ざまあみろ。

著者は読売新聞社に22年勤務して退職(切れ)、俳句で食っている人。切って生かして取り合わせによる言葉の風味を味わうのが俳句的生活と思う。

※写真の右側の男性が長谷川櫂。Fairy Taleから勝手拝借/感謝です。 

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