天木新党構想に賛成
今日はもう手仕舞いと思って最後に天木直人さんのブログを覗いたら、
「国民投票で改憲を阻止し、米国への軍事的従属から自立した平和日本へと日本を解放する」新党構想の意見を募集していた。
賛成です。ほんとうは地方区反自民全野党選挙共闘+全国区新党が一番いいと思うのですが。
写真は[公式] 天木直人のブログから勝手拝借/感謝です。
今日はもう手仕舞いと思って最後に天木直人さんのブログを覗いたら、
「国民投票で改憲を阻止し、米国への軍事的従属から自立した平和日本へと日本を解放する」新党構想の意見を募集していた。
賛成です。ほんとうは地方区反自民全野党選挙共闘+全国区新党が一番いいと思うのですが。
写真は[公式] 天木直人のブログから勝手拝借/感謝です。
寅句である。
冬の河をとこをんなに手もふれず
「川」ではなくて「河」の方がどんよりしているように思うから。俺もどんよりしていた、かつては(ああ今も)。
冬の川女の裳裾あざやかに 原コウ子
冬川に出て何を見る人の妻 飯田蛇笏
冬川のひびきを背に夜の伽 石原八束
冬の川見て叱咤して詩を作る 山口青邨
冬の川って結構、エロスを湛えているじゃん。また叱咤して詩をつくらむか。
※画像は山本富士子の「夜の河」から勝手拝借/感謝です。
遂に、寅最終作「寅次郎紅の花」を観てしまった。
最終作だと思うと、観る前からハイ・テンションで、渥美清の座ったままの演技につらかったろうと思ったりした。
奄美大島でなんとかなると思ったに、もーう、寅の
馬鹿にしか見えないよ、そんなのは。自分じゃ、格好良いつもりだろうけど、要するに、卑怯なの、意気地が無いの、気が小さいの。体裁ばっかり考えているエゴイストで、口程にもない臆病もんで、つっころばしで、ぐにゃちんで、とんちきちんの、おたんこなすだっていうんだよ。
この映画はそして寅はリリーのこのひとことにつきるのである。ぐにゃちん。
だからボクらは寅を愛した。愛する人を奪えない寅のやさしさを呆れるぐらい愛したのである。
しかしなあ、リリーも相当のもんだよ。この意地っ張り。寅がぐにゃちんだとわかっているのだから、やさしく導いてやればいいじゃあねえか。それともやっぱりあれかい、リリーも愛する人を壊すのが恐いのかい?いや、違うなあ、リリーは「あたしは愛される資格なんかないんだ」と思っているんだ、多分。奪い奪われることに資格や能力なんか関係ないのにね。
冬の河をとこをんなに手もふれず
画像は浅丘ルリ子×木の実ナナ 二人の大物女優が“伝説の映画女優”を演じる!から勝手拝借/感謝です。一にルリ子、二が喜和子、次がナナでその次は小百合かなあ。オリエも忘れちゃあならない。男優ゲスト助演ベストは当然、志村喬である。なんといっても第一作だ。また泣くぞ。
第一弾は「蕩尽のまだ余命あり梅一輪」だった(引用した波郷の句にミス発見し訂正済 み)。
いつまでも大人になれず梅ひらく
梅ひらく水面に落とす紅き影
紅白梅睦み居りたる斜面かな
一句目を「いつまでも男の子なりけり梅の花」に直してみたが、初案に戻した。では「少年のまなこ清けく梅紅き」はどうかと思ったが、これもいじりすぎと判断して没。素直な句が俺のとりえと自己納得させてはいる。
この句は、永田耕衣という96歳まで生きた俳人に「少年や六十年後の春の如し」という不思議な句がある。でもこれは真実なのだ。少年は六十年後の春に、再び「少年」の感性を取り戻すに違いない。に激しく同意するものである。
二句目三句目は今朝のWalkingで得た。梅を見むとてコースを変えて写生(自信を持ってこう表現する)した。特に三句目は自信あり(誰も言うてくれへんから自分で言う)。これも耕衣「近海に鯛睦み居る涅槃像」を意識した句だ。この句にはエロスを感じてしまう。生(エロス)は死(タナトス)とともに古来語られてきたが、耕衣は俗語を駆使してその世界を詠んだ。に俺も同感である。まことに俳句とは言葉のネットワークだ。
むめがゝにのつと日のでる山路かな 芭蕉
白梅や老子無心の旅に住む 金子兜太
多摩の山左右に迫りて梅の里 高浜虚子
天曇るつめたさに触れ梅ひらく 鷲谷七菜子
コピペしたら字体が変わってしもうた。元に戻す方法わからず。→表示させたら大丈夫だった。入力/編集画面のみの問題か。
ああ、ついでに短歌一首。
冥土へは句歌を土産に持ち行かん言葉に優る財のありや
※画像は演劇倶楽部『座』 - 過去の公演実績「少年探偵団」から勝手拝借/感謝です。
かえるネット京都で護憲共闘に関しての私の質問に対して回答していただいた。共産党員の方の見解は理解できるが、政治情勢は共産党の柔軟な態度を要求しているし、少し長いスパンで見ると共産党の利益(得票増・党勢拡大)にもなると考える。
以下はかえるネット京都での再質問だ。コメントでの字数制限もあってこちらに掲載する。
私の質問に答えて頂いてありがとうございます。
>民主党との「護憲共闘」の実現可能性は、「ゼロとは言わないが、極めて小さい」。
という点についてはよく理解できます。しかし、夏の参院選は憲法分け目の関が原、政治決戦だということは安倍政権があのような国家主義的言動を見せている以上、否定できないことだと思います。また、イラク問題、ワーキングプア問題など平和と国民の権利と生活を守る必要性が高まっているのも事実だと思います。そこで更なる質問をさせて下さい。
(1)民主党との護憲共闘が無理だとしても、平和と生活防衛という観点から反自公選挙協力の可能性はありませんか。
率直に言って共産党が候補を下ろせば、民主党が勝てそうな選挙区(特に一人区)は多々あるのではないでしょうか。確かに、一方的に共産党だけが不利益を蒙るように見えますが、民主党支持者・無党派の中でも共産党の柔軟な姿勢に好感を持ち、地方選挙・衆院選挙での得票増、党勢拡大に結びつく可能性は高いと思います。現在の民主党を見るだけでなく背後の支持者・世論を味方につけることにより民主党を変えていくのも政治闘争ではないでしょうか。
(2)上の点は民主連合政府の展望とも関連することです。連立政権の条件として護憲は絶対ですか。自民党の悪政から国民を解放し憲法を守り抜くために「よりましな」勢力と連携するべき時期に来ているのではないでしょうか。
仮に今、憲法改悪国民投票を行えば、憲法に無知で北朝鮮更には韓国中国に敵意を燃やす愚昧な世論の存在を考えると、改悪賛成票は過半数を越えると私は予測します。
このような世論に衝撃を与え自民党を政権から引きずりおろす第一歩として、対米従属是正・格差是正・イラク(イランも)戦争協力反対の観点での全野党選挙協力の実現を願って止みません。共産党が平和と民主主義の守護神かどうかが問われている時期です。ボルシェビキはメンシェビキに食い込んで利用してロシア革命を実現した歴史もあります(余計なことを書いてしまいました)。ご奮闘を期待しています。
今日はもう打ち止めのつもりだったのだけれど安倍晋三 - トラックバック・ピープルを眺 めていたら、前々から欲しかった「冬の蜂」の句が浮かんでしもうた。
安倍憎し自公倒せと冬の蜂
スピノザ(その政治思想の特徴は、その現実主義にある。政治への理想を保持しつつ現実の直視を忘れないその姿勢)はユダヤ教正統解釈守旧一派に対して、聖書を拠り所として内在的批判で闘った。外在的批判では守旧派はびくともしない。守旧派を倒すためには彼らの地盤を足元から掘り崩すことが必要だったからである。田島正樹「スピノザという暗号」はスピノザの全体論的かつ内在的批判という方法を俺に教えてくれた。奴らを倒せ、足元から根こそぎに。
冬蜂の死にどころなく歩きけり 村上鬼城
冬蜂と我とエスカレーター天にゆく 加藤楸邨
冬蜂の死と闘へる巌の上 野見山朱鳥
※画像はスピノザ。1677年没、享年44歳。
これまでで最も出来がいい富士句と思っているが、市場の反応や如何に。
どこからも富士は真向かひ朝冴ゆる
しぶちんの俺はデジカメ所有せず、ケータイカメラのみ。左はそれによる写真だけれども構図が悪い。それにどこで撮ったかも忘れてしもうた。
灯の冴ゆる机の上の夜半かな 坂本四方太
冬冴えのレールや鳩の拾ひ食ひ 平畑静塔
冴ゆるまで静けき室に墨匂ふ 新井石毛
叱咤冴え湖上に馬を引き入るる 古舘曹人
静塔は京大俳句の創刊者。やはり、京大俳句事件で検挙された。(三鬼の死)「もう何もするなと死出の薔薇持たす」「えむぼたん一つ怠けて茂吉の忌」がある。リンクに孫の方が中学生時代に書かれた「ぼくのおじいさん」なる作文がある。
テレビ番組を観て、海の風景に十二音(刑死せりし人に歌あり)が浮かんだ。
処刑されし人に歌あり冬の海
字余り承知で「処刑されし」と直して、付ける季語は「冬の海」しかなかった。なぜなら、「冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか」中城ふみ子なのだから。
ところで、死刑制度は廃止すべきと思う。威嚇効果にいささかの根拠はありそうだが、冤 罪(八海事件など)を思えば根拠はかき消され、人倫を越えていると考える。
鷲とんで白を彩とす冬の海 山口誓子
冬浜に老婆ちゞまりゆきて消ゆ 西東三鬼
銃さげし少年匂ふ冬の磯 原 裕
冬海の方へ寝かへる一息に 加藤楸邨
※画像は八海事件を描いた映画「真昼の暗黒」より勝手拝借/感謝です。
フジテレビは基本的に観ないのだが、日曜日にたまたま新聞テレビ欄で「われに短歌(う た)ありき~ある死刑囚と窪田空穂~」があるのを発見し、観た。
死刑囚の名は島秋人。経歴・事件内容についてはこちらに詳しいが、警察署長の息子として旧満州に生まれ、父親が公職追放にあったこと等もあり恵まれない生活の中で育っち、二千円のために強盗殺人及び致傷事件を起こし、死刑判決を下された人である。
獄中で小学生のとき唯一褒めてくれた図画の先生に手紙を出し、先生の夫人の勧めで短歌に目覚める。毎日新聞に投稿したことにより窪田空穂との文通交流が始まり空穂は心を込めて作歌を指導する。
この澄めるこころ在るとは識らず来て刑死の明日に迫る夜温し
が処刑前日に残した歌である。この歌も含め多くの歌が心を打つ。その中から一首、引く。
愛に飢ゑし死刑囚われの賜りし菓子地に置きて蟻を待ちたり
昭和42年4月12日窪田空穂、死去。享年89歳。
同年11月2日、島秋人、死刑執行される。享年33歳。
※画像は島の描いた絵である。朗読劇「鬼灯」と企画展「ある死刑囚の短歌と空穂、遺愛集が語りかけるもの」から勝手拝借/感謝です。
日経夕刊につい先日までコラムを連載していた柳沢大臣。若い頃にはアカにもかぶれて なかなかの読書家とお見受けしたのであったが。
ラ・メトリーはその著作で、足は歩く筋肉であり、脳髄は考える筋肉であるとした。100年近く前にデカルトが唱えていた人間を精神と肉体とでできた機械(デカルト的二元論)とみる発想よりも「機械論」に徹していた。という程度はご存知であっただろう、多分。
生教養怪我の素なり冬の蠅
画像は「人間機械論」を提唱したラ・メトリー。
渥美清が「風天」という俳号で句をつくっているとみなこさんに教えていただいたので検索 してみた。
きっこの日記に句がいくつか紹介されている。また、増殖する俳句歳時記(増俳と世間では略称するようだ)にも一句引かれている。
そんなことも知らずに俺は以前にこんな句をつくっていた。
小春日や寅も黄泉にて句をひねる
団子屋に団子食ひけり初時雨
二句目は寅が黄泉でひねった句という設定だ。無知であったわいなあ。
ベースボール遠く見ている野菊かな 風天
※写真は甘味処 - 高木屋老舗 - livedoor 東京グルメから勝手拝借/感謝です。
生活維新も政治資金もいいけれど、対立軸を明確化することが支持率UPには絶対必要 だよ、小沢クン。そして、その絶好のチャンスが代表質問。各論は委員会審議に任せて総論、政治信念更には世界観で対決してほしい。
とすれば、「美しい国」批判で真っ向勝負しかない。逃げたらアカン引いてもダメよ。戦後民主主義見直し論をぶっ飛ばせ。
思うに、自民党は国権=国家主義。もっと言うなら政官財癒着国家食い潰し。それが証拠に9条改正論も突き詰めれば対米従属軍事費横領論にすぎない(だから北朝鮮金王朝に倒れてもらっては日米ともに困るのだ)。教育改革も国家統制強化して政官財癒着有為の人材育成が目的だ。郵政民営化にいたっては露骨な国民貯蓄利用目的であることは言うまでもない。
これに対して、民主党は民権=個人主義に立つのがホントウなのだけれど、9条は言うに及ばず、経済政策も福祉政策も(政治資金の如く)曖昧不透明である。その理由は、対立軸を党内でも明確化していないことにある。国家主義に訣別して自由と個人の側に立ってこそ民主党の活路は開ける(添付図参照←クリックすると拡大明瞭可視可能)。
それができるかなあ、あかんやろなあ。一応代表質問のビデオは録って置くけれど。
今日は日野草城の忌日である。
草城忌男心の枯れもせで
「男とは闘ふものぞ草城忌」「草城忌ベッドサイドの灯を消して」の二句を用意していたのだが、思うところあって没にした。その代わりの句を昨日、プールでうんうんうなっていた。
草城は無季俳句を提唱したために(虚子の花鳥諷詠論に楯突いたので)「ホトトギス」同人を除籍されたが(1936年)、戦後の療養生活を経て死の直前に(1955年)赦されて同人に復帰した。ミヤコホテル十句(SOHYAさんのブログに詳しい)が当時の俳壇に大きな衝撃を与え、これが除籍の端緒となったものだ。十句から一句だけ引く「をみなとはかかるものかも春の闇」。
この冬の意外なぬくさ草城忌 桂 信子
侘助の群がる日なり草城忌 石田波郷
風邪臥しの背骨の疼く草城忌 伊丹三樹彦
ばら色のままに富士凍て草城忌 西東三鬼
水原秋櫻子、日野草城らの反写生論があって現代俳句がある。他方、虚子の写生論が俳句の大衆化に貢献した(誰でも取り組める花鳥諷詠)との見方もできる。
能書きはこのぐらいにしよう。いずれにせよ、駄句は駄句である。精進精進。
※写真は草城。特別展「日野草城生誕100年」から勝手拝借/感謝です。
神からの贈り物なり冬銀河
という句を得た。そして、哲学トラックバックに旧記事「西田幾多郎×永井均」をトラバして、もう一度読み返す。この記事の末尾に赤字で
私は言語によって有化され、経験によって無化される。だから、「人が経験するのではない。経験が人をつくるのである」と西田も言うのである。色(主語)即是空(述語)、空(述語)即是色(主語)。絶対無とは「自覚」され無化された有なり。←神さまの贈り物
と書き込みたくなった。そうなのだ、絶対無<私>は神の贈り物なのだ、ということに俺は気づいた。ああ、なんとかならぬかこの観念狂い。
※画像は<スタジオ・クラシック・シリーズ> 終身犯から勝手拝借/感謝です。この映画のラスト近くで主人公バート・ランカスターのセリフ「人生は神からの贈り物」を昨日、観た。ボクって単純なんです。
施政方針演説で遅まきながら俺にもわかった「美しい国」の正体。要するに、戦後見直し 論の亜種にすぎないんだ。
だから、なぜ「美しい国」なのかの理由付けが
輝かしい戦後の日本の成功モデルに安住してはなりません。憲法を頂点とした、行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの基本的枠組みの多くが、21世紀の時代の大きな変化についていけなくなっていることは、もはや明らかです。我々が直面している様々な変化は、私が生まれ育った時代、すなわち、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が三種の神器ともてはやされていた時代にはおよそ想像もつかなかったものばかりです。 (「戦後レジーム」話への感想 メンフィスからの声から転載させて頂きました)
という貧相なものにならざるを得ないんだ。「明らか」と言っているだけで具体的なことはなんにも言っていない。「三種の神器」まで持ち出してハズカシイ。
思うに、ここで言っている「21世紀の時代の大きな変化」とはグローバリゼーションのことを言っているのだろう。これについていけずに、バブルに踊りながーいデフレに苦しんだのは戦後民主主義のせいではない。大企業中心官民癒着自民党政治が個を抑圧し、寄らば大樹行け行けドンドン赤信号みんなで渡れば恐くない文化を作り出してもたらしたものだ。だから改革しなければならないのは、憲法・教育基本法等戦後民主主義ではなくて大企業中心官民癒着自民党政治そのものである。問題をすりかえるな、安倍ちゃん。
そこで(自信にかなり欠けるけれど)小沢クンに期待。「美しい国」を真っ向から批判せよ。大企業中心官民癒着自民党政治をぶっ壊せ。
彼がなぜ自民党を離党したのか、いまだに俺には理由不明なんだけれど(当初中立であった参院竹下派に派閥オーナーである竹下自らが関与して小渕支持を決定、この結果として後継会長は小渕に内定した。政争に敗れた小沢は羽田、渡部、奥田らと改革フォーラム21(羽田・小沢派)を旗揚げし、派閥は分裂したが理由だろう、多分)。代表質問を楽しみにしている。
郵政選挙は論点をずらそうとして失敗した。その轍を踏んではならない。「美しい国」に真っ向から勝負せよ、つくろう護憲人民戦線を。
三十年後、ネットはいったいどうなっているだろうか。
恍惚のネットワーカー川涸れる
初案「いくつまでネット出来るや冬の河」だった。これを「老い惚けて」と直し、更に「恍惚のネットワーカー冬の河」として、動詞が無いなあと気づいて本句となった。「冬河に新聞全紙浸り浮く」山口誓子(「つかり」は陵をさんずいへんに変えた字)を例句に引けなくなったのが残念だ。
川なりに涸れても水の曲るなり 石塚友二
あさましく涸れたる川を眺めけり 日野草城
まあしかし、九十まで生きることを前提に句をつくるのだから相当の自信である。あさまし や。あ、一句できた。
神からの贈り物なり冬銀河
いのちは神からの贈り物なり。所有物にあらず。
自分ではわりと出来がいいと思っている。
冬草やバッハを愛す人生も
バッハには膨大な作品群がある。BWVとして整理されたもので1080曲だそうだ。
だから、「バッハを愛す」としたけれど、おまえ、どれだけ聴いてるんやと自問すると忸怩たるものがある。でもともかく好きである。ゴルトベルク変奏曲を一番に挙げよう。
バッハの鍵盤音楽は、聴いていて宇宙に触れるような心地がする。数学的美(秩序とエロスの共鳴ないし相克とでも言おうか)を感じるのだ。だからついでに人生も、としたのがこ の句である。
母長寿たれ家裾に冬の草 大野林火
荷車を曳く冬の草見つづけて 斎藤夏風
冬草は絹の手ざはり久女の墓 加藤知世子
日のあたる冬草父も兄も亡く 大川真智子
形式と内容の相克ないし共鳴から美は生まれる。俳句然り、音楽然り。そして人生においても生と死が形式、生活が内容と言うべきか。単なる思いつきだが。
ええい、ついでに駄句もう一句。
冬草や声高の人テレビにも
みのもんたのことだ。朝3時に起き、朝3時半に自宅を出て、4時半にTBSに到着。午前中~昼は朝ズバッとおもいっきりで忙しく、午後はジムに通ったり、ほかの番組の収録、水道会社の取締役社長としての業務もこなし、夜は毎晩店で飲み、自宅には夜中の12時過ぎに帰ってくるという殺人的な毎日だそうだ。敬服はするが美は感じない。賢明な人だからどこかですっぱり引退して長生きに努めるだろう。
※画像は杉田久女。「清張の会」の歩みから勝手拝借/感謝です。読みづらい形式だけれど内容は読み応えのある久女関連記事である。
俳句王国に高見恭子が出ていた。
どんなタレントかよく知らなかったので検索して、ほう、そうかと思った。
それだけである。
ところで俳句王国、今日の兼題は「薄氷」→観ながら一句を得た。
※画像は高見恭子 プロフィール - goo ニュースから勝手拝借/感謝です。
右サイドです。このトラックバックピープルって面白いなあ。昔のパソコン通信の感覚にちょっぴり似ています。
ところで、先日設置したWAKAトラックバックが俺の独占みたいなので、ちょっと遠慮してトラバしています。
一人党を提唱した天木直人さんが「塩野七生が語る安保闘争」で
(1)「いよいよ憲法改正が現実のものとなってきた。この動きを阻止できるのは既存の護憲政党や護憲政治家では決してない」
(2)「いつの日か改憲案が国民投票の形で現実に国民に突きつけられる時が来る。その時に日本に再び「政治の季節」が訪れる。おそらく戦後の政治史のなかで最後の政治運動が起きる時である。しかしそれを恐れることはない。拒否の一票を投じればいいだけである」
と書いていらっしゃる(論点整理の都合上、私の判断で一部のみ引用しています。是非、前文をお読み下さい)。
(1)については(半ば諦めつつ)同意見だが、(2)については不同意である。
なぜなら、国民投票にかけられた時点ではもう遅い、過半数の「賢明な」日本国民は改憲に賛成するだろうと考えるからだ。また、そこまで状況が煮詰まってはじめて改憲勢力は改憲案を提出するだろうからだ。
だから、今夏の参院選で自公をコテンパンに惨敗させることが護憲にとって不可欠であり、護憲人民戦線の実現を切に願うばかりである。聡明な日本国民が民主・共産・社民に働きかけられることを!
共産党員の方との会話が成立して喜んでいる。
俺の自公独裁阻止選挙共闘の呼びかけに対して返信を返してくれたからだ。
これ以上、上の場所で議論するのは好ましくないだろうから、こちらで更なる問題提起(上のリンクで提起済み)をしておく。
(1)御党の政治理念と憲法とどちらが大切ですか?
(2)政治戦術としても護憲共闘を民主党に持ちかけることは御党にとって損はないと思います。民主党が断っても民主党を揺さぶれますから。
私のブログに記事を書きますので、そちらに訪問して頂いてもかまいません。または無視して頂いても結構です。返信して頂いて嬉しく思いましたから。それではご奮闘を期待しております。
護憲の観点からは、民主党と共産党との相違は小異だと思っている。
いや、民主党内護憲勢力+社民党+共産党の大同団結を望んでいると言うべきだろう。
いうなれば、古い言葉だが護憲人民戦線だ。各位のご意見を乞う。
※画像は70年以前稀少チラシ PART7から勝手拝借/感謝です。
いつか死ぬ死なねばならぬ霜柱
でも、「いのちひとつ」の裏側がこの句であると言い訳をする。いつか死ぬから生きるは愉し。俺は死ぬまで生きたるねん。
霜柱この土をわが墳墓とす 加藤楸邨
例句はこれひとつに留めよう。「人間到処有青山」の「青山」は墓のことである。もっと言うと人間、どこで死んでもいい。更にはいつ死んでもいいということだ。ああ、死ぬ死ぬ。
人生は一期の夢よ夢ならば長生きをせむプールに泳ぐ
※画像はトリスタンとイゾルデ|最近見た映画レビューから勝手拝借/感謝です。映画があるとは知らなかった。ワーグナー「愛と死」は最高のエクスタシー音楽である。
陰暦一月二十七日は源実朝の忌日である。
大島も初島も見ゆ実朝忌
「光る海横目に渋滞実朝忌」「渋滞に大島の見ゆ実朝忌」は没にした。渋滞を入れると句が渋滞するもんね。しかし、本句はすっきりしすぎてひねりがない。ひねって渋滞させない、それが佳句の条件か。
箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ 源実朝
雄大な歌である。そして実朝の生涯を思えば悲しみが湧く。沖の小島に寄せる波に実朝は何を見たのだろうか。
口衝いていづる和歌あり実朝忌 後藤夜半
紅顔の人等つどへり実朝忌 山口青邨
病む窓に伊豆の海あり実朝忌 木村燕城
引く浪に貝殻鳴りて実朝忌 秋元不死男
季語を引けば俳句は十二音。この狭い海でいかに広い世界を詠うか、更にはなぜ詠うかが俳句の勝負である。なぜが決まれば何を、いかには自然の流れとなる。理屈はわかっとるんや、俺は。
※画像は実朝像。松岡正剛の千夜千冊『北条政子』永井路子から勝手拝借/感謝です。
寒暁やいのちひとつを大事とす
あの日、テレビは京都の震度を伝えたけれど神戸は空白だった。いつものように会社に出ると、神戸方面が大変なことがわかりかけていた。会議室にテレビを持ち込んで、ダイアルアップのパソコン通信で現地と連絡をとったりして、忘れられない日々である。
全ては「いのちひとつ」がはじまりだ。文学は当然、政治もそうだ。「いのちひとつ」を念頭に俺は語り続けたい。
寒の朝みな美しき横顔す 中神洋子
冬曙六人の病床うかびそむ 石田波郷
冬の朝病者が残す魚の骨 田川飛旅子
風景に心を見る。それが写生だと思う。「魚の骨」を見て何を感じるかである。
海見れば遠き記憶の甦る生命の連鎖遺伝子の神
こういうのを俳句に移し変えて写生すればいいのだ。道は遠くて近い。
※写真は阪神大震災ノート 高校生からのメッセージ《2》から勝手拝借/感謝です。
俳句をマクラに議論をはじめる。「寒暁に十二回目の黙祷す」小竹さんへの返句である。
寒暁やいのちひとつを大事とす
これは「寒暁に十二回目の黙祷す」小竹さんへの返句である。「いのちひとつ」は「遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし」土岐善麿から頂戴した。「いのち ひとつ」が全ての原点だと思う。
さて、昨日の施政方針演説で安倍総理は「美しい国、日本」を中心に据えた。演説を読むと「戦後レジームの大胆な見直し」がどうも「美しい国」の具体像のようである。これはこれでひとつの見識だろう。
しかし、ものごとにはHow(いかに)とWhat(何を)とWhy(なぜ)がある。
HowとWhatをどんなに具体的に説いても、その意見の説得力はまだ半分以下でしかない。Whyすなわち、なぜ美しい国を目指すのかを総理は説明するべきだ。
推量するに「戦後レジームの大胆な見直し」が必要だというのが多分、Whyになるだろう。しかし、それでは循環論だ。戦後見直しが必要だ→美しい国だ→戦後見直しの中味は改憲だ、では説得力がないし、第一、論理的ではない。
国家は手段、個人が目的。政治は「いのちひとつ」のためにあるのが原点である。「いのちひとつ」がおろそかにされている、だから「美しい国」が必要だというのならばまだ説得力がある。そしてその場合は改憲の中味について「美しい国」のWhy(いのちひとつ)を基に議論ができることになる。
頼むから、総理よそして日本国民よ、論理的になってほしい。Howばっかり教えられてきたから日本経済はバブルで失敗した。グローバリゼーションでようやくWhatの大切さに気づいた(例えば事業における選択と集中)。次はWhyである。一番大切なのは論理である。価値の議論(個人か国家か等)は論理の後だ。
「美しい国」の理念はわかった。中曽根さんがかつて主張した戦後政治の総決算ということだ。
ではなぜ、総決算が必要なのか、その理由を示してほしい。それでこそ世界に冠たる日本の総理なのである。
※ウンコな議論はたいてい、理由=タイトル=内容である。「美しい国」はその典型だ。
お世話になっていて申し訳ないのですが、縦書き文庫さんのブログパーツ(自句、自歌)をしばらく掲載中止しました。
縦書き文庫さんのシステム安定化とランダム表示の実現を待つことにします。
夏の参院選は憲法関が原だと思っている。公明党がちょっぴり安倍ちゃんにブレーキを かけたみたいだけれど、所詮「下駄の雪」、公明党は自民党にくっついていくしかない。また、仮に選挙対策で改憲を引っ込めたとしてもよほどの大負けしない限り選挙後に持ち出してくる。消費税・年金等の争点隠しのためにも上手に国民のナショナリズムを刺激するのが得策なのだから。
だから、参院選では自公を大敗させることが必須である。国父吉田茂の軽武装路線を維持するためにも、そうだよね、加藤紘一さん。
そこで、薩長同盟を作らせた龍馬にあやかって龍馬ブロガーズの力による護憲統一選挙連合を夢見たけれど、ブロガー結集に時間はかかるし、なによりも民主党がだらしなく憲法に関しては四分五裂だから無理だよなあ。
では、百歩譲って護憲は棚上げ、自公独裁阻止選挙協力はどうか。共産党は勝つ見込みの無い立候補を止めよ、と叫んでも人民の敵=共産党は返信もしない。これもあかんわ。
だがしかし諦めるのはまだ早い。そのまんま東を見習って参院全国区で一人党で当選させる手がある。自公を大敗させることは出来ないとしても心理的ショックを与えることはできる。人と金に恵まれれば複数当選も夢ではない。
政権をとるということは過半数の議席を取らなければならないということだ。しかしそんなことをしようとするからろくでもない人間を数あわせで揃えなければならないことになる。金もかかる。内輪もめも起きる。大変なエネルギーの無駄だ。それでも政権をとれる保証はない。間違って政権を取っても、その後に長く維持できるとは限らない。常に野党に転落するおそれがある。政権を取ること、維持する事が目的になってしまうのだ。これは国民のためではない。と天木直人さんがこの一人党を提案されている(一部だけ引用したけれどこの記事は熟読の価値がある)。
問題は金だけれど、広く薄くロングテールで集める手もあるんではなかろうか。天木さんが立つのなら俺は○○円拠出する。まだ時間はある。もう一度、諦めるのはまだ早い。
追記:天木さんのブログは、低気温のエクスタシーbyはなゆー 参院選比例区に特化した「反逆新党」を旗揚げすれば善戦しそうだがで初めて知りました。感謝です。
※画像は高知県立坂本龍馬記念館から勝手拝借/感謝です。
したたかな町人国家都鳥
お武家さんは敬う。その一方で利潤及び平和の配当でしっかり儲けさせてもらう。町内付き合いも怠らず、誰にも過度に嫌われず、子弟の教育もゆるめない。読み書きそろばんが出来れば、親の姿を見て規範意識は自然と身につく。教育に口を出す前に銭を出せ、安倍ちゃん。
かよひ路のわが橋いくつ都鳥 黒田杏子
昔男ありけりわれ等都鳥 富安風生
水にのり水のりかへてゆりかもめ 那須淳男
水の流れに乗ってしなやかにしたたかに泳ぎたい。そういえば、ただいま減量のためプール通い継続中。ちなみに昨日のプール体重:85.0→84.4。83キロ台が見えてきたか。
※画像は江戸名所 隅田川の月から勝手拝借/感謝です。
無責任天皇官僚制の下、軍人・官僚になることが出世だった時代があった。
日向ぼこ昔軍人威張りけり
軍人・官僚はほんとうは公僕なのに。しもべが主人のような顔をしていたのだった。そして、自分たちがエラソーに指導した戦争に負けたら一億総懺悔などとちゃんちゃんらおかしいよ。もっとも大衆が戦争を支持したことも忘れてはいけない。また、曲がりなりにも男子普通選挙制度が布かれていたことも。宮崎県知事選挙が衆愚政治の結果かどうかも含めて。
日向ぼこみんな小さな影を負ひ 山口 速
ここちよき死と隣りあひ日向ぼこ 鷹羽狩行
日向ぼつこ日向がいやになりにけり 久保田万太郎
日に酔ひて死にたる如し日向ぼこ 高浜虚子
日向ぼこも適度にするがよし。なにごとも節度とバランスが肝心である。絶対平和主義という理念は信じよ、他国自国の現実の国家権力行使は疑え。信じることと疑うことが思想である。
※写真は陸軍長州閥の総帥、山県有朋。山県有朋(拡大画像) 近代日本人の肖像から勝手拝借/感謝です。
「通り過ぐる句友のブログ滝涸るる」という正体不明の句を在庫していた。もっと明瞭な句をと願っていたら安倍神他国粋神のおかげで出来てしまった。
声高に改憲論議滝涸るる
改憲論議、結構である。手続法の検討も当然に必要である。しかし、声高に居丈高に行う必要はない。なぜ改憲が必要か、どんな手続きが適正かなどを冷静に議論したい。
9条は絶対平和主義という理念的規定であると同時に、日米安保・自衛隊とセットになった軽武装路線上限を設定する政策的規定であると思う。そして、アメリカ帝国主義(ウォール街×産軍複合体)が日本に要求している更なる軍事経済下請化の歯止めともなっている。
冷戦前に規定された9条が冷戦で政策的に運用解釈されてここまでアジアの平和に役立ったものを、なぜ、冷戦終了後に変えなければならないのか。改憲論者は自主憲法制定すべしという根拠以外に、現実的改憲理由を明示すべきだ。俺は、9条のおかげで低いコストで平和が維持できていると考える。コストを増大させなければならない理由を示せ、安倍ちゃん。そろばん片手に話そうよ。
ライターの火ポポポポと滝涸るる 秋元不死男
昼の月でてゐて水の涸れにけり 久保田万太郎
大滝の涸れたる山のさびしさよ 高浜虚子
男去る涸滝壺を罵りて 上田五千石
秋元不死男は京大俳句事件(なんで俳句まで弾圧されるんや)で1941年に検挙され、二年間収監された。「獄を出て触れし枯木と聖き妻」「獄の門出て北風に背を押さる」がある。また、戦後の作「へろへろとワンタンすするクリスマス」は俺の好きな句だ。俺は平和の下でへろへろと暮らしたい。
※画像は【楽天市場】算盤【トモエそろばん】:文具専門ディスカウントソムソムズから勝手拝借/感謝です。
御祭神菅原道真公の誕生日6月25日、薨去の2月25日に因み毎月25日は御縁日で一月 は特に初天神だそうである。そこで一句。
初天神脳細胞に神宿る
初案「初天神脳細胞に巣食ふ神」だった。「すくふ」で「救ふ」との掛詞にもなるなあと思ったけれど、平らかに本句とした。湯島天神も受験生でさぞ賑わったことだろうと神社のHPを見ると、梅まつりは2/8からとある。湯島の梅は立春(今年は2/4)前後に咲くのかなあ、それとももう開花はしているのかしら。
初天神友みな遠くなりしかな 星野麦丘人
宵天神晩学の願ねむごろに 草村素子
雨となる初天神の篝かな 秋沢鳥川
床踏んで宵天神に参りけり 島道素石
ところで、天満宮の名の由来は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことだそうである。なるほど。日々俺は賢くなる。これも脳細胞に宿る神のおかげなり。
※画像は百人一首 菅家(菅原道真)から勝手拝借/感謝です。
アメリカ帝国主義(ウォール街×産軍複合体)などと俺は書いてきたけれど、貧しいはず の途上国からアメリカに毎年資金援助がされているを読んでびっくり。
アメリカの銀行が途上国企業に融資する際に途上国政府にアメリカ財務省証券を担保として買わせる制度のようだ。
ホントウ?と思って検索したら本来、リスクはリスク負担能力が高く、またリスク回避度が低い富裕層や先進国が負うべきものであるにもかかわらず、実際には、途上国の多くがドル建ての債務を負うことによって大きなリスクを負担とあるからホントウのようだ。
いずれもネタ元はスティグリッツ早稲田大学講義録 グローバリゼーション再考。図書館にリクエストしてみよう。
自動車も家電もみーんな日本その他属国にくれてやる。その代わり金融とソフトとエネルギーと飛行機他軍事関連は絶対に放さぬぞ。ブッシュもヒラリーもこの点では意見が一致するだろう、多分。
室咲や壮年過ぎて知る花のあり
この句に至るまでに「室咲を詫びのしるしに買ひ帰る」「室咲や四畳半にも春が来る」があったが、いずれも没。ようやくにして本句となった。「室」とは温室を意味する。温室栽培で、本来の花季ではない冬季に咲かせた花を「室の花」「室咲き」などと称する。
そして「壮年」は「さだ」と読んでほしい。岡野弘彦の
壮年すぎてなほ人恋ふるあはれさを人は言ひにき我も然おもふ
から頂戴した。貰うのも俳句である。
紅唇の濡るるがごとく室の花 富安風生
妻のほか人なき日日の室の花 上村占魚
室咲や古き調度に埋もれ住む 島田みつ子
室咲きの鏡を占むるトイレ借る 森 みさを
俺の句はやっぱり叙情。叙景への道は遠い。
※画像はシクラメンの管理方法から勝手拝借/感謝です。
「恋文は短きがよしシクラメン」成瀬桜桃子。
蕩尽のまだ余命あり梅一輪
NHK俳句王国先日放送での「鰭酒や放蕩ごころ女にも」甘利誠治に触発されて得た。放蕩→蕩尽の回路が働いたのだ。「柿食ふや命あまさず生きよの語」石田波郷も意識下にあっただろう。まことに、俳句は連想の王国である。
勇気こそ地の塩なれや梅真白 中村草田男
死ぬ人みなわれより若く梅寒し 富安風生
梅咲くや小さんといへば三代目 久保田万太郎
人も見ぬ春や鏡のうらの梅 芭蕉
芭蕉の句は鏡の裏の模様である梅を詠ったものだ。
「梅」とは蕩尽の余命で長いお付き合いとなるだろう。ちなみに俺の句、初案は「余生」だったが、安住敦「俳句入門」を読んで「余命」なる言葉を得たものである。
※写真は五代目小さん(2002年他界。享年87歳)。人間大好きから勝手拝借/感謝です。
禁煙も五年が過ぎぬ寒の水
念のためこよみのページで確認したら、この日(2002.1.13)は日曜日だ。オカシイなあ。ともかく2002年は間違いない。
さてそれで、禁煙のきっかけについてはこの歌が残っている。
我が思ひ母に届けと意地張りて口論の果て煙草を絶てり
2004年に他界した亡母は煙草を吸っていた。1999年にこちらに呼び寄せてから五年、俺と妻と母との濃密な時間だった。だから、毎日俺は母のことを思い出している。
禁煙も減量もみんな母のおかげである。
焼跡に透きとほりけり寒の水 石田波郷
胃に落ちて甘さ戻りぬかんの水 石塚友二
寒の水飲めばたやすく心満つ 殿村莵絲子
寒の水ひとりごちのみ「あゝおいし」 森 澄雄
清冽な季語だ。波郷の句は戦後の焼跡を詠っている(典拠未確認だが間違いない)。二度と繰り返してはならないと「戦後を知っている子供たち」の最後の世代として思う。
※写真は俺が最後に吸っていたマールボロ・ライト(金マルと略すのが作法のようだ)。…そんなコンビニ。正しいタバコの略し方から勝手拝借/感謝です。
寅47作(おお、遂にラス前だ)は「拝啓 車寅次郎様」。
寅と人妻(珍しいケースだ。今までにあったかなア)かたせ梨乃が縦糸、満男と牧瀬里保が横糸になって滋賀県長浜の情景をからませて映画は進行し、当然ながら寅も満男も「失恋」するお話である(顧客サービスのため満男の場合は最後に希望を持たせたが)。
さて、問題はラスト近くの満男のセリフ。
満男 「拝啓、車寅次郎様。伯父さん、僕は近頃、伯父さんに似てきたと言われます。言う人は、悪口のつもりなんだけど、僕には、それが悪口には聞こえないのです。伯父さんは、他人の悲しみや淋しさが、良く理解できる人間なんだ。その点において、僕は伯父さんを認めているからです。」
映画でこのセリフに接した時に俺には、かるーい違和感があった。
あらためて文字で読み直して沈思黙考して理由がわかった。満男は、「良く理解できる人間」と言っているのだ、これが俺の違和感の原因だったのだ。
理解できるためには理解しようとする意志だけではなく能力が必要。寅は理解しようとする意志はあるけれど、能力はどうだろうか。能力=一般的能力+個別能力は他人の悲しさや淋しさを理解するのに十分だろうか。
寅の「アタマのよさ」を棚に上げて人間味という点だけで一般的能力を捉えると、これは問題ない。寅は苦労人だし人情味はもともとあるから。
しかし、問題は個別能力である。その人の置かれた環境や人間関係、仕事の中味、その他もろもろをひっくるめてその人は喜怒哀楽しているのである。更には、性格や立場上、感情を出さない、出せないこともある。寅のような渡世人に簡単にわかってたまるか、堅気の人間の悲しみが。三丁目の夕日じゃないんだぞ、実人生は。
だから、満男よ、気安く「良く理解できる人間」だなどと言うな。寅に対しても失礼だ。人と人とは理解し得ない。理解できたような気持ちになっただけでも幸せよ、そこが渡世人のつれえところよ。だからなあ、俺は人を愛しても信じはしない。信じたら裏切られるというのもあるけれど、信じたら信じられた相手の負担になって可哀想じやねえか。
そこで応用例→東国原宮崎県知事。ウィキペディアは傍証も挙げずに「日常生活でも、自分より上と見た者には媚びへつらうが、一旦、下とみるや非常に横柄な態度をとる」と書いている。その真偽はさておき、県知事は政治家である以上に県組織・職員の長である。だから、働く人たちの気持ちを「良く理解できる人間」でなければ勤まらない。それが自分に欠けるとわかっていたら、信頼でき能力があるブレーンを作らねばならない。どんな人事をするかが新知事の試金石だ。
そんなことにも考えが及ばず(考えているなら悪質である)首相は「そのまんま東氏は再チャレンジに成功した。自分の再チャレンジ政策はそういうものなんだ」と発言した。政治家は結果責任だとのたまったご本人が知事当選だけで「成功」したと表現するあほらしさ。
さて、首相と満男、どちらが聡明であろうか。
冬草やゆるゆると来し半生を
チョンギレ句である。「半生を」どうしたいのか。思うのか、懐かしむのか、悲しむのか、誇るのか。何を言いたいのかチョンギレておるぞ。
でも、「ゆるゆると」は「土曜日の各駅停車ゆるゆると詩歌読みつつ職場に向かふ」の「ゆるゆる」のつもりだ。最近、スローライフなんとかが流行り出しているようだが、俺なんか十年以上も前から言っておるわい。自慢するほどのことではないが。
あ、あと「半生」にも着目を。余生にどんな危機が待っているか否かは別にして、責任65、目標80、理想100である。百歳でのど自慢で「リバーサイドホテル」を歌って鐘を鳴らしたるねん。
また、燗酒で一杯やってしもうた。
果てしなき女房の繰り言燗冷めぬ
川柳だなあ。詩がない。もうこんなん、今後は没にしよう。
例句もだいたい引き尽くしたから止めておく。WAKAトラックバックにも流さない。
でも、句集には記念に入れておこう。
もう一度、詩がなければ俳句ではない。
枯芝に寝ころんで読む文庫本
文庫本といえば
遺品あり岩波文庫「阿部一族」 鈴木六林男
これに対し、俺の文庫本は単なる語呂合わせの文庫本。でも、上の無季かつ反戦俳句の代表作とともに読んで貰えることはありがたい。反戦短歌の傑作「ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す」宮柊二も合わせて読んで貰えるともっと喜ぶ。
安倍晋三トラックバック設置→アクセス増に味を占めて二匹目の泥鰌を狙いました。
今度は短歌、俳句のトラックバックピープルです(左サイド)。
もう両側ともいっぱいだ。人間、満腹したらあかんぞ。
ちょっと気になったので検索したら、「竜」は「龍」の新字で「竜馬」は誤り(龍馬は「竜」の字を使ったことがない)だが、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」以来、慣用化されているとのことである。
では、何故、司馬遼太郎が「竜馬」を使ったかというと、「龍」でないのは司馬自身がフィクションとしての彼を描いたためとも言われているそうだ。
従って、今後は、ブロガーズ龍馬を使用しよう。
渥美清は91年に癌が見つかったが誰にも明かさず最終作まで病気を隠しながら撮影、96 年に他界した。享年68歳。
渥美清逝きて十年雪催
先日の多摩の初雪(初雪もくしやみ一つで消えにけり)を受けた句である。別途「雪催の空でした」というコメントを頂戴して、そうか、雪催という粋な季語もあるんだと思うと寅が浮かんだのだった。そして、もう一句。
雪催ひ鬢の白髪の増えにけり
これは(ちょっぴり)うんうんうなって得た。てつぺんは薄くもみ上げ白くなり我が人生の末路や如何に。おお、歌になっとるやんか。歌集に入れたろ。
京まではまだ半空や雪の雲 芭蕉
湯帰りや灯ともし頃の雪もよひ 永井荷風
雪催小家に住める友ばかり 石田波郷
雪催急げば世辞も聞き捨てて 貞弘 衛
※写真は昭和28年の渥美清。[人物編]とうよこ沿線ゆかりの人から勝手拝借/感謝です。
だいぶ前の句。NHK俳句に投句して没だった(多分)。
寒雀ひとり遊びに飽きたるや
ほぼ一人っ子で育ったもので一人遊びは好きで得意だ。根本は他人嫌いというのもあるだろうなあ。人間、所詮一人。一人で始め連帯も衝突もあり一人で終える人生や。
団塊の世代といふも寒雀 服部 満
寒雀身を細うして闘へり 前田普羅
天の国いよいよ遠し寒雀 西東三鬼
寒雀ひともひとりの顔を出す 加藤楸邨
「団塊」の句が実感にぴったり。自分でもこのキャッチを使うけれど、よう考えたら「団塊」などという個性無視のレッテルをよくも貼ってくれたな銭儲け上手堺屋太一。
※画像はYahoo!セカンドライフ - 社会と経済 - 堺屋太一「定年を迎える団塊の世代」から勝手拝借/感謝です。
このままで行ったら一昨年の郵政選挙の二の舞になる。
あの時は小泉郵政民営化ワンフレーズに対して民主党は年金・消費税なんちゃらと論点外しで対抗しようとしたが、国民に浸透しなかった。
今回も自民党はナショナリズムを上手に刺激して「美しい国、美しい憲法」で勝負をかけてくるような気がする。民主党の「生活維新」では勝ち組国民は無視、負け組みはシラケてしまうのではないか。
そこでキャッチはストップ・ザ・安倍=自公連立政権。護憲共闘は難しいだろうけれど、自公連立政権ご苦労さん、日本の将来を見直すためにここは一休み、守ろう平和と民主主義などと、要するに、参院与野党逆転させて自公独裁を阻めの一点で共闘できないだろうか。
いまのままでは野党はまとまらない。そこで、ネットで変えよう政治、ブロガー竜馬が作る薩長同盟を。具体的には、野党議員(国会・都道府県市町村)ブログに(スパムにならない範囲で)コメント陳情しよう。
例1)そこで質問。共産党は民主党・社民党に護憲統一連合を持ちけれないのでしょうか。4日前に投稿したけれど未だ返信コメなし。気長に待ってみようかホトトギス。
例2)「民主党は改憲賛成ですか、反対ですか」→素直で迅速なレスあり。
例3)公明党にもコメ陳情してみようと調査中。あんまりブログが無いようだ。見つけたけれどコメント不可という奇怪なブログ。
ブログは個。政治も本当は個。個人がつくる日本の政治。写真は坂本竜馬 近代日本人の肖像から勝手拝借/感謝です。
俺は60年安保のとき、小学6年だった。「アンポ反対、キシを倒せ」とデモの真似をして学 校の廊下を練り遊んだことを記憶している。
そして70年安保はサボリ大学生。騒動を横目に名曲喫茶とパチンコの日々だった。
しかし、それもこれも昔の話。アンポって何?の時代である。だから戦後民主主義などという言葉も全く、光を失っている。三池闘争なんて何のことかわからんだろう。
そんな「戦後を知らない子供たち」に小熊英二「〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性」966ページ だよ、両手でないと持てないよ。
著者はこの本の中で戦後、ナショナリズム(愛国)と民主主義が最も幸福な接近を示した時期は60年安保だと語っていると思う。「祖先の活躍に心躍らせ、失敗の歴史にも目を向け、その苦楽を追体験できる」という本を書いてやろうというのが執筆動機のようだから、愛国主義vs民主主義という対立軸になっているのだろう。
でもなあ、俺は、愛国心は実は愛個心。だから、愛国心と愛国心はぶつかり合う。そのときにいかに平和を守るかという問題が発生する。と考える。そしてどうせ愛個心ならば国などという狭い枠にとらわれないで世界市民になろうよ、安倍ちゃん。美しい国などと言わずに美しい世界にしようよ。
だから、対立軸は民主vs愛国ではなくて、世界主義vs国家主義だよ、小熊ちゃん。更には自由主義vs民主主義でもある。民主主義は多数に名を借りて少数者の自由を抑圧するのだから。
まあ、それはともかく良書であった。
最後にこの本からエピソードをひとつ。戦艦大和は何故、片道燃料特攻を行ったか。
天皇に特攻飛行機作戦の報告を行った際に、天皇から「航空機特攻だけで十分なのか」とご下問があり、その場で咄嗟に「艦隊も行います」と海軍軍令部総長が応えて急遽作戦実施となったそうである(第五航空艦隊司令長官の宇垣纏中将の『戦藻録』には、天皇が「海軍にはもう艦はないのか」とポツリともらした言葉が、大和特攻の決め手になったという憶測が綴られている)。
こんなアホな国にしたらアカン。無責任天皇制+秀才官僚制とそれに寄生する人々(知識人も大衆も)が大日本帝国を滅亡させた。不二家も三洋電機も同様である。
私たちは扇動されやすいのである。だから、理念(例「諸国民の公正と信義」は信じて現実(例:国家権力、メディア)は疑う。疑い続ける。それで頃合のバランスがとれると俺は思う。思想=信じること(正義)+疑うこと(真理)である。
※Mammo.tv 今週のインタビュー(2002.04.01-08号 Part2) 小熊 英二 さんから勝手拝借/感謝です。
寒紅や棄てた男を数えてる
映画(浦山桐郎監督)もよかった。捨てるではなく、棄てるのである。
※初案「棄てた男の数かぞえ」を投句後修正
寒紅や酒も煙草もたしなまず 鈴木真砂女
寒紅の濃き唇を開かざり 富安風生
寒紅や贋金をもて胸飾り 岸 風三楼
寒紅や夫の好まぬ髪結はむ 池上不二子
色気のある季語が好き。色事は人間の根源なのだから。
※画像はCHANEL(シャネル)化粧品から勝手拝借/感謝です。
白露山勝ち越し。よかった。十両転落を免れた。
霜柱引いたらあかん白露山
露鵬の弟である。入門の際に兄とは別の部屋に所属すると聞いて、遠く離れてしまうのかと悲しんだそうだ。この兄弟、見た目は恐そうだがやさしい男たちである。引き技はレスリングの癖か。
ついでに、相撲短歌。
勝ち負けは時の運とはいふけれど恵比須顔なり金星力士
これは旭天鵬(将来親方になるべく日本国籍取得)が大関(コロコロ負けるので誰だったか忘れた)を破ったときの恵比須顔を詠ったものだ。銀星では歌にならないので短歌的誇張した。
朝青龍(幼少期から手のつけられない悪ガキだったそうだが、最近は丸くなった)も今場所20回目の優勝を果たしたので、一代年寄りの資格は貰えそうだ。ただ、日本国籍取得が条件となるからそれが問題になるだろう。もっとも十年以上先の話だが。
霜柱歓喜のごとく倒れゆく 野見山朱鳥
むらさきは月の匂ひの霜ばしら 千代田葛彦
鉱山の墓地こがらし色の霜柱 日向野凍香
霜柱はシュールな感覚を表現できるなあ。死と霜柱で一句研究中。
※写真は白露山。SANSPO.COM スポーツから勝手拝借/感謝です。
びゅんびゅんと北風が吹くペコちゃんに
北風を背に論ずる正義漢
へそまがりなものだから、メディアの不二家叩きになにかしら意図的なものを憶測してしまう。不二家分割などと取り沙汰されているのをみると尚更である。
叩けば叩くほど買収コストは低くなり、叩き過ぎればブランド回復コストが余計にかかる。そのへんの按配を測っている人々がいるのではないかと下衆の勘繰りをするのである。
雪印はバックに農林中央金庫がついていたが、不二家の取引銀行はりそなのようだ。武士と町人の違いはあるなあ。今週で決着、収拾するのではないか。
初雪や泣いて笑うてまた一年
初雪もくしやみ一つで消えにけり
前の句は雪を見て第一感であった。なんか新年の句みたいで没、とも思ったけれど捨て切れず。後の句は今朝目覚めの床でうんうんうなっていたらクシャミしてうかんだ。季語重なりを気にはせず。
初雪やかけかかりたる橋の上 芭蕉
ちらちらと初雪ふりぬ波の上 正岡子規
うしろより初雪降れり夜の町 前田普羅
初雪の足らぬことばのやうに止み 向田貴子
こうした例句を読むとやはり俳句は叙景。景を叙してこそ情が伝わる。いきなり情をぶつけるのは無作法である。と言いつつ性懲りも無くまた一句。
初雪や男心に紛れなし
このビョーキ、じっくり治そう。「飛ぶ雪の碓氷をすぎて昏みゆくいま紛れなき男のこころ」岡井隆(写真)の本歌取り句(というか剽窃)も反省。ごめんなさい。
寅46作は「寅次郎の縁談」。就職活動(シュウカツというんだ。つい最近知った)に悩んだ 満男は家出してしまう。瀬戸内の琴島(現実の地名は志々島)にたどりついた満男は農漁業の手伝いをして心を回復しつつあり、島の診療所の看護師(城山美佳子)にも慕いを寄せられる。そこへさくら夫婦に頼まれて寅が呼び戻しに来るのだが、満男が身を寄せた家には松坂慶子がいたのだった。
93年の作品だからバブル崩壊後の就職氷河期である。満男が履歴書・面接で「サークルのサブリーダーとして活躍…」などという嘘をつくのにくたびれ果てるという設定は現実味がある。物語の最後には父親ひろしも「嘘なんかつかなくていい」とようやく理解してくれるのだが。
それはともかくとして問題は、満男が看護師(城山美佳子)や松坂慶子に何の事前相談もなくて松坂慶子宛一片の置手紙だけで東京に帰ってしまうことである。
この点、満男の心境にどんな変化があったかを映画は一切、描かない。しかしまあ、普通に考えても大学卒業も就職もしないといけないから東京にいずれ戻るべきなのだろう。
でも、親切に居候させてくれた松坂慶子には事前相談するべきとも思える。こころよく了解してくれるはずなのだから。それが満男の果たすべき説明責任である。
一方、看護師(城山美佳子)に対してはどうか。彼女の気持ちがわかっているだけに説明責任を果たすのは難しそうだ。相手が納得してくれて初めて説明責任を果たしたことになるからだ。
いや、松坂慶子は看護師(城山美佳子)のことを知っているだろうから、松坂慶子も引き止めるかなあ。だとすると、置手紙だけで逃亡するのも止むを得ないのかもしれない。
いずれにせよ、満男は東京に戻った。逃げの名人寅も満男が不用意に寅の気持ちを松坂慶子に言ってしまったこと(葉子 「そういうことはね、本人の口から、直に聞きたいの!あんたみたいな、寅さんの良さがちっとも分かっとらん様な青二才から聞いても、ちっとも嬉しゅうない。余計なお節介よ!」)をきっかけに満男と一緒に島を出る。寅の場合、説明責任を求めることは酷なのは当然だ。
俺は説明責任を果たしたか。そんなことを考えるのも俺に酷だから止めておこう。人には厳しく自分には甘くが身上なのだから。
※写真が瀬戸内の琴島(現実の地名は志々島)。香川の名所案内3から勝手拝借/感謝です。「かっては千人近かった島民が、今では全人口30余人 平均年齢80歳の過疎の島」だそうである。
レーニンは悪でありしか冬の月
結果論で言えば悪人だったのだろう。ただ、マルクス・レーニン主義なくして中国の解放はなかったとはいえるかもしれない。おお、毛沢東の評価問題もあるなあ。そして中華人民共和国と中国共産党の今後の問題もある。しかしながら、統一中国の存在は世界の平和に寄与しているとは言えるだろう。
この木戸や鎖のさゝれて冬の月 其角
冬の月より放たれし星一つ 星野立子
冬の月ベッドにすがり糞まれば 石田波郷
大船や帆綱にからむ冬の月 高浜虚子
平和に生きてこられて経済的繁栄もそれなりに享受できて団塊(戦争を知らない子供たち)は幸せであった。まだ平均余命二十年はあるけれど。
※画像は今注目の中国・人民元・三菱商事フューチャーズ証券から勝手拝借/感謝です。
大寒やレーニン像の目に涙
「行春や鳥啼魚の目は泪」芭蕉の磁力圏内にある句だ。同時に、近くはイラクのフセイン像が倒された光景も連想する。レーニン像はどうなったのだろう(ベルリンのレーニン像は無くなったそうだ)。旧ソ連レニングラードはサンクトペテルブルグに名前を変えた。しかし、レーニン廟の撤去問題は決着がついておらず、そのままのようである。
20世紀最大の悪はナチズムと共産主義である。いずれも理性から出発している(ナチはいささか疑問ありだが)。理性の暴走の大教訓とすべきである。
大寒の埃の如く人死ぬる 高浜虚子
大寒の犬急ぐなり葛西橋 殿村莵絲子
大寒や転びて諸手つく悲しさ 西東三鬼
大寒と敵のごとく対ひたり 富安風生
大寒や見舞に行けば死んでをり 高浜虚子
虚子の二句が胸を打つ。だからこそ、人は(どんな人でも)かけがえがないのだが。
※画像はart random - 人生のセイムスケール - age 53からレーニン。勝手拝借/感謝です。
初場所や芋たこなんきん角力好き
リアルでもないのに贔屓力士(安馬:勝ち越しおめでとう)が勝ったら拍手する。アホかいなと思いつつ。
ところで今日の客席にはペギー葉山の顔も見える。俺の見た限りでも今場所二度目だ。おかけで掲題句を得た。ごっつあんです。
※写真はスポニチOSAKA 有名人マイPETから勝手拝借/感謝です。
すべての護憲論者はこの問題提起を真剣に受け止めるべきだという記事を目にしたの で、コメントさせてもらった。
9条は政策的規定(損得の問題)だから思想的根拠(価値観:平和)は不要というのが俺の考え方なのだが、さて、「気の抜けたビール」だろうか。
ちなみに、世界三層モデルに損得と平和を追加してみた。
価値世界 ⇔ 論理世界 ⇔ 事実世界
価値 構造・モデル 事実のみ
正義 真理 -
平和 損得
信ずる 疑う (味わう)
言語 経験
ウィトゲンシュタイン 西田幾多郎
※画像はWeb相鉄瓦版・特集から勝手拝借/感謝です。
一昨日、玄関チャイムが鳴ったので五月蠅いなと思いつつ出てみたら民主党市議だっ た。「あ、そうですか」とだけ返事してチラシを貰った。チラシを見るとブログありとあるので昨日、ちょっかいを出してみた。「民主党は改憲賛成ですか、反対ですか」
さっきブログを覗くとレスがあり。この質問はとても難しいです。(中略)「行動することで変わる」「行動すれば変えられる」ということのリアリティを伝える必要があるのでしょうね。まだまだ、そのことを伝えきれていないなと痛感しています。とある。
俺のいけずで陰険な行動に迅速誠実に答えて下さってくれて感謝です。
出来れば、護憲統一連合(民主党、共産党、社民党)を組んで頂けると喜びます。共産党が受け付けないだろうなあ。あのアホウめ。
※画像は民主党から勝手拝借/感謝です。
「枯木坂無言で歩く老二人」の後続句。
冬深む人間ひとり一人哉
無言でウォーキングする老夫婦を見かけて、でも死ぬときはそれぞれ別なんだろうなあと思ったら「人間ひとり」。これに「一人哉」をつけたら十二音。あとは季語を接着すればよしという形成過程だ。こんなんでええかなあと思いつつ、ナルちゃん俺は割りと気に入っている。「汝は黙し吾も黙したり冬の雨」の後続句にもなっているしね。
冬ふかむ父情のふかみゆくごとく 飯田龍太
冬深し海も夜毎のいさり火も 八木絵馬
冬深む蒼空ばかり身延線 森 澄雄
冬深む無頼にも似て独りなる 野澤節子
野澤節子は脊椎カリエスで長い闘病生活を送った。「せつせつと眼まで濡らして髪洗ふ」がある。生老病死(四苦八苦の四苦)は人に実存を気づかせる。
※画像は涅槃画像。長松寺大間(おおま)、向拝(ごはい)天井絵及び涅槃(ねはん)画像-高崎市から勝手拝借/感謝です。キリストと釈迦の最後は格別に異なるんだなあ。
汝は黙し吾も黙したり冬の雨
「なはもくし、あももくしたり」と読んでほしい。読んだこともない本「我と汝」から書名を頂戴してくるという姑息な発送である。関係性(我と汝)こそが人間の本質(じんかん<人間>:人は関係の中で自分に気づく)という程度にはわかっていると言い訳をして。
垣越しの一中節や冬の雨 永井荷風
油絵のたゞ青きのみ冬の雨 山口青邨
面白し雪にやならん冬の雨 芭蕉
武蔵野を横に降るなり冬の雨 夏目漱石
実体と関係は地と図。人間の心に着目すれば心が実体、じんかん<人間>が関係。
他方、じんかん<人間>に着目すれば心は関係。だって、俺の心は四方八方に振り回されて形成されてきたものなのだから。人の心は関係性の集積、束ともいえるのだから。
このような地と図の関係を視覚的に端的に説明できるのがルビンの盃(添付画像)。杯が実体、二人の顔は関係。それともその逆だろうか。こうしたゲシュタルトの関係が事実世界と論理世界との間にあると俺は思う。のっぺらぼうな事実世界にどのような構造を入れて物事を見るか、ということである。興味あれば我が俳句論的転回へどうぞ。
管理画面はよく落ちるし、スパムコメントフィルター装備済みとのニュースはあるけれど、どうも無いみたいよ、ココログさん。ウソばっか。
フリーユーザーなれどウソをつかれてよい理由は無い!おまえは不二家か。
イラクである。内戦状態に近いのに、メディアはテロと伝えているのではないだろうか。
イラク米軍2万1,500人増兵という中途半端な新政策は成功するのか。既に50兆円の戦費を投入させられたアメリカ国民は産軍複合体にむしられているだけだと思う。
そこで反戦俳句の白眉の一句。
戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡辺白泉
この句を読むたびに戦争は他人事ではないと思う。ほら、総理官邸の廊下の奥に立っているではないか。写真は写真俳句 渡辺白泉より勝手拝借/感謝です。
戦争で儲かる国よ白泉忌
一月三十日は白泉忌である。
生あるものこの冬蝶に逢ひしのみ 福田蓼汀
冬の蝶睦む影なくしづみけり 西島麦南
冬の蝶さてもちひさくなりつるよ 北原白秋
毎日のように殺人事件の報道で厭になってしまう。今度は焼肉屋冷蔵庫に死体隠匿。逃 げおおせると思っているのだろうか。
北風や毎日殺人世も末に
これ以上、言葉を続けることができぬ。なんでこんなあほな犯罪を犯すのだろうか。
ここでも「殺すな、逃げよ」しか俺は言えぬ。
北風に人細り行き曲り消え 高浜虚子
北風やイエスの言葉つきまとふ 野見山朱鳥
獄の門出て北風に背を押さる 秋元不死男
北風に唄奪られねば土工よし 津田清子
「誰かが、あなたの右の頬を打ったなら、左の頬を向けなさい」というイエスの言葉は昂然たる反抗の言葉だそうである。
※写真は呉市立美術館|コレクションからルオー「キリストの顔」である。勝手拝借/感謝です。
前々から思っていたのだが、直接的には「戦争が遺したもの」がきっかけになって、9条守 ろう!ブロガーズ・リンクを貼ることにした。
理由その1:アメリカが好きだから
憲法9条・日米安保・自衛隊は俺の中では三点セットである。なんだかんだ言っても日本国憲法を押し付けてくれたアメリカは好き。アメリカに占領されてよかった。
そして、憲法9条・日米安保・自衛隊の吉田茂軽武装路線は今でも現実的な選択と判断するからである。
理由その2:アメリカが嫌いだから
しかし、アメリカ帝国主義(ウォール街×産軍複合体)は嫌い。とりわけブッシュのアメリカはイラク侵略を始めとして京都議定書廃棄等、唯金論的失敗を犯し続けていると思う。
そんな米帝の下での軍事経済下請化をより進める9条改悪に反対する。
理由その3:痛いの苦しいのは嫌いだから
そして最終的な理由はこれ。殺すな逃げよを身上として余生を安逸に過ごしたい。国家は単なる手段、個人が目的。日本国憲法13条「全て国民は、個人として尊重される」が日本国憲法の(9条よりも)肝である。国家のための人殺し、人殺されは真っ平ゴメンだ。
以上、現状の日本共産党には金輪際投票しないけれど、日本国憲法は大好きである。作ろう、世界連邦共和国。
※cocologへのバナーの設置方法を参考にしたが、うまくいかずちょっぴり苦労した。
最終的には
<img title="Photo_37" height="50" alt="Photo_37" src="http://doyoubi.cocolog-nifty.com/blog/images/photo_37.gif" width="100" border="0" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 5px 5px 0px" /><br /><br />
がマイリストにペーストしたテキストだ。
知らぬ人も挨拶くるゝ梅早し
朝Walkの途次では早梅の季節でなくても見知らぬ人にも互いに挨拶を交わすことが多い。しかも女性に多い。男は無口はいいけれど、なんかあんた人生に不満のありや。
早梅や犬飼ひてより荒れし庭 久保田万太郎
早梅を見てゐる父の死相かな 中原山帰来
早梅に汁粉屋もなし初音町 長谷川零余子
早梅や御室の里の売屋敷 蕪村
人生に不満はなけれど世の変遷、時の流れに諸行無常を感じたり。されど無常こそ世の常ならば今更何を言わむかな。されば我ら、遊びをせんとや生れけむ(梁塵秘抄)。
※画像は平家物語絵巻から勝手拝借/感謝です。
焼芋や欲しくはないけど食うたろか
焼芋や男のお喋り大嫌ひ
焼芋を一期の夢と食ひにけり
一句目は男の哀愁、二句目は女の悲しみ、そして三句目は人間の切なさを詠ったいずれも名句である。番外句「焼芋や一期の夢ぞたヾ狂へ」もある。一期の夢の出典についてはこちらへどうぞ。
焼芋やいまはむかしのゆめばかり 久保田万太郎
焼藷を買はんと思ふ妻の留守 小西魚水
焼藷を二つに割つてひとりきり 西野文代
焼芋に新聞紙のにほひかな 鳥居三太
焼芋や月の叡山如意ヶ岳 日野草城
焼芋やばッたり風の落ちし月 久保田万太郎
焼芋と月の取り合わせがいい。次回はこの路線を追求しよう。
※画像は【楽天市場】大好評!甘~い焼きいもが3分で完成!鉄釜で石焼したホクホク甘くて人気の焼き芋5本<紅あずま>:おいもやから勝手拝借/感謝です。やっぱり楽天で売っていたぞ。
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2007年1月16日(火)15:00~1月17日(水)15:00の約24時間だそうである。
スパムコメント対策も入っているとのことなので期待切望している。
年末にもこのメンテ一度実施→失敗している。仏の顔も一回やぞ。わかっとるやろな。
「戦争が遺したもの」が面白かった。 鶴見俊輔の戦前戦中戦後を小熊英二+上野千鶴 子が聞くという対話である。時代の変遷にも関わらず通用する人間の値打ちというものを考えさせられた。鶴見俊輔はそれを体感体現した一人だと思う。
小熊英二がここで面白いことを言っていた。彼は若き日に編集者として文筆家にお茶汲み・弁当出しをした経験があるそうだが、その際、お茶を出されたときの態度、後片付けを自分でするかどうかなど日常の所作で人がわかるということだ。口舌の徒か否かは日常に現れる。実名でエピソードを洩らしてくれると面白かったんだけどなあ。
そこで、小熊英二「〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性」 を図書館にリクエストした(966pもあるやんかあ)。おお、他に「日本という国」もあるやんかあ。
ところで、上野千鶴子は俳句もひねる。どんなんかなあと検索したら
葬ひのある日もっとも欲情す
女ばかりが信心ぶかい 祖国
減るもんじゃなし 感情の大浪費
ホルモン屋にくれてやる救急外科の裏口から
待って待ってわたしの洞を血が削る
だそうな。もうええ、わかった。こんなんでは欲情せんわい、俺は。
※写真は鶴見俊輔。通販生活夏号|カタログハウスのウェブサイトから勝手拝借/感謝です。
俳句における言葉遣いの原則は、文語・歴史的仮名遣い。理由は、俳句は短いから文語、文語にするからには歴史的仮名遣いである。短歌はカッコイイから歴史的仮名遣いという単純な理由であったが、俳句を始めてからはより理論武装するようになった。
しかし、口語もときに使う。俺は二刀流である(文語口語、俳句短歌)。
東京の空も青いよ山眠る
これは二句一章・二物衝撃・取り合わせの句(のつもり)だ。(誰も言うてくれへんから自分で言うけど)成功した取り合わせに口語がよく効いている句である。
浅間山空の左手に眠りけり 石田波郷
夏も殷も周も滅びて山眠る 角川春樹
とぢし眼のうらにも山のねむりけり 木下夕爾
つけもの石重きほどよし山眠る 成瀬桜桃子
発想思想(メロディ)と韻律(リズム)と詩・言葉の響き合い(ハーモニー)、これが俳句の三大要素と思う。
※写真は多摩ニュータウン(その1) ~東京考察から勝手拝借/感謝です。
朝は天気ならば大抵30分ほど歩いている。この朝Walkと二日に一回のプール通いとが我 が体重リストラ作戦だ。そうした朝Walkで得た一句。
冬ぬくし口笛で行くお掃除隊
朝Walkで出会う人たちの中に三人連れの女性がいる。ボランティアでごみ拾いをされているのだろうか、ビニール袋を持って拾ってらっしゃる。その中のお一人が(鳥寄せだろうか)口笛を吹いていらっしゃる。そこから「口笛で行く」を得た。そして、「お掃除隊」と名づけて歳時記で「冬ぬくし」を見つけて一丁あがりである。
寒いけれど、昔に比べれば断然暖かい。こんなんでええんやろうか。いや、句作りの話である。
暖冬の猫が目につく偶数日 伊藤トキノ
そつとして置いてもらへば冬ぬくし 岩上とし子
墓地といふ冬あたたかきところかな 村上喜代子
校庭の柵にぬけみち冬あたたか 上田五千石
俳句の面白さは、意表をつく視点にもある。シニカルにものごとを見て、意表をついて表現し、それでいて情を感じさせる。そんな句を得たい、仏様。
※「菩薩」で検索したら添付画像が出てきた。何の説明もないからなんのこっちゃわからん。菩薩から勝手拝借/感謝です。
久しぶりに「一人一首」である。すっかりご無沙汰、文字通り歌を忘れたカナリアだ。とい いながら駄歌は屁っていたのだから世話はない。要するに、俳句に夢中で「一人一首」まで手が回らない、気も向かないということだ。
とはいえ、始めたことは完遂しなければ気色が悪い。「週三日プールに通ふ日々続く根性なけれど根気はあるぞ」だから。そこで、ゆるゆるぼつぼつ継続の所存である。
さて、今回は藤井常世。常世のゴッドファーザーは折口信夫とのことである。
なまなまと人顕たしめて秋は暮る一期はゆめといまだ思へず
「顕たしめて」は「たたしめて」と読ませる。恋する人の面影がなまなましく顕ち現れる思いで秋は暮れる、一生は夢と諦めきれないのにという恋歌であろう。
俳句だったら上の句でおしまい。下の句「一期はゆめといまだ思へず」は上の句に対する註釈と決め付けるのは短歌に対して酷、失礼だけれど。
そこで「一期はゆめ」にこだわって検索してみたら、閑吟集「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」に出会った。そうか、「一期は夢」の出典はここだったのか。そして、夢だから狂っていい、狂えというのが閑吟集の歌の本意である。
だから、藤井常世のこの歌は閑吟集からすると本意に添わない使われ方をしていることになる。思い切れないあの人を、人生夢だからこそただ狂え、狂うばかりに思い焦がれると詠うべきではなかったろうか。
この点、省略を真骨頂とする俳句では七七が無いから余計な突込みを受ける危険性が少ない。全てを削ぎ落とした抽象こそが人生の本質かもしれぬ。俳句は抽象した上で詠嘆することができるのである。
冬晴れや恋の嘆きの青い空
青い空を見ると溜め息が出る、ということはないだろうか。
作者は写生句のつもりなのだが。
天照るや梅に椿に冬日和 鬼貫
冬麗の陽を載せ誰も居ぬベンチ 楠本憲吉
冬晴を愛す厠の窓からも 谷野予志
楠本憲吉は灘万の御曹司だそうだ。灘高が生んだ三大奇人の一人ともされているけど、奇人がたまたま灘高に入学しただけなのだろう。そういえば、村上ファンドの村上氏も灘中・灘高だった。
※写真は嘆きのテレーズから勝手拝借/感謝です。
一句一章で切れがない句。
若菜野をひとり歩みし少年期
詠んだ本人もカタルシスを感じない句である。短歌にして七七をつけたろかと思うくらい言い足りなさが残るのだ。でもまあ、人生、そんなものか。
若菜野に昔男ぞなつかしき 伊藤松宇
若菜野や雪靄あがるひとところ 服部嵐翠
若菜野や八ツ谷原の長命寺 石田波郷
八ツ谷原は練馬区谷原町のあたりと思う。波郷は1958年、45歳で谷原に新居を建築し転居した。以来、椿を愛した。「ひとつ咲く酒中花はわが恋椿」波郷。
もうひとつわが愛する波郷の絶唱「柿食ふや命あまさず生きよの語」。
写真は椿を愛する波郷。風鶴山房:波郷の足跡から勝手拝借/感謝です。
子にあらず父にもならず女正月
感慨=心に深く感じること。しみじみと思うこと。と辞書にある。たしかに、俺の人生の縦軸ではある。もっとも、横軸(それが何かはよくわからないけど。俺の性格?)もあって、この両者相俟って俺の人生が形成されているんだろうなあ。
芝居見に妻出してやる女正月 志摩芳次郎
女正月みくじの喜憂持ちあるく 井桁衣子
燈ともれば帰り支度や女正月 菅野一狼
女正月帰路をいそぎていそがずに 柴田白葉女
最後の句は今日の清水哲男『新・増殖する俳句歳時記』から採らせてもらった。女正月とは「一月十五日。大正月を男正月といい、小正月を女正月という。京阪地方では、松の内の多忙から開放された女性(主婦たち)が十五日から年始回礼を始めるための呼称」とわたしの俳句歳時記にある。絶滅危惧季語である。
※画像はルルーシュ監督「男と女」ポスター。SCREEN 男と女から勝手拝借/感謝です。
怒りぽくなりぬと云はれ葱を噛む
老人性欝かなあ。もともと躁鬱気味なところがあるので要注意は要注意。
しかしまあ、ほがらほがらすこやかにしていれば大丈夫だろう。俳句に相撲に歌舞音曲に気晴らしの種は幸いなことに恵まれている。そうそう酒も適度に健康に。
気晴らしのネタは幸ひ恵まれてすこやかに生け天寿への道
なんか、これだけが生き甲斐みたいやなあ。ジジむさいぞ(ま、いいか)。
葱買うて枯木の中を帰りけり 蕪村
霜ふかき深谷の葱のとゞきけり 久保田万太郎
白葱のひかりの棒をいま刻む 黒田杏子
夢の世に葱を作りて寂しさよ 永田耕衣
耕衣が何回味わっても尽きないのが名句だと言っている。余計なものを削ぎ落として言いたいことを純粋に詠っているからであろう。耕衣の句、名句である。
※写真はまちい青果の野菜発送から勝手拝借/感謝です。
客の顔しあはせさうに正月場所
寺銭で稼ぐ日本や大相撲
やくみつるの予測によると今年の優勝は、モンゴル枠4、欧州枠1、日本枠1とのことだ。妥当な予測である。問題は日本枠が誰かだ。
川風に一月場所の太鼓かな 島田五空
初場所や行司にもある初土俵 鈴木栄子
初場所や枡の中なる置炬燵 吉田冬葉
写真は先場所、がぶり寄り開眼し今場所も好調な琴奨菊。
在庫に余裕が出来たのでもう一句。
雪女談判に来て去ににけり
雪女に出会ったら談判という言葉が浮かんだ。初案「帰りけり」だったが、関西弁で「いににけり」としてみた。初案の方がええかなア。
みちのくの雪深ければ雪女郎 山口青邨
雪女郎おそろし父の恋恐ろし 中村草田男
村に子の減りしを嘆き雪女郎 伊藤トキノ
岬へのみちはいっぽん雪女郎 草間時彦
好評なので、時彦の句をもう二句。
「秋鯖や上司罵るために酔ふ」
「オムレツが上手に焼けて落葉かな」
いずれも「現代の俳句」(俳句入門者座右の一冊)から引用。時彦の写真(いいお顔です)を探したが見つからず、代わりに句の引用ブログをどうぞ。
※写真は目と耳シニア体験-視覚編・オムレツから勝手拝借感謝です。
朝焼けに月は天心富士の冴ゆ
「朝焼け」「月」「富士」と盛り込みすぎ。「半月の天空にあり富士の冴ゆ」の方がいいのかなあ。しかし、半月が気に入らぬ。七日月とでもするのか。誰か添削してくれぬか。
ともかくも駄句である。人生全て練習と言い訳をする。
そうそう、初案「冴ゆる」だった。これは連体形ではないかと投句寸前に気がついて修正した。最近、池田俊二「日本語を知らない俳人たち」を読んで四段活用、上二段活用等を勉強しなおした。例)「足りず」は口語、「足る」は四段活用動詞だから「足らず」が文語としては正しい。
俳句は短い。短いから文語にならざるを得ない。加えて「や」「かな」「けり」切れ字は必須だから、文語も必須。だから、歴史的仮名遣いも必須となる。例外的に口語句もひねるけれど。
冴ゆる夜のこゝろの底にふるゝもの 久保田万太郎
冴ゆる夜の柱の鳴りし耳の底 中野ゆたか
冴ゆる夜の抽斗に鳴る銀の鈴 小松崎爽青
机上冴ゆけふ一日を拠らざりし 大野林火
富士に「冴ゆ」を使えたのを以って満足とせり。
画像は富岡鉄斎「大富士嶽」。鉄斎も昨夜、迷宮美術館でやってた。
雪富士や日本眺めて二万年
でも、この句は写生ではないなア。しかし、気には入っている。視点がユニーク(誰も言うてくれへんから自分で言うねん)だから。
さて、二万年の根拠だが、土台は数十万年前、古富士が二万五千年前、新富士が一万年前とのことだ。ちなみに、日本列島が列島として成立したのは一万八千年前とのことである。だから、富士山は日本列島をおおむね二万年にわたって眺めてきたことになる。
地の涯に倖せありと来しが雪 細谷源二
箸とるときはたとひとりや雪ふり来る 細見綾子
綿雪やしづかに時間舞ひはじむ 森澄雄
みづからを問ひ詰めゐしが牡丹雪 上田五千石
富士は季語さえも圧倒する力があるので、例句は富士写生の参考にならぬ。
画像は横山大観「霊峰飛鶴」。昨夜、テレビでやってたね。
口舌の徒という言葉がある。そこで一句。
手鞠唄うたふばかりの甲斐性なし
言うは易く、行うは難し。しかし、言わないと始まらない。だから、有言実行が正しい。
もっとも、継続することが一番問題だ。おお、今週は平日節酒パーフェクト達成。
だから、俺は口舌の徒ではない。甲斐性はないけれど。
死ぬまでは生きねばならず手毬手に 富安風生
手毬唄かなしきことをうつくしく 高浜虚子
手毬唄哀しかなしきゆゑに世に 久保田万太郎
聴きたしや杉田久女の手毬唄 菅原鬨也
久女は56歳で激しく悲しい生涯の結末を迎えた。しかし「花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ」は永く読み継がれる秀句である。写真が久女。西日本シティ銀行:地域社会貢献活動:ふるさと歴史シリーズ「北九州に強くなろう」から勝手拝借/感謝です。
先日、クローズアップ現代が「サウジアラビア最新報告」を放送していた。規制のためにこれまで伝えられなかったサウジアラビアの現状を、裕福で働かない若者たち、ジハード(聖戦)教育をどう修正するかという角度から伝えるものだ。
受け止め方は様々(なんか、日本列島のお話しを思い出してしまう、アルカイダのえらい人が、このサウジアラビア出身だということは、とんでもないお金持ちでシアワセな国からやってきた人だということ)だけれど、世界にイスラム教徒14億、欧米でのイスラム教徒増大(イギリスでは既に国内宗教中2位、アメリカでもいずれ2位)という客観的事実を知っておこう。欧米だけが世界ではない。
昨日、多田道太郎「おひるね歳時記」を読んでいたら大阪という地名が飛び込んできて、 おお大阪や、とひねった。
大阪やたこ焼き食うて着ぶくれて
淀屋橋、十三(じゅうそう)などでも句をひねった。わが懐かしき地名なり。
さて、「着ぶくれ」の例句は何度も引いているので風生に絞る。
着ぶくれて人間本来怠けもの 富安風生
着ぶくれて所詮わが身を愛すなり 々
※画像は築地銀だこ メニュー紹介から勝手拝借/感謝です。ここのたこ焼きを食べたことはない。
早梅や街道筋に灯のぽつり
湯河原での実景に感じたのだけれど、今のところ、潤色してもこの程度の句にしかならぬ。
よき流ありて暖か梅早し 高浜虚子
梅早き伊豆の出会ひを重ねたる 稲畑汀子
早梅や日はありながら風の中 原 石鼎
早梅や暮れてもきたる四十雀 水原秋櫻子
汀子の句、「出会ひ」だから色事ではなさそう。句会か何かだと思う。しかしながら、汀子らしくない情の句である。
※写真は稲畑汀子。NHK俳句|俳句選者紹介から勝手拝借/感謝です。
紅さすは女の特権冬の梅
「寒紅や今の気分はケセラセラ」みなこに反射的に返句してしもうた。上五中七がすっと浮かんで、さて下五季語はどうしようと歳時記をめくった句、安易句である(ああ俺は何もかも安易だけれど)。そこで例句にて口直し。
冬梅の既に情を含みをり 高浜虚子
わが胸にすむ人ひとり冬の梅 久保田万太郎
枝の先いつも風あり冬の梅 深見けん二
あたゝかき今年の冬よ冬至梅 富安風生
「早梅」で既に一句在庫しているけど、冬梅も情がある。俳句は情なり。
※画像は平成19年 第63回熱海梅園梅まつりから勝手拝借/感謝です。今週末から梅まつりだ。
寅45作は「寅次郎の青春」。寅と風吹ジュン(弟と二人暮らしの床屋さん)を横糸に、縦糸 は満男と泉のいったいどうなるの二人は物語である。これがゴクミ登場の最終作で、東京駅での二人の別れのシーンが記憶に残る。
それはいいのだけれど問題なのは、寅が例によって風吹ジュンの気持ちを知りながら(知っているからこそ)東京に逃げる場面での満男のセリフである。例によってLiebestodさんにお世話になる。
泉 「裏切られた様な思いをしたのよ、小母さんは。だからおじちゃまは、ここへ残るべきよ、ね、満男さん。」
満男 「違う。伯父さんは帰るべきだ。」
泉 「どうして?」
満男 「伯父さんがここに残ったら、もっと大きな悲劇が待ち受けるだけだ。」
泉 「どういうこと?」
満男 「そりゃ、最初はいいよ。伯父さんは、人を笑わせるのが上手いし、楽しい人だから、あの小母さんも幸せかもしれない。けど、伯父さんは楽しいだけで、奥行きがないから、一年もすれば、結局飽きてしまう。伯父さんは、そのことを良く知っているんだ。だから帰ることを選択したんだ。ね、そうでしょう、伯父さん?」
満男よ、お前は考え違いをしている。男と女はそんなものではない。(寅に奥行きがないかどうかは別にして)寅が楽しい人だから女は幸せというのはアサハカというもんだ。また、飽きるから不幸せというのも底が浅いぞ。
アホなあんた、あたしがいなければ駄目なのよ、というのもあるし、高倉健さんみたいに無口でも惚れられる素晴らしい男もいるし、まあ、人生いろいろよ。
だから、その根底から考え違いを直さなくっちゃ、満男くん。男は女を楽しませるためにあるんじゃない。
結局、満男は泉と一緒になれなかったんだ、多分。
人がよくっても底が浅い男に女は惹かれない。アホかワルでないと女は惚れないのかもしれない。アサハカだなあ、女も。
※画像はこの作品が下敷きにしたパトリス・ルコント監督「髪結いの亭主」のポスターだ。BSで以前にたまたま観て濃密なエロスの香りに惹きこまれた映画だった。
「金色の死は来る冬の落日に」多路十に触発されての句である。
生思ひ死を思はずや寒鴉
毎日、死は思う。いったいいくつで俺はどんな死に方をするだろうかと思う。
しかし、それは神様だけが決めること。人間に出来るのは生を全うすることだけだ。
だから、プールに通う。ガンで死ぬのは運命だから受け入れざるを得ないけれど、生活習慣病で死ぬのは嫌だなあ。なんか(ちょっと淋しいけど)それが生き甲斐になっているような気もする。
さむざむと地の喪へる夕鴉 飯田龍太
寒鴉己が影の上におりたちぬ 芝 不器男
冬鴉パン屋をのぞき啼かざりき 山下青芝
寒鴉見れば見るほどいやな奴 鈴木真砂女
「三千世界の鴉(からす)を殺し 主と添寝(そいね)がしてみたい」という都都逸があって、高杉晋作がつくったという(昔、司馬遼太郎で読んだ)。真砂女の句はこの都都逸を下敷きにしているのではないか。鴉に罪は無いのである。
写真は高杉晋作。高杉晋作 近代日本人の肖像から勝手拝借/感謝です。
taniさんのコメントで映画「真実一路」というのがあったよなあと思い出して検索したら、真 実一路のおおもとが「真実一路の旅なれど、真実、鈴振り、思い出す」(北原白秋「巡礼」より)にあることを知った。忘れていたのか、それとも、まるっきり覚えていなかったのか遠い昔の読書の記憶である。
この作品は二回、映画化されているようだ。taniさんがご覧になったのは1954年川島雄三監督作品だろう。写真はこの映画主演の淡島千景。朝ドラ「芋たこなんきん」にも元気に出演していた大女優である。
昔の霜柱はデカかった。今は小ぶり、それが残念である。そこで一句。
霜柱真実一路恋の道
写生句ではないが、割と気に入っている。霜柱をこう解釈しましたとこの句は語っているからである。俳句とは季語の解釈ではなかろうか。
霜柱俳句は切字響きけり 石田波郷
霜柱公園を出てビル林立 松崎鉄之介
むらさきは月の匂ひの霜ばしら 千代田葛彦
霜柱はがねのこゑをはなちけり 石原八束
霜柱の句をつくりたかった。波郷の句をここに引きたかったからである。
他の句もシュールな雰囲気で面白い。いかに連想を飛躍させるかが俳句なりと思う。またひねるぞ。
※写真はゆんフリー画像素材集 No. 3031 新宿副都心 [日本 - 東京]から拝借。
お酒はお燗して飲む。焼酎もお湯割りにする。飲み過ぎないからカラダにいい。経済的で もある。そこで一句。
燗酒にほどよくできる男かな
「リストラの風は冷たしこの宵は二合の酒に酔ひて眠らむ」がウソではなくなってきた。節酒して二合の酒に陶然とするようになったのである。
今週は、一昨日昨日とパーフェクト節酒(缶ビール一本)である。そのせいか昨日のプール体重は85.6→85.0と年末水準に近くなった。今夜明日と我慢すれば燗酒(人肌ちょい)が飲める。
熱燗の舌にやきつく別れ哉 村上鬼城
熱燗やいつも無口の独り客 鈴木真砂女
熱燗や女なかなか負けてゐず 下村梅子
熱燗に舌を焼きつつ談笑す 高浜虚子
来年は土佐鶴にしようかなあ。いや、これも単なるナショナルブランドだ。京王百貨店の日本酒ソムリエに燗して旨い地酒を訊いてみよう。
なにせ一年一回一升瓶だから俺にとって日本酒は貴重だ。
そこで、熱燗の句。
世を拗ねず恨まず舐めずお燗酒
「文明やレンジでチンとお燗酒」とするのだが、矢張り風情がない。あの、引っ掛けてお燗する入れ物はなんていうのだっけ、と検索したらわかった。ちろりである。しかし、高いなあ。それに面倒だ。やっぱり、レンジでチンしよう。
熱燗にうそもかくしもなしといふ 久保田万太郎
熱燗や食ひちぎりたる章魚の足 鈴木真砂女
熱燗の夫にも捨てし夢あらむ 西村和子
熱燗のいつ身につきし手酌かな 久保田万太郎
万太郎全句集を図書館から借り出して読み始めた。気に入った句は歳時記に書き込んでいる。手書きで文字を書くなんて滅多にないことだ。これも俳筋力鍛錬なり。
ところで、掲題句は肯定と赦しの哲学@スピノザの影響下のものである。自己を赦せ、神を赦せ、他者と社会を赦せ。それが己れの心の平安になるとスピノザは語るのである。
島田もいいけれど洋風の初髪もいい。きちんとして初々しい色気があれば。
初髪の子のまぶしさやうれしさや
それと背筋を伸ばして歩いてほしいな。ゴメン、おやじは注文がうるさいんよ。
悲しみを乗り越えて戦う安馬に最大限のエールを送る。
土俵は土俵、私事は私事と安馬は言う。だから、もうこれ以上俺も触れない。
他方、昨日のきわどい敗け相撲に琴欧州は「審判、誰?何で手を挙げない」と発言したという(日経)。それを言っちやあおしまいよ。思ってても言うな、琴欧州。佐渡が嶽親方指導せよ。
※画像は大至の♪ソング・カフェ。。。天童で祝賀会 - livedoor Blog(ブログ)から勝手拝借/感謝です。
添付画像はここ一週間の当ブログのページ別アクセスランキングである。これで見ると耐震偽装事件は終ったのかがよくアクセスされていることがわかる(ちなみに、報道特集で 取り上げられたマンションの販売業者は大京ではなかった。訂正済み)。
また、ブログ検索で「報道特集 マンション」とやると、マンションは誰のものか?~昨日のTBS報道特集より などが見つかる。そうか、マンションは自分のものだと結構みんな思い込んでいるんだ。敷地も建物も全て所有権は共有、専有利用権があるにすぎないのに。
いつかやってくるマンションばば抜き破綻。悪質なマンション販売業者にご注意を。
角を右に庁から省へ寒の入り
教育基本法、防衛省(国防省の方がカッコいいじゃん)、そして憲法と着々わが国体は明徴になりゆかむ。万世一系日本、美しき国なり。若者よ目覚めよ、国の盾となれ。
日本海もんどり打つて寒に入る 金 三路
黒松の幹の粗さや寒に入る 森 澄雄
きびきびと万物寒に入りにけり 富安風生
わが十指われにかしづく寒の入 岡本 眸
例句一句目の作者は在日の方であろうか。中七が面白い。俳句とは語彙の勝負でもある。
※写真は初代防衛大臣。北朝鮮さまさまである。NIKKEI NET:写真 ニュースから勝手拝借/感謝です。
一昨日のプール体重:86.2→85.6。まあ、この程度でよしとするか。
松納め体重増の残りけり
ちなみに俺の身長は173である。だから体重80を切るのが望ましい。今年の目標だ。初夢ではない。
鎌倉の雪かかる松納めけり 久保田万太郎
松とるや伊勢も大和も昼の月 大峯あきら
松取れて夕風遊ぶところなし 角川照子
停年を妻言へり松納めつつ 草間時彦
草間時彦は三共製薬に勤めたサラリーマンとのことだ。「冬薔薇や賞与劣りし一詩人」はじんとくる名句である。
それから、例句に学んで掲題句を推敲する→松とれて体重増の残りけり
写真は昨日の朝青龍。出島の突進に負けてしまった。Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 朝青龍、出島の突進に土俵下…大相撲3日目から俳句に全く無関係だけどめったにないことだから勝手拝借/感謝です。
初夢や百歳にして月に立つ
昨日、プールで得た句である。
免許証入れにいつもメモ用紙を入れてあるが、プールで句を得たときには、帰りがけに出札窓口の傍で(ここに鉛筆が置いてある)メモっている(窓口嬢は「このオヤジいつも何やってるんだ」と思ってるんだろうなア)。
せっかく浮かんだ句を帰りがけには忘れてしまうこともしばしばである。人生、歳との戦いなり。
七十路は夢も淡しや宝舟 水原秋櫻子
起きてすぐ忘れしほどの初夢なり 能村登四郎
初夢の思ひしことを見ざりける 正岡子規
初夢の唯空白を存したり 高浜虚子
※写真は月面の影が平行でない - 第3話 人類は月に行っていない! - 月の雑学 - 月を知ろう - 月探査情報ステーションから勝手拝借/感謝です。
縦書き文庫さんで不運なトラブルがあったようで、句集が飛んでしまった。
バックアップをとるように縦書き文庫さんが指導してくれていたので大事にはいたらなかった。まあ、駄句ばかりなので永久消滅してもいいんだけれど。でも、いったん公開した以上、公開責任もあるなあ。
ということで明朝修復予定。暫時、ご不快を与えます。ご了解の程よろしくお願いします。
俳句の楽しみのひとつは素敵な季語に出会うことである。「春着」もそんな季語だ。
春着きてむかしの人に逢ひにゆく
でも、どこかにあるような句ではある。ここを一歩脱ければ名句となるのだ多分。
誰が妻にならむとすらむ春着の子 日野草城
遥かなる春着こちらへは来ず曲る 山口誓子
春着着る子の遥けさよ熱の中 石田波郷
ゆふぐれの手もちぶさたや春着の子 森澄雄
元日の浅草仲見世では春着は少なかった。景気がよくない証拠かと考えもしたが、やっぱり高価、面倒なのだろう。成人式と結婚式だけの晴れ着かな。
※画像は日本画 美人画から勝手拝借/感謝です。
日本酒は正月に限定する(肥満防止)。かつ、お燗してちびちび飲む。これを守っている。
剣菱が身分相応正月酒
しかし、ちょっと嫌味が残るなあ。酒の質が落ちたのか、俺の舌が肥えたのか。来年は別の銘柄にしよう。
正月の人あつまりし落語かな 正岡子規
正月も二十日過けりをはり客 一茶
正月や宵寝の町を風のこゑ 永井荷風
正月やよき旅をして梅を見る 河東碧梧桐
※画像はSAKE TO RYOURI 日本酒から勝手拝借/感謝です。剣菱は「日本酒の銘柄の中で唯一「広辞苑」に掲載されている。 ・・・らしいです」とのことである。
肥満防止糖分拒否のため珈琲はいつもブラックで飲んでいる。
珈琲はいつもブラック松過ぎぬ
松の内って一般には7日まで(関東)のようだなあ。ところが手元の歳時記には「関東では元日から六日まで」とある。こういう些細なことに俺はこだわる偏狭狷介な性格なのである。あ、そうか、七草粥が広まって七日までになったのかな、ひょっとして。
松すぎのはやくも今日といふ日かな 久保田万太郎
北郊の家並貧しく松過ぎぬ 富安風生
松過ぎてなほ賀状来る賀状出す 山口波津女
ふとたちし浮名をよそに松過ぎぬ 嶋田みつ子
昨日の報道特集で「手抜き工事」マンション事件をやっていた。
福岡西方沖地震で半壊状態となったマンションの建て直しをめぐる問題で、業者と業者の対応に納得できない一住民との戦いを伝える内容である。
紆余曲折した経緯の後に業者側は、立替費用に見合う金額700万の和解金で、住民の全員一致和解、報道への情報提供禁止(要するに口止めか)等を条件に和解申し入れしたが、一人の住民は理事会に反対して和解を拒否し、戦い継続を主張しているという内容をその住民サイドから伝えたものである。
放送では業者名を明らかにしなかったが、大京が販売業者のようで、頑張って報道したTBSを評価したい。コメントでご指摘があったので訂正します。リンクした新聞記事にある大京の物件は戸数、入居年度から報道特集のものとは異なるようです。指摘コメントをして頂いた方に感謝します。
俺が理事会担当だったらどうしたかなあ、手抜き工事・設計はあちこちにあるんだろうなあ、耐震偽装事件は姉歯事件に矮小化されてしまったのではないか、などいろいろ考えさせられた。地震が来ないことを祈っている。参考ページも興味あればどうぞ。
※写真はasahi.com:「大変という感じ、伝わらぬ」 姉歯被告に裁判長説諭 - マンション耐震強度偽装から勝手拝借/感謝です。
さて、今日から初場所。安馬、頑張れえ。
初場所や祖父より承けし相撲好き
相撲と浪花節が好きだったなあ。結局、俺も相撲と音楽が好きになってしもうた。従って、短歌同時作。
俳句好き相撲も好きで歌舞伎好きあゝ富士の山日本も愛す
日本の国というよりも、この文化と社会を愛すということだ。日本語以外、使えないもんね。
初場所にとゞきし梅のたよりかな 久保田万太郎
療養のゆうべ初場所はじまりぬ 石田波郷
初場所や髪まだ伸びぬ勝角力 水原秋櫻子
初場所やかの伊之助の白きひげ 久保田万太郎
最後の句は注釈が要る。第19代(1951~1959)式守伊之助は白髭で有名だった。俺も子供の頃、好きだった。写真をネットで探したけれど見つからず、残念。
※画像は第22代木村庄之助(ひげの伊之助と同時期の庄之助)のページから勝手拝借/感謝です。
いい旅・夢気分をよく見る。裏番組で録画すべき映画等がないときは大抵録画して見てい る。毎回変わり栄えのない趣向(温泉、料理その他)だけれど見るだけで行った気分になる。
初旅やどこへも行かずテレビ旅
初旅にすぐ艶歌師の恋の唄 殿村菟絲子
初旅の富士海に見し山に見し 石川星水女
初旅や近づくものに男山 佐野青陽人
初旅や駄足のような尿重ね 金子兜太
日曜の朝の安けさ七日かな
ちなみに、歳時記によると七日は「人日(じんじつ)」ともいう。東方朔の占書(偽書ですが)に、「正月朔日は鶏を占い・・・7日は人を占い、8日は穀を占う」とありまして、故に正月7日を「人日」というのですだそうである。「賀状机辺に散つて人日たよりなし」石原八束。
小三治をききに七日の池之端 中根喜与子
息白く七日の家長家を出づ 石田波郷
七日はや煤によごれし軒雀 志摩芳次郎
朝の日に映えて七日の富士白し 北川 陽
昭和天皇は1989年1月7日に崩御された。
昨日、ハイクブログに投句したままで、こちらのブログに記事を書いてなかった。その跡始 末から今朝は始めなければならない。
ちなみに、こうして自分の句に関して駄文を書くのは俺の持って生まれた業だとしても、歳時記から例句を引くのは(著作権侵害を気にしつつ、侵害にならない範囲だと信じて)俳句の重要な勉強スタイルだと思っている。つまりは、こうした駄文で得をするのは俺自身だということだ。
さてそこで、六日の句「星ひとつ輝きてをり六日の夜」。
「元日やユーミンと行く皇居前」を得てから「二日」「三日」と句が続いた。新年の日の季語は「七日」まであるから、ようし、「七日」の句までつくろうと思い立ち、既に用意してある。この六日の句も六日になる前に、つまり、六日の天候不明なうちにつくったものだ。そして、昨日六日は全国的に荒れ模様だった。
しかし、俺には六日の夜は天候回復の予感がしていた(ホンマかいな)。そしてその通りになった。ようし、これを六日願いと名づけよう。六日に一年の願いをこめて心の中の星に祈れば、願いはきっと叶うのである。「真砂ナス数ナキ星ノ其中ニ吾ニ向ヒテ光ル星アリ」子規。
六日はや睦月は古りぬ雨と風 渡辺水巴
なぐさみの草摘みに出る六日かな 藤田あけ烏
「七日粥のため、七種の菜を採って備えることも主な慣習」と歳時記にある。スーパーに七草粥のセットを売っていた。結構、皆さん、食されているようだ。
※画像はピノキオ 紀伊國屋書店BookWebから勝手拝借/感謝です。この映画の挿入歌「星に願いを」はジャズのスタンダード・ナンバーだ。
昨日は駄句溢るる日だった。
そこで今朝の二句目は山の神である。
山の神拍手三拝初詣
どうして山の神なのかなあ。検索したら、山の神は一般に女神であるとされており、そこから自分の妻のことを恐妻であるとして謙遜する「山の神」という表現が生まれたとちゃんと答えがあった。参拝作法についても二拝二拍手一拝が作法とのことである。だから、三拝は俳句的虚構捏造である。
境内に入りて風なし初詣 田中王城
初詣なかなか神に近づけず 藤岡筑邨
星めがけて賽銭投げぬ初詣 佐野青陽人
初詣あかつきくらき男下駄 石橋秀野
石橋秀野は39歳で夭折した。「西日照りいのち無惨にありにけり」は療養中の句であろう。絶唱である。
※画像は岩手県北部の山間)の町、安代町(あしろちょう)にまつられている山の神である。
初笑の句を是非とも得たいと思っていた。というのは風生の次の句をここに紹介したかったからである。
妻よ生きよみんな生きよと笑ひぞめ 富安風生
郵政事務次官まで勤め上げた人物だから相当の人物であったろうが、こういう句を見ると風生は情の人であったと思う。理と情と志。世に出るための三点セットだと思う。
さてそこで、俺の句。お多福という言葉がなんかの弾みで浮かんだら初笑とマッチングしてくれたのである。
お多福がむかしは美人初笑
平安美人から現代美人への変遷はいかなる理由によるものだろうか。現代美人はあまりに欧米におもねる(阿る:曲学阿世の阿)ものではないかと、結構、俺って反欧米主義者だったんだ。
その頬にしづかにたたへ初笑 富安風生
初笑深く蔵してほのかなる 高浜虚子
初笑妻閉ぢ込めて来し一人 香西照雄
重役陣初笑ひして散ることよ 槫沼けい一
最後の句、作者がどんな俳人か全く知らない(苗字の読み方も不明)が、サラリーマン経験があればなるほどの句である。笑うことは人間だけの才能である。
※画像は喜多川歌麿の「寛政三美人」。美人画 - Wikipediaから勝手拝借/感謝です。
久しぶりに哲学である。真理と正義は一致しないの続編である。
まず、上野修「スピノザの世界―神あるいは自然」からそのエッセンスを引く。
すべては神の本性の必然性から出てきて真理空間の実質を成している。われわれは文字どおりその一部である。
これを俺の世界三層構造に対応づけると下のようになる。
価値世界 ⇔ 論理世界 ⇔ 事実世界
価値 構造・モデル 事実のみ
正義 真理 -
信ずる 疑う (味わう)
言語 経験
ウィトゲンシュタイン 西田幾多郎
無限モデル 必然性(神)
すなわち、神が世界の唯一の実体であり、世界に必然性は内在している(つまり、事実世界に内在している)。そして、論理世界に人間が構成する様々な概念やモデルは、神から流出する真理空間(無限モデル)の一部である。
従って、スピノザは神にも人間にも自由意志を否定する。そして(ここが面白かった)自由意志の否定が「実生活のためにいかに有用であるか」を強調しているのである。すなわち、自由意志否定の有用性は次の4点となる。
(1)自分をゆるす(自己肯定→安らぎ)
(2)神と世界をゆるす(運命に振り回されない)
(3)人間をゆるす(他者との協調)
(4)社会をゆるす(社会に寄与)
なまじ、自由意志があると思うから、目標を達成できなかった自分を赦せず憎む。また、不幸な運命を与えた神や、そのきっかけとなった他者や社会を恨む。
そうではない。世界は必然性に満たされている。だからまず自己を肯定せよ。不幸の原因はその必然性を認識できなかった無知にあるのだから、知に努めて理性を鍛えよ。そして神も他者も社会も赦してやれ。というのがスピノザである。
でもねえ。ちょっと行き過ぎではありませんか、スピノザさん。
これじゃあ、世界の根元はイデアであると言ったプラトン唯心論の丸っきり裏返し唯物論やんかあ。長いタームでは人間も自然の一部だから世界は自然の必然性の下にあるというのは正しい。でも、それを言っちゃあおしめえよ。
やっぱり、人間に多少の自由意志を認めてやって、調和のとれた物心二元論(デカルトの延長線上つまり認識論の自然化・社会化)が落ち着きがいいと思うんだけどなあ。常識にも合致するしね。
だから、三層構造において、必然性はやはり論理モデル上の概念とするべきだろう。
また、神を配置するにしても、価値世界だろう。そして自由とは神の別名だと俺は信じる。
そこで、スピノザを一部受け入れて俺の世界三層構造は一歩進歩したのである。
価値世界 ⇔ 論理世界 ⇔ 事実世界
価値 構造・モデル 事実のみ
正義 真理 -
信ずる 疑う (味わう)
言語 経験
ウィトゲンシュタイン 西田幾多郎
神(自由:価値) 必然性(概念)
人間は本来、自由であるべきだ(価値)。しかし、自由と自由はぶつかり合うことがしばしばである。従って、その調整原理が必要となり、それが法である。国家はこの調整原理(法)の立案と執行に携わる召使である。自由に奉仕するべき召使なのである。決して国家が目的=主人なのではない。
さあ、その上で日本国憲法を考えよう。安倍ちゃん、正々堂々と憲法改正で向かって来い。
※写真は上野修。-教官著作書の紹介-から勝手拝借/感謝です。
そのために当ブログの表示に時間がかかるようです。
ブログパーツとして縦書き文庫を利用させて頂いているため、この遅延は止むを得ないと考えます。復旧までいましばらくご辛抱をお願いします。
実は、十二月、一月、二月と月を織り込んで句にすることを目論んでいる。十二月は「世 間虚仮こけたらあかん十二月」と秀句であった。そこで一月の句である。
一月や零の発見印度人
少しませた子供に「一月があって、なぜ、0月がないのか」と聞かれたときのための句だ(とエエカゲン屁理屈だ)。
0123456789 はアラビア数字といいますが、インドが発祥地であって特に「0」は無・空位を現す偉大な発見でした。インド記数法はこの10個の数字で、天文学的な大きな数や顕微鏡的な極小の数を意図も簡単に表すこと、加減乗除などの計算がものの見事にやってのけられることになりましたというちゃんとした理由があるのだが、これはムツカシイ。
要するに、ゼロは位取り記数・計算の必要性から生まれた概念であって、月の数のように順番に数を数えるだけのためには不要であったということだ。
更につまり、順番を数えること(序数)と計算すること(基数)とは別の概念なのであり、一月の一は序数(first、second、…)だからゼロはあり得ないのである。
春にも初春の春と立春以降の春とがあってややこしい。
「大陰暦では新年と春が殆ど同時だったので、春といえば新年の事であった。その陰暦の習慣に従い、初春を正月の意に転用し厳冬の一月にも用いる。「春」には新年を寿ぐ心が含まれる」とネット歳時記「初春」の項にもある。
そこで今朝の二句目はわが老後初春の想像句である。
老いの春目を開けてをり閉めてをり
もちろん、寿命があったればの事である。
ところで、老いといえば富安風生。94歳という長寿を全うし、最後まで元気に句をつくりつづけた俳人である。
九十五齢とは後生極楽春の風 富安風生
生くることやうやく楽し老いの春 々
まだちょっと早いが、2月22日が風生忌である。表現の真摯にまたしみじみとある時は軽妙にとのさりげない捻り 句姿の美しさ リズムの確かさ等と風生句について教えて頂けるページを発見した。真摯且つしみじみと俳句に親しみたい。
昨日(四日)ファミレスでランチをとろうと行ったら、まだランチサービスはやってなかった。 また、プールに行ったら家族連れで結構混んでいた。そうか、まだ冬休みかと納得した。ちなみに昨日のプール体重:86.2→85.4(年末プール体重より0.5程度増)。俺もまだ冬休みモードである。冬休み節酒中止の理由にし
そこで、今朝の句は正月五日の句。
わが名句いつか五日と駄句を抱く
駄洒落で五日の句を切り抜けるのは邪道だ。六日句、七日句はこの点を反省してひねり出して既に在庫済みである。屠蘇の酒まだ残りゐて駄洒落かな
ぼちぼちちょびっとだけ歌舞伎が好きになりつつある。筋も台詞も追わず、漫然と眺めて見得をカッコい いいと感じたり、三味や浄瑠璃をBGMとして聞き流していたりするのである。
色と銭愛欲地獄初芝居
日本の美は様式美と思う。形式と内容を比べると形式に美を求めるのである。うざったい内容よりきりっとした形式が俺もよくなってきた。歳だなあ。
我住みし明治の世なり初芝居 高浜虚子
茶屋へゆくわたりの雪や初芝居 久保田万太郎
柝の入りてひきしまる灯や初芝居 水原秋櫻子
国許の母が来てゐて二の替 富安風生
上方では初芝居を二の替(かわり)と呼ぶ。十一月の顔見世に次ぐという意味だそうだ。俳句は諸事勉強になる。
※画像は写楽:役者絵から勝手拝借/感謝です。
ということで自律ルールのいとしなやかなり。しかし、プール初めは今日確実に。おお、体重計のちと怖し。
餅網も焦げて四日となりにけり 石塚友二
四日はや工夫首出すマンホール 浅賀渡洋
うとうとと炬燵の妻の四日かな 今井つる女
其人のすでに亡かりし四日かな 高浜虚子
※画像はやせる体重計 紀伊國屋書店BookWebから勝手拝借/感謝です。
ニューイヤーオペラコンサートにコッソット登場。
まだ元気で現役なんだあ。声、衰えたりといえども逞しきかな。
1935年生まれというから長嶋茂雄と同い年である。
写真は2005年 フィオレンツァ・コッソット リサイタルから勝手拝借/感謝です。
そこで(前の句の連想)、今朝の投句納め。
俗世間飽きず愛して玉子酒
実は玉子焼きがもっと好きやねん。
かりに着る女の羽織玉子酒 高浜虚子
年下の亭主持ちけり玉子酒 五所平之助
雄ごころのなかなか起きず玉子酒 伊藤白潮
玉子酒子として父に何をせし 葛山たけし
虚子の発想が素晴らしい。彼はB型ではなかったろうか(俺も実はB型)。
※写真は[グルメウォーカー] 和飲食房 心月-栄駅/居酒屋から勝手拝借/感謝です。
手元の歳時記の「初春」の項には「明の春」「今朝の春」と並んで「花の春」がある。なんか、桜の春と紛らわしいなあと思いつつ使ってみた。
俗世の向かひは浄土花の春
この花は当然に蓮の花である。連想は飛ぶが、『厭離穢土・欣求浄土』は、家康公が出世開運の守り言葉として、戦のたびに用いるようになったそうである。徳川政権は鎖国(切支丹弾圧)と仏教取り込み(特に門徒=浄土真宗)によって三百年の平和を築いたと思う。おかげで日本人の信仰心は広く薄くめられたのではあるが。
約束のごと椿咲き庵の春 富安風生
大観の大幅かかり床の春 星野立子
水打つて氷る戸口やけさの春 村上鬼城
※大賀ハス 2000年前の古代ハスの見事な写真を転載したいのだが、無断転載禁止と明確に意思表示されているので(個人尊重の観点から)転載しないこととする。
はや四日である。今日は仕事始め、大発会。そうか、世間は既にビジネスモードか。
そこで今朝の一句は「ときどきは死を思ふなり三ケ日」。
「賢妻の春を重ねて還暦に」「わが寿命いつ尽きるやら四方の春」などと駄句の溢れは止 まることなし。今年は量より質で、などとちょっぴりしおらしく反省(のフリ)であった。
一人居や思ふことなき三ケ日 夏目漱石
門番に餅を賜ふや三ケ日 正岡子規
こころよき炭火のさまや三ヶ日 飯田蛇笏
酒少し楽屋に出たる三ケ日 田中牛次郎
漱石の句は清水哲男『新・増殖する俳句歳時記』の昨日の記事で知った。俺の三が日は俳句とテレビ三昧の三が日であった。漱石と子規の明治や三ケ日
年末のベルリンフィル・ジルヴェスターコンサート(来歴はこちら)で内田光子がモーツァル ト・ピアノ協奏曲20番を弾いていた。そこで、音楽に没入してピアノを弾く彼女の表情と、季語「初風」とをかけあわせてみた。
初風や幸福に弾くモーツァルト
いったい、何が言いたいねんと中途半端な句ではある。すっきりせず、欲求不満が残る。 しかし、作者はこの句で内田光子の演奏を思い出すのである。ああ、自家中毒よ。
掌の白き女と思ふ初風に 渡辺七三郎
初風と波たゝみ来や海の宿 星野麦丘人
初風に向いて男の素顔濃し 中川いさを
年末に録っていたビデオ「カラーパープル」を観終わった。映画の内容については美しい 強さで心が浄化されますよを参照して頂きたいが、監督スピルバーグを検索して驚いた。な、なんと、米国フォーブス誌によると2006年の彼の年収は約350億円だそうである。
ほんとかよ、映画ビジネスはそんなに儲かるのかよと思う数字である。映画の演出だけではなくて脚本、製作その他いろんな形で権利を留保して収入を得ているんだろうなあ。日本の若者よ、野球もいいけど目指せハリウッド。
映画自体は黒人にとってのキリスト教の意味についても考えさせてくれる名画である。しかし、冥土土産DVDにはしない。スピルバーグに若干の嫉妬を覚えるからである。
※写真は主演のウーピー・ゴールドバーグ。いい顔。から勝手拝借/感謝です。
さすがに寄る年波には勝てず記事三連発はちょっと疲れてきた。そこで寝正月の句であ る。
新婚や脇目もふらず寝正月
こんなアホ句も芸の肥やしにはなるだろうと投句した。句集にも入れる。
次の間に妻の客あり寝正月 日野草城
ふるさとにのこす名もなく寝正月 古舘曹人
旅行書の南海青し寝正月 大島民郎
目出度さや老いて互に寝正月 高浜虚子
虚子は俳句の名人である。「目出度さや」と上五を思いつくところが素晴らしい。
※画像は西川布団のふとんタウン -商品詳細- しっかりあたたか!西川羽毛布団PD4325(暖かさ★★★)から勝手拝借/感謝です。
俺の好きな俳人とその代表句(俺推薦句)を並べてみよう。
遺影妻春や雲公してくるよ 永田耕衣
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎
今生のいまが倖せ衣被 鈴木真砂女
一生の楽しきころのソーダ水 富安風生
万太郎は74歳で没したが、他の三人は90歳以上の天寿を全うした。長命で豊かな人生が幸せな人生だと思う。
そこで今朝の句は黄泉での新年会の風景だ。
屠蘇祝ふ真砂女耕衣に酌をして
人生=損得+好き嫌い+価値(それぞれ自らの価値世界を彷徨して見つけよ)。さて俺の価値はなんだろうか。
長生きも芸のうちとや屠蘇つげや 富安風生
せはしなき人やと言はれ屠蘇を受く 水原秋櫻子
とそ酌むもわらぢながらの夜明けかな 一茶
次の子も屠蘇を綺麗に干すことよ 中村汀女
新年の季語は多い。なかでも「元日」「二日」「三日」「四日」「五日」「六日」「七日」と「松の内」(元日から六日まで:七日までと思っていた)+「七日正月」(これも知らなかった)は全ての日が季語になっている。そこで今朝の句は「三日」だ。
駄句あふれ涙こぼるゝ三日かな
これは年末作成在庫ではなく昨日、溜息とともに吐き出した句だ。ついでに同時作短歌。
駄句なれどつくれば人に読ませたき愚か心をいと愛しむなり
愚痴・愚句・愚心はこれぐらいにして話題転換。昨日は休日にしてはこのブログへのアクセスが比較的多かった。要因は「上岡敏之」検索である(添付グラフ参照)。年末第九演奏に感じた人が多かったのではないか。我が鑑賞眼力耳力を自負と結局は愚か心であった。ああ痴愚神礼讃。
三日はや雲おほき日となりにけり 久保田万太郎
酒少し剰し三日も過ぎてけり 石塚友二
神官の妻の眉濃き三日かな 寺井谷子
姫林檎三日の雪に紅きそふ 角川源義
友二の句「過ぎてけり」という措辞を覚えておこう。いつも「過ぎにけり」では芸がないから。
「初昔」は昨年。新年になって、過ぎ去った年を顧みる心。「宵の年」も同じ意味の季語と歳時記にある。
罪重ね生きていくなり初昔
別に格好つけて言っている訳ではない。お調子者の俺はこんな風に思っていてちょうどいいくらいだと自戒の句(のつもり)である。
わが影に初昔とは懐かしき 原コウ子
かゝげたる燭の火明し宵の年 名和三幹竹
旧年中につくりし駄句の在庫放出まだまだ続く。
俳句脳日々鍛錬ぞ去年今年
ところで、今、紅白のビデオを観ているのだが、全くつまらない。
若者の歌早送り二日かな
年寄りの歌は月並み寝正月
こんな句で俳句脳鍛錬とはおこがましいわい。
去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子
いそがしき妻も眠りぬ去年今年 日野草城
この間逢ひしばかりに去年今年 高浜年尾
針に糸通してゐるや去年今年 細見綾子
なんか西田哲学みたいな句である。
日々死して日々新たなり初景色
あんまり面白くないなア。観念句である。
美しくもろもろ枯れし初景色 富安風生
山国の長き停車の初景色 木内彰志
影として犬が横切る初景色 上田五千石
新聞休刊日。ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのビデオ観て、箱根駅伝もライブではなくビデオで眺める二日かな。そこで一句。
俗世間営業開始二日かな
でも、元日からスーパーも営業。ファミレスは書き入れ時。俺以外世間皆営業中みたいな気もしてきたよ。
沖かけて波一つなき二日かな 久保田万太郎
留守を訪ひ留守を訪はれし二日かな 五十嵐播水
氷上を娼婦の遊ぶ二日かな 秋元不死男
青空へもぐら顔出す二日かな 沢木欣一
勝目梓「俳句の森を散歩する」に「口紅は引くものではない。さすものだ」とあった。ホンマかいなと思いつつ従ってみた。 ところで、この本、結構、面白かった。勝目は単なるバイオレンスポルノ小説家ではない。
六十も女盛りや初鏡 矢野じゅん(糸へんに句です)
初鏡三十路恋なく咎もなし 小坂順子
今更の男ぶりかよ初鏡 牛山一庭人
還暦を言ひしはむかし初鏡 五十嵐播水
※画像はyahoo!奇摩購物中心免費贈品,流行保養彩妝,.SUKI 彩妝館., SUKI 蘋果亮光口紅組から勝手拝借/感謝です。
「初春」という季語には、「明の春」「今朝の春」「花の春」というのも含まれると手元の歳時 記にある。おお、「新春(しんしゅん)」「千代の春」「御代の春(みよのはる)」「四方の春(よものはる)」もあるか(ネット歳時記)。 そこで二句。
五十代最後の年よ今朝の春
初春や亥年の妻は還暦に
一緒に並べることに他意は無い。運命なのであろう。
昨日、ご来光を拝むことができた。
多摩横山の一角に、振り返れば富士、前を向けばご来光という絶好スポットがある。そこに登って、地表近くに少し邪魔な雲があったけれど、なんとかご来光といえるものだった。
警察、消防が駐車警告を繰り返す中、多くの人たちと一緒に初日の出であった。雲間に太陽がのぼってきたときに拍手したのは俺だけだったけれど。
初茜みんな仲良く美しく
コンビニに働く人や初茜
富士右に日の出左に初茜
「みんな仲良く美しく」なんてあり得ないけれど、パレスチナと世界に平和を。
初茜してふるさとのやすけさよ 木下夕爾
ゴッホ在らば画くべき橋の初茜 林 翔
窓ありて水美しき初茜 原コウ子
馬小屋に馬目ざめゐて初茜 有働 亨
※画像はゴッホ「アルルのはね橋」。K's roomから勝手拝借/感謝です。
今日元日の日経一面トップ見出しは「富が目覚め 経済回す」。
ん?いったい何のこっちゃと中身を見たら「2000兆円、企業も変える」とある。
つまりは、国富(動産不動産金融資産全て)総額2000兆円の8割は個人資産、1人当たり家計純資産は世界一、これが経済を変えるという提灯持て囃し記事だった。
ということは、今年の景気は悪くなるのかなあ。なんとか相場を盛り上げたい日本相場新聞よ。
皇居前は黒塗りの車と警備でちょっぴりものものしい雰囲気だった。
要人の新年参賀だったのかなあ。今日の10時半ぐらいの話だ。
元日やユーミンと行く皇居前
松任谷由実。俺より6つ下かあ。何を隠そう、ファンである。あの幼児的下手糞歌がたまらないのだ。
元日や手を洗ひをる夕ごころ 芥川龍之介
元日やゆくへもしれぬ風の音 渡辺水巴
元日や山明けかゝる雪の中 室生犀星
元日や五十余年の右顧左眄 面毒斎八女太
面毒斎八女太っていったい何者だろう。「俳句は横に限る ……… 俳句漫筆」という著書があるようである。
※画像は松任谷由実 2006.05-インタビュー-携帯MUSIC NAVI-けむナビから勝手拝借/感謝です。
ご来光を仰いで、雑煮を祝って、初詣は恒例の浅草寺へ。
そこで得た句「今日だけは善男善女初詣」。
11時頃に仲見世を歩いたのだけれど結構混んでいた。線香を上げて手を洗って押し合いながら仏前へ。50円の賽銭を上げて南無観世音菩薩。お御籤は小吉であった。
神を畏れ人をゆかしみ初詣 富安風生
子を抱いて石段高し初詣 星野立子
初詣あかつきくらき男下駄 石橋秀野
山道の掃いてありたる初詣 富安風生
一人ぐらいしか晴着姿を見かけなかったなあ。さて、今年は景気よくなるだろうか。
※写真は仲見世から勝手拝借/感謝です。
三が日は予ねて用意の新年句と思っていたが、諦めと覚悟とは大層な違いということに 気づいたので枯野の句である。
覚悟定め老い諾はむ枯野道
痴呆になるのはまだだいぶ先とは思うのだけれど、ぼちぼち覚悟など心積もりはしておこう。老いは枯野である。なあんにもええことない、と悲観してて脳天気俺にはちょうどよい。おっと歳時記見れば「枯野道」があるではないか。「枯野かな」から推敲。
運命に従ふごとく枯野ゆく 富安風生
旅に病で夢は枯野をかけ廻る 芭蕉
蕭条として石に日の入る枯野かな 蕪村
遠山に日の当りたる枯野かな 高浜虚子
※画像はe-hon 本/生きていりゃこそ/森繁久弥/語り 久世光彦/文から勝手拝借/感謝です。
新年である。いつもと変わらず未明に目覚めた。
そこで今年最初の投句は「今年また五キロスリムに初日の出」。
80キロを切ることが目標。しかし、このところ85前後で停滞している。冬は冬眠遺伝子のせいか痩せにくい、痩せるのなら身体活性化する春から夏と自らを慰めている。
しかしなあ、正月用に剣菱一升瓶を買ってしまった。熱燗でちょびちょび飲もう。
飽くまでも天動説の初日の出 北見弟花
初日さす硯の海に波もなし 正岡子規
病みぬけし胸に日矢さす初日かな 石田波郷
初日さすわが表札をひと読みゆく 加藤楸邨
子規は病床にさす初日に感じたのであろう。境涯を諦めることと肯定することとは大層な違いであることに昨日気づいた。なにごとも自己肯定が第一歩だ。その上で(例えば体重削減など)否定にとりかかることと我が身に言い聞かせている。
※画像は印象派複製画作品 No,1 モネ作「印象・日の出」 美術館.com アートレリーフWEBカタログから勝手拝借/感謝です。
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