他人の悲しみや淋しさが良く理解できる人間
寅47作(おお、遂にラス前だ)は「拝啓 車寅次郎様」。
寅と人妻(珍しいケースだ。今までにあったかなア)かたせ梨乃が縦糸、満男と牧瀬里保が横糸になって滋賀県長浜の情景をからませて映画は進行し、当然ながら寅も満男も「失恋」するお話である(顧客サービスのため満男の場合は最後に希望を持たせたが)。
さて、問題はラスト近くの満男のセリフ。
満男 「拝啓、車寅次郎様。伯父さん、僕は近頃、伯父さんに似てきたと言われます。言う人は、悪口のつもりなんだけど、僕には、それが悪口には聞こえないのです。伯父さんは、他人の悲しみや淋しさが、良く理解できる人間なんだ。その点において、僕は伯父さんを認めているからです。」
映画でこのセリフに接した時に俺には、かるーい違和感があった。
あらためて文字で読み直して沈思黙考して理由がわかった。満男は、「良く理解できる人間」と言っているのだ、これが俺の違和感の原因だったのだ。
理解できるためには理解しようとする意志だけではなく能力が必要。寅は理解しようとする意志はあるけれど、能力はどうだろうか。能力=一般的能力+個別能力は他人の悲しさや淋しさを理解するのに十分だろうか。
寅の「アタマのよさ」を棚に上げて人間味という点だけで一般的能力を捉えると、これは問題ない。寅は苦労人だし人情味はもともとあるから。
しかし、問題は個別能力である。その人の置かれた環境や人間関係、仕事の中味、その他もろもろをひっくるめてその人は喜怒哀楽しているのである。更には、性格や立場上、感情を出さない、出せないこともある。寅のような渡世人に簡単にわかってたまるか、堅気の人間の悲しみが。三丁目の夕日じゃないんだぞ、実人生は。
だから、満男よ、気安く「良く理解できる人間」だなどと言うな。寅に対しても失礼だ。人と人とは理解し得ない。理解できたような気持ちになっただけでも幸せよ、そこが渡世人のつれえところよ。だからなあ、俺は人を愛しても信じはしない。信じたら裏切られるというのもあるけれど、信じたら信じられた相手の負担になって可哀想じやねえか。
そこで応用例→東国原宮崎県知事。ウィキペディアは傍証も挙げずに「日常生活でも、自分より上と見た者には媚びへつらうが、一旦、下とみるや非常に横柄な態度をとる」と書いている。その真偽はさておき、県知事は政治家である以上に県組織・職員の長である。だから、働く人たちの気持ちを「良く理解できる人間」でなければ勤まらない。それが自分に欠けるとわかっていたら、信頼でき能力があるブレーンを作らねばならない。どんな人事をするかが新知事の試金石だ。
そんなことにも考えが及ばず(考えているなら悪質である)首相は「そのまんま東氏は再チャレンジに成功した。自分の再チャレンジ政策はそういうものなんだ」と発言した。政治家は結果責任だとのたまったご本人が知事当選だけで「成功」したと表現するあほらしさ。
さて、首相と満男、どちらが聡明であろうか。
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