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2007年1月27日 (土)

なぜ「美しい国」なのか

俳句をマクラに議論をはじめる。「寒暁に十二回目の黙祷す」小竹さんへの返句である。

 寒暁やいのちひとつを大事とす

これは「寒暁に十二回目の黙祷す」小竹さんへの返句である。「いのちひとつ」は「遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし」土岐善麿から頂戴した。「いのち ひとつ」が全ての原点だと思う。

さて、昨日の施政方針演説で安倍総理は「美しい国、日本」を中心に据えた。演説を読むと「戦後レジームの大胆な見直し」がどうも「美しい国」の具体像のようである。これはこれでひとつの見識だろう。

しかし、ものごとにはHow(いかに)とWhat(何を)とWhy(なぜ)がある。
HowとWhatをどんなに具体的に説いても、その意見の説得力はまだ半分以下でしかない。Whyすなわち、なぜ美しい国を目指すのかを総理は説明するべきだ。
推量するに「戦後レジームの大胆な見直し」が必要だというのが多分、Whyになるだろう。しかし、それでは循環論だ。戦後見直しが必要だ→美しい国だ→戦後見直しの中味は改憲だ、では説得力がないし、第一、論理的ではない。

国家は手段、個人が目的。政治は「いのちひとつ」のためにあるのが原点である。「いのちひとつ」がおろそかにされている、だから「美しい国」が必要だというのならばまだ説得力がある。そしてその場合は改憲の中味について「美しい国」のWhy(いのちひとつ)を基に議論ができることになる。

頼むから、総理よそして日本国民よ、論理的になってほしい。Howばっかり教えられてきたから日本経済はバブルで失敗した。グローバリゼーションでようやくWhatの大切さに気づいた(例えば事業における選択と集中)。次はWhyである。一番大切なのは論理である。価値の議論(個人か国家か等)は論理の後だ。Photo_551

「美しい国」の理念はわかった。中曽根さんがかつて主張した戦後政治の総決算ということだ。
ではなぜ、総決算が必要なのか、その理由を示してほしい。それでこそ世界に冠たる日本の総理なのである。

ウンコな議論はたいてい、理由=タイトル=内容である。「美しい国」はその典型だ。

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