藤井常世
久しぶりに「一人一首」である。すっかりご無沙汰、文字通り歌を忘れたカナリアだ。とい
いながら駄歌は屁っていたのだから世話はない。要するに、俳句に夢中で「一人一首」まで手が回らない、気も向かないということだ。
とはいえ、始めたことは完遂しなければ気色が悪い。「週三日プールに通ふ日々続く根性なけれど根気はあるぞ」だから。そこで、ゆるゆるぼつぼつ継続の所存である。
さて、今回は藤井常世。常世のゴッドファーザーは折口信夫とのことである。
なまなまと人顕たしめて秋は暮る一期はゆめといまだ思へず
「顕たしめて」は「たたしめて」と読ませる。恋する人の面影がなまなましく顕ち現れる思いで秋は暮れる、一生は夢と諦めきれないのにという恋歌であろう。
俳句だったら上の句でおしまい。下の句「一期はゆめといまだ思へず」は上の句に対する註釈と決め付けるのは短歌に対して酷、失礼だけれど。
そこで「一期はゆめ」にこだわって検索してみたら、閑吟集「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」に出会った。そうか、「一期は夢」の出典はここだったのか。そして、夢だから狂っていい、狂えというのが閑吟集の歌の本意である。
だから、藤井常世のこの歌は閑吟集からすると本意に添わない使われ方をしていることになる。思い切れないあの人を、人生夢だからこそただ狂え、狂うばかりに思い焦がれると詠うべきではなかったろうか。
この点、省略を真骨頂とする俳句では七七が無いから余計な突込みを受ける危険性が少ない。全てを削ぎ落とした抽象こそが人生の本質かもしれぬ。俳句は抽象した上で詠嘆することができるのである。
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