肯定と赦しの哲学@スピノザ
久しぶりに哲学である。真理と正義は一致しないの続編である。
まず、上野修「スピノザの世界―神あるいは自然」からそのエッセンスを引く。
すべては神の本性の必然性から出てきて真理空間の実質を成している。われわれは文字どおりその一部である。
これを俺の世界三層構造に対応づけると下のようになる。
価値世界 ⇔ 論理世界 ⇔ 事実世界
価値 構造・モデル 事実のみ
正義 真理 -
信ずる 疑う (味わう)
言語 経験
ウィトゲンシュタイン 西田幾多郎
無限モデル 必然性(神)
すなわち、神が世界の唯一の実体であり、世界に必然性は内在している(つまり、事実世界に内在している)。そして、論理世界に人間が構成する様々な概念やモデルは、神から流出する真理空間(無限モデル)の一部である。
従って、スピノザは神にも人間にも自由意志を否定する。そして(ここが面白かった)自由意志の否定が「実生活のためにいかに有用であるか」を強調しているのである。すなわち、自由意志否定の有用性は次の4点となる。
(1)自分をゆるす(自己肯定→安らぎ)
(2)神と世界をゆるす(運命に振り回されない)
(3)人間をゆるす(他者との協調)
(4)社会をゆるす(社会に寄与)
なまじ、自由意志があると思うから、目標を達成できなかった自分を赦せず憎む。また、不幸な運命を与えた神や、そのきっかけとなった他者や社会を恨む。
そうではない。世界は必然性に満たされている。だからまず自己を肯定せよ。不幸の原因はその必然性を認識できなかった無知にあるのだから、知に努めて理性を鍛えよ。そして神も他者も社会も赦してやれ。というのがスピノザである。
でもねえ。ちょっと行き過ぎではありませんか、スピノザさん。
これじゃあ、世界の根元はイデアであると言ったプラトン唯心論の丸っきり裏返し唯物論やんかあ。長いタームでは人間も自然の一部だから世界は自然の必然性の下にあるというのは正しい。でも、それを言っちゃあおしめえよ。
やっぱり、人間に多少の自由意志を認めてやって、調和のとれた物心二元論(デカルトの延長線上つまり認識論の自然化・社会化)が落ち着きがいいと思うんだけどなあ。常識にも合致するしね。
だから、三層構造において、必然性はやはり論理モデル上の概念とするべきだろう。
また、神を配置するにしても、価値世界だろう。そして自由とは神の別名だと俺は信じる。
そこで、スピノザを一部受け入れて俺の世界三層構造は一歩進歩したのである。
価値世界 ⇔ 論理世界 ⇔ 事実世界
価値 構造・モデル 事実のみ
正義 真理 -
信ずる 疑う (味わう)
言語 経験
ウィトゲンシュタイン 西田幾多郎
神(自由:価値) 必然性(概念)
人間は本来、自由であるべきだ(価値)。しかし、自由と自由はぶつかり合うことがしばしばである。従って、その調整原理が必要となり、それが法である。国家はこの調整原理(法)の立案と執行に携わる召使である。自由に奉仕するべき召使なのである。決して国家が目的=主人なのではない。
さあ、その上で日本国憲法を考えよう。安倍ちゃん、正々堂々と憲法改正で向かって来い。
※写真は上野修。-教官著作書の紹介-から勝手拝借/感謝です。
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コメント
哲学の話は苦手ですよ・・難しいなぁ。
昨年の投資状況は散々でした。これからは安定運用にします。原油投機のお金が株式にと思いますので米国株はいいように思えますがどうでしょう。
私のオヤジが1句(俳句)を捻りました。たまには訪問してくださいね。
投稿: SAKAKI | 2007年1月 5日 (金) 午後 06時31分
日経が新年早々個人資産をはやしているのがなんだか胡散臭いです。株価が下がれば安倍政権はカナシイですね。
自己中心脳を反省しております。
投稿: 土曜日の各駅停車 | 2007年1月 6日 (土) 午前 04時56分