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2007年2月15日 (木)

認識論@「エティカ」を読む(3)

俺流「エティカ」存在論の結論は究極の実体は宇宙全体のエネルギー・物質循環系であった。さて次は認識論。真理や知識の性質・起源・範囲(人が理解できる限界など)について考察するのが認識論で、ここが近代西洋哲学の主戦場である。

認識を敢えて思考と言い換えるが、思考は分析的思考と総合的思考に分かれる。ものごとを分割して分割した単位ごとに認識・思考するのが分析的思考。これに対して、総合的思考は分析的思考ないし直観を基に全体的に認識・判断することと言っていいであろう。
「エティカ」も基本はこのような常識的路線に沿ってはいるが、少しアクが強い。

すなわち、認識を三種類に分別し、第一は想像知、第二は理性知(知性)、第三は直観知と名付ける。
想像知:上の分析的思考に近いが、「ふたしかな経験、記号による認識」とする。「ものを想像するときの観念に似ている」からこのようなネーミングとなっている。実体は全体なのに断片的に想像するアホウと言いたいのだろう。
理性知:断片ではなく「十全な」知識のことを言う。総合的十全な認識である。「観念の秩序と連結はものの秩序と連結と同じ」(ウィトゲンシュタイン!)ことが存在論に基づき証明(第二部定理七)されているので、このような認識は存在するとするのである。言わば神の認識だと俺は思う。
直観知:しかし神は細部に宿り給う。分析的思考+総合的認識に加えて様態(実体の思惟・延長への限定:個物)の直観が必要とする。ここがスピノザのエライところだ。

つまりは、理性の下、分析・総合・直観によって我々は十全な認識に到達するというPhoto_620 当たり前なことを<存在論に基づいて>言っているのである。

このように、「エティカ」において存在論と認識論はぴったり決まっている。数学的エロティシズムを感じる所以である。
目的的見方の否定(自然に目的などありゃしない)の論証、因果律は実体に内在している(だから全ては必然)ことの論証については省略するが、かくして、「エティカ」の基本思想(2)(3)(4)が導かれる。

(2)これから、ホーリズム(クワインと結論は同じ!)内在主義(ものごとは対象の立場に立って内在的に理解するべきだ、従って批判も内在的批判であるべきだ)が演繹される。
(3)そしてまたホーリズムの立場だから、認識論においても分析的認識(想像知)ではなく総合的認識(知性)が正しいとされ、実体がその属性において変様した(俺に言わせればモデル化)様態(要するに個物)を認識する直観知とが認識の両輪である。
(4)全ては必然的(だから自由意志は否定)、コナトゥス(実体の力)の現れである。それを認識するのが知性と直観知である。

※画像はクリムト「ダナエ」。グスタフ・クリムトから勝手拝借/感謝です。

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