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2007年2月27日 (火)

感情論@「エティカ」を読む(4)

存在論(神即自然だけが唯一の実体)→認識論(想像知・理性知・直観知)と進めてきてPhoto_689 今度は感情論。その特徴は次の二点である。
(1)感情と理性を対立的に捉えない。理性で感情を抑えようなどと野暮は言わない。存在論に基づく感情論だから、存在についての十全な認識(理性知・直観知)による感情は肯定されるしかない。
(2)感情の基礎はコナトゥス(ものの力)。ここでも存在論が基礎に置かれている。物にも生命にも人間にも共通な力こそが感情の源である。物における慣性・エネルギー・エントロピー、生命における活動力・生命維持力がコナトゥスの現れであり、人間においては感情となるのだ。全てを肯定する哲学だからこそ、これが出来る。

では、憎悪のような否定的な感情はなぜ生じるか。
それは感情に先立つところの認識に不十分な点があるからである。想像知:「ふたしかな経験、記号による認識」「ものを想像するときの観念」が否定的感情を生じさせるのだ。例えば、愚者は憎み賢者は哀れむということを想起すればいいだろう。

かくして、スピノザにおいて感情は次のようにコナトゥスから簡明に演繹される。
意志:コナトゥス(自己の本質を実現する力)が精神だけに関係する場合
衝動:コナトゥスが精神と身体とに同時に関係する場合
欲望:衝動を特に意識した場合。衝動の自己認識。
喜び:欲望の力の増大
悲しみ:欲望の力の減退

欲望・喜び・悲しみの三つが基本感情で、他の全ての感情はこれから導出される。例えば「愛は、外的な原因の観念をともなっている喜び」「憎しみは、外的な原因の観念をともなっている悲しみ」である。

そしてスピノザは感情の療法(感情の力学的抑制)を提唱する。感情は理性で抑えられない(我慢するな)。感情を抑えるには、それに反対的で、しかもより強力な感情によらなければならない。
そのためには、まず感情を明瞭・判明に理解することが肝要(理性知・直観知)で、その限りで感情は我々によって支配することが出来、受動感情(想像知に基づく感情)は能動感情(理性知・直観知に基づく感情)に変わる。

要するに、感情は自然の現れだから無理して抑制するな、広い視野に立てば能動的な感情に変わるということだ。つまりは悟りである。

読んでいる途中で何度も仏典を読んでいるような気分になった、般若心経しか仏典を読んだことはないけれど。これにて「エティカ」を読むは完了。春夕焼明日は明日の風が吹く。

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