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2007年2月23日 (金)

形而上学入門

「エティカ」から
俺流「エティカ」存在論の結論は究極の実体は宇宙全体のエネルギー・物質循環系
理性の下、分析・総合・直観によって我々は十全な認識に到達す
という存在論、認識論の結論を得て、形而上学の凄さが少し分かりかけていたところ、図書館で佐藤一郎「哲学的冒険―形而上学へのイニシアシオン」を発見し書名に惹かれて読んだ。これも凄い本であった。
まず、俺の読解のエキスを図示(エティカ見取図←得意の世界三層構造)にこの本から得たものを追加する。

価値世界    論理世界     事実世界
 価値論      認識論       存在論
   ↑        様態     神即自然=唯一の実体     Photo_658
 感情論    三種の知性     コナトゥス(力)  
       (想像知・知性・直観知
            様態         実体
            概念         存在
         記号(シニフィアン)  シニフィエ
 自由         金         生(経験)
             色           空
             器           道

形而上学とは一言で言えば、概念のメガネを外して存在(実体)を見ることである(現象学のエポケー=判断停止、判断保留。「括弧に入れること」も同じだと思う)。

「エティカ」の用語に従えば、我々は普段、実体(神即自然)を見ずにその概念化(様態)を見ている。換言するならば存在ではなく記号を見て記号として接している(売り手と買い手、女と男、妻と夫、……)。こうした記号の最たるものが金だ。

そうじゃないだろう。それではいつまで経っても生身の生を享受することは出来ないだろう。概念なんか捨てちまえ、金も無用の長物だ。というのが色即是空。

とはいえ人間食わねば死ぬ。そして食うために現世では金が必要、先立つものはやっぱり金=記号。だから空即是色にならざるを得ない。

そして著者は森有正を引用する。良識(自由と読み替えてもいいと俺は思う)は「経験が多かれ少なかれ生れ始めている人々の間で、そのつど判断せらるべき、実践的課題」であり、「いつも無の底から決断」することであり「人生はそういうものだけで出来上がっている」のだと。

つまり、形而上学とは経験と概念・記号・金との絶えざる往復運動ということだ。これを般若心経は色即是空空即是色と喝破したと俺は思う、お釈迦様及びスピノザ様。

ちなみに易経に「形而上者、謂之道、形而下者、謂之器」(形而上なる者、これを道と謂い、形而下なる者、これを器と謂う」とあり、これから明治維新時に形而上学をメタフィジカの訳語にしたそうである。
道を行き器に従うを自由と謂うなり

※画像はart random - 人生のセイムスケール - age 79釈迦から勝手拝借/感謝です。

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