二月尽@白梅のはや萎えにけり二月尽
白梅のはや萎えにけり二月尽
「白梅の明る夜ばかりとなりにけり」蕪村辞世の句を意識して「白梅やいつか死すもの人間は」「白梅にいのちの果てを思ひけり」などを在庫したが、いずれも生に過ぎる。
そんな時に今朝の増俳の一句「老猫のひるね哀れや二月尽」網野菊に出会った。よし、「二月尽」にしようと季重なりにかまわず本句となった。だから中七だけが勝負である。成立しているだろうか。「萎え」が焦点だ。 二月尽くかがやかざりし一日もて 綾部仁喜
「二月尽」は手元の歳時記には無い。現俳データベースにも無い。上の例句はわたしの俳句歳時記から拾った。おっと、増俳にはあった。
二月尽雨なまなまと幹くだる 石原舟月
この句の鑑賞には「明治初期に陽暦が採用されてからは、春は名のみの寒い月となり、明日から春三月と思うことに、特別な感情が徐々に加わるようになる」とある。まだこれからの季語である。
※画像は松任谷由実春よ、来い-ルージュの伝言-中央フリーウェイ ピアノ・ソロ-ピアノ弾き語り - Yahoo!ブックスから勝手拝借/感謝です。
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