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2007年2月 4日 (日)

共同性から関係性へ

「新左翼の要件」で自己決定権・自己責任原理の虚偽性についてちょっと触れた。本稿はPhoto_582 この点について書く。

ネタ本は小松美彦「自己決定権は幻想である」なのだが、なぜ自己決定権・自己責任原理が虚偽なのかが問題である。
著者は自己決定権は70年代アメリカを起源とする新しい権利で、「自己決定が権利化すると権力の道具になる」とする。
その理由は「自己決定権は言葉によって普遍化された人為的な権利であり、思弁によって客観化された制度であり、さらには個別の実相を他人事に変えてしまう装置であり」従って「政治的な恣意によって道具にされるという危険性」があることに求める。そして例証として、イラク戦争初期に渡航制限を破ってイラクに渡航して人質となった三人に対する自己責任論議(自分の判断で行ったのだから自己責任だ)を挙げる。

自己決定権は人の心の内外を区別して「私は私、あなたはあなた」、だから、「あなたはあなたが下した決定に関して責任を取らなければいけない」という自己責任原理につながる。
しかし、ホントウにそうなのか。ここで言われるような「自己決定」を我々はホントウに出来ているのか。抽象的な人間ではなく具体的な人間及び人間関係を思い浮かべると我々が日々なしている「自己決定」は実は「共決定」ではないのか、というのが著者の言いたいことだ。

心って脳の産物であって、脳は頭蓋骨と皮膚で覆われていてみんな別々。だから、心の内外は存在する。「私は私、あなたはあなた」だ。これがジョーシキだ。
しかし、心=記憶+知覚+思考と因数分解すると、記憶の大半は学校とかメディアによって伝達された社会的情報。知覚も五感は概ね共通だから共通知覚。思考も論理は万人普遍だから似たりよったり。ということは実は心は脳内現象ではなくて社会的現象ではないのか、そんな風に最近考え始めた。そこへこの本がやってきた。そして、共同性と関係性の違いに気づいた。

著者は言う。共同性は「内と外とに縁取りをこしらえて、二つを区分けし固定していこうとする態度」である。これに対して関係性は「まず内と外とを区別しません。個々の人間的な交渉から目をそらさないことを原則として、これを守ることができのであれば、どこまでも外にひろがっていこうとする態度」のことである。

人と人とは個別の接触において利害が対立する(売り手と買い手とを想起すれば明白)。しかし、中長期的な関係においては売り手と買い手とは共存共栄の必要性はある。それでも、相手の失敗までをかぶることはできない。だから「あなたはあなた、私は私」で防御壁を築くのが賢明。でも、それが行き過ぎると売り手も買い手も自滅してしまう(合成の誤謬:部分最適を優先しすぎると全体最適を失う)。だから、みんな同じ日本人やないかとヤルのが共同体。でもその裏では内外区別して失敗したらザマアミロ。イヤラシイ世界だ。

だから、共同性よりは関係性重視。まずは利害は個別とした上で共通の問題として一緒に考えるのがスマートではなかろうか。つまりは、共同性は前提から外して個別の関係で具体的に判断するということである。新左翼の要件→(1)反帝国主義(2)自由主義(3)多元主義における

 自由主義=心は共通×損得は個別×相互に価値尊重

というのが結論である。住みにくい世をスマートに、アツクルシイ共同体は堪忍よ。

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