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2007年2月 5日 (月)

人生方程式と自由意志の否定

石川文康「良心論」を斜め読んでいたら、「良心」(明治維新哲学輸入時の訳語。孟Photo_585子に出典ありとのこと)の原義の紹介があった。
良心は、英語で「conscience」独語は「Gewissen」で、もともとはラテン語「conscientia」に更にはギリシア語の「シュネイデーシス」(ギリシア文字面倒難解省略)に由来するという。ここに「シュン」は「~と共に」という接頭辞、「エイデーシス」は「エイドー」(見る、知る、認識する)の名詞形だそうだ。すなわち、良心とは「~と共に知ること」ということになり、当時の大和言葉にはなかった概念である。

では、何と共に知るのか。
著者は「神と共に」「世間と共に」「自己と共に」の三つを挙げて、「自己と共に」が最も重要だという。これは、知るということが社会的現象であると共に、自己意識が知の根元であることを意味している。

そうか、知るということは、そもそも「神と共に・世間と共に・自己と共に・知る」ということをギリシア哲学以来意味しているのか。だから、スピノザは肯定と赦しの哲学において

(1)自分をゆるす(自己肯定→安らぎ)
(2)神と世界をゆるす(運命に振り回されない)
(3)人間をゆるす(他者との協調)
(4)社会をゆるす(社会に寄与)

というように展開したのかもしれないなあ。

ところで、先日から俺が主張している左翼の要件(反帝・自由主義・多元主義)のうちの自由主義方程式

 自由主義=心は共通×損得は個別×相互に価値尊重

を人生方程式に変換すると

 人生=損得+価値(好き嫌い)+心(知覚と記憶は共通)

となる。ここに損得は経済合理性(アダム・スミス)、好き嫌いは自分でもどうしようもないもの(例:止むに止まれぬ阪神ファン)とすれば、この二つには自由意志の働く余地は極小である。
そして、心=記憶+知覚+思考であり、記憶の対象の多くは社会的情報であり、知覚は共通(五感は概ね共通)、更には思考の基礎をなす論理は普遍的だから、人生および心において自由意志の占める部分はかなり少なくなる(自由意志=自己決定は実は共決定のこと論もある)。

つまり、スピノザのいう自由意志の否定はまんざら肯定できないこともない。いや、肯定すべきだということだ。


要するに、全ては必然的→経済合理性と論理的必然性に還元されるということであり、必然に対して我々の目を眩ませるのは好き嫌い(価値判断)誤った状況認識(自己能力の誤認が主要原因というのは経験的真実)という常識にも合致するのである。ああ、スピノザは正しい。※画像はアダム・スミス

だから、自公独裁に対して全野党共闘が必然的なのにそれを阻んでいるのは共産党指導部の誤った価値判断にあると思うのである。

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