« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »

2007年3月

2007年3月31日 (土)

木の芽@ひと雫枝に残れる木の芽雨

Photo_617 ひと雫枝に残れる木の芽雨

これも写真俳句すなわち写真に撮ってから後付けで句にしたものだ。たしかに写生にはなっているが面白くない。茂吉の言うところの実相観入つまりは魂が入っていないのである。そうか、もっと具体的に言うと、(1)切れが無い(2)季語の説明になってしまっている、ということだ。
やっぱり取り合わせが俳句の持ち味ということだと実感した。「ひと雫」とした瞬間に駄句になってしまったのだ。

 ひた急ぐ犬に合ひけり木の芽道      中村草田男
 隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな   加藤楸邨
 降りてすぐ木の芽が匂ふ新任地      能村研三
 芽吹きけりわが胸中の楡の木も      片山由美子

写生する際には対立物の配置を意識すること。犬でも怒涛でも新任地でも胸中の楡でもいいから。「木の芽雨しづかに降れりハナミズキ」でどうだ。

| | コメント (0)

花@どちらまでちょいとそこまで花遍路

Photo_616 どちらまでちょいとそこまで花遍路

俺は基本的には歴史的仮名遣いである。カッコええやんという理由もあるが、「や」「けり」等切れ字を使う以上、現代仮名遣いはそぐわないと思うからだ。だから、切れ字が無かったり、あえて口語にしたい場合には現代仮名遣いになる。つまりは両刀使い、便宜主義ということだ。本句は口語・現代仮名遣いとした。対話調があんまり成功してないようである、残念。

 さびしさや花のあたりのあすならふ  芭蕉
 チチポポと鼓打たうよ花月夜    松本たかし
 人体冷えて東北白い花盛り     金子兜太
 雨音を確かめて出る花の下駄   稲畑廣太郎

稲畑廣太郎稲畑汀子の息子だろう、多分。だから虚子の曾孫ということになる。これで四代目。たいしたものだ。

| | コメント (0)

三月尽@犬の眼に未来見ゆるや三月尽

Photo_615 犬の眼に未来見ゆるや三月尽

最近、朝Walkで近所のオジサンによく出会う(この人、早期退職したんとちゃうかなあ)。いつも犬を連れていて、俺もカメラが嬉しいので撮らせて貰った。犬の瞳がよく撮れていると自己満足。そこで一句とした。季語は三月尽しかないと思う。

 色も音もうしろ姿や弥生尽       蕪村
 弥生尽かもめの骨を砂が埋め   中島※雄(ゴメン。歳時記の字が読めない)

三月尽の例句が引けなかったので弥生尽で代替した。しかし、弥生尽は本来は「春の尽きる日という感慨のこもったことば」とのことで、新暦では四月尽にあたる。新暦の三月尽は年度末という意味合いが強いように思う。

| | コメント (0)

花@すれちがふ顔と顔とや花の雨

Photo_614 すれちがふ顔と顔とや花の雨

「桜」は具象、これに対して「花」は「桜の醸し出す華やかな雰囲気を、より広く、象徴的にとらえるときにふさわしい」(花の歳時記 春)とあり、やや抽象という使い分けをすることを知った。だから、「花」には「花影、花の雨、花の雲、花の宿、……」など多彩なサブ季語があるのだ、なるほど。
さて俺のこの句は「花の雨」の本意をつかまえているか、アカンやろなあ。アカンついでにもう一句→「開幕戦阪神負けて花の雨」。井川の抜けた穴は大きいか?

 雀来て障子にうごく花の影        夏目漱石
 咲き満ちてこぼるる花もなかりけり  高浜虚子
 呼びとめて二人となりぬ花明り    五所
平之助
 花よりもくれなゐうすき乳暈かな    真鍋呉夫

乳暈は「ちがさ」と読む。読み方はわからねど部位はわかる。噛み締めてようく味わうべき象徴詩ということである。

| | コメント (0)

柳@迷ひ路の柳通りに出会ふかな

Photo_613 迷ひ路の柳通りに出会ふかな

これは典型的な写真俳句だ。というのは、写真吟行中に絵になりそうな風景を見つけてカメラで切り取った後に、後付けで俳句を付けたからだ。ほんとうは、春の柳の美しさを写真でもっと表現したいのだが、素人写真の悲しさである。「やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」石川啄木。

 田一枚植て立去る柳かな         芭蕉
 ややしばしけぶりをふくむやなぎ哉   暁台
 瓦斯燈にかたよつて吹く柳かな    正岡子規
 雪どけの中にしだるる柳かな     芥川龍之介

柳は、どうも大きな景の中の柳として詠むことが多いようだ。花は近景(クローズアップ)、柳は近景・中景・遠景(これが三つともあれば風景写真として奥行きが出来てベスト)に配するということか。

| | コメント (0)

2007年3月30日 (金)

掲示板、設置しました

右サイド下方です。最大20件まで表示されます。
公序良俗に反しない範囲でお遊び下さい。

| | コメント (0)

Chobiメールはブログパーツです

Sohyaさんから早速、Chobiメールを頂戴しました。ありがとうございました。

ところで、これはブログパーツといわれるものでココログの機能ではなく、ブログ一般に使えるものです。ブログパーツ CHOBI (ちょび) メール - お手軽♪お気楽♪メール送信フォームサービスに機能紹介・使い方がありますので宜しかったらご参考にして下さい。

| | コメント (0)

「土曜日にひとこと」を設置

土曜日宛のひとことメールが欲しいなあと前々から思っていたところ、今朝見つけたので設置しました。
左サイド「Never Change 9」の下です。Chobiメールというそうです。

| | コメント (0)

蒲公英@タンポポや七歳にして欲情す

Photo_612 タンポポや七歳にして欲情す

初案「タンポポや七歳にして恋を知り」だったが、こういう句は過激がとりえと手直しした。そしてまた、(欲情か初恋か不分明だが)異性を意識するのも七歳ぐらいというのは、「席を同じうせず」と格言がある以上、一般論として正しいと思う。

 たんぽぽや長江濁るとこしなへ      山口青邨
 たんぽぽと小声で言ひてみて一人   星野立子

 顔じゆうを蒲公英にして笑ふなり      橋閒石
 たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ  坪内稔典

昔はあちこちにタンポポがあったように思う。鉄とコンクリートと人工配置樹木の街に住んでいるからなあ。

| | コメント (0)

チューリップ@チューリップ黄色が好きで遊び好き

Photo_611 チューリップ黄色が好きで遊び好き

昔、小学校で映画教室というのがあった(今でもあるのだろうか)。講堂に映写機をセットして映画を見せてくれるのだ。テレビ普及以前の時代だから、視聴覚教育の一環ということだろう。
その映画教室で観た映画「黄色いカラス」(ストーリーはこちら)。主人公の少年はカラスを描くと必ず黄色で着色するのだが、黄色は愛に飢えているというシグナルだということをこの映画で覚えていまだに記憶している。おいおい、五十年以上前のハナシだぜ。いやになってしもうた。

 チューリップ友に三人まりこさん      内田美紗
 チューリップ散る一片はゴッホの耳    有馬朗人
 子の疑問つねに鮮らしチューリップ    大橋敦子
 少しづつみんなわがままチューリップ   佐藤博美

やっぱり俺、チューリップが好きなんだ。わかりやすくてわがままで、ほんにおまえはチューリップ。
チューリップ化粧上手を買ひに行く」「どんな時も遊び忘れずちゅうりっぷ」と例句がだぶらないように引いてある。

| | コメント (0)

花@しぶちんが歳時記を買ふ花の雲

Photo_610 しぶちんが歳時記を買ふ花の雲

遂に俺は決断したのだ。本を買おう、歳時記を買う。いつも立ち読みするばかりのAmazonに注文してしまった。花の歳時記 春冬・新年を(夏は新品の在庫が無かった)。
これも花の名前を覚えたい、綺麗な写真を見たい、佳句に出会いたいの一心である。まことに世は全て花の雲なり。

 花の雲鐘は上野か浅草か     芭蕉
 逢ひにゆく雲抱くやうに花だいて   長谷川双魚
 花あれば西行の日とおもふべし   角川源義
 花の陰あかの他人はなかりけり    一茶

花の例句を引くのは今回が初めてだ。芭蕉の句は芭蕉俳句全集から引いた。俳句の根源は雪月花。俺はいま花をノックしたのだ。西行がドアを開けてくれた。

| | コメント (0)

2007年3月29日 (木)

ココログによいしょ!

今回のココログフリーのバージョンアップで「ココログベーシックとほぼ同様の機能をココログフリーでもご利用いただくことが可能」になった。つまり、

(1)スパムコメント対応フィルターの設置(コメントする際にスパムの可能性があれば画像から文字を読み取って入力することが要求される)。多くのブログ提供者がサポートしている。ココログもようやく世間並みになったということ。

(2)自己ブログ検索機能の提供(左サイド、ココログロゴの上の検索窓)。試しに「森光子」で俺のブログを検索したらちゃんと出る。これはいい。Yahooブログ検索は不要になった。

が主要な機能アップだ。あと、足らないのはPING指定機能ぐらいかなあ。
画像の許容容量もほぼ無制限みたいだし、アップロードのやり方も素直でわかりやすい。昨日、いくつかのブログを写真俳句ワールドを作るために試してみたけれど、ココログが一番だと思う。タダでここまで使えるココログによいしょである。

| | コメント (0)

戦後が失ったもの@真の改革とは?

日経昨日の夕刊「共有財産の精神に返れ」宇沢弘文を読む。Photo_609
彼はこのところ一貫して共有財産(コモンズ)=社会的共通資本の重要性を説いている。そして、「コモンズが代表する社会的共通資本の中でも医療と教育が最も重要な柱なのです」と言う。「コモンズの重要性は、皆が使えるということにより、自分たちの共通の財産として大事にしようという心をはぐくむことに」あると言う。

ところが現状は「今、医療の現場を歩いて回っているのですが、ほとんど崩壊の状況にあります。特にひどいのは産科と小児科」だそうだ。「診療報酬が減額になった一方で仕組みが変わり、患者七に看護一の「七対一看護」の制度が導入され、現場で大変な混乱を引き起こして」いるとのことだ。
結局、「医療は今、官僚主導の「改革」に追い詰められている。教育も同様」なのだ。

これを短絡的に小泉新自由主義「改革」の帰結と見るよりは、戦後自民党政権が一貫して進めてきた効率至上主義の結果と見るべきだろう。長い目で見ると、大日本帝国軍産官独占資本主義が曲がりなりにも維持していた社会的共通資本(医療、教育更には環境等の外部経済)を、戦後レジーム(効率至上資本主義)が壊してきた過程ということである。

だから、左翼にとっても教育再生は大課題だし、医療崩壊を食い止める必要もあるし、一次産業(農林漁業)を通しての環境保全も課題だ。要するに、こうした社会的資本までも闇雲に民営化してはならないのだ。民(個人、法人)は部分最適しか目標と出来ず、環境等社会的資本は全体最適を図ることが不可欠なのだから。

従って、ここに政府(全体最適)の果たすべき役割がある。宰相は、社会的資本の統括担当たる力量が要求されるのだ、安倍ちゃん。なんでも民営化すればええのんとちゃうで。

ということで社会的資本の重視を左翼の条件に追加する。
左翼とは(1)反帝国主義(2)自由主義(個人主義)(3)多元主義(4)社会的資本重視主義のことである。この条件に浅野君が賛成するのなら俺は都知事選で彼に投票してやる(とエラソーに言うてみただけなり)。

| | コメント (0)

椿@咲き満ちて乙女椿のくちびるよ

Photo_608 咲き満ちて乙女椿のくちびるよ

先日、この花を撮って「八重椿」で詠んだが、今回は「乙女椿」と六音で試みた。六音なので詠むのがちょっと窮屈である。だから、意味曖昧不明瞭な句にならざるを得なかったと言い訳しておこう。花を見ると唇を思う俺はビョーキなのかもしれない。

 風吹くや隠れ顔なる乙女椿        楠本憲吉
 正直や一つ咲いたる山椿        篠崎圭介
 潦大潦紅椿                 酒井大岳
 あぢきなきや椿落うづむにはたずみ   蕪村

おかげで、潦(にわたずみ)は急に雨が降って地上にたまり流れる水ということを知った。
ところで俺の句、「箱根路の七つ曲がりや恋椿」「癌で逝きし寅の一生や落椿」「そつぽ向く椿の花も雨上がる」「白椿女患混み合ふクリニック」「わが宿に椿咲いたり大島の」「面影や庭にひともと八重椿」と、こんなにあったんだ。「箱根路」句が一番出来がいいと自己評価している。椿はこれからもお世話になる素材だ。

| | コメント (2)

枝垂桜@歳月に枝垂桜の巨木かな

Photo_606 歳月に枝垂桜の巨木かな

写真は多摩ニュータウンの民家の庭にある枝垂桜だ。ちょっとした名所になっている。
ところで、「枝垂桜」は六音なのでちょっと詠みにくい(字余りにしなければ上五、下五に配置できない)。本句初案は「古民家に大樹枝垂れの桜かな」としたが、枝垂桜は矢張り枝垂桜でなければと手直しした。こうした事情に加えて次の風生の名句(句跨り)があるので、これを凌駕する句はなかなか生れないのではなかろうか。

 まさをなる空よりしだれざくらかな  富安風生
 一本の枝垂桜に墓のかず       飯田龍太
 見るほどに枝垂桜の老いて艶    深見けん二
 枝垂桜地に触るる枝は舞ふごとし  古賀まり子

「艶」は枝垂桜にぴったりだ。色気は老いて艶になる。ハマチとブリの関係に似ているとは思いませんか。

| | コメント (0)

花曇@人生も芸の内なり花曇

Photo_549 人生も芸の内なり花曇

ずうっと以前に浮かんだ句。シーズンを待っていたのだ。
それで、どんな時に浮かんだのか俺のブログを検索したら思い出した。「新婚さんいらっしゃい!」の連想で浮かんだのだった。こういう発想、連想(はっきり言うと、いちびり。司会者も出演新婚もそして俺も)はやはり関西だと思うのだが、いかがなものであろうか。

 花曇かるく一ぜん食べにけり     久保田万太郎
 ゆで玉子むけばかがやく花曇      中村汀女
 つながれて出て来るティッシュ
花曇   連 宏子
 足袋何千足洗はば死なん花曇      森 光子

花という華やぎの中に萌す哀愁の花曇。これをいかに詠むかも芸である。そして、喜びも悲しみも欲望も芸(スピノザの言う感情の三大要素)なのかもしれない。

| | コメント (0)

2007年3月28日 (水)

目借時また失くしたるボールペン

Photo_516 目借時また失くしたるボールペン

目借時は【蛙の目借時】 かわずのめかりどきの略。春深く、眠気をもよおすような季節のこと、また、眠くてたまらない春の夜のこと。蛙が人の目を借りるからだというが、本来「めかり」は「妻狩り」で、異性を求める時期のことをいうとされる(わたしの俳句歳時記より)。

俳句を始めなければこんな言葉知らなかったなあ。「妻狩り」を知ったからといってなんの得もないけど。そういえば「まぐはふ」は「目ぐはふ」だっけ。

 水飲みてすこしさびしき目借時     能村登四郎
 女子大の公開講座目借時        山縣輝夫
 組みし脚はらりと解けて目借時     湯本明子
 怠け教師汽車を目送目借時      中村草田男

なんか学校のセンセイがらみの句ばかりのようだけど、俺の同級生で女子高教師やってるのは胃潰瘍を患ってるそうだ。

| | コメント (0)

沈丁花@帰り来て沈丁匂ふ夜の厨

Photo_443 帰り来て沈丁匂ふ夜の厨

まだ沈丁花が匂ってくれる。花は既に終りかけているのに匂う花あり沈丁花。「夜の厨」を取り合わせたところが工夫と自句自讃させてもらおう。

 沈丁花どこかでゆるむ夜の時間    能村登四郎
 人恋の匂ひ放てり沈丁花         田淵宏子
 鎌倉の月まんまるし沈丁花        高野素十
 沈丁に雨は音なし加賀言葉       細見綾子

沈丁花愛の予感の回路閉づ」「沈丁の眠らぬ夜も老隣」「恋愛はオペラですまそう沈丁花」「沈丁花気分はいつも一夜妻」に続く句だ。こんなに沈丁花を詠むとは思いもせなんだ。

| | コメント (0)

桜@飽かぬかな美女もサクラも人生も

Photo_417 飽かぬかな美女もサクラも人生も

俳句の俳は人でなしの俳。そして俳諧の諧は諧謔の諧。だから、俳句にはスパイスが必要なのに、アホやなあこの句。そんなにオモロイんか、アホウ。えっ、人の言うことをまともにするオマエがアホやてか。馬鹿にするなアホ。

 長き長き戦中戦後大桜         三橋敏雄
 男なら兵でありしを城桜         関 芳子
 満開のふれてつめたき桜の木    鈴木六林男
 身の奥の鈴鳴りいづるさくらかな    黒田杏子

桜って、どこかしら冷ややかに感じることはないだろうか。ぱっと咲いてぱっと散るからいいんだけれど、梅のように長く咲いてるとちょっとたまらないかもしれない。

| | コメント (0)

別宅建立→土曜日の写真俳句ワールド

ながーいココログメンテがようやく終った。
することのない手持ち無沙汰の故に遂に別宅を建ててしまった。名づけて土曜日の写真俳句ワールド(左サイドのアクセス数の上にリンクあり)。
シンプルに写真俳句だけを掲載するつもりだ。

ご愛顧のほど、どうかよろしくお願い申し上げます。

ところで、ココログがようやくスパムコメント対策を施してくれた。これでスパム除去作業から解放される。よしよし。

| | コメント (0)

2007年3月27日 (火)

泰二さんの句会が始まります

これで句会は二つ目になる。一つは現代俳句協会の句会、そして泰二さんの句会
面白いことになってきたぞ。

| | コメント (0)

連翹@連翹に雨の淋しもタンゴ聴く

Photo_109 連翹に雨の淋しもタンゴ聴く

雨が降った後は、雨に濡れた花を撮ろうと思う。そして、写真を撮ると句をつけねばならぬ。ということで(ちょっと)無理筋でひねった句だ。下五「タンゴ聴く」にそれが現れているかもしれない。しかし、こうした写真俳句のつくり方は写生及び題詠の練習になる。

 連翹の奥や碁を打つ石の音        夏目漱石
 連翹のまぶしき春のうれひかな     久保田万太郎
 連翹の雨のしとゞにふるはかな     久保田万太郎
 連翹のはなちそめたるひかりかな    久保田万太郎

連翹の句は「うつむいて今年さみしい花連翹」に続き二句目だが、またつくるだろうから例句は(何を引いたか覚えやすいように)漱石と万太郎のみにした。連翹の雨を万太郎がすっきり美しく詠んでいる。俳句は余剰を削ぎ落とす文芸であることを実感した。

| | コメント (0)

桜漬@デパートにお洒落なエプロン桜漬

初案「エプロンは栗原はるみ桜漬」だった。Photo_412

 デパートにお洒落なエプロン桜漬

初案では普遍性に欠けるので本句となった。あくまで一般論だが、若く美しい伴侶が可愛いエプロンをしてるのを見るのはなかなかいいものである。これに対して割烹着は、また別のシチュエーションで見たいものだ。吉永小百合の割烹着なんかはどうだろう。

 止みさうな雨あがらずよ桜漬   岸田稚魚
 いと軽き石のおもしや桜漬    高浜虚子
 須磨寺に止まる春や桜漬    伊東極浦
 桜漬ふはりと開く誕生日      安斉君子

漬物の季語(花菜漬、桜漬、木の芽漬)及び和え物等(木の芽和、蕗味噌など)に生活感と色気を感じる。そこで、小道具妻で練習一句「何思ひ妻割烹着木の芽和」。

※画像は商品詳細  栗原はるみ 『haru_mi』 ナインポケットエプロンから勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

涅槃西風@大音声波乱万丈涅槃西風

先日の俳句王国に山田吾一が出ていたが、声が大きかった。Photo_404

 大音声波乱万丈涅槃西風

そこで、大音声(だいおんじょう)が浮かび、語呂合せで波乱万丈とつながったものだ。そういえば、俺も声がでかい。家庭環境のせいだと思う。

 原子炉の町の夜ふけの涅槃西風   鈴木六林男
 むづがゆき翼のつけ根涅槃西風    正木ゆう子
 涅槃西風けふ生かされて蛇眠し     大木あまり
 千羽鶴千羽に足りず彼岸西風     柴田白葉女

例句検索は大型俳句-俳句関連文書データベース検索エンジンに拠った。昨日見つけたばかりだけれどなかなか検索性能がいいと思う。
俳句を始めなければ、涅槃西風(彼岸西風)などという言葉を知ることはなかったろう。春風とはまた別の実感が湧きつつある。春風が彼岸に俺を押してくる。

※写真はアクターズプロモーション - 山田吾一から勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

2007年3月26日 (月)

躑躅@盆栽の好きな薬局蝦夷躑躅

Photo_108 盆栽の好きな薬局蝦夷躑躅

行きつけの薬局のご主人が盆栽好きである。一週間に一回は店のカウンターの盆栽を交換しているそうだ。
実は、いままでカウンターの盆栽に気づかなかった。写真を始めて周囲の事物への注意力が増したお陰だ。このつつじは、正しくはエゾムラサキツツジだそうだ。いいご趣味である。

 つつじ咲き何事のなく世のありぬ    仲原山帰来
 旅籠屋の夕くれなゐにつゝじかな      蓼太
 花びらのうすしと思ふ白つつじ      高野素十
 死ぬものは死にゆく躑躅燃えてをり   臼田亜浪

全て生命は循環だと思う。ところが人間だけが時間という概念を構成し、時間は直線だと思い込んでいるのだ。だから、生命の行き止まりが死などというのはとんでもない思い込みである。

| | コメント (0)

春の雪@十三に春の雪降るがんこ寿司

NHK俳句、例によっての落選句だ。Photo_48

 十三に春の雪降るがんこ寿司

ご存じない人もいらっしゃるだろうから、十三は「じゅうそう」と読む地名だ。阪急京都線・神戸線・宝塚線の交点にあたり、梅田からは淀川の対岸になる。俺の青春の土地だ。木川劇場で検索かけると十三ミュージックに名称変更が出てきた。まだ、あるやん。懐かしいなあ。そして、がんこ寿司(銀座に立派な店がある)も十三が発祥の地である。

 春の雪ふる女はまことうつくしい   種田山頭火
 春の雪ゆつくりと降りさびしけれ   細見綾子
 春の雪しばらくつもる渚かな     大峯あきら
 舌に溶く甘納豆や春の雪       三橋敏雄

淡い感情のここちよさを春の雪は伝えてくれる。もっとも東京の春の雪は例年どかんと降るのだが。

| | コメント (2)

春風@気合では勝てぬ相撲や春の風

春場所が終った。ご贔屓の気合たっぷり安馬はなんとか勝ち越して小結を維持できた。しPhoto_348 かし、豊真将に負けたなあ。豊真将は基本を備えた風格ある本格派。いづれは横綱だろう。

 気合では勝てぬ相撲や春の風

句風、作風、芸風、風格、風貌など風は人のまわりのオーラのようなものだ。ちなみに豊真将は、武士を思わせる堂々とした風貌で、また勝ち負けに関係なく、取り組み後に深々と礼をする所作が清々しいという声も多い。金を稼ぐことの厳しさ、人間関係の重要性は警備会社のアルバイト中に学んだといい、これが人間性を大きく高める契機となったとのことだ。来場所の朝青龍との対決が楽しみである。

 象老いて小さくなりぬ春の風     田中裕明
 春風や聖者に似たる河馬の顔   後藤比奈夫
 山頂に春風ふわりたまご焼      宮嵜亀
 春風という肉体の行きずりぞ    永田耕衣

こうしてみると俳句って面白い。春風でたまご焼が出てくるなんて素晴らしいなあ。自由でかつ必然的な連想の妙を感じる。「春風でオムレツ冷ます昼下がり」即吟できたけど、これは物まねである。

※写真は豊真将SANSPO.COM  スポーツから勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

牡丹@大関は引き立て役の牡丹かな

白鵬が(ちょっと後味の悪い)勝ち方で優勝したけれど、他の大関がねえ。Photo_347

 大関は引き立て役の牡丹かな

特に魁皇。怪我(親指の爪をはがしたらしい)もあるけれど、もう少しなんとかならないものか。強いときは物凄く強いだけにじれったいのだ。それから琴欧州も、愁いある貴公子ぶりを脱却して、スケール大きい相撲を展開してほしい。
牡丹は夏の季語だけれど、これ以外に弱い大関を形容する適切な季語を知らない。

 牡丹散て打ちかさなりぬ二三片     蕪村
 白牡丹といふといへども紅ほのか   高浜虚子
 夜の色に沈みゆくなり大牡丹      高野素十
 虹を吐いてひらかんとする牡丹かな   蕪村

牡丹はスケール大きく詠うべき花だ。蘇東坡(そとうば)などの中国の詩人がことに愛し、「百花の王」と呼ばれた。また、菊、芍薬(しゃくやく)とともに「三佳品」と称賛されたそうである。今日のところは相撲でひとまず稽古であった。 

※写真は魁皇SANSPO.COM  スポーツから勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

2007年3月25日 (日)

格差に影落とす「国際化」

今日の日経・経済論壇・掲題タイトル(大阪大学大竹文雄教授執筆)に面白い指摘あり。正社員が既得権益を守る立場に変わったとした上で、非正規社員の「適切な戦略は、雇用機会を増やすための規制緩和に賛成する一方、グローバル化に対しては強く反対の意思表示をすることである」とする。そして、

低賃金労働による製品を最も輸出している中国に対し、日本はもっと強硬な態度に出るべきだというのは、低賃金労働者にとっては、自然な感情の発言かもしれない。その意味で規制緩和と対中強行姿勢という小泉政権の立場は、低賃金労働者の支持を得やすかった。

とする。なるほど。小泉政権は(どこまで意識していたか不明だが)下層プロレタリアートのナショナリズム志向を刺激し、「改革」デマゴーグであの郵政選挙に大勝した。
しかし、一方、資本はグローバリズムを志向することにその本質があるのだから、安部政権になって日中双方とも「和解」せざるを得なかった。
だから左翼(反帝国主義・自由主義・多元主義)は、権力側がナショナリズム一服している間に、非正規労働者組織化と労働のグローバル連帯(起て、万国の労働者)に取り組むべきだと思う(ダラ幹「連合」には無理だろうけど)。

ヒトラーを支持したのは下層プロレタリアートだったことを忘れてはならない。中国共産党が真実共産党ならば日本の非正規労働者に何らかの働きかけをする筈だけれど、まずあり得ない。そしてまた日本共産党も選挙の票取りと民主党叩きで手一杯だろう。
出でよ、真左翼よ。

| | コメント (0)

俺にそっくりなオヤジの写真

転載は差し控えるが、今日の清水哲男『新・増殖する俳句歳時記』の電車で居眠りしている男が俺にそっくりだと思う。ここまで抜け毛は進行していないが、眉毛の濃さといい体形(だいぶ俺はスリムになった)といい似ているのではないだろうか。

後々のため一応、ダウンロードはしてある。自己言及のパラドクスに使えないだろうなあ。毎日眺めている鏡の中の自分の顔は何十年も変わらないように見えるのだけれど。

※右サイド「短歌写真」に控えめにアップロードしておいた。このおっちょこちょいは一生治らぬな。

| | コメント (0)

辛夷@うつくしやお国自慢の花辛夷

Photo_107 うつくしやお国自慢の花辛夷

辛夷はきれいで可憐で清々しい花だ。また、花辛夷という言葉も句につくりやすい(何にでもつく→例えば「懐かしや友の便りの花辛夷」即吟。あ、こっちの方がええやんか)。夕辛夷とひねってもいいしなあ。それはともかく、今年は辛夷と桜とを同時に観られそうだ。

 辛夷咲く村に一人の万医者      水原春郎
 わが山河まだ見尽さず花辛夷    相馬遷子
 辛夷咲く生まれた町へ途中下車   北原武巳
 性愛や夜も真白き花辛夷      岩淵喜代子

岩淵喜代子について稔典さんは「この作者は、自然とのかかわりを性愛的な濃密さとして感受しているのだろう」と評している。自然も性愛もいのち(エロス)の現れである。
他の例句も読みたい方は「曇る日に小さく咲けり花辛夷」へどうぞ。

| | コメント (0)

春風@恋唄のひとつふたつも春の風

Photo_106 恋唄のひとつふたつも春の風

「や」ではなく「も」にしたから句にふくらみが出たように思う(誰も言うてくれへんから自分で言う)。春風が心地よく感じられる季節になった。汗もかかず寒さに震えもせず、一年で一番いい季節だ。
ちなみに参考記事発見→歌手・前川清(57)がオーナーで、ヒット曲「恋唄」から名付けられたコイウタは、自身の所有馬として初のG1レース3着入賞を果たした。前川は「いいレースをしてくれました。『ほんの短い夢でもとても幸せだった』という歌詞通りの気分です」と満足そう。芸能人オーナーとして54年ぶりのクラシック制覇はならなかったが、勝ち馬との差はわずか。最後の直線での見せ場も十分だった。

春風やロングブーツと短足と」「春風のやうに逝きたしジョギングす」「座右銘春風駘蕩台東区」で例句を引き尽くした感もあるが、こんな時には稔典さんのサイトを検索してみよう。

 人来ては春風に腰掛ける椅子       満田春日
 春風やウィトゲンシュタインイナバウア   内山章代
 春の風スフィンクスのひとかけら      中田美子
 洗はれし章魚だらしなく春の風       鈴木真砂女

稔典さんによると、子規は百年以内に俳句は亡びると思っていたらしい。どっこい、俳句は生きている。イナバウアまで出来るのだ。次回は春風でもっとシュールに挑戦しよう。

| | コメント (0)

木の芽@青春に帰る空あり桜の芽

Photo_105 青春に帰る空あり桜の芽

「木の芽」→「桜の芽」で一句と鋭意努力したがこの程度である。写生しつつ取り合わせという路線(例:「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」子規)の句を得たいのだが、単なる取り合わせになってしまうのが、いまのところの俺の技量か。

 あけぼのゝ白き雨ふる木の芽かな  日野草城
 思ひ出すことみな愉し芽木の山    瀬戸内寂聴
 日暮まで噴水の音桜の芽       館野豊
 木の芽時スーツ一つに安んじて    星野早苗

館野豊の句を稔典さんは、作者の思いの露な表現がないから。思いは光景に転換されているのだと評している。思いを引っ込めれば景が出て来て、思いは光景に転換される(寄物沈思)ということだ。理屈はわかったが。

| | コメント (0)

2007年3月24日 (土)

流氷@流氷やごつんごつんと一人旅

Photo_104 流氷やごつんごつんと一人旅

オホーツクは流氷の季節だ。一度見てみたいとは思うけれど、寒いし遠いし、どうかなあ。俳句を得られるのだったらカメラ片手に安いツアーで行くかもしれぬ。
ところでこの句、「ごつんごつん」が詩になっていないだろうな、多分。

 流氷や宗谷の門波荒れやまず    山口誓子
 漁師みな貧し流氷沖へ去り     岡部六弥太
 流氷の離れむとして渚あり      岸田稚魚
 流氷来はがねの風をさきがけて   草村素子

でも、いい句が得られそうにもなさそう。この季語は難しい。

| | コメント (2)

蜆汁@蜆汁深川寓居遺影妻

これもだいぶ以前の漢字俳句。蜆汁の季節まで待っていたものだ。

 蜆汁深川寓居遺影妻

遺影妻は秀句「遺影妻春や雲公してくるよ」永田耕衣から頂戴した。漢字だけで虚構を構成するという品の無いことをやっているので、秀句を汚しはしまいかと恐れている。

 蜆汁生涯ふたりの箸揃へ      淵脇 護

 ほんの少し家賃下りぬ蜆汁     渡辺水巴
 世のつねの浮き沈みとや蜆汁   鈴木真砂女
 この顔に秋かぜ馴寄る蜆汁     天野 忠

「蜆汁」は生活観と詩情を感じさせる季語だ。もう少し人生に習練したら使ってみよう。あ、天野忠の句は季重なりだけれど明らかに秋の句であった。

| | コメント (0)

春の闇@観音の色香に惑ふ春の闇

真鶴の中川一政美術館のロビーで観音様の写真かなにかを見たときに、上五中七が浮 Photo_266 かんだ。

 観音の色香に惑ふ春の闇

そうすると後は季語だが、「をみなとはかかるものかも春の闇」日野草城から頂戴して完成した。「春の闇」がなまぐさくなる季節まで在庫していたものである。

 千里より一里が遠き春の闇   飯田龍太
 灯をともす指の間の春の闇   高浜虚子
 鍵穴の指に触れたり春の闇   連 宏子
 寝返れば秒音とまる春の闇   楠本憲吉

龍太はエロティックな「春の闇」を上品に昇華させ、かつ、志を感じさせる句に仕立てている。俳句はいのち(エロス)であり志であると思う。俺の句は志以前に惑っているのだが。

※画像は真鶴町立中川一政美術館から勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

2007年3月23日 (金)

自分のブログの検索方法

左サイドバーにYAHOO!検索/このサイト内検索を置いているのだけれど、こいつの性能がいまいちだ(余分な検索結果とか、ヒットしないとか)。Photo_103
そこで、最近はYAHOO!ブログ検索でサイト名(ユニークならば一部で可)を付加して検索するようにしている。たとえば、森光子の句を俺は引いたなあと検索したくなったら、YAHOO!ブログ検索で「森光子 思索と短歌」とやると一発で出てくるのである。Googleでは出来ないだろうザマア見ろと思ってやってみたらGoogleブログ検索でも出て来た、残念。ご参考になれば嬉しく。

 つぎに逢ふ日は今日より老いむ夕辛夷   森光子
 ヘタクソな中島みゆき夕辛夷         土曜日

| | コメント (0)

椿@面影や庭にひともと八重椿

Photo_102 面影や庭にひともと八重椿

句の中味はなんにも無い。要するに、面影と八重椿だけだ。というのも、この写真、たまたまきれいに撮れているから句をくっつけて俳句写真として公開したかったのである。こんなときに「面影や」とやれば句がつくれそうだ。しかしやっぱりこのような句作は邪道のように思う。

 椿咲く銀河のなかに銀河あり     五島高資
 椿めきてひもじきこゑを洩らしけり  仁藤さくら
 落椿告白といふ快感も         大倉郁子
 藪椿母との距離を少しとり       小田涼子

例句は全部、e船団(坪内稔典チームと呼称してもいいだろう)から引いた。「銀河」句について稔典さんは「銀河のなかに銀河あり」という表現と、「椿咲く」が組み合わされたとき、自然の大きさや深さに届いたのだと激賞されているが、「椿」と「銀河」の取り合わせに俺は少々ついていけない。でも、飯島晴子ほど難解でもなく面白いことは面白い。「ひもじきこゑ」句も「告白快感」句(これが一番)も面白い。いのち=エロスを詠うひとつの形だと思う。

| | コメント (4)

鶯@鶯の撮れて嬉しき散歩かな

Photo_100 鶯の撮れて嬉しき散歩かな

鶯色した小鳥は鶯だろう。しかし、樹木の中に潜んで容易に姿を現さない鳥を初心者俺がカメラに収めることがあっていいんだろうか。それに裸木に止まっているのもおかしい。
いや、鶯なんだ。信じよう。信仰は真実に優先するのだ。

 鶯や虚子忌の虚子の墓に来て      小林篤子
 鶯に聞き惚れて世に遅れだす       篠崎圭介
 うぐいすの匂うがごときのどぼとけ   橋本夢道
 鴬に蔵をつめたくしておかむ       飯島晴子

飯島晴子ほど難解にしなくてもいいから、もっと発想の枠を拡げたい。句作の楽しみはそこにある。鶯の咽喉仏裂き見てみたし。

| | コメント (0)

クロッカス@ガレージを仕切る一列クロッカス

Photo_98 ガレージを仕切る一列クロッカス

朝の散歩(一応、減量Walking)は愛用機を首からぶら下げての散歩だ。そして何かいい被写体は無いかときょろきょろしながらである。Photo_99
昨日は他人様の家の庭にクロッカスを見つけた。クロッカスの札を挿してくれているのでそれとわかった。そうか、これがクロッカスかと花音痴は嬉しくなってシャッターを切った(右の写真)。しばらく行くと駐車場の仕切りにクロッカス(多分)を使った家があった。これを撮ったのが上の写真である。
挙動不審人物ありと通報されないよう、なるべく小奇麗に品格をもって歩きたい。

 クロッカス倖せといふ日の射して      玉木春夫
 日が射してもうクロッカス咲く時分      高野素十
 クロッカス黄色まず咲き佳き世であれ   和知喜八
 サフランや映画はきのう人を殺め      宇多喜代子

「クロッカスはサフランのギリシア名であるが、園芸上では、春先に咲く鑑賞用のものををクロッカス、秋咲きの薬用種をサフランと呼んでいる」(わたしの俳句歳時記)だそうだ。
ところで、クロッカスといえば寺山修司「きみが歌うクロッカスの歌も新しき家具の一つに数えむとする 」を思う。これで俺もこの歌を字面ではなく内容を伴って鑑賞できるようになった。

| | コメント (0)

2007年3月22日 (木)

たひらかに生きる楽しみ直帰して夕刊見つつビールを飲めば

Photo_97 たひらかに生きる楽しみ直帰して夕刊見つつビールを飲めば

もうこんなこともすっかり昔話になりつつある。
そういえば、九十三歳で天寿を全うした富安風生が八十一歳の時に「この世に“思い残すことはない”などと語る人の言葉をきくと、何かそらぞらしく、ウソをついているなと思えてならんのです。(中略)自分自身のために、死ぬるまで、明日を待ち楽しむ気持で、一日一日の命を大事にしたいというだけの事です。」との言葉を残しているそうだ。

一期一会、一日一日の命=楽しみである。

| | コメント (0)

花人@一輪に皆花人や歩道橋

Photo_95 一輪に皆花人や歩道橋

もう一枚、写真があるので、今度は花人(花見客よりカッコいい)でもう一句。これで今日の花見はお仕舞い。

 花人のかへり来る星の真下かな  前田普羅
 花人や夕月仰ぐこと知らず     大場白水郎

「桜人」という言い方もある。これも使えそうだ。
ところで、「花見」でもう一句、例句を。

 観桜や昭和生れの老人と      三橋敏雄

そうなんだよね。俺もまもなく「昭和生れの老人」と呼ばれるようになる。

※訂正→「一輪に皆花人の歩道橋」。切ったらアカンということだ。

| | コメント (0)

花見@一輪が咲けばたちまち花見かな

Photo_94 一輪が咲けばたちまち花見かな

多摩の桜が咲いた。桜の芽を撮りに行ったらもう綻んでいたのだ。写真を撮って句を付けて春が来た。

 骸骨の上を粧ふて花見哉     鬼貫
 年寄の一つ年とる花見して   平畑静塔
 女拗ねて先に戻りし桜狩    潮原みつる
 観桜の蛤御門開けてあり    後藤比奈夫

さて、あと何回、花見できるかなあ。千年も万年も生きたいものだ。

| | コメント (0)

日永@永き日や手に職もなくカント読む

Photo_93 永き日や手に職もなくカント読む

ウソとまでは言わないが若干の誇張あり。というのは、「純粋理性批判」などは読まない(読めない)からだ。哲学原典ムツカシイから嫌い、わかりやすい入門書大好きだ。
ちなみに原典で読んだのは、「善の研究」「西田幾多郎哲学論集」「論理哲学論考」「エティカ」だけだ。

 永き日を囀りたらぬひばりかな      芭蕉
 永き日の飢へさゑも生いくさなすな  中村草田男
 永き日やみな憂ひもつ患者の目    古賀まり子
 鶏のどこかへ行きて日の永き     下村槐太

槐太の「どこかへ」がやや言い過ぎ。つまり、そこには若さが出ていて、自己を直接は出していない不器男の句の方が老成度が高いと稔典さんが評している。不器男の句については俺の「読む本は俳句本ばかり永き日や」を参照。
俳句は自分を隠して自己を表現する詩である。この点、ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」(善と悪とは主体によってはじめて登場する。そして主体は世界に属さない。それは世界の限界である。)の世界を連想させる。

| | コメント (2)

連翹@うつむいて今年さみしい花連翹

Photo_92 うつむいて今年さみしい花連翹

今年は(暖冬のせいだろうか)花が少ないように思う。例年はもっと眩しいぐらいの黄色なのに。そこで、口語句とした。ちなみに、この花は以前から名前を(俺でも)知っていた。たまたま近くに咲くからだ。

 連翹やかくれ住むとにあらねども  久保田万太郎
 遠くゐて連翹の黄と思ひをり      森 澄雄
 行き過ぎて尚連翹の花明り       中村汀女
 連翹に月のほのめく籬かな       日野草城
 基督は鬱にあらずやいたちぐさ   星野麥丘人

草城の句の「籬」は「まがき」と読む(調べて判った)。連翹の句は伝統的な叙景・人事句が多く、俺にとってはちょっと難しかった。そこで口語で逃げたようなところもある。「いたちぐさ」という異称もあるようで、星野麥丘人はそれを使ったもの。「花連翹」としてもいいように思うのだが。

※ダメだ。文字が一字(「う」)写真の横に回りこんでしまう。クソッタレエ。→画像を80%指定から85%指定に変えてOK。どうしてかはよくわからないが。

| | コメント (0)

雪柳@雪柳触れてちひさき愛ひとつ

Photo_85 雪柳触れてちひさき愛ひとつ

初案「雪柳あまた愛人咲き誇る」→微修正「地球上全部愛だよ雪柳」→大転換して本句となった。泰二さんの俳句クリニック受診のおかげである。「雪柳花をこぼして泣く涙」に続く二句目となった。

 月うるむ地にただようて雪柳   石原八束
 雪柳花みちて影やはらかき    沢木欣一
 いつのまに月光なりし雪柳    多田裕計

ぐっとくる句はあまり無かった。雪柳は詠いにくい花かもしれない。花のイメージ(雪)が強すぎるせいかなあ。

| | コメント (0)

2007年3月21日 (水)

語るな、取り合わせよ

泰二の俳句教室でクリニックを受けて、自分なりに考えた。それは
Photo_107
(1)一番言いたいことは言わない。ほのめかす色気がニクイのだ。

(2)写生も基本は取り合わせ。取り合わせで写生するのが(俺にとっては)やりやすいということに気づいた。「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」子規も取り合わせの句(柿と法隆寺)だということを、坪内稔典「柿喰ふ子規の俳句作法」に教えてもらった。

ということだ。成果は明朝に、あんまり期待しないでね。

| | コメント (0)

杜鵑花@さつき咲く乙女のごとき早春に

Photo_83 さつき咲く乙女のごとき早春に

昨日、見つけた実景だ。これはどう見てもさつきだろう(花音痴の俺のことだから一抹の不安はあるが)。さつき(夏の季語)は、一般のつつじより遅く、皐月(陰暦5月)に咲くツツジから「さつきつつじ」略して「さつき」と呼ばれる(わたしの俳句歳時記)というのに、どうしたことだろう。やっぱり暖冬、それどころか異常気象ではないだろうか。

ところで、つつじとさつきの見分け方は、つつじは葉が大きいのに対してさつきは葉が小さいということだと思っている。サツキはツツジ属の樹木に含まれるひとつの種であって、「躑躅(つつじ)」と「皐月(さつき)」に明確な違いがあるわけではありません。ツツジ類は春に咲く種が多い中、五月(旧暦なので太陽暦の6月頃に相当)に咲くものを「皐月」と呼ぶようになったものと考えられますとの説もあるが、間違っていたら教えて下さい。

 さつき先づ濡れそぼち芝濡れにけり    桂 信子
 さつき散る咲きたるままの明るさに    金谷ひろ子
 満開のさつき水面に照るごとし       杉田久女Photo_84

ところで、右の写真の花も咲いていた。これも、さつきかつつじなのだろうか(クリックすると拡大画像が見られます)。

 花音痴カメラに引かれ花を知る名前知らずば歌にもできず

| | コメント (0)

涅槃西風@生かされてまた生きてゐる彼岸西風

Photo_82 生かされてまた生きてゐる彼岸西風

今日は彼岸の中日。そこで、わたしの俳句歳時記から転載させて貰う。
【涅槃西風】 ねはんにし
涅槃会(陰暦2月15日)の前後に一週間ほど吹きつづく柔らかな西風。俗に西方浄土からの迎え風という。時期的に春の彼岸の頃に当たり「彼岸西風」ともいう。

今頃に柔らかな西風が吹くのかどうか不案内だが、(ちょっと抹香臭いけど)使ってみたい季語だった。西方浄土からの風に生かされて、そしてまた、生きているのである。ちなみに、貝寄風(かいよせ)という大阪ローカルの季節風もある。

 オムレツの腰がきまらぬ涅槃西風   坂本敏子
 涅槃西風駱駝ゆつくり足を折る      鈴木智子
 舟べりに鱗の乾く涅槃西風         桂 信子
 人はみな泣いて生まるる涅槃西風    曽根久順

例によって俺の句は観念的だ。物に即して観念や叙情を詠え。たとえば「生かされて卵割ってる彼岸西風」というのも面白いのだから。

| | コメント (2)

2007年3月20日 (火)

愛といふ不可思議なもの胸に抱き喧騒の街今日も歩めり

Photo_80 愛といふ不可思議なもの胸に抱き喧騒の街今日も歩めり

短歌旧作を短歌写真にぼちぼちと転換中。

| | コメント (0)

桃の花、三句

Photo_78 大空は青いカンバス桃ひらく
ワンクリック一円寄付す桃の花
人間はもともと善意桃の花

俳句写真を手がけるようになってから、草木花を取り上げることが多くなった。梅、木瓜、沈丁花、菫、黄水仙そして桜である(これまでの句を思い出しつつ挙げてみた(記憶喚起力チェックのつもり)。
描写を写真に頼りがちになるという弊害はあるが、他方で、世界が拡がるという素晴らしいメリットもある。なにせ沈丁花も碌に気づかなかった鈍感だったのだから。

 ふだん着でふだんの心桃の花   細見綾子
 百姓に今夜も桃の花盛り      永田耕衣
 桃の花死んでいることもう忘れ   鳴戸奈菜
 人間へ塩振るあそび桃の花     あざ蓉子

細見綾子の句には四十代の頃、上野さち子「女性俳句の世界」で出会った。一読して「ああ、これが平常心ということだ」と感じ入って、人に吹聴したことがある。平明でわかりやすい句の代表的作品だと思う。

一方、あざ蓉子の句に関して、稔典さんが「優れた俳句の条件の1つは、難解性という微量の毒を持つことではないか」と書いている(リンク参照)。なるほど「難解性という微量の毒」に痺れる。してみると俺が目指すところは、平明な叙情性に微量の毒をトッピングしたものかと思いつつある。毒があるからこそ、味わいも快楽もあるのだ。死んだり病気になったりしない範囲で毒を楽しみたい。

ところで、「ワンクリック一円寄付す桃の花」は「クリックで救える命がある」ボタン(左のサイドバー参照)に題材をとったもの。今週の日経俳壇の句「ユニセフに僅かな寄金鳥雲に」(東京 赤荻周平)からヒントを頂戴した。この「クリックで救える命がある」ボタンは企業に銭を使わせて俺の腹は痛まない仕組みなので、愛用クリックしている。

| | コメント (2)

風光る@故郷の空の遠きよ風光る

Photo_77 故郷の空の遠きよ風光る

俳句王国で主宰(片山由美子さんだったと思う)が、「この季語は難しい。なんにでも付くけれど」という意味のことをおっしゃっていた。まだ難しさをようく理解してはいないと思うが「風光るブラウスの人小走りに」に続く二句目である。

 風光るとほき海ほど紺色に    牧ひでを
 風光るゴッホの霊と交信す    森山卓郎
 風ひからせて斧を振る男かな  福田甲子雄
 風光る馬上の少女口緊めて   長嶺千晶

季語が難しい云々以前に、具体的な事物で景を描くことを修得せねばならぬなあ。結局は自分の感動の質を高めるということに帰着するのかもしれない。「わあ、きれい」ではそのへんの××さんと変わりがないのだ。

| | コメント (0)

木蓮@悲の恋も童話のごとく紫木蓮

Photo_76 悲の恋も童話のごとく紫木蓮

紫木蓮は白木蓮に遅れて咲くことを(この歳になってようやく)知った。知識は人生を豊かにすると実感している。でも、ようく見ると紫木蓮はそんなに美しい花ではないように思う。花は遠くにありて思う存在となったということか。

 咲くために死んで生れた姉 白木蓮   宗左近
 白木蓮に純白という翳りあり      能村登四郎
 紫木蓮白い柩がふと過ぎる       国武十六夜
 木蓮や母の声音の若さ憂し       草間時彦

官能的で、かつ黄泉の匂いを感じさせる木蓮。俺にも「白木蓮まだ覚めやらぬ青き恋」「生きてゐる白木蓮も青空も」駄句あり。
ちなみに「戒名は真砂女でよろし紫木蓮」鈴木真砂女から「戒名は名無しの権兵衛紫木蓮」という句を拝借した。剽窃そのものであるが自分では気に入っているので胸中にのみ秘めておく。戒名お布施は並で20万円が相場と聞いたことがある。

| | コメント (2)

2007年3月19日 (月)

日永@読む本は俳句本ばかり永き日や

Photo_75 読む本は俳句本ばかり永き日や

読書が片寄ってしまった。もともと小説を読む根気はないし、哲学もスピノザで一丁あがりの気分だし、短歌は湿っているのがイヤだし、俳句がすっきり爽やか、短くてよろし。

 永き日のにはとり柵を越えにけり   芝不器男
 永き日やあくびうつして分れ行く    夏目漱石
 永き日や何の奇もなき妻の顔     日野草城
 いづれのおほんときにや日永かな  久保田万太郎

芝不器男の句は「柵のなかにいる青年の脱出願望の句」と稔典さんが名句鑑賞されている。人間は常に柵の中にあり、そこから脱出したいのだ。

| | コメント (2)

チューリップ@どんな時も遊び忘れずちゅうりっぷ

Photo_74 どんな時も遊び忘れずちゅうりっぷ

鬱病の人間に「頑張れよ」は禁句。「のんびりせえよ」もプレッシャーになるかもしれない。「あんた遊びなはれ、酒も飲みなはれ。あんたが日本一の落語家になるためやったらウチはどんな苦労でもします」は後半がダメ。要するに鬱につけるクスリはないのだ。放っとけと鬱の経験者は思う。

 路線バス運転席にチューリップ    作者不詳
 弾丸は蜂心臓はチューリップ     塩見恵介
 鉛筆で書く音静かチューリップ     星野立子
 チューリップ買うて五分の遅刻して  岡田順子

いかんなあ、俺の句には具体的情景が無い。観念句は親の敵なり。

| | コメント (0)

踏青@青き踏む写真俳句の小詩人

Photo_73 青き踏む写真俳句の小詩人

「冬薔薇や賞与劣りし一詩人」草間時彦を意識しながら(謙遜して?)小詩人である。志は高く視線は低く前を行く女性のスカートに目を配ることを怠らないのが小詩人の魂だ。

 青き踏む生まなくなつた女たち  早乙女わらび
 青き踏む怒りは踵より抜けて   鷹羽狩行
 踏青や鳥のごとくに顔下げて   三橋敏雄
 意思弱き男青きを踏みにけり   鈴木真砂女

真砂女の句は「男なら男になれよ青き踏む」でも引いたけれど、意志薄弱男の勝負の歌だと解釈している。この季語、好きだ。

| | コメント (0)

2007年3月18日 (日)

雛罌粟@人に美醜恋に貴賎や虞美人草

Photo_72 人に美醜恋に貴賎や虞美人草

あ、またやっちゃったよ。「雛罌粟」は夏の季語ではないか。
でも今現に咲いているのだからこれは歳時記がおかしい。しかし「花期は5~6月頃、白、赤、ピンク、紫という美しい色合いで薄紙でつくられたような花が、ヒョロ長い茎の頂に咲く」わたしの俳句歳時記とあるから、やっぱり夏か。わが宿のポピーがおかしいのか。
ちなみに実は(恥ずかしながら)ポピー=雛罌粟=虞美人草という等式を俺は知らなかったのだ。

 陽に倦みてひな罌栗いよよくれなゐに   木下夕爾
 紙よりも素直に吹かれ虞美人草      山川能舞
 ポピー咲く帽子が好きで旅好きで     岡本眸
 ひなげしの花びらを吹きかむりたる   高野素十

雛罌粟と言えば「ああ皐月(さつき)仏蘭西(ふらんす)の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟」与謝野晶子。稔典さんが「命の衝動のままに行動し、そしてその行動に責任を持つことが晶子の多産な活力につながった」と晶子を評されている。

 デジカメと俳句のお陰雛罌粟をポピーのことと覚えけるかも

| | コメント (0)

春@サーフィンの若者の群れ伊豆の春

Photo_71 サーフィンの若者の群れ伊豆の春

伊豆伊東高原まで吟行。写真は途中の網代から熱海方向を眺めた風景である。サーファーを見かけたのはもう少し下田方向に走った宇佐美近辺だ。走行中のため写真撮れず。Uターンして撮るまでの根性も無い。
ちなみに、いつも通り過ぎるだけの赤根碕の高級ホテルが分譲マンションに改装中だった。まことに、人の世は有為転変である。

 春はあけぼのなんとなく妻でゐる  鳥居真里子
 黒板の春の波音消さないで      寺田良治
 掻き分けて掻き分けている春の指  小倉喜郎
 ラケットで春の空気をたたきけり   野月寛紀

意識的に稔典さんのサイトから例句を引かせてもらった。このようにモダンでシュールで平明で叙情を感じさせる句を俺は得たい。ところで「掻き分けて」句のリンクはクリック必見(特に男性)。

| | コメント (0)

土筆@野にひかり土にいのちやつくしんぼ

Photo_70 野にひかり土にいのちやつくしんぼ

「つくしんぼ網代漁港の公園に」見つけた。小さな春だ。萌え出づる春の先駆けでもある。「早春摘んで、土筆和えにしたり、佃煮・酢の物などにして食べる」とわたしの俳句歳時記にあるけど、あんまり食べたことはないなあ。苦いのは嫌いだ。(性格と同じく)甘いのを好むと言いたいが、甘いのも苦手。肥満の大敵でもある。

 摘んで煮てああ一口のつくしんぼ   岡部六弥太
 まゝ事の飯もおさいも土筆かな     星野立子
 せせらぎや駆けだしさうに土筆生ふ  秋元不死男
 土筆なつかし一銭玉の生きゐし日   加藤楸邨

「駆けだしさうに」という比喩が巧みだ。動詞を使って土筆を詠うべきだったか。ところで、土筆の花言葉は「驚き」だそうだ。成程と思う。そうか、驚きの比喩で土筆は使えるぞ、と思ったら先行事例あり→「留守番の胸のドキドキつくしんぼ」やのかよこ

| | コメント (2)

2007年3月17日 (土)

沈丁花@沈丁花愛の予感の回路閉づ

Photo_69 沈丁花愛の予感の回路閉づ

ある日ある時、沈丁花から「愛の予感」がぱっと閃いた。オチ(下五)をどうするかだなあ、と暫し愚考して本句となった。だから全くの虚構句である。問題は生活実感があるか否かだ。そこが詩になっているかとどうかの分かれ道である。しかし、この点については作者は何も語り得ない。
沈丁の眠らぬ夜も老隣」「恋愛はオペラですまそう沈丁花」「沈丁花気分はいつも一夜妻」(いつも気分は→気分はいつも)に比べると本句の方が格段に出来がいいと自己評価してはいるのだが。

 沈丁や並び坐りて遠きひと      渡辺喜久子
 沈丁や気おくれしつつ案内乞ふ   星野立子
 万の蕾が鏡中に澄む沈丁花     柴田白葉女
 沈丁の香やさざなみの水たまり   木津柳芽

たしかに沈丁花は「万の蕾」だし、その香りと「さざなみの水たまり」との配合は絶妙である。写生しつつ人事(人の心)をさらりと詠んでいる、そんな句に憧れるのである。この点、俺は遠く及ばない。 

| | コメント (0)

春炬燵@仕舞うてもまた出してくる春炬燵

Photo_68 仕舞うてもまた出してくる春炬燵

どうということのない句だ。当たり前のことを句にして何が面白いのだ、アホウなどと思いつつ、いや、生活記録として値打ちがあるのですなどと言い訳しながら出した。写真俳句はこういう弊害があると自分ながら思う。一回目だから今日は許せ。おお、ホリエモンは一回目なのに執行猶予がつかなかった。(裁判所も含め)世間は冷たい。そして、ホリエモンも昨日の報道ステーションの様子を見ると、世間に訴えて勝とうとしている。アホやなあ。世間にアピールしようとすると裁判所はより頑なになるだけなのに。

 小説の女に惚れて春炬燵       原 赤松子
 またもとの三人にかへり春炬燵   五十嵐播水
 子へ送る荷をちょっと置く春炬燵   松永典子
 春炬燵あの世に一番近き席      伊藤頼史

リンクのある句は稔典さんのサイトから引いた。発想をちょっと広げると春炬燵ではいろんな句がつくれると思う。なにせ生活の本拠なのだから。ちなみに掲題句は「冷え性の妻の沈黙春炬燵」に続き二句目。あまり進歩してないなあ。

| | コメント (0)

春の風邪

Photo_67 咽喉腫れて夕空晴れて春の風邪

数日前から風邪を引いている。俺の風邪はたいてい咽喉にきて、扁桃腺が腫れるのだ。熱も鼻水も出ないけど、咽喉が熱っぽく気持ちがワルイ。昨日、医者に診てもらい薬を処方してもらったから、そのうち納まるだろう。
ところで、春の風邪は「円安が居心地のよし春の風邪」に続き二句目。今回はほんとうの風邪だ。株の風邪はまだ治るまで数週間かかるだろう。サブプライムローン問題などとつまらぬことを騒いで売り方が儲けている。昨日は日本の銀行株まで下げた。アメリカが下げて下がるは属国の株。

 よくもなくわるくもなくて春の風邪       下田実花
最近、稔典さんのサイトを見つけた。上のリンクのある句はそこから引いたものだ。モダンな現代的な句が多く見つかる。また、一日一句、新しい句が読めるので毎日拝見している。モダンでシュールな象徴詩、十年経ったら俺はひねっているだろう(あ、言うてもた)。

| | コメント (0)

2007年3月16日 (金)

国民が納得する将来の日本の姿とは

今朝の日経から自民党津島雄二氏の言葉を記録しておこう。Photo_718

(首相らは若手と懇談するのに)我々ベテランにはなかなか声がかからない。「日本は国民に安心を与える美しい国というメッセージが不足している」というのが国会に長くいた者の共通項。参院選までに国民が納得する将来の日本の姿を示してほしい。

「美しい国」は(俺が想像するに)「愛国」主義的改憲(実は売国対米従属改憲)を具体的に持ち出すための美辞麗句にすぎない。それが証拠にあのハゲタカファンドの走狗と言われた八城政基氏でさえも、「美しい国」は抽象的すぎて目標にならない。具体的な目標を掲げよと発言している。だから、安倍ちゃんはこれ以上、具体化することが出来ない。

それを知ってか知らずか津島派は揺さぶりをかけているのだろう。具体化できるならあんたがやってみな。

ちなみに、日本の最大の売りは「清潔・安全・自由かつ公正」これ以上のこと(例えば平等、過剰な弱者保護)を求めるのは強欲であり怪我のもとだ。グローバルなパワーゲーム、経済競争の下で「清潔・安全・自由かつ公正」をより徹底して勝ち抜き個人の豊かさを維持拡大することが将来の日本の姿だと思う。しつこいけれど、対立軸は国家(実は売国対米従属)vs個人(自由)だよ、明確化せよ小沢君。

| | コメント (0)

春の雲@駄句ひねり惰眠むさぼる春の雲

Photo_66 駄句ひねり惰眠むさぼる春の雲

初案「俳句詠み」だったが「惰眠」と「だ」の音韻を合わせるべく「駄句ひねり」とした。その分、句の品格が落ちるが、もともと品格というほどのものを持ち合わせていないのだから構わない。春の雲はゆったりと空に浮かびいつのまにか消えるのである。

 春の雲なんだか楽に死ねそうな    小林夏冬
 春の雲ほうつと白く過去遠く      富安風生
 
春の雲白くかたまり離任の日     阪本謙二
 春の雲よりノンちゃんの声聞こゆ   金子 敦

ほんと、空をあんまり見なかった。これからはデジカメと共に空を雲をしよっちゅう眺めるだろう、ノンちゃん。

| | コメント (0)

椿@わが宿に椿咲いたり大島の

Photo_64 わが宿に椿咲いたり大島の

前厄、本厄、後厄と連続して入院したことがある。本厄、後厄は十二指腸潰瘍だったが、前厄は右腕の骨折だった。伊豆大島に椿を見に行ったところ、椿に見とれて石段を踏み外し転んで、(俺のこの体重を右腕が支え切れず)骨折したものだ。入院期間は二週間ぐらいだったか。
写真の椿はこの大島行で骨折前に無償頂戴したものだ。今年は咲かないかと思っていたところ、咲いてくれたのでこうして全世界に向けて発信することが出来る。わが四十代の記念すべき花だ。

 老いながらつばきとなつて踊りけり   三橋鷹女
 うつし世に浄土の椿咲くすがた     水原秋櫻子
 一生のふとしたことに白椿        大坪重治
 笠へぽつとり椿だつた         種田山頭火

山頭火の句は幻想を詠んだものではなかったか。椿は真下に落ちるものだから、椿の真下に山頭火はいたことになる。 いずれにせよ、花には様々の記憶や幻想が伴うのが人生だ。

ちなみに、一昨日のプール体重は84.6→84.0。春になったので燃焼量が増えたせいか85キロの壁をようやく突破した。厄年の頃の俺はどのぐらいだったのだろう。今より相当スリムだったのは確実である。

| | コメント (0)

亀鳴く@亀鳴くや二十一世紀も七年目

21 亀鳴くや二十一世紀も七年目

「亀鳴く」は不思議な季語だ。亀の鳴き声を聞いた人はどれだけいるのだろうか、そもそも、亀って鳴くのだろうか。この疑問に答えるべくわたしの俳句歳時記から転載させて貰う。

亀は鳴かないと言われているが、藤原為家の和歌「川越のをちの田中の夕闇に何ぞと聞けば亀のなくなる」(夫木集)により、古くから季題として興がられてきた。 春の夕に聞こえてくる声・音を何ぞと疑問に思いながら季語としたところが一種の俳諧的な趣味となる。

ということで、春の出所不明の音・声を「亀鳴く」とすればよいということになる。掲題句は、写真の池で亀を撮りたかった(居る筈)のだが、なかなか出てこなかったのでマンションとの取り合わせで代替したものである。

 亀鳴くや事と違ひし志           安住敦
 つぶやきを亀に移して鳴かせけり   鈴木真砂女
 真実はうつくしからず亀鳴けり      阪本謙二
 亀鳴かしすぎるぞ諸君俳兄よ     岩下四十雀

このように叱られるぐらいあちこちで亀は鳴いているのだ。それが聞こえぬあなたが可哀想だと俺は思うのである。

| | コメント (0)

2007年3月15日 (木)

なぜ北は崩壊しないか(反米反共人民戦線を)

アメリカが「金融制裁一部解除へ」
ところが北・金桂官外務次官は「米国はすべて解除すると約束したので見守っている」と発言し全面解除のはずだとアメリカを牽制している(今朝の日経)。たしか合法なものだけ解除という合意だったと記憶しているが、そんなことは瑣末な話だ。

結局、中国が北朝鮮をアメリカとの外交の交渉道具に使っているだけではないのだろうか。だから、中国にとって北朝鮮は無くてはならない国だ。金王朝をどうしても崩壊させないといけない状況になったら最終的には台湾「解放」とバーターにする魂胆もあるだろう。
他方、アメリカにとっては、北があるお陰で日本国民から沖縄を返せという声が湧き上がらないという利益を享受している。沖縄の基地は中国の喉もとに突きつけた匕首(ナイフ)。アメリカの利益を守るためには沖縄の基地の存在は不可欠だ。

こうして、沖縄も北朝鮮もそして韓国も日本も中米のパワーゲームの材料にされている(という見方が成立する)。では、拉致問題解決(すなわち金王朝の崩壊)のためにどうすればよいのか。

可能かどうかを別にして論理的には中米に対抗する第三の軸をつくる以外には無い。日本単独では第三の軸になりにくいから、例えば韓国、ロシアあるいはASEAN諸国との共同歩調だろう。

それが出来るか、安倍ちゃん。拉致問題解決のためには対米独立を果たすしか無いけど、そんな気は毛頭無いだろう。日本の国家主義者(右翼)といってもこの程度、つまりは売国右翼ということだ。つくろう左翼アジア反米反共人民戦線を

| | コメント (0)

「泰二の俳句教室」をリンクしました

「俳句を作って三十年。もう一つの趣味は、虫の写真撮影。それから、麻雀。」というプロフィルの方のブログに出会って、早速「毎日が逍遥日」にリンクした。前の記事で紹介したかたつむりの交尾のページがあるブログだ。俳句について批評・感想を頂くこともできるけれど、人見知りな俺は逡巡している。

| | コメント (0)

鳥の恋@自分史は嫌ひな言葉恋雀

Photo_63 自分史は嫌ひな言葉恋雀

枝に止まった雀を撮れた写真もあるのだが、鳥の恋に格好の被写体なのでこちらの写真にした。
自分史は嫌いだけれど、ブログを書きたい見せたい読んで欲しいアクセスカウント上がって欲しい自己顕示欲の塊である。この季語の句は「鳥の恋うるさき声の人ばかり」に続く二句目である。

 独り居て鳥交る日の口渇く    小谷伸子
 鳥交る荒々しきは美しき     今井杏太郎
 鳥交る大河の空の白ぐもり    高橋悦男
 悶々と交る雀の宙世界      石塚友二

写真の腕が上がって交尾を撮れるようになれるだろうか。根気は多少の自信はあるが根性は無いからなア。

ちなみに、かたつむりの交尾と耕衣の句とを楽しめるページに出会った。わが師と呼ばせて頂いたら作者はお叱りになるだろう。

| | コメント (2)

菫@誰がために菫咲けるや泣くのやら

Photo_62 誰がために菫咲けるや泣くのやら

菫の例句をもっと引きたい(「自裁せし女性俳人花すみれ」参照)思惑でいささか無理筋でつくった。だから歌謡曲俳句になっていはせぬかと気懸かりである。「生活実感を感じ取れるか否かが評価の分かれ目」と自分で書いたばかりだ。そこのあなた、実感を感じられる?

 すみれ雨泣きて還らぬものばかり  折笠美秋 
 すみれ籠ひそかに修す忌日あり    草間時彦
 すみれ野に罪あるごとく来て二人   鈴木真砂女
 「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク  川崎展宏

折笠美秋はALS(筋委縮性側索硬化症)を闘い抜いて55歳で他界した俳人である。「春暁や足で涙のぬぐえざる」という切々たる句(他の句は現代俳句データベースの作者検索で参照できる)がある。 
ヨモツヒラサカ(黄泉比良坂)は、古事記にある黄泉(よみ)の国と現世との境界のことで特攻出撃した戦艦大和からの電報という仮想の想定句だ。
「菫」はいのちの季語であることがこれでよくわかった。

| | コメント (0)

春の朝@春の朝カメラ初心に景を切る

Photo_61 春の朝カメラ初心に景を切る

カメラと俳句は景を切り取るという点で共通するものがありそうだ。
一方、俳句の三要素(俺のオリジナル)は、メロディ(思想=言いたいこと)・リズム(韻律)・和音(詩=喩)である。
とすれば、写真の三要素は、メロディ(思想=被写体)・リズム(動き、躍動感、静止感)・和音(構図=俳句でいうところの取り合わせ)ではなかろうか。
とにかくもまあ屁理屈が好きな男だと自覚はあるのである。

 庭見んとし給ひし母や春の朝    長谷川かな女
 襟垢にひんやり触れぬ春の朝    斎藤白雲堂

この季語の句は比較的少ない(と思う)。例句は手元の歳時記から引いた。わたしの俳句歳時記はこの季語を「春暁」でまとめているが、感覚はちょっと違う。暁はまだ暗く、朝は既に明け切っているのである。俺の句は平凡な説明句。「景を切る」だけが取り柄だ(たいした取り柄にあらず)。

| | コメント (0)

2007年3月14日 (水)

桜@初老なり早寝早起早桜

Photo_58 初老なり早寝早起早桜

日曜に小田原フラワーセンターに吟行してきた。温室やドームがあって、行った時はちょうど洋蘭展をやっていた。花苗木の即売などもやっていて名前勉強用の写真も撮ってきた。写真はそこにあるおかめ桜(フジザクラと緋寒桜のかけあわせだそうだ)である。寒が少し戻ってはいるが、花は間近だ。Photo_59

 押し合うて海を桜のこゑわたる   川崎展宏
 山又山山桜又山桜          阿波野青畝
 さくらしべ降る歳月の上にかな   草間時彦
 夕ざくら見上ぐる顔も昏れにけり  桂 信子

花の咲く前の桜木に花を見ることも花見だそうだ。達人は見えない花を見ることができるのである。

| | コメント (0)

ミモザ@今日一日無口な夫婦花ミモザ

Photo_57 今日一日無口な夫婦花ミモザ

実は(何を隠そう)この花の名前を知らなかった。アカシアだという説もあったが色々調べて遂にミモザだということが判った。
ところが、ミモザをネット検索すると「フサアカシア、ギンヨウアカシアなどのマメ科アカシア属花卉の俗称。イギリスで、南フランスから輸入されるフサアカシアの切花を"mimosa"と呼んだ事から」とあって、ミモザは「本来はマメ科の植物であるオジキソウを指すラテン語名」だそうだ。だから、歳時記でもミモザ(春)とミモザ(夏)とが区別されていて、前者は銀葉アカシア(これが一般的な呼称のようだ)を、後者はオジギソウ(含羞草)を指すとされている。
そうすると俺の本句はどちらを指すか不分明だなあ(写真俳句だからいいけれど)。しかし、ミモザと言えば銀葉アカシアとすべきだろう。オジギソウには含羞草、眠草という素敵な文字があるのだから。

 水割りの水にミモザの花雫       草間時彦
 磯庭園ミモザは黄金の花を生む    堀口星眠
 ミモーザの花の下にて海青き      山口青邨
 逢ふたびのミモザの花の遠げむり   後藤比奈夫

ミモザはちょっとバタくさくてロマンチックな味がする。ミモザという名のカクテルもあるそうだ。映画「逢いびき」はラフマニノフのピアノ協奏曲2番をタイトル音楽にした名画であった。

| | コメント (0)

沈丁花@モジュール式俳句の奨め

Photo_55 沈丁花いつも気分は一夜妻

「沈丁花○○○○○○○一夜妻」の○を埋めて俳句を完成させよ。例→「なにごとも夢」「今宵限りの」「妻に内緒の」などなど、いくらでも出来そうだ。しかし、これではあまりに俳句を馬鹿にしてはいまいか。そこで、気分直しの次の一句。

Photo_56 振り返る沈丁の香にさそはれて

初案「香りして振り返るとき沈丁花」だった。推敲して良くしたつもりだけれど、あれえ、改悪したかなあ。

 深追いの恋はすまじき沈丁花     芳村うつぎ
 部屋部屋のうすくらがりや沈丁花    桂 信子
 沈丁の匂ふくらがりばかりかな     石原八束
 沈丁に水そそぎをり憂鬱日       三橋鷹女

芳村うつぎの句は、
句の中身は演歌に近いが、かろうじて沈丁花に救われて「俳句」になったと清水哲男に評されているが、生活実感を感じ取れるか否かが評価の分かれ目だろう。つまり、俳句かどうかは読者の問題ということである。ああ、俺の句はどうかなあ。

| | コメント (0)

2007年3月13日 (火)

唐獅子木瓜の歌

Photo_54 木瓜守る獅子の居りたり健さんの唐獅子牡丹観し日々遠く

俳句写真吟行で絵になりそうな獅子をみつけた。これを句にしようとしたけれど難航。そこでしようがないから無理筋で短歌にしたのが上の歌だ。

「木瓜守る獅子の居りたり健さんの」までは「唐獅子牡丹」に導くための序詞(じょことば)であると後付けでカッコつける。ちなみに、もっとちゃんとした序詞使用例は佐佐木幸綱の次の秀吟である。

 ゆく水の飛沫き渦巻き裂けて鳴る一本の川、お前を抱く

言いたいことは「お前を抱く」だけであって、それ以前は「お前」を導くための序詞である。短歌は運動場が広いからこんなことができる。俳句では難しい。

ところで、高倉健を織り込んで夏の季語の句ができてしまった。まことに句歌のネットワークは面白いとひとりよがっている。

| | コメント (0)

木瓜@夫愛し妻が水やる盆の木瓜

Photo_53 夫愛し妻が水やる盆の木瓜

ご近所の庭の盆栽コレクションを撮っていると奥さんが洗濯干しで出てこられた。
「すみません、撮らせてもらってます」「いいですよ、どうぞ」「きれいな花ですね」「木瓜ですか」「ええ。ご主人が丹精されているんでしょうね」「ええ、まあ。水をやっているのは私なんですけど」「そうですか」
という会話からこの句を得た。

 木瓜の朱へ這いつつ寄れば家人泣く     西東三鬼
 木瓜紅しすべての骨が老い初めて     三谷 昭
 紅貝を重ねしままに木瓜の花        福田蓼汀
 木瓜の荷を解く紅白や植木市       水原秋桜子

なんか老年の男の句ばかりみたいだ。木瓜は老年男の花か。俳句は全て象徴詩として鑑賞できるのである。

| | コメント (0)

菫@自裁せし女性俳人花すみれ

Photo_51 自裁せし女性俳人花すみれ

この俳人は「梅が香を今朝も呼吸す生きてをり」で触れた飯島晴子(享年79歳)のことだ。これがきっかけで興味を持って「飯島晴子読本」を図書館から借りてきた。虚子の花鳥諷詠とは隔絶した手法をとる俳人(前衛俳人と言っていいだろう)だが、「寒晴やあはれ舞妓の背の高き」という具象的な句もある。最後の作品(絶句)は「丹田に力を入れて浮いて来い」だ。Photo_52

 山路きて何やらゆかしすみれ草    芭蕉
 菫つめばちひさき春のこころかな    暁台
 菫程な小さき人に生れたし      夏目漱石
 足もとの劣情の白すみれかな    飯島晴子

まだまだ引きたい佳句がある。そのためには俺が菫の句をつくらねばならぬ。薔薇よりも菫を愛す初老かな。

| | コメント (0)

沈丁花の二句

Photo_49 恋愛はオペラですまそう沈丁花

沈丁花という名前は、香木の沈香のような良い匂いがあり、丁子(ちょうじ、クローブ)のような花をつける木、という意味でつけられたそうだ(クローブの花蕾は釘に似た形をしているため、中国では釘を意味する「丁香」「丁字」の文字があてられ、フランス語では釘を意味する Clou と呼ばれ、英語の Clove もこれを語源とするそうだ)。
つまりは、釘のような形をした良い匂いの花ということである。

Photo_50 沈丁の眠らぬ夜も老隣

初案イメージ「中年や夜も匂へる沈丁花」だったが、これは明らかに「中年や遠くみのれる夜の桃」の剽窃なのでさすがに採れなかった。

それはともかく、俳句のお陰でカメラのお陰で、身近にあった沈丁花の香と花に気づくことができた。目の前のもの全てが見えるのではない。人間は、見ようとするもののみを見ることができるのである。すなわち、存在が認識を規定するのではなく、認識が存在を規定する(天動説から地動説へ、カントのコペルニクス的転換)のである。

 沈丁やをんなにはある憂鬱日        三橋鷹女
 沈丁にすこし開けおく夜の障子       有働 亨
 ぬかあめにぬるゝ丁字の香なりけり   久保田万太郎
 沈丁や夜でなければ逢へぬひと     五所平之助

リハリビスト 波平の日記が「部屋の中では妄想に近いような妖しい雰囲気」として沈丁花の他の句を引いているので更に興味のある方はどうぞ。また、「夜道を歩いていて、よその庭から匂つてくるのはなんとも言えない」とわたしの俳句歳時記も書いている。

| | コメント (0)

2007年3月12日 (月)

安倍ピンポケ内閣を野党は一致協力して叩け

昨日の日経朝刊コラム風見鶏「メッセージは届くか」に面白い指摘があったので記録しておく。小泉政権の改革メッセージは明確(郵政民営化実現への鬼気迫る姿、官から民への姿勢)だったこととの対比という文脈で政策研究大学大学院竹中治堅助教授の次の指摘が引かれている。

「安倍首相がわかりにくいと言われるのは、あまりにも多くの政策を打ち出し過ぎているからではないか」
「例えば、質の高い公教育こそ究極の格差対策なんだ、と言えばピンとくると思う」

これはその通りだと思う。現状は、言うならば安倍ピンボケ内閣なんだ。だから安倍内閣がそれに気づき焦点を格差対策としての教育充実に絞ってくるとこれは手強くなる。もっとも、ピンポケにならざるを得ない自公内部事情(改革疲れ、政策不一致、総理の指導力不足)もあるけれど。

あの郵政選挙結果に明らかなように無党派浮動票は世論操作と情で動く。そして、対米従属強化九条改悪を阻止するためには参院選で自公を大負けさせることが必須である。だから、安倍内閣が焦点を絞り切れないでいる今のうちに野党は一致協力して安倍ちゃんを叩け。いつまでも蚊帳の外で俺たちは正しいと言い張る共産党のアホウめ。

ところで投票は情で動く。情を動かすためには華が必要。丸山某(自民党からカネ貰ってるだろうテメエ)の撹乱工作に惑わされないためにも、華を見せてよ浅野都知事候補殿

| | コメント (0)

チューリップ@チューリップ化粧上手を買ひに行く

Photo_48 チューリップ化粧上手を買ひに行く

こどもの頃はチューリップが好きだった。絵を描けと言われたら下手糞なチューリップばかり描いていた記憶がある。長じてからは、薔薇を愛し、紫陽花を好み(なだらかにつづく坂なり飽かずしてのぼりて行かむアヂサヰの花)、菜の花の平凡を愛でるようになった。以上全て、花のハナシである。

 入学の子はチューリップの他画かず   吉野義子
 チューリップ喜びだけを持つてゐる    細見綾子
 それぞれにうかぶ宙ありチューリップ   皆吉爽雨
 チューリップ或る日或る刻老い易く     三橋鷹女

俺みたいな子供もいるんだと気を安らかにした。そしてまた、老境に見るチューリップなど、さまざまの花にさまざま心あり。

| | コメント (0)

黄水仙@情薄き母を想へり黄水仙

Photo_47 情薄き母を想へり黄水仙

亡母の句は「熱燗や喉骨太き母拾ふ」に続き二句目である。「情薄き」というよりは「情強き」人だった。老人は加齢とともに穏やかに丸くなるというのはウソである。いのち惜しむということはわが身を愛しむということなのだから。そんなことも含めて毎日俺は亡母のことを思っている(妹よ)。

 貧しさが人を遠くす黄水仙     伊藤由紀子
 水を飲み汽車の食卓黄水仙    中西舗土
 黄水仙雀はいつも遊び好き    星野麥丘人
 卓上に家庭百科と黄水仙      遠藤梧逸

ちなみに黄水仙は手元の歳時記に「南ヨーロッパ原産の江戸時代渡来した多年草」とあるから水仙(日本水仙)とは同じスイセン属でも異なる品種のようだ。咲く時期も違うし。

| | コメント (0)

パンジー@遊蝶花訪ふ人のなき玄関に

Photo_45 遊蝶花訪ふ人のなき玄関に

パンジーの名はフランス語で「思想」「思い」のPansee(パンセ)に由来しているそうだ。そして別名「遊蝶花」(蝶が舞う姿に似ている)でもあることを今回知った。そこで一句となった。

 三色菫コップに活けて退職す     菖蒲あや
 パンジーの仔熊の顔に似たりけり   森田 峠
 ことごとく風の虜や遊蝶花       岡本 眸
 遊蝶花春は素朴に始まれり     水原秋桜子

「退職」はぴったりの取り合わせであるし、「仔熊の顔」「風の虜」は素敵な比喩だし、「素朴」というのも的確な形容だ。それにひきかえ、俺の句は単なる散文に近いなあ。精進。

| | コメント (0)

2007年3月11日 (日)

長閑@のどけしや学校近き団地の子

Photo_44 のどけしや学校近き団地の子

朝Walkですれ違った子供たちを後ろから撮った(前から撮ると被写体が反応してしまうから)。その後で句を考えた。「団地の子」が浮かび、「あいつら学校が近いもんなあ」と思い、歳時記で「長閑→のどけし」を見つけて本句となった。しっかり勉強せえよ。いじめをするなよ、いじめに立ち向かえよ。

 長閑さや浅間のけぶり昼の月     一茶
 長閑さや垣の外行く薬売り      夏目漱石
 長閑さや出支度すれば女客       素丸
 のどかさに寝てしまひけり草の上  松根東洋城

素丸は、「溝口 素丸(みぞぐち そまる)。正徳三年(1713)~寛政七年(1795)江戸の人。幕府に仕え、御書院番を勤めた。俳諧を馬光に学んで、師の前号素丸を継ぎ、素堂以来の俳系を継承して葛飾蕉門と称した。」と俳諧ホームページに教えて頂いた。のどかな陽気に惹かれて遊びに行こうとしたら「女客」が来たぞという情景に俳味がある。俳句は二重性(矛盾、表と裏、建前と本音その他)の文芸であるとどこかに(草田男)あったように思う。

| | コメント (0)

木瓜@軍ありて戦なき世の木瓜の花

Photo_43 軍ありて戦なき世の木瓜の花

写生を試みた。「緋の色を垣根に添へて木瓜の花」「貴婦人の緋色まとへる木瓜の花」→あかんわ。そこで、取り合わせ(二物衝撃)に方針変更して本句を得た。平和木瓜でもいいのだ。中東に世界に平和を。

 無防備に吾は老いたり木瓜の花   竹内椙子
 口ごたへすまじと思ふ木瓜の花    星野立子
 アパートの外階段や木瓜の雨     神田綾美
 木瓜白し老い母老いし父を守り    有働 亨

実は(恥ずかしながら)木瓜の花をしっかり認識していなかったが、もう大丈夫だ。俺は眼の快楽をひとつ増やした。

| | コメント (2)

木蓮@白木蓮の二句

Photo_42 白木蓮まだ覚めやらぬ青き恋
生きてゐる白木蓮も青空も

写真に撮ってから句を考えた。初案「木蓮のひたすら仰ぐ空青し」だったが、ひねりが無く全く面白くない。そこで「白木蓮まだ覚めやらぬ青き恋」としたけれど中七「まだ覚めやらぬ」に手垢がついているように感じた。そこで「生きてゐる白木蓮も青空も」とした。
ところが、数日後在庫を覗くと「青き恋」も悪くはないと思うようになった。かくして二句ともに生かすこととした。どちらがいいだろうか。どっちもアカンか。

 木蓮のため無傷なる空となる   細見綾子
 木蓮の風のなげきはただ高く   中村草田男
 紫木蓮くらき生家に靴脱ぐも    角川源義
 戒名は真砂女でよろし紫木蓮   鈴木真砂女

木蓮の白は清廉ですがすがしく、紫ははんなり色気がある。そしてどの木蓮にも悲しみが潜んでいる。 

| | コメント (0)

2007年3月10日 (土)

カメラオヤジ注意報の歌

Photo_38 花マップ脳につくりて町を行く終ひの住処となりたる町を
生まれ来しからにはせめて花の名を覚えて逝かん春たける頃

カメラぶら下げて近辺を徘徊しているので、そのうち警察に通報されるかもしれぬ。できるだけ身奇麗な格好でいることが肝要なりと言い聞かせてはいるのだが。

| | コメント (0)

苺@しあはせに苺ならべて妻の顔

Photo_37 しあはせに苺ならべて妻の顔

食卓に苺が置かれた途端、これは俳句写真になると閃いた。初案「食卓に苺ならぶや人の幸」としたのだが、つまらぬ月並み。そこで「しあはせに苺ならべて」とひねったけれど下五に詰まる。さあどうしよう困ったときは小道具妻と、妻を登場させて本句となった。
この句、善意に読めば善意に、悪意にとれば皮肉に読める。さてどちらだろうか。

 ただ苺つぶし食べあふそれでよし   中村汀女
 いちご熟す去年の此頃病みたりし   正岡子規
 いつからか抱かるることなし苺噛む  江川貞代
 今つぶすいちごや白き過去未来    西東三鬼

幸せも不幸も悲しみも喜びも苺の味である。そして、時間に現在は無い。現在は一瞬にして過去となるのだ。

ああ、夏の季語ではないか。写真まで用意したから今更止まらぬが、句をつくったら歳時記ぐらい引いておけ。

| | コメント (2)

春の暮@童謡の混声合唱春の暮

東京混声合唱団演奏の童謡(「夕焼け小焼け」など)をテレビで観て涙ぐんでしまった。

 童謡の混声合唱春の暮

郷愁というのだろうか。何か具体的な思い出があるのではないが懐かしくて泣いてしまうのだ。その感動を俳句にしようとしてもこの程度である。しようがないからこのビデオを永久保存にして推敲の種とする。

 ふる雨のおのづから春夕かな    久保田万太郎
 傾城のうすき眉毛や春の暮      松瀬青々
 雪つけし飛騨の国見ゆ春の夕    前田普羅
 春夕べ襖に手かけ母来給ふ     石田波郷

「春の暮」を「春暮るる」と動詞形にしたのだけれど、よかったかなあ。「暮の春」(春のまさに果てようとするの意)の意味になってはしまわぬかと歳時記を引けばまさにその通りであった。季語を変えるよりは、句を直すことにした。

| | コメント (0)

桜@新築のマンションの空早桜

Photo_36  新築のマンションの空早桜

真鶴や河津桜に波の寄す」に続いて二句目の桜だ。デジカメを首からぶら下げ朝Walkの途次に桜をみつけた。カメラのおかげでちょっぴり眼が変化したと思う。

 早咲きの桜見つける散歩道カメラ始めて眼の変化せり

しかし、俳句にするのには(安易な俺にしては)結構苦吟した。写真は不出来(もっと花をクローズアップするべき)俳句もいまいち(動詞が無いから立体感に欠ける)である。

 さまざまの事おもひ出す桜かな     芭蕉
 天地をわが宿として桜かな       長谷川櫂
 ごはんつぶよく噛んでゐて桜咲く   桂 信子
 二十五の指のしめりや夕ざくら    竹久夢二

芭蕉の句は名句だ。「生涯の感慨尽くす桜の句」である。
長谷川櫂は師匠候補の一人たる俳人だ。
「俳句的生活」(俳句の切れ字の切れ味や、凄みということを強調との評ブログあり。俺にも脳の左半球は「言葉の意味」、右半球は「言葉の風味」との引用あり)、「一億人の俳句入門」(「循環する時間」について引用する蕎麦屋さんのブログあり)の著者である。

桜の名句はまだまだ沢山あり(参考:現代俳句データベースに引かれている数は120句)。これらを引くためにも桜及び花の句を俺はひねる。いよいよシーズン間近である。

| | コメント (0)

2007年3月 9日 (金)

男は血管、女は筋骨

昨日の日経夕刊「あすへの話題」のタイトルである。筆者は東京都老人総合研究所副所長鈴木隆雄氏という方で、高齢期要介護になる原因の数字をあげていらしたので記録しておく。

男性では圧倒的に「脳卒中」が多く四割以上、これに対して女性の「脳卒中」は二割ほど、かわって「高齢による衰弱・虚弱」「転倒・骨折」「関節疾患」が約半数とのことだ。だから「男は血管、女は筋骨」というコラムのタイトルとなっている。

そこで鈴木氏は「男性は中年期から血圧に注意し、禁煙に励み、適正体重の維持によって血管を若々しく保つことが重要」と書いている。おお、俺にぴったりやんかア。
また「一方女性は特に閉経以降、衰えやすい足腰の筋肉や骨の健康に特段の配慮が必要」とのことだ。そして「男女高齢にして仲良く運動せよ」とコラムを結んでいる。

ということで、短歌が出来てしまった。
Photo_34 仕事出来ず会社にも居られず退職し残る人生いのちに励む

| | コメント (2)

鞦韆@ブランコの誰も漕がぬに揺れてをり

Photo_33  ブランコの誰も漕がぬに揺れてをり

昨日の朝Walkでブランコを見かけて、これは被写体になると思い撮った。揺れている状態が面白そうなので、俺が揺すぶった上で撮ったものだ。俳句はこの写真に後付けで付けたもので、俳句写真の楽しみはこんなところにもあることを実感した。

 鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし      三橋鷹女
 鞦韆に腰かけて読む手紙かな      星野立子
 鞦韆を父へ漕ぎ寄り母へしりぞき   橋本多佳子
 ふらここのきりこきりこときんぽうげ   鈴木詮子

女性俳人の句ばかりとなってしまった。ブランコは女心をくすぐるのかもしれない。

| | コメント (2)

猫の恋@改憲も護憲もいらぬ猫の恋

「猫の恋」で無理矢理気味にひねった句だ。Photo_717

 改憲も護憲もいらぬ猫の恋

ところで、従軍慰安婦問題。昨日の夕方のぶらさがり取材に対して安倍総理は「私の発言自体がある意味ねじ曲げられて海外で報道され、それがさらに誤解を拡散させていくという極めて非生産的な状況になっている」との発言をしてこれ以上のコメントを避けていた。これ、ちょっと拙いよ。誤解を生んだらそれを解くのが政治家であるはずだ。憲法を参院選の争点にするからは、もっと慎重に進めないと目標達成できないぞ。
ちなみに、従軍慰安婦が"sex slave"と英語で表現されているのを昨日ニュースの画面で知った。この点だけでも日本と外国との距離は相当にあると思う。

 うかれ猫奇妙に焦げて戻りけり     一茶
 恋猫の恋する猫で押し通す      永田耕衣
 恋猫の皿舐めてすぐ鳴きにゆく    加藤楸邨
 色町や真昼しづかに猫の恋      永井荷風

荷風には他に「行春やゆるむ鼻緒の日和下駄」「葉ざくらや人に知られぬ昼あそび」があるそうだ(増殖する俳句歳時記)。色気を感じた。勉強したくなった。

※写真は米議会で証言する元慰安婦の韓国女性。慰安婦決議、米でクローズアップの背景から勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

春潮@椰子の実も貝殻も乗せ春の潮

「椰子の実」は島崎藤村から頂戴した。Photo_715

 椰子の実も貝殻も乗せ春の潮

ネット検索すると、「椰子の実」は
民俗学者柳田國男が明治31年の夏、伊良湖に1か月余り滞在したとき拾った椰子の実の話を、親友の島崎藤村に語ったところ、それが素材となって椰子の実の叙情詩「名も知らぬ遠き島より流れよる椰子の実ひとつ・・・」が生まれました。
とある。しかし、更にその背景として
自身が姪との不倫の末にフランスに渡った時の寂しい生活の思い出とを重ね合わせて書いたもの
との指摘記事もある。詩歌の背景には作者の様々な事情があるが、いったん形になれば形はそれを濾過することもあると思う。ちなみに、俺は藤村は好きになれないタイプだ。

 春潮の底とどろきの淋しさよ     松本たかし
 春潮に指をぬらして人弔う      橋本多佳子
 春潮のまぶしさ飽かずまぶしめる  中村汀女
 春潮やわが総身に船の汽笛     山口誓子

俺の掲題句は観念だけでつくっているなあと反省しきりである。観念は親の敵なり。
 

| | コメント (0)

薔薇の芽@薔薇の芽や始末のつかぬ恋心

Photo_31 薔薇の芽や始末のつかぬ恋心

写真がいまいちである。しかし、「始末のつかぬ」様子が現れているわいと(甘く)自己評価する俺である。
季語「薔薇の芽」からすっと中七下五が出て来た。ネット句会に出すつもりで在庫していたが、もっといい句(多分)を得たので放出する。
それにしても「始末」という言葉、関西弁では「倹約」という意味もある。言葉とは面白い生き物だ。

 妻のみが働く如し薔薇芽立つ      石田波郷
 薔薇の芽の真紅を洗ふ雨となりぬ   岡田日郎

あんまり、ぐっとくる句がなかった。少女来て垣根に寄れど薔薇芽硬し。

| | コメント (0)

2007年3月 8日 (木)

鶯@夕も啼く鶯いとしニュータウン

Photo_30 このところ、鶯が啼いてくれている。夕方も啼くんだ。

 夕も啼く鶯いとしニュータウン

初案「ニュータウン梅に鶯終ひの里」だったが、ばっさり切って夕方の情景を加えた。俳句は省略とアクセントである(と思う)。

 うぐひすの人より低くなく日かな     一茶
 鴬や前山いよよ雨の中        水原秋桜子
 鶯や障子にうつる水の紋       永井荷風
 鶯や鈴しやんしやんと赤城馬車   鈴木青園

秋桜子の句が格調高い。また、鶯に雨の取り合わせも意外性(アクセント)がある。意外性とは発見のことである、発見を眼に託す春言葉。

| | コメント (0)

春場所@ともかくも春場所が来て朝青龍

日曜日からまた(楽しみな)相撲が始まる。Photo_714

 ともかくも春場所が来て朝青龍

興味はなんといっても朝青龍だ。ちゃんと稽古しているだろうなあと思いつつ検索してみたら、「初場所後はモンゴルに帰国。先月26日までは4日間の日程でモンゴル大統領の訪仏に帯同し、フランスのシラク大統領から激励も受けた。その間、本格的なけいこはしてこなかった」となんとフランスまで行ったんだって。しようがないなあ。星なんか買うなよ。
もうひとつの興味はNHK。中継で八百長については一切触れないだろうと予測している。

 春場所の太鼓に運河光るなり    渡辺亀齢

手元の歳時記に「春場所」は無いけれど、わたしの俳句歳時記にはあった。八百長は無い方がいいけれど、やるんだったらわからんようにしてや。

※画像はデイリースポーツonline朝青龍「V21」に恩師が太鼓判!から勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

春の風邪@円安が居心地のよし春の風邪

ドル高が止まったので相場は落ち着きを取り戻しつつあるようだ。Photo_712

 円安が居心地のよし春の風邪

やっぱり、円安が属国日本にとっては当面は心地がよい。日経平均18000円回復はここ数週間内だろう。
ところで、現在のちょっぴり好景気(大企業中心)は、(1)円安(2)アメリカ、中国の好 調(3)労働ダンピングに理由があると思っている。だから、輸出が堅調なうちに労働保護強化と利上げ(ジジババに預金金利を)によって内需を確かなものにして、デフレ後戻り阻止を確実にすることを経済政策の柱とするべきだ(ドル依存からの脱却等、安倍政権の課題四本柱参照)。
なのにああ、安倍ちゃんのアホウめ、改憲国民投票法案を急ぐなど改憲を参院選の争点にするという一見美しい国愛国主義(実は対米従属強化売国主義)で支持率低下からの脱却を図るつもりのようだ。この経済音痴め。

政治の対立軸は(1)国家vs自由(新左翼の要件参照)と(2)対米従属vs国際主義。小沢民主党にはこの点を浮き彫りにした戦いを期待する。さすれば選挙は勝てる。共産党も選挙協力して勝てば、長期党勢低落からの脱却のチャンスになるのにナア。

 おのが声わすれて久し春の風邪  水原秋桜子

日本が「おのが声」を取り戻して世界の平和のために発言し行動すること。それが長期的に平和と繁栄を保つことにつながる。俺は安穏な老後を送りたいのだ。頼むよ、日本政府そして有権者諸君。

※画像は旗 - 片山工業(株)から勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

2007年3月 7日 (水)

浅野さん、選挙資金の情報公開を

立候補正式表明。これで面白くなったが、注文あり。
というのは、政治資金調達・支出の情報公開だ。

これまで浅野氏は、政党の支持や推薦を受けず出馬する意向を示してきた。しかし会見では「推薦は受けない」と前置きした上で「支援は受けたい」。さらに「選挙に出るからには、支援はあった方がいい」と方向転換した。ということだが、これがちょっとわかりにくい。民主党の金は欲しいけど無党派を維持して票も欲しいということか、と(下衆な俺は)邪推してしまう。

ここは、きっちり得意の情報公開をして、政党からの金、カンパ、自己資金、使い途等を明確にして欲しい。石原現職と差をつけるチャンスでもある。

もし情報公開を表明しているのならゴメン。ともかくも、全ての基礎はカネ。カネがカタキの世の中なのだから。

| | コメント (0)

弥生@したたかに葉牡丹残る弥生かな

Photo_29  したたかに葉牡丹残る弥生かな

「弥生」は「陰暦3月の別称。草木がいやが上に生える「弥(いや)生(お)ひ」の転。春たけなわの候」(わたしの俳句歳時記)なので、ちょっとまだ早い。一方、「葉牡丹」は冬の季語だから、この句は季重なりである。しかし、明らかに春を詠んでいるので問題は無いとしたたかに弁解しておく。でもやっぱり、桜の後に出すべき句であったと反省。

 花咲くといふ静かさの弥生かな    小杉余子
 干物を少し夜干す弥生月       一力多美子
 かなしみに溺れて生くる弥生かな   西島麦南
 母を焼く空は明治の弥生かな     清水基吉

西島麦南は「実篤の「新しき村」運動に賛同し、大正11年(1936)頃まで村建設に従事。戦後、岩波書店に勤務し、校正の達人だった」そうだ。「秋風や殺すにたらぬ人ひとり」という達観の句があることを知った。

| | コメント (0)

鳥雲に@鳥雲につかずはなれず夫婦かな

Photo_28   鳥雲につかずはなれず夫婦かな

「鳥雲に」は「鳥雲に入る」の省略で「春、北方に帰る渡り鳥の群が、雲間遙かに見えなくなることを季語として固定させたもの」(わたしの俳句歳時記)である。
実は空を見上げることがあまり無かったので、この実景を見た記憶も無い。デジカメを得たのでこれからは空を見上げることも多くなるだろう。そしていつか(カメラの腕が上がったら)「鳥雲に入る」決定的瞬間を固定してみたい。
写真は多摩センターのベネッセ(右側)と朝日生命のビル(左側)である。構図のセンスはあると思っている(誰も言うてくれへんから自分で言う)。

 この秋は何で年よる雲に鳥     芭蕉
 大正九年以来われ在り雲に鳥   三橋敏雄
 ひとの子の親のさびしさ鳥雲に   安住 敦
 鳥雲に人みな妻を遺し死す       仝

芭蕉の句は「秋」が季語で、「雲に鳥」は季語ではなく内容である。自然の中の生きものの群れ(社会、家族)における個を感じさせる季語である。また使いたい。

| | コメント (0)

鳥曇@宥しても忘れはしない鳥曇

Photo_26    宥しても忘れはしない鳥曇

昔、職場で「許そう、でも忘れはしない」というキャッチが流行ったことがあった。今思うとこれはスピノザである。すなわち、自然に肯定も否定もYESもNOも無い。およそ、否定は人間の言語が作った人工物なのだから。

 毎日の鞄小脇に鳥曇           富安風生
 振つてみるアフガンの鈴鳥曇      川崎展宏
 海に沿ふ一筋町や鳥曇         高浜虚子
 また職をさがさねばならず鳥ぐもり   安住 敦

鳥曇は哀愁の季語だ。「秋から冬にかけて日本で越冬した渡り鳥が北へ去るころの曇り空。その頃の風を鳥風ともいう」とわたしの俳句歳時記にある。アフガンの戦さ悲しき鳥曇。

| | コメント (0)

2007年3月 6日 (火)

穏やかなニヒリスト@短歌写真

Photo_23 縦長写真に短歌を挿入してブログにアップしたらどうなるかを試してみた。
短歌写真第一号である。でかすぎるか。

| | コメント (0)

湯豆腐や筋の通らぬ恋をして

Photo_22湯豆腐や筋の通らぬ恋をして」俳句旧作から俳句写真に転換した。

| | コメント (0)

春の山@春の山俳句写真を狩に行く

Photo_19 春の山俳句写真を狩に行く

写真があまり春らしくないのが心残りだ。古代、東国の防人が赴任する途中、この峠で故国を親族を振り返り思ったそうだ。

赤駒を 山野に放し 捕りかにて 多摩の横山 徒歩ゆか遣らむ

という防人の妻の歌もある。

 春山のどの道ゆくも濡れてをり     加藤三七子
 まなじりのぬれに見てゐる春の山    菊地一雄
 春の山うしろから煙が出だした      尾崎放哉
 春の山屍を埋めて空しかり        高浜虚子

「春の山のぼりて町を見下ろして慣れぬカメラのシャッターを切る」と我が朝Walkにカメラは必携となった。なにせランニングコスト極微がしぶちんには気に入っているのである。

| | コメント (0)

啓蟄

今日は啓蟄である。

 啓蟄や今朝も色欲浮上せず 
 啓蟄や別れ話も首を出す 

そういえばこのところ全く無いなあと今朝気づいた。ここ半年以内にはあったように思うのだが記憶は定かではない。出るところに出れば大丈夫だろう。
二句目は「牡蠣船にもちこむわかればなしかな」久保田万太郎から頂戴した。性(格)のPhoto_53 不一致だろう、多分。

 啓蟄の世に出たがりの鼻毛かな    山上樹実雄
 啓蟄のこゑ夢の世は夢のなか     阿部誠文
 啓蟄の雲にしたがふ一日かな     加藤楸邨
 啓蟄や敵も味方も供養の碑       角川源義

啓蟄とは「蟄虫(冬眠の虫)が戸を啓いて穴から出る意。春めいてくる頃である」とわたしの俳句歳時記にある。春はいのちが息づく季節であり、人生まことに夢の如きであるが、人生がたった一回こっきりなのも事実である。もう一句、できてもた。

 啓蟄や耳順と云はれる歳となり

満年齢でいくとまだ一年余がある。ああ、素直になりたい。

※画像は鼻毛のごまかし方から勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

春嵐

今年は春の雪は無さそうだが、昨日は春の嵐だった。Photo_711

 春疾風電撃離婚また結婚   
 堕天使に接吻されて春嵐

凶暴化する自然などと言われたりもしているが、やっぱり諸悪の根源は人間による温暖化にあるのだろうか。そういえば相変わらず殺人等陰惨な事件も多い。自然が凶暴化するのなら社会も人間も凶暴化して当然だ。天使ご光臨を待とう。

 大正の男激減す春疾風       三橋敏雄
 春疾風星またたけば星近む    広瀬直人
 春疾風書棚に黒き乱歩集     北 光丘
 音高く硝子戸しめぬ春嵐      野沢節子

※画像は宇多田ヒカル - goo 音楽から勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

2007年3月 5日 (月)

民主党大塚参院議員、なかなかやるやん

図書館から帰って来てテレビを点けたら、民主党大塚参院議員が「上げ潮路線」についてPhoto_709 質問していた。今のちょっぴり好景気は構造改革の成果なんかではないと当たり前の指摘なんだけれど、なかなかやるではないか。略歴をYahoo!みんなの政治 - 大塚 耕平 - 基本情報からコピペしておく。

平成12年 早稲田大学大学院 社会科学研究科博士課程 修了
博士号取得(学術、専門は財政金融論、行財政改革論)
昭和58年 日本銀行 入行(旧営業局)
昭和61年 大阪支店 勤務
昭和61年 旧営業局(現在の信用機構室、金融市場局、考査局)
平成4年 従業員組合執行副委員長
平成5年 システム情報局 副調査役、調査役
平成12年 政策委員会室国会渉外課 調査役
同年12月 日本銀行 退行
現在
国会所属委員会
財政金融委員会・行政監視委員会・憲法調査会
民主党務
参議員政策審議会副会長・参議員国会対策副委員長・税制調査会次長・文化団体局副局長
1998年以降、社団法人・名古屋青年会議所の政策系委員会のアドバイザー。

経済で鋭い質問ができる議員をもっと育成しよう、有権者諸君。

| | コメント (0)

格差問題追及も結構だけれど…

ちょうど今、参院予算委審議中継しているが、野党の格差問題追及が「有るか無いか」 「認めるか認めないか」の観念論に陥っているように思う。
そんなことより、安倍政権の「上げ潮路線」の具体的政策(のエエ加減さ)を追及すべきではないだろうか。

景気がちょっとよくなったのは、輸出好調(アメリカ及びBRICS等新興諸国及び欧州)と労働ダンピングのお陰でしかすぎない。輸出好調な今のうちに内需を盛り上げる手を政府は打つべきだ。その第一番は老後不安・年金不安だ。
Photo_708
極端なことを言えば、ウソでもいいから年金不安を解消するような具体的プランをぶち上げよ。そうすればジジババは銭を使い出す。ジジババの銭で若者の生活確立を。

経済通の安倍ちゃんに俺は期待する!!

| | コメント (0)

春光@外に出ればみんな生きもの春の色

Photo_18  外に出ればみんな生きもの春の色
 
初案「薄紙のひとつ剥がれて春日影」だった。ワルくはないがパンチが無い。それに(ここが肝心)写真に句を挿入するといまひとつマッチしない。また、歳時記を確認すると「春日影」は「春日」と同じ季語とされていて、その隣に「春光」→「春の色」(色めいた春の光線)があるではないか。おお、そうやと思って本句となった。「外にも出よ触るゝばかりに春の月」中村汀女のお陰である(昭和21年、敗戦直後の春の月とのことだ)、

 春光や白髪ふえたる父と会ふ   日野草城
 ひとすぢの春のひかりの厨水    木下夕爾
 胸もとに春光あふれ友を宥す    野沢節子
 春光やさゞ波のごと茶畑あり    森田 峠

例句に「春の色」はない。「外に出ればみんな生きもの春ひかる」かなあ、いや、やっぱり本句のままでいい。

| | コメント (0)

鳥の恋@鳥の恋うるさき声の人ばかり

人間大好き、けれど他人は嫌いである。ああ、この協調性の無さよ。

 鳥の恋うるさき声の人ばかり

「鳥の恋」は「鳥交る」「鳥つるむ」である。「恋」と「つるむ」は大違い、実体は同じだとしても。「鳥の恋」を写真で撮れるようになったら写真俳句にするつもりだが、これを写すには相当の技術が必要だ。俺の寿命と根気が持つか疑問である。

 美しき切手の便り鳥交る     仙入麻紀江
 鳥交る日に一便の滑走路       山川安人
 一人居のおそき朝餉や鳥交る   谷島 菊
 茶を点てて遊べば軒の恋雀    草間時彦

そうか、「恋雀」も「鳥の恋」なんだ。これも一度使ってみたい。
草間時彦は平明で叙情的俳句をつくる人だ。俺は久保田万太郎の句が好きだけれど(「冬菫平明詩人万太郎」参照)草間時彦には勤め人らしい実直な叙情がある。

| | コメント (0)

春風@座右銘春風駘蕩台東区

ネット句会に投句するつもりだったが、もっといい句(のつもり)を得たので在庫から放出する。Photo_52

 座右銘春風駘蕩台東区

漢字俳句である。来年の初参り(毎年浅草寺)に行ったら写真を撮って写真俳句にするつもりだ。

 帰らなんいざ草の庵は春の風     芥川龍之介
 泣いてゆく向ふに母や春の風     中村汀女
 春風に此処はいやだと思って居る  池田澄子
 春風の大阪湾に足垂らす        坪内稔典

芥川の句には「学校(教師)をやめる」と前書がついているそうだ。上の例句は全て現代俳句協会「現代俳句データベース」から引かせてもらった。秋風も春風もよし名句かな。

| | コメント (0)

春@株買えば春続落の下げ相場

NYがまた120ドル下げた。今日の東京も下げるだろう。買いは、大抵の場合、早いのだ。買えない恐怖、買いたい心をどう押さえるか。相場は博打と同じく自分の心との闘いである。でも、(先物ではなく)現物だからずうっと持ってればいい。博打はお家のご法度なり。

 株買えば春続落の下げ相場

「春続落」は「女身仏に春剥落のつづきをり」細見綾子のお陰である。実在のネットワークあれば詩歌のネットワークがある。全てはひとつの網をなしている。そして、唯一の実体は神即自然(スピノザ)と思う今日この頃である。

 相場張り俳句をひねり写真撮る極楽鳥のデジタルライフ

| | コメント (0)

2007年3月 4日 (日)

Wordで出来る写真に俳句の挿入

ひょっとして知らない方もいらっしゃるかもしれないから、小さな親切・大きなお世話。

Wordがあれば次の要領で写真に縦書き句歌を挿入できる。
(1)写真をWord新規文書に挿入
(2)縦書きテキストボックスを写真の適当な場所に挿入し、句歌を書き込む。
(3)写真とテキストボックスを両方選択してコピー。(Shiftキーを押し続けながら選択すれば複数のオブジェクトを連続選択できる)
(4)ペイントの白紙にペーストし、JPGで保存。これで句歌つき写真ファイルが完成。

写真編集用ソフトは不要で、名句と名写真の相乗効果を楽しめる次第だ。こうした手順で過去記事二つを「写真俳句」に変更した。キリがないからこの辺で止めておこう。

| | コメント (4)

花菜漬@花菜漬女の敵は女なる

これは中七下五が先に浮かんで、季語を探してあてはめた句だ。Photo_707

 花菜漬女の敵は女なる

最後は連体形止め。連体形止めは「~かな」の「かな」の省略で余韻をもたらす形と勝手に判断している。「女なり」と言い切るほどの自信は無い。

 人の世をやさしと思ふ花菜漬    後藤比奈夫
 板前のまかなひ飯の花菜漬     鈴木智子
 花菜漬見舞妻また病みて来ず    石田波郷
 幸はしづかに来り花菜漬       小坂順子

後藤比奈夫は俳人後藤夜半の息子さん。関西流の平明で詩情ある句をつくられる。「首長ききりんの上の春の空」は以前に例句として引いた、多分。

※画像は<川久>春の限定品から勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

春の鹿@春鹿に恋心あり乙女子よ

「雄鹿の前吾もあらあらしき息す」橋本多佳子の向うを張るつもりはこれっぽっちも無い。

 春鹿に恋心あり乙女子よ

わりとすんなり浮かんだ句だ。二句切れで下五は「~よ」と呼びかけて終えるという型があるのだと認識した。十七音という狭い天地に、季語と型に導かれて詩情を垂らすのが俳句である。

 世にも清き濡れ眼かなしも春の鹿     森川暁水
 春鹿の眉ある如く人を見し          原 石鼎
 まつさらの闇から生まれ春の鹿       寺田良治
 春の鹿ぽつんと歩きはじめけり       宮崎夕美

「老齢の雄は4月初旬には角が落ちてしまう。雌は秋に妊娠して、5~7月の間に出産する。子を孕んだ雌鹿は、動作が鈍く、脱毛と重なってやつれて哀れにみえる。」とわたしの俳句歳時記にある。手元の歳時記には「孕鹿」が別の項目である。「孕鹿とぼとぼ雨にぬれていく」高浜虚子。

| | コメント (0)

辛夷@曇る日に小さく咲けり花辛夷

Photo_14  曇る日に小さく咲けり花辛夷

初案「曇る日に辛夷小さく咲きにけり」だったが、「にけり」ほどの陳腐大仰な感動でもないので体言止めに直した。辛夷は小さい方が可憐だ。

 花辛夷人なつかしく咲きにけり       松本たかし
 つぎに逢ふ日は今日より老いむ夕辛夷   森光子
 花辛夷空青きまま冷えてきし        長谷川櫂
 辛夷咲き日暮のこころ永くせり       細見綾子

我が多摩ニュータウンには辛夷通りという名の道もある。今朝も(子供みたいに)デジカメぶら下げて歩くのだ。

| | コメント (0)

2007年3月 3日 (土)

俳句写真第一号

Photo_13

遂にデジカメを買ってしまった。上はその記念すべき第一号の写真である。

 雪柳花をこぼして泣く涙

雛の日のいい記念になったとひとり満足しているのである。

結局、購入したのはオリンパスCAMEDIA SP-510UZだった。決め手はPhoto_706
(1)ちゃんとしたファインダーがついていること。これでキヤノン、ソニー、パナソニック、オリンパスに機種が絞られた。
(2)シャッターの位置、形状が適切。パナソニックはこの点で落第。
(3)比較的軽量、安価。これでオリンパスに決定。

対応してくれた店員さんによるとこういう電子式ファインダーのタイプはコンデジとデジ一の中間で中途半端だから売れにくい、自分はデジ一とのこと。率直で気持ちのいい青年だった。俺は率直で中途半端が好きだ。

ところでシャハイ(写俳)かハイシャ(俳写)か。目指すところ「俳写」俳句と写真の組合せ-写俳とも haiku+photo=haisya-俳句写真,photohaikuに倣って、ハイシャにしよう。俺はハイシャになりたい。

 ファインダーありてカメラぞ花杏
 

| | コメント (3)

無料で自費出版できる!

本を作るだけならタダ。著者は原価で自分の本が買える。そしてマーケットがあるから幸Photo_705 運と実力があれば本が売れて儲かる。

こんなうまい話があるのだ。今朝のサタデー日経で見かけてネット検索した。
要するに、WEBパブリッシングというシステムだ。一例→ホンニナル ドットコム

これはいいなあ。いつか俳句+写真で句集を出そう。ついでに死ぬまでに歌集も出しておこう。買った人は俺だけだったりしても。

※画像はホンニナル出版のマーケットから「少年少女のための新編昭和万葉俳句集-昭和二十年八月十五日を詠う」。勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

春の虹@閑暇あり早期退職春の虹

昨日、得た句だ。「新聞の会社人事に名前読む同期の二人昇進したり」とセットで鑑賞しPhoto_704 て頂くとありがたい。

 閑暇あり早期退職春の虹

初案「春の虹早期退職閑暇あり」だった。これは当然、順番を入れ替えて本句とすべきものだ。俺は勤め上げられなかったことを後悔したことはない。ああ、ついでに「リストラの風は冷たしこの宵は二合の酒に酔ひて眠らむ」も申し添えておこう。

 春の虹手紙の母に愛さるる      寺山修司
 野の虹と春田の虹と空に合ふ    水原秋桜子
 乳房やああ身をそらす春の虹   富澤赤黄男
 ふつつりと切れたる春の虹太し   加藤三七子

秋桜子の句は虹の句の名句だ。自然を描写することによって読者は生を感じるのである。しかし、実景なのだろうか。もっとも、そのようなことはどうでもいい。名句は名句だ。

※画像は時計 Dali(ダリ)チリチリ(Chillichilly)|Cool Modern Asiaから勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

雪柳@雪柳花をこぼして泣く涙

「雪柳米粒ほどの涙かな」を後からつくったけれど没。

 雪柳花をこぼして泣く涙

家の前の雪柳が咲き出した。まだ可憐な花がいくつか咲いているだけだけれど、満開になれば文字通り雪の降るようになる。花から女性を連想するのは自然である。

 雪柳花みちて影やはらかき     沢木欣一
 雪柳老の二人に一と間足り     富安風生
 雪柳ふぶくごとくに今を咳く      石田波郷
 雪やなぎ苑をしろくして人死せり   山口誓子

花→生→白→死というのもまた自然だ。死生一如という言葉をいま造語してしまった。
雪柳の写真をどこかから拝借しようと思ったけれど、苦心のお写真ばかりだろうと思って止めた。今日多分デジカメを買ってしまうだろう。

| | コメント (0)

雛@仕組まれて株価は下げる雛祭

昨日、三菱商事を買ってしまった。Photo_703

 仕組まれて株価は下げる雛祭

円高は限定的。従って株安も一時的と見ている。だから、買ってしもうた。資源株人気がまだ続くと見て。やっぱり相場は博打であると思いつつも。

 雛の夜の雛の料理や金田中   久保田万太郎
 仕る手に笛もなし古雛         松本たかし
 目を入るるとき痛からん雛の顔   長谷川櫂
 きぬぎぬのうれひ顔なる雛かな   加藤三七子

加藤三七子という俳人も面白そうだ。上のリンクで引かれている句の他に「天使のごとく娼婦のごとく毛糸編む」という句をネットで見つけた。桃源郷の句であろうか。

※画像は稲取旅館協同組合公式サイト・稲取温泉こらっしぇ|雛のつるし飾りから勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

桃の節句@桃節句女はいつも謎である

雛祭の別名が桃の節句だと歳時記にある。Photo_702

 桃節句女はいつも謎である

「である」が自慢である。「なんである、アイデアル」などというギャグは40代以下には通じないだろうなあ。ワリと気に入っている、この句。

 桃節句湯気と湯の出る魔法瓶    山畑禄郎
 桃の節句獣の舌も桃色に       加藤かけい
 昼空に月あり桃の節句なり      宮津昭彦
 桃の日の襖の中の空気かな     正木ゆう子

最後の句がふんわりした空気が漂っていて快感だ。正木さんは「沖」能村登四郎の門下。能村のあとを継いで現在読売俳壇選者とのことだそうだ。溢れんばかりの詩情を定型の中に圧縮し、句を読んだ読者の意識のなかで溢れさせるという技と評されているが、俺も同感。他に「
水の地球すこしはなれて春の月」というごっついシュール句がある。こういう人に師事するのも一案だ。相手にしてもらえるならば。

※画像は無常のコメディースターだった男 植木 等から勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

2007年3月 2日 (金)

「負け癖」捨て世界で戦え

今朝の日経連載「成長を考える」の八城政基氏の掲題インタビューが面白かった。Photo_701
・世界の共通語たる英語ができない日本人。国際会議で何も主張できず孤立している。
・三角合併解禁は心配不要。日本企業の資本効率は低く米国企業の半分程度。
・日本のメガバンクはダメ。中国からはグローバル金融機関が十年以内に出てくる。
・「美しい国」は抽象的すぎて目標にならない。具体的な目標を掲げよ。

一方、甘利経産相 経団連会長に異例の申し入れ(最低賃金の引き上げと正規雇用の拡大)との報道もある。それ自体は結構だがなんか違和感を感じるのは、政府(権力)が民間に申し入れるという人気取りポーズにある。政府は法律をきちんと執行すること(例:偽装請負摘発)に徹するべきだ。

要するに、内向きなあなあ馴れ合いが諸悪の根源である(内を向いてヒラメを上手に使った人間が出世する構造。護送船団)。総理はいまだに「学力と規範意識を教育で」などと脳天気坊ちゃまだ。

規範は俺がつくる。自立心・自律力こそが教育の目標である。出でよ若者、世界で戦え。俺はお陰で年金で安穏に暮らすのだ。

※画像はNPO法人 JKSK -女性の活力を社会の活力に JKSKインタビューから勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

NYダウ、一時▼209ドル

朝刊一面に大きな記事があった。ちょっとこれはまずいかなと思ったけれど、テレビを見ると大きく戻して結局、▼34ドルでおさまっている。

今朝のテレ東はアメリカ経済先行き懸念を強調していたけれど、アメリカは急激に上げすぎたので、上海株急落をきっかけに調整局面に入っただけだと思う。
どうしても去年の急落を思い出して不安になるのだが、去年の急落は

多くの人がアメリカ経済が停滞するとの懸念から世界的な株安が起こったと考えていると思いますが、私は違うと思います。日本のGW中にG7がありましたが、その時に世界経済不均衡という説が出てきて、これにマーケットが過剰反応してしまったせいだと考えてPhoto_700います。世界経済不均衡をドル安によって調整するのでは、とマーケットは思い、ドルは相当売られて行ってしまいました。

と、藤巻健史さんが去年の6月末に分析した通りだと思う。

ドル急落と石油高騰が無い限り、去年のような長期調整にはならない(つまりはアメリカのインフレが脅威ということ)。
だから、先物には手を出さないが現物は安ければ買う。今日は一昨日と同様に三菱商事買いを安値で指してみる所存。

以上の観点から、当ブログに為替レートを表示することにしました。当ブログを継続的に読めば、得します、俳句も株も為替も。同感だと思われる方はヘッダーのランキングボタンをぼちっとしてやって下さい。

| | コメント (0)

春@春野菜並ぶスーパー吟行す

いったん没にしたけれど思い直して復活させた句。Photo_699

 春野菜並ぶスーパー吟行す

そんなに愚劣ではない。しかしやっぱり詩が無い。けれど、俳句を始めるようになったおかげで前ほど退屈はしない。しっかり見ることから俳句は始まるのだ。

 なにはともあれ山に雨山は春         飯田龍太
 みんなして春の河馬まで行きましょう    坪内稔典
 わが春も春の木馬も傷みたり         中村苑子
 皆行方不明の春に我は在り          永田耕衣

こうしてみると春はいい。春は喜び愁い悲しむ季節だ。春は季語の王様だ。

※画像は野菜の栄養/春の野菜から勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

春の夜@春の夜の春画骨董俳句かな

「春の夜」に「春画」を眺めてみたかった。Photo_698

 春の夜の春画骨董俳句かな

初案「春の夜の春画眺むる涙かな」だった。これでは意味が通じないしひねりもない。そこに「骨董」が来てくれて「春画」と「俳句」をつなげる橋になってくれた。かくしてナンセンス句となったものだ。

 春の夜や浮世絵の虚と実の間     杉 良介
 春の夜や背にまはりたる胃の痛み  久保田万太郎
 春の夜や檸檬に触るる鼻の先     日野草城
 春の夜やむかし悲しき唄ばかり    久保田万太郎

ちょっと逡巡したけれど、えいやっ。Doblog - K-SOHYA POEM BLOG -から絵を勝手拝借してきた。

| | コメント (0)

春泥@酒量落ち寿命延びるや春の泥

「春の泥」は使ってみたい季語だった。Photo_697

 酒量落ち寿命延びるや春の泥

節酒を始めて、酒量が落ちた。焼酎、酒も温かいのを飲むようにしたせいもあるのか、缶ビール一本+お湯割り三杯が限度になった。以前は、その後にオンザロックまで飲んでいたのだ。ちなみに、水曜は節酒我慢がきかない。それ以外の平日は缶ビール一本ですませている。おお、今日は金曜日。今夜一晩の辛抱だ。

 豚の足かくもほつそり春の泥    前田留菜

 曾根崎の昼闌けにけり春の泥   日野草城
 勤めあるごとく家出て春の泥     鷹羽狩行
 軍亡び春泥の道残りたり      榎本冬一郎

この季語は具体的にも抽象的にも使えそうである。象徴として扱えるからだ。

※画像はKIRIN_ニュースリリース_2007.1.10_「キリン のどごし〈生〉」をリニューアルから勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

梅@梅が香を今朝も呼吸す生きてをり

Photo_15 また梅だ。桜よりも梅の句が多くなるような予感がする。

 梅が香を今朝も呼吸す生きてをり

朝Walkのコースをここ数日は変えている。ある公園に梅が数本満開となっていて、紅白の眺めもよく(ああデジカメ欲しや→買ったぞ。俳写にしたぞ。)梅の香もたっぷり吸えるからだ。
この句、上五中七はすっと浮かんだ。問題は下五のオチである。「散歩道」などは月並、ひねって「五十九歳」としても接着しない。そこで「生きてをり」となった次第。
ところで昨日は短歌も得た。

 新聞の会社人事に名前読む同期の二人昇進したり

おかげで昨日の俺の感情はほんのちょっぴりブルーだった。我「生きてをり」。

 しろしろと畠の中の梅一本       阿波野青畝
 紅梅であつたかもしれぬ荒地の橋   飯島晴子
 鑑真の海押しひらき白梅は      国武十六夜
 白梅の万蕾にさすみどりかな      鷹羽狩行

飯島晴子のリンクのサイトは必見(江戸俳句、現代俳句についてデータベース作成しキーワード分析をされている労作)。79歳で自ら命を絶った飯島晴子についても詳細な分析がある。Photo_696
また、別のサイトでは飯島晴子の句について言葉を今までは伝達の手段として使ってきたが、言葉の物体化、すなわち言葉の向うに見えるもう一つの時空に気づいた」という表現に出会った。飯島晴子の句は生活→感情→抽象化→俳句という工程で特に抽象化(物体化化)されているように思う。難解な句が多い中で、わかりやすい句を挙げる。

 人間の善意ぎっしり布団干す

人は事実世界と言語世界(論理世界)とを生きている。それぞれの価値を求めて。

画像はシャガール(恋人達と花束)。Kenの美術館書庫(国内編#1~'98)から勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

2007年3月 1日 (木)

都知事投票の基準(オリンピックと新銀行東京)

浅野なんとかという人が覚悟を決めたようだ。無党派票を集めるべく民主党の支持・推薦Photo_51 は受けないかもしれない。そういう政党がらみの話はいいとして、問題は政策の中味だ。

俺は二点だけで考えたい(他は都庁の優秀な官僚に任せておけばよい)。ひとつはオリンピック、もうひとつは新銀行東京(累積赤字は456億円に膨らみ、投資された1000億円もの都税の半分近くがすでに消滅)だ。
なぜまた東京でオリンピックなのか、それがいまいち分からない。日本でやるんだったら大阪でも福岡でも名古屋でもいいではないか。浅野さんが誘致に賛成か反対か知らないけど説得力ある論理を期待する。
次に、新銀行東京。これはどうするのかなあ。始めたものを急転、止めるわけにも行かないだろう。これまで突っ込んだカネが全くの無駄になるからだ。この件も売却も含めて論理的な処理策を望む。

ようやっと、投票する気分になりつつある。上の二点で浅野vs石原の激突期待。
共産党はリングの外で賢そうな顔をしてなはれ。

ロゴの由来について  新銀行東京から勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

俳句が俺を救ってくれた

昨日の下げ、日経先物をちょびっと買いたい誘惑にかられた。だって、この下げはドル暴Photo_695 落とは結びついておらず、実体経済は好調、だから一過性なんだもん。
しかし、大火傷に懲りた俺は思い止まることができた。
火傷の記憶が新しいこともあるが、思い止まった大きな鍵は俳句だった。

先物で儲けても多寡が知れているのに、相場を張るとザラ場はもちろん、かなりの時間が食われる。そんなことより「折々のうた」を読んだり句をひねったりして安らいだ気分を得る方が快楽が大きい。そう、判断したからだ。

金は要らない。時間と安穏が欲しい。
もっとも、人に金をくれてやるほどの人徳は俺には無い。

 上海を出でて欧州ニューヨーク地球は丸い株価は下がる

人生は誘惑との戦い。誘惑は理性では抑えられない。そこで、誘惑に勝つためにはより大きな誘惑に魅せられることである(原案スピノザ→土曜日翻案)

| | コメント (0)

暖か@暖かやかなしみの歌読むたびに

大岡信「折々のうた」賛歌だ。Photo_694

 暖かやかなしみの歌読むたびに

前にも書いたけれど、このシリーズを全部読もうとしている。大岡信の文章は締りがあって且つ読みやすく、そして勉強になる。朝日は数年前に購読を止めたけれど、「折々のうた」が読めないことだけが残念だ(まだ連載は継続しているのだろうか)。
ところで、「かなしみ」と平仮名にしたのは悲しみ・哀しみ・愛しみと多様な字を想起させたいからだ。「かなし」は素敵な日本語だと思う。

 あたゝかな雨が降るなり枯葎      正岡子規
 暖かや飴の中から桃太郎         川端茅舎
 暖かし赤子は泣いて世に生る      保坂リエ
 ランプ点くたちまち闇のあたたかき   辻 桃子

保坂リエの句がおもしろい。「月の酒そのひまひまのものぐるひ」というシュールな句もある。着想の妙を感じさせる。
辻桃子には秀吟「虚子の忌の大浴場に泳ぐなり」がある。「童子」という結社を主宰されているのか。ちょっと興味が湧いた。あ、見本誌・入会案内を送付依頼してしまった。

※掲題句を「暖かしかなしみの歌読むたびに」に推敲。きっぱりと切れを入れた。
※画像は大岡信フォーラム (om-forum.org)から勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

春日傘@色黒の妻のさしくる春日傘

虚構句だ。Photo_693

 色黒の妻のさしくる春日傘

妻は便利な小道具である。終生独身だった子規も妻の句を詠んでいるそうだ(句を引こうと思って検索したけど出てこない)。掲題句もその手法に倣った。さて、この妻、微笑んでいるだろうか、つんとすましているだろうか。

 春日傘まはすてふこと妻になほ     加倉井秋を
 春日傘ふりむきさうでふりむかず     河原 淑
 持つて出て少し日の欲し春日傘      細井みち
 くたびれて来てたたみたる春日傘    久保田万太郎

この季語もちょっぴり色気がある。春ショール、春袷、春日傘の順かなあ。
万太郎の句は生活感の中に色気が滲む。

※画像は日傘(刺繍日傘)通販は刺繍パラソルコム(価格は、送料とヤマト運輸の代引き 手数料込みで一律 ¥38,000(税込み)だって!)から勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

三月@三月の光の空にズック靴

三月になってしまった。

 三月の光の空にズック靴

恒例の月の句だ。「世間虚仮こけたらあかん十二月」「一月や零の発見印度人」「背中見せ二月は逃げる卑怯者」に続くシリーズだが、三月にしてようやく写生句を得た。従って「三月や決算担当律義者」を在庫から廃棄した。

 いきいきと三月生る雲の奥    飯田龍太
 三月やモナリザを売る石畳    秋元不死男
 三月や水をわけゆく風の筋   久保田万太郎
 三月の甘納豆のうふふふふ    坪内稔典

龍太逝去(2/25。享年86歳)。「(子規の句は)人生の途上であるという姿勢を崩していな い」「最終的な完成に上り詰めたわけでない。見事な心ばえだ」と語っていたそうだ。Photo_692
龍太の句を引く。

 春の鳶寄りわかれては高みつつ
 白梅のあと紅梅の深空あり
 父母の亡き裏口開いて枯木山

俳句とは人生そのもの(生と死)だと思う。人生の途上を毎朝、俺は刻んでいる。写真は1990年の龍太。asahi.com:飯田龍太さん死去 潔さ終生貫く - マイタウン山梨から勝手拝借/感謝です。

※掲題句を「三月や光の空とズック靴」と推敲。切れを入れるべし。

| | コメント (0)

« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »