木の芽@ひと雫枝に残れる木の芽雨
これも写真俳句すなわち写真に撮ってから後付けで句にしたものだ。たしかに写生にはなっているが面白くない。茂吉の言うところの実相観入つまりは魂が入っていないのである。そうか、もっと具体的に言うと、(1)切れが無い(2)季語の説明になってしまっている、ということだ。
やっぱり取り合わせが俳句の持ち味ということだと実感した。「ひと雫」とした瞬間に駄句になってしまったのだ。
ひた急ぐ犬に合ひけり木の芽道 中村草田男
隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな 加藤楸邨
降りてすぐ木の芽が匂ふ新任地 能村研三
芽吹きけりわが胸中の楡の木も 片山由美子
写生する際には対立物の配置を意識すること。犬でも怒涛でも新任地でも胸中の楡でもいいから。「木の芽雨しづかに降れりハナミズキ」でどうだ。




















