« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »

2007年3月

2007年3月31日 (土)

木の芽@ひと雫枝に残れる木の芽雨

Photo_617 ひと雫枝に残れる木の芽雨

これも写真俳句すなわち写真に撮ってから後付けで句にしたものだ。たしかに写生にはなっているが面白くない。茂吉の言うところの実相観入つまりは魂が入っていないのである。そうか、もっと具体的に言うと、(1)切れが無い(2)季語の説明になってしまっている、ということだ。
やっぱり取り合わせが俳句の持ち味ということだと実感した。「ひと雫」とした瞬間に駄句になってしまったのだ。

 ひた急ぐ犬に合ひけり木の芽道      中村草田男
 隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな   加藤楸邨
 降りてすぐ木の芽が匂ふ新任地      能村研三
 芽吹きけりわが胸中の楡の木も      片山由美子

写生する際には対立物の配置を意識すること。犬でも怒涛でも新任地でも胸中の楡でもいいから。「木の芽雨しづかに降れりハナミズキ」でどうだ。

| | コメント (0)

花@どちらまでちょいとそこまで花遍路

Photo_616 どちらまでちょいとそこまで花遍路

俺は基本的には歴史的仮名遣いである。カッコええやんという理由もあるが、「や」「けり」等切れ字を使う以上、現代仮名遣いはそぐわないと思うからだ。だから、切れ字が無かったり、あえて口語にしたい場合には現代仮名遣いになる。つまりは両刀使い、便宜主義ということだ。本句は口語・現代仮名遣いとした。対話調があんまり成功してないようである、残念。

 さびしさや花のあたりのあすならふ  芭蕉
 チチポポと鼓打たうよ花月夜    松本たかし
 人体冷えて東北白い花盛り     金子兜太
 雨音を確かめて出る花の下駄   稲畑廣太郎

稲畑廣太郎稲畑汀子の息子だろう、多分。だから虚子の曾孫ということになる。これで四代目。たいしたものだ。

| | コメント (0)

三月尽@犬の眼に未来見ゆるや三月尽

Photo_615 犬の眼に未来見ゆるや三月尽

最近、朝Walkで近所のオジサンによく出会う(この人、早期退職したんとちゃうかなあ)。いつも犬を連れていて、俺もカメラが嬉しいので撮らせて貰った。犬の瞳がよく撮れていると自己満足。そこで一句とした。季語は三月尽しかないと思う。

 色も音もうしろ姿や弥生尽       蕪村
 弥生尽かもめの骨を砂が埋め   中島※雄(ゴメン。歳時記の字が読めない)

三月尽の例句が引けなかったので弥生尽で代替した。しかし、弥生尽は本来は「春の尽きる日という感慨のこもったことば」とのことで、新暦では四月尽にあたる。新暦の三月尽は年度末という意味合いが強いように思う。

| | コメント (0)

花@すれちがふ顔と顔とや花の雨

Photo_614 すれちがふ顔と顔とや花の雨

「桜」は具象、これに対して「花」は「桜の醸し出す華やかな雰囲気を、より広く、象徴的にとらえるときにふさわしい」(花の歳時記 春)とあり、やや抽象という使い分けをすることを知った。だから、「花」には「花影、花の雨、花の雲、花の宿、……」など多彩なサブ季語があるのだ、なるほど。
さて俺のこの句は「花の雨」の本意をつかまえているか、アカンやろなあ。アカンついでにもう一句→「開幕戦阪神負けて花の雨」。井川の抜けた穴は大きいか?

 雀来て障子にうごく花の影        夏目漱石
 咲き満ちてこぼるる花もなかりけり  高浜虚子
 呼びとめて二人となりぬ花明り    五所
平之助
 花よりもくれなゐうすき乳暈かな    真鍋呉夫

乳暈は「ちがさ」と読む。読み方はわからねど部位はわかる。噛み締めてようく味わうべき象徴詩ということである。

| | コメント (0)

柳@迷ひ路の柳通りに出会ふかな

Photo_613 迷ひ路の柳通りに出会ふかな

これは典型的な写真俳句だ。というのは、写真吟行中に絵になりそうな風景を見つけてカメラで切り取った後に、後付けで俳句を付けたからだ。ほんとうは、春の柳の美しさを写真でもっと表現したいのだが、素人写真の悲しさである。「やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」石川啄木。

 田一枚植て立去る柳かな         芭蕉
 ややしばしけぶりをふくむやなぎ哉   暁台
 瓦斯燈にかたよつて吹く柳かな    正岡子規
 雪どけの中にしだるる柳かな     芥川龍之介

柳は、どうも大きな景の中の柳として詠むことが多いようだ。花は近景(クローズアップ)、柳は近景・中景・遠景(これが三つともあれば風景写真として奥行きが出来てベスト)に配するということか。

| | コメント (0)

2007年3月30日 (金)

掲示板、設置しました

右サイド下方です。最大20件まで表示されます。
公序良俗に反しない範囲でお遊び下さい。

| | コメント (0)

Chobiメールはブログパーツです

Sohyaさんから早速、Chobiメールを頂戴しました。ありがとうございました。

ところで、これはブログパーツといわれるものでココログの機能ではなく、ブログ一般に使えるものです。ブログパーツ CHOBI (ちょび) メール - お手軽♪お気楽♪メール送信フォームサービスに機能紹介・使い方がありますので宜しかったらご参考にして下さい。

| | コメント (0)

「土曜日にひとこと」を設置

土曜日宛のひとことメールが欲しいなあと前々から思っていたところ、今朝見つけたので設置しました。
左サイド「Never Change 9」の下です。Chobiメールというそうです。

| | コメント (0)

蒲公英@タンポポや七歳にして欲情す

Photo_612 タンポポや七歳にして欲情す

初案「タンポポや七歳にして恋を知り」だったが、こういう句は過激がとりえと手直しした。そしてまた、(欲情か初恋か不分明だが)異性を意識するのも七歳ぐらいというのは、「席を同じうせず」と格言がある以上、一般論として正しいと思う。

 たんぽぽや長江濁るとこしなへ      山口青邨
 たんぽぽと小声で言ひてみて一人   星野立子

 顔じゆうを蒲公英にして笑ふなり      橋閒石
 たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ  坪内稔典

昔はあちこちにタンポポがあったように思う。鉄とコンクリートと人工配置樹木の街に住んでいるからなあ。

| | コメント (0)

チューリップ@チューリップ黄色が好きで遊び好き

Photo_611 チューリップ黄色が好きで遊び好き

昔、小学校で映画教室というのがあった(今でもあるのだろうか)。講堂に映写機をセットして映画を見せてくれるのだ。テレビ普及以前の時代だから、視聴覚教育の一環ということだろう。
その映画教室で観た映画「黄色いカラス」(ストーリーはこちら)。主人公の少年はカラスを描くと必ず黄色で着色するのだが、黄色は愛に飢えているというシグナルだということをこの映画で覚えていまだに記憶している。おいおい、五十年以上前のハナシだぜ。いやになってしもうた。

 チューリップ友に三人まりこさん      内田美紗
 チューリップ散る一片はゴッホの耳    有馬朗人
 子の疑問つねに鮮らしチューリップ    大橋敦子
 少しづつみんなわがままチューリップ   佐藤博美

やっぱり俺、チューリップが好きなんだ。わかりやすくてわがままで、ほんにおまえはチューリップ。
チューリップ化粧上手を買ひに行く」「どんな時も遊び忘れずちゅうりっぷ」と例句がだぶらないように引いてある。

| | コメント (0)

花@しぶちんが歳時記を買ふ花の雲

Photo_610 しぶちんが歳時記を買ふ花の雲

遂に俺は決断したのだ。本を買おう、歳時記を買う。いつも立ち読みするばかりのAmazonに注文してしまった。花の歳時記 春冬・新年を(夏は新品の在庫が無かった)。
これも花の名前を覚えたい、綺麗な写真を見たい、佳句に出会いたいの一心である。まことに世は全て花の雲なり。

 花の雲鐘は上野か浅草か     芭蕉
 逢ひにゆく雲抱くやうに花だいて   長谷川双魚
 花あれば西行の日とおもふべし   角川源義
 花の陰あかの他人はなかりけり    一茶

花の例句を引くのは今回が初めてだ。芭蕉の句は芭蕉俳句全集から引いた。俳句の根源は雪月花。俺はいま花をノックしたのだ。西行がドアを開けてくれた。

| | コメント (0)

2007年3月29日 (木)

ココログによいしょ!

今回のココログフリーのバージョンアップで「ココログベーシックとほぼ同様の機能をココログフリーでもご利用いただくことが可能」になった。つまり、

(1)スパムコメント対応フィルターの設置(コメントする際にスパムの可能性があれば画像から文字を読み取って入力することが要求される)。多くのブログ提供者がサポートしている。ココログもようやく世間並みになったということ。

(2)自己ブログ検索機能の提供(左サイド、ココログロゴの上の検索窓)。試しに「森光子」で俺のブログを検索したらちゃんと出る。これはいい。Yahooブログ検索は不要になった。

が主要な機能アップだ。あと、足らないのはPING指定機能ぐらいかなあ。
画像の許容容量もほぼ無制限みたいだし、アップロードのやり方も素直でわかりやすい。昨日、いくつかのブログを写真俳句ワールドを作るために試してみたけれど、ココログが一番だと思う。タダでここまで使えるココログによいしょである。

| | コメント (0)

戦後が失ったもの@真の改革とは?

日経昨日の夕刊「共有財産の精神に返れ」宇沢弘文を読む。Photo_609
彼はこのところ一貫して共有財産(コモンズ)=社会的共通資本の重要性を説いている。そして、「コモンズが代表する社会的共通資本の中でも医療と教育が最も重要な柱なのです」と言う。「コモンズの重要性は、皆が使えるということにより、自分たちの共通の財産として大事にしようという心をはぐくむことに」あると言う。

ところが現状は「今、医療の現場を歩いて回っているのですが、ほとんど崩壊の状況にあります。特にひどいのは産科と小児科」だそうだ。「診療報酬が減額になった一方で仕組みが変わり、患者七に看護一の「七対一看護」の制度が導入され、現場で大変な混乱を引き起こして」いるとのことだ。
結局、「医療は今、官僚主導の「改革」に追い詰められている。教育も同様」なのだ。

これを短絡的に小泉新自由主義「改革」の帰結と見るよりは、戦後自民党政権が一貫して進めてきた効率至上主義の結果と見るべきだろう。長い目で見ると、大日本帝国軍産官独占資本主義が曲がりなりにも維持していた社会的共通資本(医療、教育更には環境等の外部経済)を、戦後レジーム(効率至上資本主義)が壊してきた過程ということである。

だから、左翼にとっても教育再生は大課題だし、医療崩壊を食い止める必要もあるし、一次産業(農林漁業)を通しての環境保全も課題だ。要するに、こうした社会的資本までも闇雲に民営化してはならないのだ。民(個人、法人)は部分最適しか目標と出来ず、環境等社会的資本は全体最適を図ることが不可欠なのだから。

従って、ここに政府(全体最適)の果たすべき役割がある。宰相は、社会的資本の統括担当たる力量が要求されるのだ、安倍ちゃん。なんでも民営化すればええのんとちゃうで。

ということで社会的資本の重視を左翼の条件に追加する。
左翼とは(1)反帝国主義(2)自由主義(個人主義)(3)多元主義(4)社会的資本重視主義のことである。この条件に浅野君が賛成するのなら俺は都知事選で彼に投票してやる(とエラソーに言うてみただけなり)。

| | コメント (0)

椿@咲き満ちて乙女椿のくちびるよ

Photo_608 咲き満ちて乙女椿のくちびるよ

先日、この花を撮って「八重椿」で詠んだが、今回は「乙女椿」と六音で試みた。六音なので詠むのがちょっと窮屈である。だから、意味曖昧不明瞭な句にならざるを得なかったと言い訳しておこう。花を見ると唇を思う俺はビョーキなのかもしれない。

 風吹くや隠れ顔なる乙女椿        楠本憲吉
 正直や一つ咲いたる山椿        篠崎圭介
 潦大潦紅椿                 酒井大岳
 あぢきなきや椿落うづむにはたずみ   蕪村

おかげで、潦(にわたずみ)は急に雨が降って地上にたまり流れる水ということを知った。
ところで俺の句、「箱根路の七つ曲がりや恋椿」「癌で逝きし寅の一生や落椿」「そつぽ向く椿の花も雨上がる」「白椿女患混み合ふクリニック」「わが宿に椿咲いたり大島の」「面影や庭にひともと八重椿」と、こんなにあったんだ。「箱根路」句が一番出来がいいと自己評価している。椿はこれからもお世話になる素材だ。

| | コメント (2)

枝垂桜@歳月に枝垂桜の巨木かな

Photo_606 歳月に枝垂桜の巨木かな

写真は多摩ニュータウンの民家の庭にある枝垂桜だ。ちょっとした名所になっている。
ところで、「枝垂桜」は六音なのでちょっと詠みにくい(字余りにしなければ上五、下五に配置できない)。本句初案は「古民家に大樹枝垂れの桜かな」としたが、枝垂桜は矢張り枝垂桜でなければと手直しした。こうした事情に加えて次の風生の名句(句跨り)があるので、これを凌駕する句はなかなか生れないのではなかろうか。

 まさをなる空よりしだれざくらかな  富安風生
 一本の枝垂桜に墓のかず       飯田龍太
 見るほどに枝垂桜の老いて艶    深見けん二
 枝垂桜地に触るる枝は舞ふごとし  古賀まり子

「艶」は枝垂桜にぴったりだ。色気は老いて艶になる。ハマチとブリの関係に似ているとは思いませんか。

| | コメント (0)

花曇@人生も芸の内なり花曇

Photo_549 人生も芸の内なり花曇

ずうっと以前に浮かんだ句。シーズンを待っていたのだ。
それで、どんな時に浮かんだのか俺のブログを検索したら思い出した。「新婚さんいらっしゃい!」の連想で浮かんだのだった。こういう発想、連想(はっきり言うと、いちびり。司会者も出演新婚もそして俺も)はやはり関西だと思うのだが、いかがなものであろうか。

 花曇かるく一ぜん食べにけり     久保田万太郎
 ゆで玉子むけばかがやく花曇      中村汀女
 つながれて出て来るティッシュ
花曇   連 宏子
 足袋何千足洗はば死なん花曇      森 光子

花という華やぎの中に萌す哀愁の花曇。これをいかに詠むかも芸である。そして、喜びも悲しみも欲望も芸(スピノザの言う感情の三大要素)なのかもしれない。

| | コメント (0)

2007年3月28日 (水)

目借時また失くしたるボールペン

Photo_516 目借時また失くしたるボールペン

目借時は【蛙の目借時】 かわずのめかりどきの略。春深く、眠気をもよおすような季節のこと、また、眠くてたまらない春の夜のこと。蛙が人の目を借りるからだというが、本来「めかり」は「妻狩り」で、異性を求める時期のことをいうとされる(わたしの俳句歳時記より)。

俳句を始めなければこんな言葉知らなかったなあ。「妻狩り」を知ったからといってなんの得もないけど。そういえば「まぐはふ」は「目ぐはふ」だっけ。

 水飲みてすこしさびしき目借時     能村登四郎
 女子大の公開講座目借時        山縣輝夫
 組みし脚はらりと解けて目借時     湯本明子
 怠け教師汽車を目送目借時      中村草田男

なんか学校のセンセイがらみの句ばかりのようだけど、俺の同級生で女子高教師やってるのは胃潰瘍を患ってるそうだ。

| | コメント (0)

沈丁花@帰り来て沈丁匂ふ夜の厨

Photo_443 帰り来て沈丁匂ふ夜の厨

まだ沈丁花が匂ってくれる。花は既に終りかけているのに匂う花あり沈丁花。「夜の厨」を取り合わせたところが工夫と自句自讃させてもらおう。

 沈丁花どこかでゆるむ夜の時間    能村登四郎
 人恋の匂ひ放てり沈丁花         田淵宏子
 鎌倉の月まんまるし沈丁花        高野素十
 沈丁に雨は音なし加賀言葉       細見綾子

沈丁花愛の予感の回路閉づ」「沈丁の眠らぬ夜も老隣」「恋愛はオペラですまそう沈丁花」「沈丁花気分はいつも一夜妻」に続く句だ。こんなに沈丁花を詠むとは思いもせなんだ。

| | コメント (0)

桜@飽かぬかな美女もサクラも人生も

Photo_417 飽かぬかな美女もサクラも人生も

俳句の俳は人でなしの俳。そして俳諧の諧は諧謔の諧。だから、俳句にはスパイスが必要なのに、アホやなあこの句。そんなにオモロイんか、アホウ。えっ、人の言うことをまともにするオマエがアホやてか。馬鹿にするなアホ。

 長き長き戦中戦後大桜         三橋敏雄
 男なら兵でありしを城桜         関 芳子
 満開のふれてつめたき桜の木    鈴木六林男
 身の奥の鈴鳴りいづるさくらかな    黒田杏子

桜って、どこかしら冷ややかに感じることはないだろうか。ぱっと咲いてぱっと散るからいいんだけれど、梅のように長く咲いてるとちょっとたまらないかもしれない。

| | コメント (0)

別宅建立→土曜日の写真俳句ワールド

ながーいココログメンテがようやく終った。
することのない手持ち無沙汰の故に遂に別宅を建ててしまった。名づけて土曜日の写真俳句ワールド(左サイドのアクセス数の上にリンクあり)。
シンプルに写真俳句だけを掲載するつもりだ。

ご愛顧のほど、どうかよろしくお願い申し上げます。

ところで、ココログがようやくスパムコメント対策を施してくれた。これでスパム除去作業から解放される。よしよし。

| | コメント (0)

2007年3月27日 (火)

泰二さんの句会が始まります

これで句会は二つ目になる。一つは現代俳句協会の句会、そして泰二さんの句会
面白いことになってきたぞ。

| | コメント (0)

連翹@連翹に雨の淋しもタンゴ聴く

Photo_109 連翹に雨の淋しもタンゴ聴く

雨が降った後は、雨に濡れた花を撮ろうと思う。そして、写真を撮ると句をつけねばならぬ。ということで(ちょっと)無理筋でひねった句だ。下五「タンゴ聴く」にそれが現れているかもしれない。しかし、こうした写真俳句のつくり方は写生及び題詠の練習になる。

 連翹の奥や碁を打つ石の音        夏目漱石
 連翹のまぶしき春のうれひかな     久保田万太郎
 連翹の雨のしとゞにふるはかな     久保田万太郎
 連翹のはなちそめたるひかりかな    久保田万太郎

連翹の句は「うつむいて今年さみしい花連翹」に続き二句目だが、またつくるだろうから例句は(何を引いたか覚えやすいように)漱石と万太郎のみにした。連翹の雨を万太郎がすっきり美しく詠んでいる。俳句は余剰を削ぎ落とす文芸であることを実感した。

| | コメント (0)

桜漬@デパートにお洒落なエプロン桜漬

初案「エプロンは栗原はるみ桜漬」だった。Photo_412

 デパートにお洒落なエプロン桜漬

初案では普遍性に欠けるので本句となった。あくまで一般論だが、若く美しい伴侶が可愛いエプロンをしてるのを見るのはなかなかいいものである。これに対して割烹着は、また別のシチュエーションで見たいものだ。吉永小百合の割烹着なんかはどうだろう。

 止みさうな雨あがらずよ桜漬   岸田稚魚
 いと軽き石のおもしや桜漬    高浜虚子
 須磨寺に止まる春や桜漬    伊東極浦
 桜漬ふはりと開く誕生日      安斉君子

漬物の季語(花菜漬、桜漬、木の芽漬)及び和え物等(木の芽和、蕗味噌など)に生活感と色気を感じる。そこで、小道具妻で練習一句「何思ひ妻割烹着木の芽和」。

※画像は商品詳細  栗原はるみ 『haru_mi』 ナインポケットエプロンから勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

涅槃西風@大音声波乱万丈涅槃西風

先日の俳句王国に山田吾一が出ていたが、声が大きかった。Photo_404

 大音声波乱万丈涅槃西風

そこで、大音声(だいおんじょう)が浮かび、語呂合せで波乱万丈とつながったものだ。そういえば、俺も声がでかい。家庭環境のせいだと思う。

 原子炉の町の夜ふけの涅槃西風   鈴木六林男
 むづがゆき翼のつけ根涅槃西風    正木ゆう子
 涅槃西風けふ生かされて蛇眠し     大木あまり
 千羽鶴千羽に足りず彼岸西風     柴田白葉女

例句検索は大型俳句-俳句関連文書データベース検索エンジンに拠った。昨日見つけたばかりだけれどなかなか検索性能がいいと思う。
俳句を始めなければ、涅槃西風(彼岸西風)などという言葉を知ることはなかったろう。春風とはまた別の実感が湧きつつある。春風が彼岸に俺を押してくる。

※写真はアクターズプロモーション - 山田吾一から勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

2007年3月26日 (月)

躑躅@盆栽の好きな薬局蝦夷躑躅

Photo_108 盆栽の好きな薬局蝦夷躑躅

行きつけの薬局のご主人が盆栽好きである。一週間に一回は店のカウンターの盆栽を交換しているそうだ。
実は、いままでカウンターの盆栽に気づかなかった。写真を始めて周囲の事物への注意力が増したお陰だ。このつつじは、正しくはエゾムラサキツツジだそうだ。いいご趣味である。

 つつじ咲き何事のなく世のありぬ    仲原山帰来
 旅籠屋の夕くれなゐにつゝじかな      蓼太
 花びらのうすしと思ふ白つつじ      高野素十
 死ぬものは死にゆく躑躅燃えてをり   臼田亜浪

全て生命は循環だと思う。ところが人間だけが時間という概念を構成し、時間は直線だと思い込んでいるのだ。だから、生命の行き止まりが死などというのはとんでもない思い込みである。

| | コメント (0)

春の雪@十三に春の雪降るがんこ寿司

NHK俳句、例によっての落選句だ。Photo_48

 十三に春の雪降るがんこ寿司

ご存じない人もいらっしゃるだろうから、十三は「じゅうそう」と読む地名だ。阪急京都線・神戸線・宝塚線の交点にあたり、梅田からは淀川の対岸になる。俺の青春の土地だ。木川劇場で検索かけると十三ミュージックに名称変更が出てきた。まだ、あるやん。懐かしいなあ。そして、がんこ寿司(銀座に立派な店がある)も十三が発祥の地である。

 春の雪ふる女はまことうつくしい   種田山頭火
 春の雪ゆつくりと降りさびしけれ   細見綾子
 春の雪しばらくつもる渚かな     大峯あきら
 舌に溶く甘納豆や春の雪       三橋敏雄

淡い感情のここちよさを春の雪は伝えてくれる。もっとも東京の春の雪は例年どかんと降るのだが。

| | コメント (2)

春風@気合では勝てぬ相撲や春の風

春場所が終った。ご贔屓の気合たっぷり安馬はなんとか勝ち越して小結を維持できた。しPhoto_348 かし、豊真将に負けたなあ。豊真将は基本を備えた風格ある本格派。いづれは横綱だろう。

 気合では勝てぬ相撲や春の風

句風、作風、芸風、風格、風貌など風は人のまわりのオーラのようなものだ。ちなみに豊真将は、武士を思わせる堂々とした風貌で、また勝ち負けに関係なく、取り組み後に深々と礼をする所作が清々しいという声も多い。金を稼ぐことの厳しさ、人間関係の重要性は警備会社のアルバイト中に学んだといい、これが人間性を大きく高める契機となったとのことだ。来場所の朝青龍との対決が楽しみである。

 象老いて小さくなりぬ春の風     田中裕明
 春風や聖者に似たる河馬の顔   後藤比奈夫
 山頂に春風ふわりたまご焼      宮嵜亀
 春風という肉体の行きずりぞ    永田耕衣

こうしてみると俳句って面白い。春風でたまご焼が出てくるなんて素晴らしいなあ。自由でかつ必然的な連想の妙を感じる。「春風でオムレツ冷ます昼下がり」即吟できたけど、これは物まねである。

※写真は豊真将SANSPO.COM  スポーツから勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

牡丹@大関は引き立て役の牡丹かな

白鵬が(ちょっと後味の悪い)勝ち方で優勝したけれど、他の大関がねえ。Photo_347

 大関は引き立て役の牡丹かな

特に魁皇。怪我(親指の爪をはがしたらしい)もあるけれど、もう少しなんとかならないものか。強いときは物凄く強いだけにじれったいのだ。それから琴欧州も、愁いある貴公子ぶりを脱却して、スケール大きい相撲を展開してほしい。
牡丹は夏の季語だけれど、これ以外に弱い大関を形容する適切な季語を知らない。

 牡丹散て打ちかさなりぬ二三片     蕪村
 白牡丹といふといへども紅ほのか   高浜虚子
 夜の色に沈みゆくなり大牡丹      高野素十
 虹を吐いてひらかんとする牡丹かな   蕪村

牡丹はスケール大きく詠うべき花だ。蘇東坡(そとうば)などの中国の詩人がことに愛し、「百花の王」と呼ばれた。また、菊、芍薬(しゃくやく)とともに「三佳品」と称賛されたそうである。今日のところは相撲でひとまず稽古であった。 

※写真は魁皇SANSPO.COM  スポーツから勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

2007年3月25日 (日)

格差に影落とす「国際化」

今日の日経・経済論壇・掲題タイトル(大阪大学大竹文雄教授執筆)に面白い指摘あり。正社員が既得権益を守る立場に変わったとした上で、非正規社員の「適切な戦略は、雇用機会を増やすための規制緩和に賛成する一方、グローバル化に対しては強く反対の意思表示をすることである」とする。そして、

低賃金労働による製品を最も輸出している中国に対し、日本はもっと強硬な態度に出るべきだというのは、低賃金労働者にとっては、自然な感情の発言かもしれない。その意味で規制緩和と対中強行姿勢という小泉政権の立場は、低賃金労働者の支持を得やすかった。

とする。なるほど。小泉政権は(どこまで意識していたか不明だが)下層プロレタリアートのナショナリズム志向を刺激し、「改革」デマゴーグであの郵政選挙に大勝した。
しかし、一方、資本はグローバリズムを志向することにその本質があるのだから、安部政権になって日中双方とも「和解」せざるを得なかった。
だから左翼(反帝国主義・自由主義・多元主義)は、権力側がナショナリズム一服している間に、非正規労働者組織化と労働のグローバル連帯(起て、万国の労働者)に取り組むべきだと思う(ダラ幹「連合」には無理だろうけど)。

ヒトラーを支持したのは下層プロレタリアートだったことを忘れてはならない。中国共産党が真実共産党ならば日本の非正規労働者に何らかの働きかけをする筈だけれど、まずあり得ない。そしてまた日本共産党も選挙の票取りと民主党叩きで手一杯だろう。
出でよ、真左翼よ。

| | コメント (0)

俺にそっくりなオヤジの写真

転載は差し控えるが、今日の清水哲男『新・増殖する俳句歳時記』の電車で居眠りしている男が俺にそっくりだと思う。ここまで抜け毛は進行していないが、眉毛の濃さといい体形(だいぶ俺はスリムになった)といい似ているのではないだろうか。

後々のため一応、ダウンロードはしてある。自己言及のパラドクスに使えないだろうなあ。毎日眺めている鏡の中の自分の顔は何十年も変わらないように見えるのだけれど。

※右サイド「短歌写真」に控えめにアップロードしておいた。このおっちょこちょいは一生治らぬな。

| | コメント (0)

辛夷@うつくしやお国自慢の花辛夷

Photo_107 うつくしやお国自慢の花辛夷

辛夷はきれいで可憐で清々しい花だ。また、花辛夷という言葉も句につくりやすい(何にでもつく→例えば「懐かしや友の便りの花辛夷」即吟。あ、こっちの方がええやんか)。夕辛夷とひねってもいいしなあ。それはともかく、今年は辛夷と桜とを同時に観られそうだ。

 辛夷咲く村に一人の万医者      水原春郎
 わが山河まだ見尽さず花辛夷    相馬遷子
 辛夷咲く生まれた町へ途中下車   北原武巳
 性愛や夜も真白き花辛夷      岩淵喜代子

岩淵喜代子について稔典さんは「この作者は、自然とのかかわりを性愛的な濃密さとして感受しているのだろう」と評している。自然も性愛もいのち(エロス)の現れである。
他の例句も読みたい方は「曇る日に小さく咲けり花辛夷」へどうぞ。

| | コメント (0)

春風@恋唄のひとつふたつも春の風

Photo_106 恋唄のひとつふたつも春の風

「や」ではなく「も」にしたから句にふくらみが出たように思う(誰も言うてくれへんから自分で言う)。春風が心地よく感じられる季節になった。汗もかかず寒さに震えもせず、一年で一番いい季節だ。
ちなみに参考記事発見→歌手・前川清(57)がオーナーで、ヒット曲「恋唄」から名付けられたコイウタは、自身の所有馬として初のG1レース3着入賞を果たした。前川は「いいレースをしてくれました。『ほんの短い夢でもとても幸せだった』という歌詞通りの気分です」と満足そう。芸能人オーナーとして54年ぶりのクラシック制覇はならなかったが、勝ち馬との差はわずか。最後の直線での見せ場も十分だった。

春風やロングブーツと短足と」「春風のやうに逝きたしジョギングす」「座右銘春風駘蕩台東区」で例句を引き尽くした感もあるが、こんな時には稔典さんのサイトを検索してみよう。

 人来ては春風に腰掛ける椅子       満田春日
 春風やウィトゲンシュタインイナバウア   内山章代
 春の風スフィンクスのひとかけら      中田美子
 洗はれし章魚だらしなく春の風       鈴木真砂女

稔典さんによると、子規は百年以内に俳句は亡びると思っていたらしい。どっこい、俳句は生きている。イナバウアまで出来るのだ。次回は春風でもっとシュールに挑戦しよう。

| | コメント (0)

木の芽@青春に帰る空あり桜の芽

Photo_105 青春に帰る空あり桜の芽

「木の芽」→「桜の芽」で一句と鋭意努力したがこの程度である。写生しつつ取り合わせという路線(例:「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」子規)の句を得たいのだが、単なる取り合わせになってしまうのが、いまのところの俺の技量か。

 あけぼのゝ白き雨ふる木の芽かな  日野草城
 思ひ出すことみな愉し芽木の山    瀬戸内寂聴
 日暮まで噴水の音桜の芽       館野豊
 木の芽時スーツ一つに安んじて    星野早苗

館野豊の句を稔典さんは、作者の思いの露な表現がないから。思いは光景に転換されているのだと評している。思いを引っ込めれば景が出て来て、思いは光景に転換される(寄物沈思)ということだ。理屈はわかったが。

| | コメント (0)

2007年3月24日 (土)

流氷@流氷やごつんごつんと一人旅

Photo_104 流氷やごつんごつんと一人旅

オホーツクは流氷の季節だ。一度見てみたいとは思うけれど、寒いし遠いし、どうかなあ。俳句を得られるのだったらカメラ片手に安いツアーで行くかもしれぬ。
ところでこの句、「ごつんごつん」が詩になっていないだろうな、多分。

 流氷や宗谷の門波荒れやまず    山口誓子
 漁師みな貧し流氷沖へ去り     岡部六弥太
 流氷の離れむとして渚あり      岸田稚魚
 流氷来はがねの風をさきがけて   草村素子

でも、いい句が得られそうにもなさそう。この季語は難しい。

| | コメント (2)

蜆汁@蜆汁深川寓居遺影妻

これもだいぶ以前の漢字俳句。蜆汁の季節まで待っていたものだ。

 蜆汁深川寓居遺影妻

遺影妻は秀句「遺影妻春や雲公してくるよ」永田耕衣から頂戴した。漢字だけで虚構を構成するという品の無いことをやっているので、秀句を汚しはしまいかと恐れている。

 蜆汁生涯ふたりの箸揃へ      淵脇 護

 ほんの少し家賃下りぬ蜆汁     渡辺水巴
 世のつねの浮き沈みとや蜆汁   鈴木真砂女
 この顔に秋かぜ馴寄る蜆汁     天野 忠

「蜆汁」は生活観と詩情を感じさせる季語だ。もう少し人生に習練したら使ってみよう。あ、天野忠の句は季重なりだけれど明らかに秋の句であった。

| | コメント (0)

春の闇@観音の色香に惑ふ春の闇

真鶴の中川一政美術館のロビーで観音様の写真かなにかを見たときに、上五中七が浮 Photo_266 かんだ。

 観音の色香に惑ふ春の闇

そうすると後は季語だが、「をみなとはかかるものかも春の闇」日野草城から頂戴して完成した。「春の闇」がなまぐさくなる季節まで在庫していたものである。

 千里より一里が遠き春の闇   飯田龍太
 灯をともす指の間の春の闇   高浜虚子
 鍵穴の指に触れたり春の闇   連 宏子
 寝返れば秒音とまる春の闇   楠本憲吉

龍太はエロティックな「春の闇」を上品に昇華させ、かつ、志を感じさせる句に仕立てている。俳句はいのち(エロス)であり志であると思う。俺の句は志以前に惑っているのだが。

※画像は真鶴町立中川一政美術館から勝手拝借/感謝です。

| | コメント (0)

2007年3月23日 (金)

自分のブログの検索方法

左サイドバーにYAHOO!検索/このサイト内検索を置いているのだけれど、こいつの性能がいまいちだ(余分な検索結果とか、ヒットしないとか)。Photo_103
そこで、最近はYAHOO!ブログ検索でサイト名(ユニークならば一部で可)を付加して検索するようにしている。たとえば、森光子の句を俺は引いたなあと検索したくなったら、YAHOO!ブログ検索で「森光子 思索と短歌」とやると一発で出てくるのである。Googleでは出来ないだろうザマア見ろと思ってやってみたらGoogleブログ検索でも出て来た、残念。ご参考になれば嬉しく。

 つぎに逢ふ日は今日より老いむ夕辛夷   森光子
 ヘタクソな中島みゆき夕辛夷         土曜日

| | コメント (0)

椿@面影や庭にひともと八重椿

Photo_102 面影や庭にひともと八重椿

句の中味はなんにも無い。要するに、面影と八重椿だけだ。というのも、この写真、たまたまきれいに撮れているから句をくっつけて俳句写真として公開したかったのである。こんなときに「面影や」とやれば句がつくれそうだ。しかしやっぱりこのような句作は邪道のように思う。

 椿咲く銀河のなかに銀河あり     五島高資
 椿めきてひもじきこゑを洩らしけり  仁藤さくら
 落椿告白といふ快感も         大倉郁子
 藪椿母との距離を少しとり       小田涼子

例句は全部、e船団(坪内稔典チームと呼称してもいいだろう)から引いた。「銀河」句について稔典さんは「銀河のなかに銀河あり」という表現と、「椿咲く」が組み合わされたとき、自然の大きさや深さに届いたのだと激賞されているが、「椿」と「銀河」の取り合わせに俺は少々ついていけない。でも、飯島晴子ほど難解でもなく面白いことは面白い。「ひもじきこゑ」句も「告白快感」句(これが一番)も面白い。いのち=エロスを詠うひとつの形だと思う。

| | コメント (4)

鶯@鶯の撮れて嬉しき散歩かな

Photo_100 鶯の撮れて嬉しき散歩かな

鶯色した小鳥は鶯だろう。しかし、樹木の中に潜んで容易に姿を現さない鳥を初心者俺がカメラに収めることがあっていいんだろうか。それに裸木に止まっているのもおかしい。
いや、鶯なんだ。信じよう。信仰は真実に優先するのだ。

 鶯や虚子忌の虚子の墓に来て      小林篤子
 鶯に聞き惚れて世に遅れだす       篠崎圭介
 うぐいすの匂うがごときのどぼとけ   橋本夢道
 鴬に蔵をつめたくしておかむ       飯島晴子

飯島晴子ほど難解にしなくてもいいから、もっと発想の枠を拡げたい。句作の楽しみはそこにある。鶯の咽喉仏裂き見てみたし。

| | コメント (0)

クロッカス@ガレージを仕切る一列クロッカス

Photo_98 ガレージを仕切る一列クロッカス

朝の散歩(一応、減量Walking)は愛用機を首からぶら下げての散歩だ。そして何かいい被写体は無いかときょろきょろしながらである。Photo_99
昨日は他人様の家の庭にクロッカスを見つけた。クロッカスの札を挿してくれているのでそれとわかった。そうか、これがクロッカスかと花音痴は嬉しくなってシャッターを切った(右の写真)。しばらく行くと駐車場の仕切りにクロッカス(多分)を使った家があった。これを撮ったのが上の写真である。
挙動不審人物ありと通報されないよう、なるべく小奇麗に品格をもって歩きたい。

 クロッカス倖せといふ日の射して      玉木春夫
 日が射してもうクロッカス咲く時分      高野素十
 クロッカス黄色まず咲き佳き世であれ   和知喜八
 サフランや映画はきのう人を殺め      宇多喜代子

「クロッカスはサフランのギリシア名であるが、園芸上では、春先に咲く鑑賞用のものををクロッカス、秋咲きの薬用種をサフランと呼んでいる」(わたしの俳句歳時記)だそうだ。
ところで、クロッカスといえば寺山修司「きみが歌うクロッカスの歌も新しき家具の一つに数えむとする 」を思う。これで俺もこの歌を字面ではなく内容を伴って鑑賞できるようになった。

| | コメント (0)

2007年3月22日 (木)

たひらかに生きる楽しみ直帰して夕刊見つつビールを飲めば

Photo_97 たひらかに生きる楽しみ直帰して夕刊見つつビールを飲めば

もうこんなこともすっかり昔話になりつつある。
そういえば、九十三歳で天寿を全うした富安風生が八十一歳の時に「この世に“思い残すことはない”などと語る人の言葉をきくと、何かそらぞらしく、ウソをついているなと思えてならんのです。(中略)自分自身のために、死ぬるまで、明日を待ち楽しむ気持で、一日一日の命を大事にしたいというだけの事です。」との言葉を残しているそうだ。

一期一会、一日一日の命=楽しみである。

| | コメント (0)

花人@一輪に皆花人や歩道橋

Photo_95 一輪に皆花人や歩道橋

もう一枚、写真があるので、今度は花人(花見客よりカッコいい)でもう一句。これで今日の花見はお仕舞い。

 花人のかへり来る星の真下かな  前田普羅
 花人や夕月仰ぐこと知らず     大場白水郎

「桜人」という言い方もある。これも使えそうだ。
ところで、「花見」でもう一句、例句を。

 観桜や昭和生れの老人と      三橋敏雄

そうなんだよね。俺もまもなく「昭和生れの老人」と呼ばれるようになる。

※訂正→「一輪に皆花人の歩道橋」。切ったらアカンということだ。

| | コメント (0)

花見@一輪が咲けばたちまち花見かな

Photo_94 一輪が咲けばたちまち花見かな

多摩の桜が咲いた。桜の芽を撮りに行ったらもう綻んでいたのだ。写真を撮って句を付けて春が来た。

 骸骨の上を粧ふて花見哉     鬼貫
 年寄の一つ年とる花見して   平畑静塔
 女拗ねて先に戻りし桜狩    潮原みつる
 観桜の蛤御門開けてあり    後藤比奈夫

さて、あと何回、花見できるかなあ。千年も万年も生きたいものだ。

| | コメント (0)

日永@永き日や手に職もなくカント読む

Photo_93 永き日や手に職もなくカント読む

ウソとまでは言わないが若干の誇張あり。というのは、「純粋理性批判」などは読まない(読めない)からだ。哲学原典ムツカシイから嫌い、わかりやすい入門書大好きだ。
ちなみに原典で読んだのは、「善の研究」「西田幾多郎哲学論集」「論理哲学論考」「エティカ」だけだ。

 永き日を囀りたらぬひばりかな      芭蕉
 永き日の飢へさゑも生いくさなすな  中村草田男
 永き日やみな憂ひもつ患者の目    古賀まり子
 鶏のどこかへ行きて日の永き     下村槐太

槐太の「どこかへ」がやや言い過ぎ。つまり、そこには若さが出ていて、自己を直接は出していない不器男の句の方が老成度が高いと稔典さんが評している。不器男の句については俺の「読む本は俳句本ばかり永き日や」を参照。
俳句は自分を隠して自己を表現する詩である。この点、ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」(善と悪とは主体によってはじめて登場する。そして主体は世界に属さない。それは世界の限界である。)の世界を連想させる。

| | コメント (2)

連翹@うつむいて今年さみしい花連翹

Photo_92 うつむいて今年さみしい花連翹

今年は(暖冬のせいだろうか)花が少ないように思う。例年はもっと眩しいぐらいの黄色なのに。そこで、口語句とした。ちなみに、この花は以前から名前を(俺でも)知っていた。たまたま近くに咲くからだ。

 連翹やかくれ住むとにあらねども  久保田万太郎
 遠くゐて連翹の黄と思ひをり      森 澄雄
 行き過ぎて尚連翹の花明り       中村汀女
 連翹に月のほのめく籬かな       日野草城
 基督は鬱にあらずやいたちぐさ   星野麥丘人

草城の句の「籬」は「まがき」と読む(調べて判った)。連翹の句は伝統的な叙景・人事句が多く、俺にとってはちょっと難しかった。そこで口語で逃げたようなところもある。「いたちぐさ」という異称もあるようで、星野麥丘人はそれを使ったもの。「花連翹」としてもいいように思うのだが。

※ダメだ。文字が一字(「う」)写真の横に回りこんでしまう。クソッタレエ。→画像を80%指定から85%指定に変えてOK。どうしてかはよくわからないが。

| | コメント (0)

雪柳@雪柳触れてちひさき愛ひとつ